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第67回は全日本プロレスの【四天王】前編!1990年代に黄金時代を築いた三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太(現・建太)の「プロレス四天王」は、一体どのようにして誕生したのか!?1980年代後半、ジャンボ鶴田が絶対的エースとして君臨していた全日本プロレス。ジャパン・プロレスとして参戦していた長州力の離脱をきっかけに天龍が鶴田に反旗を翻し、その後『鶴龍対決』が看板カードになっていたが、その天龍がなんと全日本を退団!かつてない大きな危機を迎えた全日本プロレスだったが、そこで立ち上がったのが、あの男だった…!有田が“四天王”誕生の背景を紐解いていく!

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■この動画で有田さんがお話した大会・触れた大会
・1987.8.31 全日本プロレス 日本武道館
「’87サマーアクション・シリーズ2」
(ジャンボ鶴田 vs 天龍源一郎|鶴龍対決第1戦)
・1988.11.19 全日本プロレス 足利市民体育館
「’88世界最強タッグ決定リーグ戦」開幕戦
(試合前の記者会見で阿修羅・原の解雇を発表)
・1990.4.19 全日本プロレス 横浜文化体育館
「’90チャンピオン・カーニバル」最終戦
(ジャンボ鶴田 vs 天龍源一郎|鶴龍対決第7戦→天龍全日離脱)
・1990.5.14 全日本プロレス 東京体育館
「’90スーパーパワー・シリーズ」開幕戦
(タイガーマスク&川田利明 vs 谷津嘉章&サムソン冬木|三沢がマスクを脱ぎ素顔になる)

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■視聴者のみなさまへ
有田さんが記憶をもとにその場で語っているため、多少、言い間違えたり記憶違いをされていたりすることもあるかもしれませんが、そのあたりも含めて、ぜひ有田さんの熱いプロレストークをお楽しみ頂けたらと思います!(スタッフより)

※この動画は、感染防止対策を行った上で収録しております。

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OP作詞作曲:MC JAPAN&GREEN BREW STUDIO
OPCG:斎藤良浩

©2022「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」プロジェクト

36 Comments

  1. 超世代軍結成時、当時の三沢さんは20代でした。狼群団の蝶野さんといい、やはり実績を積んでからでないと軍団結成も説得力がないですよね。オカダカズチカも20代はエースであっても、リーダーではなかったでしょうし。
    今の20代の選手に存在感のある選手が出てくることを期待します。

  2. 有田さんは新日も全日も偏りなく、全てを網羅して語ってくれるから、神様のような伝道師。
    次が早く見たい‼️

  3. 全日本が四天王プロレスへと舵を切った時、
    「ああ、早い段階で軌道修正しないと、遠からず全日本は崩壊するだろうな」と思った。
    プロレスとは、
    3カウントを取る/取らせないという部分で争い魅せるモノ。
    毎回、勝者も敗者とKO同然のようになるまでやる真摯さ、愚直さには頭が下がるが、
    そういうスタイルは、他のスポーツに比べ圧倒的に人材育成に時間がかかり、かつ輩出する人材数自体少ないプロレスというジャンルにおいて、長期的な継続は難しい。
    ハイフライフローを必殺技に固定してそこへ収斂させるレスリングした棚橋や、同じくボマイェの中邑、レインメーカーのオカダらを中心にした新日本がV字回復したことは偶然ではないと思う。

  4. 有田さんのプロレス話いつも楽しみにしてます。
    有田と週刊プロレスで使ってた
    名前が書いているマグネット便利でしたよね。使えないのかなとふと思いました!
    人間関係が複雑で変動も激しいので
    有田さんが大変じゃないかな?と…
    手書きも味があって良きですが。

  5. ターザン山本、市瀬英俊、更科四郎等が支えたから、レスラーが口でプロレスする必要がなくなったよね

  6. まさにドンピシャの世代。
    週プロとテレビと会場観戦をしていてどっぷりつかってた。
    長州さんの参戦からやると思ったらその通りだったんで安心しました。
    ”第三の漢”のフレーズは懐かしすぎる。
    四天王の成長がホント嬉しかった。
    小橋選手が抜け出てきたのは、テレビマッチの6人タッグでマイティ井上選手から”無理やり”フォールを取ってからだと思ってます。(井上選手がめっちゃ抗議してた)
    後に引退セレモニーの時に「レフリーになります」と言ったのは、井上選手の馬場さんへの意趣返しではないかと思っています。

  7. 鶴田-長州戦だと長州が小物に見えちゃってましたからねー
    だからこそ鶴田-天龍戦があそこまでの熱量出したのが最初信じられなかったです
    天龍さんの覚悟、しびれますね

  8. 四天王プロレスは本当に極限までせめぎ合い、凄い内容だったことは間違いない。ただ、首や頭への攻撃や、えぐい落とし方などが凄すぎて、見ていて個人的に不安を感じることもあった。

  9. youtube全盛の今、鶴田三沢の両氏から「ぶっちゃけ当時はこうだった」という話が聞けないのがつくづく残念でならない。
    この両氏による当時の振り返り話がなければ、永遠にピースは埋まらないんですよね…

  10. 四天王は、武道館の二階席まで伝わる物凄いプロレスでした。
    しかしながら、他の試合との差が激しく、興行としてみるとちょっと微妙だった記憶があります。

    リング上で小橋に、勝利者インタビュー、。
    受け答えがあまりにもぎこちなく、観客から「小橋に難しいこと聞くな!」なんてヤジも飛んだりして、更に微妙な空気になっていたのを思い出す。

  11. 超世代軍に退治する鶴田が憎たらしいくらい強かったのが印象的でしたね。

    超世代軍とハンセンや殺人魚雷コンビとの対決も心躍りました。

    ジャストミート福沢の登場もあって全日本プロレスが最高に面白かった時代でしたね。

  12. 天龍に1番近かった川田選手が、残留したのは本当驚きでした。また、菊地毅選手や小川良成選手といったバイプレーヤー、ゴディ、ウィリアムス、そしてハンセンといった外国人たちの存在も大きかったですよね。
    ハンセンが、コーナーから飛んできた小橋選手をラリアットで撃墜とかもあったとか。
    カンナムエクスプレス、あとイーと叫ぶブラックハーツとか多士済々でしたね。

  13. 天龍達が抜けて全日大丈夫か⁉️と思ったけど三沢サンが鶴田さんに挑み四天王が生まれ自分の中で一番プロレスにハマった時代でしたね🤩

  14. ある意味全日に1番感情移入できたのは超世代軍の時でした。NWAのタイトルマッチや豪華外人時代を越えました。

  15. 福田に不満があるわけではないけど、そろそろ福田以外のゲストもみたいな…
    綾部とか小峠みたいな知識なしの新鮮なリアクションの人がみたい

  16. 連日連夜、命を削るが如く闘いを繰り広げていた四天王プロレス。
    見る側も過熱する試合展開に完全に麻痺ししていたと思います。

  17. 正直、四天王を育ててる段階でのもう一度、長州との対戦を見たかったですね晩年のジャンボ鶴田のバックドロップは本当にエグかったので。

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