【ゆっくり解説】土岐頼遠『上皇に弓を射た猛将』

土岐頼遠は光厳上皇の牛車に弓を射た事で有名です。
しかし、土岐頼遠は青野原の戦いでは武勇を発揮し軍の総崩れを防いでいます。

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10 Comments

  1. 現代人の感覚ではわからないだろうが、土岐頼遠は誇り高き武人。笠懸をするなど、いつ命を取られるかわからない常在戦場に身を置く者として、下馬しなかった。公家である西園寺某の「上皇の御前である、下馬しろ」との現状に則さない言に腹を立てたのであろう。

    ぶっちゃけ、光厳上皇は間に合わせで立てられた帝、北朝側の武将にとって敬意の対象ではなかった。この辺は、逃げ若の歴史観より太平記の歴史観の方が理に適っている。

    後世、軍国主義の中で、天皇家に対する不敬罪という事で、土岐頼遠の振る舞いは事情抜きに悪とされ、そればかりか上司である足利尊氏まで極悪人とされたのも皮肉としか言い様がない。

  2. 土岐とか斯波とか北畠とか今川とか織田信長周りに出てくる姓ばっかりですね。
    土岐の分家が浅野氏でその末裔が五奉行の浅野長政。
    この時代が戦国時代に繋がってるのを感じます。

  3. 妙法院焼き打ち、若宮殴打事件との差はどこでできてしまったんだろう?
    どうせやるなら
    相手が誰であろうろ半端なことをせずに
    目撃者も含めて塵にして
    物取りの犯行と見せかけるために
    ついでに掠奪もしておけばよかったのに
    って思った
    きっと酩酊していて判断力低下してたんだろうなあ

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