『1983年富士グランチャンピオンレース事故』(1983.10.23)
天才と言われた高橋徹選手の経歴と、最後のレースについて解説します!
・1979年…レースデビュー、FL500クラスの参戦について
・1980年…鈴鹿への転居、FL550クラスの参戦について
・1981年…FJ1600クラスの参戦について
・1982年…ハヤシレーシングへ所属、F3クラスの参戦について
・1983年…ヒーローズレーシングへの転籍、日本最高峰F2クラスの参戦と事故について
・F2マシンは「グラウンドエフェクトカー」だった、その特性とは
・被害者遺族との裁判
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#3Dゆっくり解説
<訂正>
3:01 氏名が誤っていました。失礼いたしました。
×:小川等 〇:小河等
48 Comments
当時の車はウイングカー全盛だったからなクルマがコースのキャパ超えてた可能性もある。
少しでも姿勢が崩れたら直ぐにテイクオフしてたからな…。
特に富士は最終コーナーはGがきついから滑ったらアウトだった。
風戸さんや中野さんの事故もクルマがコースのキャパ超えたのが原因だった可能性が高いし。(30度バンクだつたけどね)
F2GCなどフォーミュラカー以外でもMAZDAワークス入り目前とされていただけにその後盛んになっていく日系メーカーによる耐久レースでも活躍出来たかもしれない。
特にグランドエフェクトカーが主流になってから台頭してきた選手なのでベテランと違いグランドエフェクトカーに適応した走り方が違うと言われていた。
ただ恐怖心に打ち勝ってコーナーでアクセルを開けっぱなしにしないと速く走れない。
しかし荒れ放題だったFISCOで姿勢を崩せば空気が車体をカンタンに持ち上げ宙を舞う。
当時GCレース好きでよく見て居ました。
このレースもよく覚えて居ます。
セナと同じような事故は衝撃でした。今のレースは事故映像はカットされますから
23までしか生きられない運命
セナとバトル…貴明 定岡 他
生きてる連中はヤってる
フラットボトム規制の前か。
当時は最終コーナーは5速全開の頃でした。この事故の時、私は1コーナー寄りのグランドスタンドでみてました。
ヒーローレーシングに入ってから覚醒しましたよね。
85年からフラットボトムに変わったんですよね
当時のレースを見に行きましたが まさか私の誕生日に亡くなるなんて 凄くショックでした。今だに当時のクラッシュの事は頭から離れません。
コースレイアウトのコンセプトが鈴鹿とは全く異なります。鈴鹿は2輪向け、富士は4輪向けのレイアウトで作られたものです。2つを比べる方が多いですが、そこから違っています。
当時はまだ田舎のCJで、アニメ以外に興味を持ったのがレースという分野で、最初にファンとなったのが高橋徹選手でした。だから今でも富士での彼の軌跡を追うのはつらい所ですが
彼が亡きあとも何度かFISCO(あえて当時はこう呼んでいましたので)にも行きましたが、そこには当然高橋選手の姿はあるわけはなく、彼の落命現場であろう場所へ行きました。
いまではトヨタ傘下のサーキットになってしまいましたが、いまでも晴れた富士山とのコントラストははっきり覚えています。
この事故死と小河等選手の事故死がグランチャンの衰亡に繋がったのでしょうね。F1では空力的優位性を槍玉に挙げてましたが当然ローカル選手権での惨事とウイングカーの特性も把握したからこそのウイングカー禁止だったのでしょうね。そう考えるとインディカーってずっとウイングカーを貫いてきた事に感心します。まーインディカーは基本オーバルコースを走る関係上救難措置が容易、なおかつオーバルコースは安全性を徹底的に考慮した造りですから。
今後、モータースポーツで悲惨な死亡事故が起こらない事を願って止みません。昨年は若いライダーがバタバタ亡くなりましたし。
高校も卒業できなかった根性なしハンパモノ、とも
もし筋トレするだけで勝てたのならありえないエコヒイキ
それほどの才能を貰っていたのに・・・
どうやったら速く走れるのかは実は誰にも分からないのよ、本人にも
なぜか人より速く走れる、理由は本人にも分かってない
その才能さえあればあとは努力だけでok
練習したら速くなれる、そういうレベルの話じゃない
もっと速く走れる才能のはずなのに努力が足りない
みんな練習すれば自分の才能を使い切れるまではいける
どんだけ努力しても自分の才能は超えられない
問題はその才能がどのレベルかよ
世界一のレベルはふつーは世界に数人しかいない
中島も免許取ってからレースに興味持った、才能は眠っている
やってみなくちゃわからないから始末悪いのが才能
友人だった片山右京氏は、毎年広島まで墓参りに来られています。
今のFワンもヤバそうだ‼️
故人を悼んだり惜しむだけにしとけばいいのに他のドライバーを下げて悦に入ってる輩はどうにかならんのか
高橋徹を称賛するために他のドライバーを貶す必要は無いだろうに
グランドエフェクトのCG解説の字幕で出口が狭い方が地面に押さえつける力がかかるとありますが逆じゃないですか?
でないと現代レーシングカーでのディフューザーの説明もつかないと思います
間違いなく、日本初のF1ドライバーになる人だったと、先輩方が言っていました。
まさか?あんな事故が?とも。
今日ヌマジ交通ミュージアムにて高橋徹展を見に行きました。ヘルメット、レーシングスーツ、F2シャーシ、トロヒー、かつての愛車ファミリア等、テレビで見た事故を思い出し涙が出ました。
天才ってのは悪魔と契約してるじゃないかってくらい早く逝く
高橋徹選手、ボクシングの大場政男さんとイメージが被る、天才は早死にするのか、悲しい、生きていてくれたらどんな活躍を見せてくれたのか、事故が悔しい
はじめまして。高橋徹選手の実家、広島県東広島市在住の者です。
今回タイミング的にと言いますか?
広島県にある『ヌマジ交通ミュージアム』の企画展にて「高橋徹」氏のスポット展示が開催されております。
偶然テレビで宣伝されており、記憶の奥にこのレースの事を覚えておりましたが、改めて調べ当時の事をつずった本など
購入し読んだりネット検索をして情報収集して企画展に伺いました。
そこには当時のF2のシャーシ(マーチ)やヘルメットや、あの事故の時の変形したハンドルなどが展示されておりました。
事故の衝撃が感じとられました。
お知らせとしてになりますが、興味が有る方は9/4まで開催されておりますので是非!
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rcc/106294?display=1
僕も当時の本で細かな事を知りましたが、良くここまで調べられていると感心しました。
素晴らしいです。
事故のレースは見に行っていないが、
何度か、グラチャンは見に行った。
昔の思い出になってしまったな。
もしかしたら滑った時にカウンターを当てられる腕力がまだ追いついていなかったのかな?ターボ車でもないわけだし。中嶋氏のちょっと冷たい指摘もそこなのかもね。
F1での活躍見れず残念です。
F1ブームの頃のファンでしたら伝説のレーサーですよね。亜久里が全く敵わなかった人ですね。当時のレースファンでしたら本当にF1のシートに座る男(本当に速い男)は星野と高橋だと思ってましたよね。
死と隣り合わせのレーサーに個別損害賠償を要求していた遺族に腹が立つな。
事故に巻き込まれたくないんだったらレース場に来るなよな、来た以上は自己責任だって事を心してレース観戦しろやボケ。マジムカつく。
高橋徹の名誉を守ろうとしなかった、当時の日本のレース界の事も忘れてはいけない。
f2のデビューレースも最後のレースもTVで見ていた。
富士の最終コーナーは基本全開なので単純なミスとは断定は難しいよ。
空力的に、もしくはタイヤに何かあった可能性はあるね。
ステファンベロフといい、高橋徹といい、若く才能のあるドライバーの早すぎる死が残念でならない。このレースで事故死していなければWECで2人の対決が見れたのかなと思っています。
このレースの事故はニュースで見ました。当時の報道では、亡くなった女性は立ち入り禁止の金網の所で観戦していたと。リプレイのスローモーションで、弾かれて行く女性の姿がうつってました。後、高橋選手はクラッシュした時に消化剤が出てそれも死因になったと当時の記事にあったと思います。
高橋徹は自信をなくしていたと思う。頑張っても星野さんにかなわなかったから。
でも、星野さんとは経験量が違いすぎるので短期間で勝てないで当たり前。
高橋徹と仲のいいドライバーが言っていた。
あの日の徹は何かおかしかった。
何時もの自信ある感じと違って、不安そうで何かを自分に言いたげな表情をしていた。
最終コーナーのあの挙動は普通にカウンターを当てればいいだけなのに、何故か当てなかったのは疑問だと高橋国光氏が言っていた。
やはり気持ちが負けていたのだとオイラは思ってます。
生きていたらF1で活躍していたかも知れない選手だったんですね
他にも何人か亡くなってて…
このレース再び再開されて優勝は星野選手だったんですね
「たった一度のポールポジション」持ってます。
体力づくりをせずに、サーフィン等で遊びまわっていたらしいです。
事故後は徹さんが悪者にされ、ご家族はかなりの非難を浴び、相当辛い思いをされたそうです。(裁判では原告から棄却されましたが)
その後はマスコミには一切の取材を拒否し続け、レース関係者やチーム関係者を恨んだそうです。
当時はレースに対する意識が、全体的に今よりも低すぎた故の悲劇だと感じます。
ご家族が徹さんの一切の映像を流れない様に働きかけてたとお聞きしましたが、許されたのかな?それとも今の時代では防ぎようがないのかな。たくさんの映像がアップされてますね。
とても詳細で素晴らしいですが、胸糞わるくなりますね…。実際の映像で、人の死が1コマ前と1コマ後で生と死が映される映像を見ると、人生てなんなんだろう?と凄い気持ちになります。神様はいないんですね。
この事故シーンは大藪春彦「アスファルトのタイガー」にも出てきますね。
志半ばで逝ってしまった高橋選手に合掌。
徹さんの凄さは80~83年まで毎年カテゴリーアップをして
23歳という若さで当時最高峰のF2にまで上り詰めた。
F2では優勝こそ出来なかったがPPを一度獲得しています。
若く実力もある徹さんがF1に行くことは誰もが疑わなかったです。
たった一度の ポールポジションって 書籍 持ってます
地道な努力をしない人は大成しないよ
レースで死ななくても数年経ったら表舞台からいなくなっていたね
本日命日ですね。
合掌🙏
高橋徹はジルを敬愛していたとのこと。まさか同じような最期で天国に行くとは…。
徹選手と共に将来の若手としてライバルとしても期待されたものの、86年のSUGOでグループA仕様のベンツ190Eのテスト中に事故死した萩原光選手の事故の再現解説をお願い致します🙇♂️。
類いまれな才能で夢を見させてくれる人物だったけど。
F2で体力不足を指摘されてもなおトレーニング嫌いだったとなると、F1に乗れても体力なくて結果のでないドライバー止まりだったかもとも思えますね。
あるいはトレーニング嫌いのままだったら、鈴鹿でいえば数年で5秒以上ラップタイムが伸びたF2~F3000でも通用しなくなっていったかも。
プロのレーサーは自分が死ぬことも覚悟の上で乗ってるんだろうけど、観客はなぁ。いくら事故とはいえこんなんに巻き込まれて亡くなったら遺族はやり切れないよ
記憶以上に記録を残してほしかったなぁ。
当時の富士スピードウェイは、ハイスピードコースですよね。グラベルやエスケープゾーンも、少ない。危ないコースですよね。高橋生きてたら、F1日本初の優勝者だな
ウイングカーの申し子。フォーミラーカーの申し子。FJ、FLと当時から注目していた選手。板金工として働いていた時、人生の先が見えてきてレーサーに挑戦した選手。生きていたら、F1の表彰台の真ん中に立っていた選手。
星野さん、中嶋さん、松本ケイさん、エルグ、亜久里…
また懐かしい。