【7月1日 能登半島地震まとめ】能登半島地震から半年/常盤貴子さんが見た被災地 そして復興…など

北斗 [音楽] あの日から半年今も電気と水がない集落頼 もったこいどうでもいえこれしるもう ライフラインの復旧に進まない避解体のの 経済は再生できるのかあ忘れられてるのか なと気持ちが落ち込む弱気になることも 多々ある のそしてをなく愛する俳優子さん お 帰り地震から半年を経て時さんが今伝え たい大好きなのの姿と はこんばんは こんばんはこの時間はあたスペシャルの 半島地震から半年を全国ニュースを挟んで 午後6時55分までお伝えしていきます それではゲストを紹介します俳優の時子 さんです石川県の皆さんこんにちは よろしくお願いし 時さんは今回喉で進行のある人たちを尋ね てきましたので後ほど映像でたっぷりとご 紹介しますそして地域防災が専門で北陸 学院大学教授の田中純一さんです田中さん よろしくお願いしますよろしくお願いし ます元日の地震から半年が経ちましたまず はこの半年間の動きを映像で振り返り ます1月1日午後4時10分 マグニチュード7.6のノ半島地震が 発生和島市と鹿町で県内初の震度7を 観測和島市では朝一通り周辺で大規模な 火災が発生し鈴や能登町の沿岸部は津波で 壊滅的な被害を受けまし た野半島では地盤が最大でおよそ4m 流道路や通信がえ多くの集落が孤立状態に 陥りまし た地震による死者は災害関連士を含め 299人に登る見通しで2016年の熊本 地震を上回り平成以降の震災で3番目に 多くなりまし た被災地では少しずつ生活インフラの復旧 が進められています道路が落した野里山 街道と越自動車道は3月までにに和島方面 への通行が 再開の鉄道も新学期に合わせて4月に前線 で運転を再開しまし た天皇攻防両下は2度にわって被災地を 訪問し被災者や復興に携わる人たちを労わ れまし た仮設住宅は県が今年8月末までの整備 完了を目指していて避難所も少しずつ閉鎖 する 増え火災で内の場を失った和は金沢など 各地で出張朝を 開催のを代表する和倉温泉でも営業を再開 する旅館が出てい ます一方壊した家の解体作業は進んでおら ず先月3日の震度の地震でさらに建物が 崩れるなど も拭えませ ん時さんはドラマがきっかけで地震前から 何度ものを訪れていますけどこの半年間と いうのはどんな思いで過ごしてこられまし たか地震の直後はもうただただ途方に くれるばかりだったんですけどもあの被災 地の被災者の皆さんのことを考えるともう 私が途方にくれてる場合じゃないなと思っ て今とにかく私に今できることを1つ1つ やっていこううんと思って今に立って ます田中さんは昨日も被災地に入られた そうですけども半年が経って何か変化は ありましたかそうですねあの仮設住宅での 生活がようやくこう始まった方々多く 見かけますで一方でやはり慣れないあの 建物での生活っていうところに戸惑いを 抱いてるなというのが率直な感想でした 一方であの変わってないところとしては ですね被災で あの音がないはいこれはあの重機の音だと か車の音あるいはボランティアや住民の 方々の声っていうのがですねなかなかこう 響いてこないえこれはあのずっと変わら ないままあるなという印象を持ってます 少しずつではありますが復旧に向けた動き というのも見られていますただですね一方 で瓦礫が残ったままの地区電気水道の ライフラインから切り離された地域もあり ます地震から半年がったのを取材しまし た和島市の市街地から10kmほど離れた 西こちらでは水も電気も使えず住民の姿も ほとんど見られませ んこの集落は地震号道路が寸断され2週間 以上にわって孤立状態となりました そてみんなあの仮説住宅に入ったりして ここはもうほとんどいないが ね妻と2人で地区に残る小橋俊さんすい ませんお邪魔し ます全然 1回来たよ10日頃来ていや予想がに早い 2日か3日夜であ来た方がいいと思っ て先月一度停電が解消しましたが落石で ケーブルが再び傷つけられまた電気が使え ない生活 にさらに地震から半年が経った今も断水は 解消していません これ山水やんで笑ったうんこれ山水やん なろ半年経った感じします早かった遅かっ た遅い遅い全然なっとらんよそのわ見たら こっちまで手をめね早くこっちもやって ほしいって気持ちはないそれは頼んどれし てくれもこっちどうでもいえ孤しとるさ もうわ休まれ休まれ とる一方街中で は元日に起きた家事であたり一体が燃えた 和島朝市周辺です焼けた建物がこれまで そのままとなっていましたが今日から ようやく解体作業が始まり ます大規模な葛に見舞われた和島市中心部 の朝一通り周辺 先月5日からようやく建物のコヒ解体が 始まりまし たしかし今コヒ解体の遅れが被災地の至る ところで形になって現れてい [音楽] ます地震から半年近くたちこれまで 持ちこたえていた建物が壊するケースが ついでいるのです の町の坂倉では千月24日店舗1回部分が 突然崩れ落ちまし たコヒ解体を数日後に控えていたさ中の 出来事でした先日の余震大きな地震とか あと雨も降ると本当危なくてねでもみんな 急いでみすごい頑張ってくださってるけど どうしも間かるん で本当に一生懸命頑張っておるんですけど なかなか本当に難しい制度というかえただ えこまいてえ送らせるつもりは全くござい ませんでなんとかあの1日でも早く回転が 進むようにことで取り組ませていただいて おり ます和島市では昨日までに 648胸の申請を受け付けましたが体が 住んでいるのはわずか2%ほどにとまって い ます先月3日の震度5強の地震以降危険性 の高い建物については所有者の立ち会い なしに解体に取り掛かれる緊急公費解体を 再開しましたが作業が思うように進まない 要因の1つはマンパワー不足 です長期の派遣職員ということで20名 要望してる中で11名もうこれまでももう 本当に綱渡りみたいな状況で本当に人が 来るかいう毎月それ悩みながらやっておる ん で特に不足しているのは長期に渡って被災 地に常駐し続ける 職員さらに追い打ちをかけるように窓口で の受付業務を担う短期の派遣職員は減る 一方で他の職員の負担は日に日に増してい ますはれない窓口がどうしてもあの市民の 方来ていいて待っていたくようなこと ちょっとこれからは起こる可能性があるん ですが短期の方とかですねいろんなところ にお願いして人は是非増やして欲しいと いうことで予防は続けていくということで 考えて ますコヒ解体が進まない原因は他に もこちら市街地から車で10分ほどの解体 現場ですが未だ水が使えないことが今 大きな問題となってい ます水は来とるけ水来てますの来とるいや 来てないです来てない はい鈴田島 町解体作業で生じる埃は水で抑える必要が ありますがこの地区も断水が解消してい ませ ん今はそうですね水がないんでなるべく 誇り出ないようにちょっと配慮し ながらおはようございますおはようござい ます 解体業者の調整役を担う中谷和さん が4月に始まった費解体も道路事情の改善 に合わせて今後は業者の数を現在の倍近に 増やし作業スピードを向上させたいとして い ます今順調には進んでいるという認識は 持っておりますその受け入れ体制も ようやく7月中に整いつつありますそし たらもう8月1日からは全力でみんなで 解体やっていけるんじゃないかと思って おり ます一方で同じ鈴市内でも手つかずの地域 もあり ます鈴飯田町海沿いの地域ですこの辺りで は解体が全く進んでいませんその理由は あたり一面を襲った津波にあると言います ここでは津波で流された瓦礫があたり一面 に散乱しどの建物のものか分からない状態 に所有者が特定できないままではコヒでの 撤去は難しいのが実情 です空き地なのかよくわからないところに 全部流れてますそれはコーヒ解体じゃない ですよねって やっぱり言われるし僕もやっぱそういうだ なって思うしどういう扱いすればいいん だろうって思ってますこれ2ヶ月前に同じ 話題で偉い人たちに相談したんですけど 未だに結論出てなかったので僕たちでは あの答えは出せないです ね一方半年が経った今も電気も水もない 西いつかまた孤立してしまうのでは住民は 今も不安を抱えてい ます道路もねあの今今のところほら崖くれ とかこんな険しい外になんかあった場合 もし病気したりけがが出た場合はもし雨が 降って大雨でも降ればまた土砂崩れで孤立 してしまうがねやっぱりその心配もあるし 3月に二次避難先から戻って以降集落で 暮らし続ける小橋 さん生まれ育った故郷を愛する気持ちは 変わりませんが仮説住宅に移る決断をし まし たあるいいわ ね朝する 空気が違うもん 自分の生まれたとこやけねほとここはいい やけど人間がおらんで寂しだめ1人か2人 で話しておらんでよて頭おかし なる奪われた日常はいつ戻ってくるの かあの日から半年が経った今も答えは 見つかっていません [音楽] ここからは和島市にいる石橋アナウンサー と中継をつなぎます石橋 さん元日の地震で大規模な火災が発生し ました和島朝一通り周辺からお伝えして いきます今日は午前中弱い雨の降る時間帯 もありましたが昼過ぎから青空が広がって いて今も強い日差しが照りつけています 午後からは気温がぐっと上がりました そして先ほど午後4時10分地震発生時刻 に合わせてちょうど私が立っているこの 場所で朝一の組合員の方そして地元住民の 方が新婚の祈りを捧げていまし たさてここからは真島市長坂口茂さんにお 話を聞いていきますよろしくお願いします はいこんにちはよろしくお願いいたします 市長まず野半島地震で今日で半年となり ましたはいこれまで振り返ってどのように 感じていますかはい元日の8歳以来本当に 日々国国と様々な課題があって状況が 変わる中でその決断をして1日も早い復旧 をということを考えてきましたけども今 考えるとあというに半年が過ぎてしまった なという風には感じておりますまただ本当 に全国の多くの方々からですねご審を いただいてえそれでよって今現在ここまで 来ているなという部分ではとても心から 感謝をしてるとこでありますこの後ろに 見えてる和島朝一この周辺先月の5日6月 の5日から後解体が始まり はい地区のめてらっしゃいますはいぱり この和島の朝市周辺のこの場所はですね ある意味の半島地震のシンボリック的な 場所ともなってますえ大変な火災が発生し て 264ぐらいですかねえ火災で消失して しまいましたここがそのままですとですね やっぱりあの市民の方々がですね心が沈む というか何も変わってないという気持ちに なってしまうということでなんとかここの 解体撤去をですね早く進めたいという思い で進めていますはいスタジオからどうぞ はい坂口市長スタジオから兵動です仮説 住宅へのこはこんにちはお願いいたします 仮説住宅への入居の進捗状況についてです が死としての想定よりも早いのか遅いのか 市長自身どうお考えでしょう かはいえ私の思いよりはやっぱり遅いです ね1日も早く火星住宅に入っていただき たい避難所におる方々に入っていただき たいという思いからはま現在8割弱の完成 となっておりますのでそういった部分では もう少し早くできたのではないかなという 風に思ってるんですけどもま石川県産が ですね全力でえこの火星住宅の建設を進め ておりますので8月にはですねなんとか全 が完成する予定と聞いており ます坂口市長スタジオから牛田ですもう1 つ聞かせて くださいはい自宅に戻った方の中にはまだ 家庭で水が使えないという方もいますし ライフラインの復旧というのは市長今どう 考えてらっしゃいます かはいあのおっしゃる通り家庭でですね まだ水が使えないという方もまたかなり おりますえライフラインの中で水道の通水 という意味ではもうほとんどのところで ですねえ水が取ってるんですけども家庭の 中の急排水という部分の修理というがです ねこれ個人でやらなくちゃならないという 部分ではまだそこがなかなか業者さんが ですねこう忙しくてえ頼んだにまだできて ないといった部分がありましてここがまだ 水が使えないといった方々がたくさんいる という状況でありましてここをなんとかま 石川さんに石川県さんにもお願いをいたし まして市街からの業者さんがこれれるよう なそんな支援もですね今いだきながら進め ているところであり ます市長最後に今後も復への道続いていき ますけれども今改めてどのようなことを 感じますかはいえあの本当に半年の立ちま 全国的にはですねノト半島随分復旧が進ん でいるのではないかといったそういった おそらく皆さんそういった気持ちもあるん ではないかなと風に思うんですけどもま 本当にまだまだ応急的な復旧がですねなん とか目処がついているという状況なんです え本当に本格的な復旧そして復興というの はですねまだまだ本当に多くの時間が かかるという風に思ってますそうした意味 ではですね本当にあの今後引き続き全国の 皆さんにですね様々なご支援をいただき ながら和島ましといたしてもですね1日も 早い復旧復興を進めていきたいという風に 思っておりますので全国の皆さんに本当に あの引き続きのご支援をお願いをいたし たいと思っていますはい えここまで坂口し市長でしたありがとう ございましたはいありがとうございました 以上中継でし た和島のシンボル朝一通りも少しずつ復旧 作業が始まっていますここからは北陸学院 大学の教授で地域防災が専門の田中純一 さんに伺います田中さんは今回の避解体の スピードはどう捉えていますかそうですね あの今の和島市長やあの先ほどの市の担当 者の方のお言葉を聞いていてもですね本当 にあの苦しい通常というのがよくわかり ますただあのやはり住民目線というかです ねあの住民の方のあの視点で立った場見た 場合にはですね1月1日のままのですね あの住宅我が家をですねずっとこう半年間 見続けてるあのこのお気持ちをですね 考えると本当にあのえそれを察するに あまりあるなという風に思っていますで やはりこれスピードをですねあの難しいと 思うんですけれどもやはり県であるとか あの国がですねしっかりとあの力添えをし てスピードを上げてほしいと思ってますで ないとですね住民の方々がこの復旧や復興 あるいはここで暮らしていくっていう ところの展望が見出せないあの場合によっ てはそれがあの描くていうこと展望を描く ていうことを諦めてしまうあのそんなこと にも繋がりかねないと思ってます少しだけ 伺いたいんですが他の震災と比べてなぜ ここまで遅れていると言えるんですかあの えっとですね今回のやっぱり現実に起きた とかですね地理的な特性であるとかあの あるいはその宿泊施設がないとかですね いろんな要素がある中で遅れてるってい風 にあの言われてますただあの私は思うのは ですねあの過疎や高齢化が著しい奥で今回 激震災害が発生したんですねはいだけど あのこれはですね過も高齢化も進むのは 分かっているわけで災害が撃沈化して極端 化してるというのもですね今日のトレンド としてあるわけですからやはりそういった あの対策ということを事前にこう考えてこ なかった分にあの十分に対策取ってこ なかったというところがですねやはり最も 大きいとこじゃないかなという風に思って ますなるほど さてこの後 は時さんが見た被災中をお送りし ますこの時間はあたスペシャルの半島自身 から半年をお送りしていますここからはの をこよなく愛する俳優時貴子さんが見た 被災地ですのは優しや土までもその温かい 人柄と豊かな自然で私が自分を取り戻せる 場所ですそんな大切な喉が現実の震災で 大きなダメージを受けてしまいました再会 を通して伝えたい被災地に今必要な こと私の世界で1番好きな海がのにあり ますそれ がわあ ええ本当に変わっちゃっ た涼しの二重海岸元日の地震で海底が流記 しその姿は一変してしまいまし たええどうしてこんなことになるんだろう これが自然の力なんです ね ええ わ やんお 帰り地震から 半年ノの人たちに必要なこと はうん再会を通して伝えたい被災地の 今げっそりしちゃって寂しいです ね1年ぶりぐらいですかねここに来れたの も訪れたのは上浜円田角花 系2015年の朝空稀の舞台にもなった 場所ですああ さああ やばい見 たらありがとうございますあやばい ございますありがとう遠いとこまで ありがとうございますええやっと会いまし たねこないだねあの3月に皆さんが一緒に お食事された時会えなかったからそうです ね あ会えるって嬉しいねああ嬉しいえ今ここ どうなってるんですかそうですねまだこの 地区ってまだあのこの町内は水道着てない んですよ あでは5月31日にが消したとしています が大きな土砂崩れがあったこの地域では 未だに水道が使えませ ん私たちはちょっと金沢にこう虹内してて こう行ったりしたりてこう演練を今後遠慮 を続けていくためにうんえこう整備したり なんか噂によるとあのカヒが入ったみたい なそうですねもうカの土台が日入ってカ 時点がちょっとずれてる感じな よ海から組んだ海水を砂浜に巻き秘で 乾かし絞り出した恋い海水を煮詰めて潮を 作り ます400年の歴史を誇るのの上浜式青園 の技術は2008年国の重要向け民族文化 財に指定されその伝統は6代目浜路の花浩 さんに受け継がれていますやっぱり あのもうここから海だったんですよこの辺 はもう水を触れるような状態そうですねね 以前ここで海水行くんでそう我れでもそう いうシーンがあって流記したってことなん ですねこれそうなんですよねだからあの沖 の白いとこって今まで海の中にあったとこ があったとそうそう上がってきたっていう 白いとこと茶色いとこの境い目っていうの があの海面のちょうど上とかなんですよね へえ海水をこう上げるのはどうするんです かその沿でからその海面うんあの海水の 1番近いとこまで80mあったんですよね 今回はもうポンプでうん水上げて円転まで 海水を引っ張ろうかなと思って もうオで組むとかはありえないですね昔 みたいそのね片に担いでっていうのは なかなか難しくなりましたねとかも変わっ たりとかするのかしらいやああ変わらない とは思うんですけどうんでもやっぱやっ てる思いは昔の作り方を皆さんに見せた いっていうまその思いの部分が潮の味に もしかしたら変化するかもしれないが濃く なるにはまいいかなってむしろうん 1番求めていることは何ですかまエデム 作業もそうですしカタ作業もやっぱね10 時間ぐらいはね日のそばあんまり離れられ ないんでうんまそうなるとやっぱ水道うん ね電気とガスはも今ようやくね来ましたん であと水道だけくればここで生活して ようやく塩作り私たちのその復興まだ復旧 の段階なんでねなかなか難しいんですけど うんやっぱようやく復興に向けて前に 進めるかなと思うんですよねうん うん今年はエデの半分に土を敷き梅雨明け にも塩作りを再開できるよう準備を進めて い ますで私取材一切受けてないんですよそう なんけなかっか今初めね本当にありがとう ございます復旧の時は受けないって決めた んでうんあそうなんだそうそうでももう じゃあ復興に向かっ向かってきた来たから 私も動き出すきっかけになるんで言っ ちゃったらねそうそうそう動かないそう ですよ嬉しいそれはそうなんでうん今まで やっぱ思考錯誤しながらどういう風なやり 方の正しいかってわからないやっぱねあん ですけどでももうあのマイペースそうです ねうんどんな状態でも私たちを応援してる んだうんありがとうございます 地震は天さんたちの仕事場の景色も一変さ せまし たここまでです海来てましたよでほら白い でしょで今葉っぱ生えてきちゃってるけど こんなここまでずっと海ありました もんす高町の天晩里さんだからに当たっ ちゃ師匠は母ですけども母腰痛めまして もうもう2年は入ってなくて一緒に入った 時か2年くらいかなねうん一緒に入れて ないねえっとあ50年を超える母さつき さんの後を追って海に入り今年で4年目 です父も漁師ですしその漁師と天で育て られてるっていうのもあったのでどういう 風に自分たちを育ててくれたのかなって いう興味もあってやってみたいっていうの はありましたねうんで今度はサザエのトル とかすごいはまっちゃって楽しくてもう目 つぶったらサザしか見えないみたいほ夢に 出てくるんです よ私あまちゃんひよっこなんで黄色にし ました謙虚 でしょほら見てそれら貝だらけでしょです これ岩場のところはアワビの稚魚とかも いっぱいいたんですけどそれも全部死に まし た高地区では6月日から今シーズンの甘が 始まってい ます行ってき ます地震によって海の中の景色もがらりと 変わりまし た1m以上ね流してしまっとるので海藻と か生物がどういう風になってしまっとるの とかそういうのも調べたりポイントを探す のに今は一生懸命勉強中ですね [拍手] イワの子供たちにあってあとタコがサザを めっちゃ抱えてたから引っ張ってきたまだ 3つぐらい抱えてたそうタコとはねもう 取り合いそうそう取り合いなんです 毎回この日今シーズン1番の大量となり まし た今日いいねいいけどアビ会えなかった から残念 ここまで来れるようになったんです ね 嬉しいちょっとずつちょっと ずつつばき茶やまた来れると は高台に店を構えるつばき茶屋万長親子が 営む天さんの手料理と絶好のロケーション が人気のカフェです私もに 必ず立ち寄りたい大好きな 場所2人とは今年の3月に涼の避難所を 尋ねて以来およそ3ヶ月ぶりの再開 ですお邪魔しますあこんちはああ こんちはお 帰りありがとう本当にありがとうござい ますまえ たここにれたが本当に感動初めてですね 初めてありい道とかよく来てくれたね本 にこのお2人の姿をここで見れるとは ね地震による落石で道路が寸断され店は 一時孤立しました建物は無事でしたが食器 や調理器具が散乱片付けようにも人手が 足りず店を開けない状態が続いています まだ調理場は片付けれてません本当は6月 4日にプレイオープンの予定があったん ですよすごくサポートしてくれるお友達が いて前日6月3日に来ようと思ったらその 新どこが朝来ちゃったもんでまだちょっと 先延ばしになってる状態うん うんうん復興へ向け歩み始めた矢先再びの を震度ご強の揺れが襲いまし たそれでも ことがないわ海の女だしね吐ことただ旅 重なる自信にさつきさんの心が揺れ動いて いるのも事実ですさ私らでもねガーとね 泣きたい時あるでも泣けないなかなかそう なんだうんでもね1人ろと片付けもしとっ たりするとねやっぱりああこういう昔は こうやったなとかて考えるとね苦しくなる とあるだからそういうことばかり考えとっ たうんやなと思ったりしてねあの気持ちを 変えるようにうんそうしないとやっていけ ないちょそのタオルからいてもいいです か本当にねああもうやめてもう本当にね やっぱり泣きたい時はねあのよく言うよね あのほらあの不安でしたこれ洗わんとこと か洗ってこれ一 やめて [音楽] もうのには今何が必要なの か2人に聞きまし た最終的には人がやっぱ若い人たちいなく なっちゃうのが思うと若い人ではいるなっ て思いますねその人たちが過ごすためのお 店とかも結局いることになるし生活する ための一食がえでももう今の階るとさ人の 営にとって大切な食っていうものを支えて いるここが大事になって くるそういう方々をね支えるっていう ポジションにうんあのオープンの準備も 手伝うしああ1日長長とかじゃなんか作る とか ね嬉しなってきた なみんなでこうねここでそうですね ちっちゃい道具調理具とかしかないです けどことでうん簡単にできるものが何か あればそうですね片付けしないとねそうや な頑張って片付けにはな店ね裏ひどいこと になってお願いしますねそん時までに ね時さん今回改めてのを訪れていかがでし たかあの半年が経ってそれぞれのペースで 一歩を踏み出したりしているんですけどけ も半年が経ったがゆえに色々なまた新たな 問題も見えてきているなというのはすごく 思いましたねそれぞれがあの抱えている 問題が露呈してきたっていう気もします うん自信で変わり果てた景色かもしれない ですけど映像通して伝わりましたけど皆 さんの温かさは本当に変わらないですよね はい本当にあのそれで皆さん前向きだし あの本当に私たち取材で行っている人間 たちに対しても優しく接してくださって 私たちはやっぱりあの迷惑なんじゃないか なって思ってしまったりもするんですけど 皆さんはやっぱりむしろ気にかけて くださることが嬉しいって言ってくださる んですねなのでボランティアの方々もそう ですけどなるべく今はもうあののに行って あげてほしいなってもう観光でもいいし そのお店もう地元でオープンしてるところ も増えてきているのであの遊びに行って はいなて思いましたそうですね弱は吐か ないのとの皆さんですけど私たちにもこの 先何ができるかっていうのしっかりと考え ていかなければいけないですよねそうです ねなんかそれはもう私たちがこう喉に行く 人間たちが何か新しい風を持ち込んでいく というのが大事になってくるのかなて思い ましたはいさて続いては避難生活などが 原因でなくなる災害関連士について ですこれまでにから自治体に寄せられた 災害関連士の申請は奥西2長を中心に 200件以上でこのうち52件がこれまで に正式に災害関連士と認定されました今後 も懸念されるこの問題について被災者の今 の生活と自治体などの取り組みを取材し まし た町 でほとんどの住宅が開しまし た避難所の流小中学校ではダボールで 仕切られた区画が並んでいます4月行って からそこの仮説住宅ができたのでまたそこ で大体60世帯くらいかな減ってでそれ 以降は大体50人前後 かは900人ほどが避難した小中学校では 今49人の住民が避難生活を続けています 年なんかねほらあの1人の人はここやって きて少し周りと色々話しながら一緒に食事 もしながらとかそういう意味ではやっぱり そういう孤独感から離れて楽しい生活だっ たかもしれないけどやっぱり自分自身の プライベートがしっかり守られて言方 かしいけど12月までのあの日常が 取り戻されるってことは1番 ベスト半年が立ち避難所から仮設住宅へと 移る住民も徐々に増えてい ますみんなで大きな家族みたいに仲良くさ せてもらってたのであの仮説に入れるのは 嬉しくほっともしてるんですけどここが 本当にいいところでしたのであのここを 出るのがあの寂しくもありますはい はい県内の仮設住宅は必要個数6810個 に対し6月末までにおよそ5000個が 完成しまし たノの仮設住宅には迅速に整備できる プレハブ型と原速2年間の入居期限が過ぎ た後も住み続けることができる木造の長屋 型とこ風の3つのタイプがあり ます県は8月中にに全ての仮説住宅の完成 を目指していますが仮設住宅ならではの 懸念材料も1つ1つのお部屋にドアが閉め られてしまうと中にどんな人が いらっしゃるのかとかあの元気がなかっ たり具合が悪くても気づけないっていう こと でプライバシーというメリットの引き換え に孤独士や災害関連士の増加が懸念される の です2016年に起きた熊本地震では 死者276人のうち災害関連士は221人 実に直接死の4倍もの人が避難生活の中で 命を落としまし たその原因の1つとされているのが仮設 住宅への入居が抽選性だったこと です壁1枚隣の人がどういう人か分から ないと今回野半島全域においては仮説は 抽選をしないでなるく地域を大切にし ながら映していこうという話が進んでいっ たうに思いますからそこは大きな成果だと 思います ね和島市から仮設住宅での見守り活動を 委託されている青年海外協力協会はいども ありがと住民とのコミュニケーションを 心がけていますいですこても私たちもこう 巡回しているのでやはりこうお友達がい ないとかあのまごうんがも近くにいないと かっていう方たの特にこうあのま心配はし てましてじゃ前も後ろもねみんな村のや から和島市門前町の峠第1 団地県内の仮設住宅では最大の279個が 建てられてい ます中には同じ地域の人もいますがここは 小の地区の住民が集められています 知らない人多かったです知らない余計やわ ね知らない人 多い寒きあるわ ねこの仮説住宅で5月中旬70代の女性が 孤独しているのが見つかりました女性は 治病があり連絡がつかないことを心配した 家族が部屋を訪ねて倒れているところを 発見しました 最近お部屋暑いけど大丈夫 部屋暑くなってないてお水飲んだりご飯 食べれマや各ボランティア団体が住民を 孤立させないため様々なイベントを開催し ている他支援者同士でも情報を共有する ことで災害関連士や孤独士を防ごうとして い ます部屋番号だけ書いてある白地図みたい なものを毎用意してとこにま丸だけして もらうみたいなっっていうのでしたらあの ここいつもここは参加されとるけどここ いつも参加されてないねとかであの ポスティング回った時にそれ見ながら行っ てここあのポストに溜まってたとかみたい にそのポストに物が詰まっとるっていう 情報は早い方がいいと思うのでLINEで 個人情報は載せて欲しくないんですけども 例えば部屋番を載せてもらうとジガさんが 対応するかうちの保険士とか私が対応 できるの で見守りが必要な齢者がいる 宅だけではありませ ん こんにちははた さんド出してきてくれた ありがとうはい町遠目で暮らす田吉蔵 さん地震で自宅は反し妻と2人で沢なの 避難所や 月にな1人で自宅にりまし た帰ってきたら あんた水浸して畳もいもなもない全部ダメ になってしまって濡れて壁吐いて ねこの日田さんの元を訪れていたのは長の 社会福祉協議会らが作る支え合いセンター の 職員今年5月から75歳以上の高齢者が いる世帯を回っていますどうです訪ねてこ られる人いますか役場でも何でもどこでも ば は特別そんな初めての人はきません泣き ません はいみんな元気やし吉田さん忘れとりね ええさんの生活スペースは近一部屋のみ 食事は3色自分で作ってい ます私1人でも何でも自分の好きなことし てますからストレスは何もたまりません ええあの何もしないでじっととしておれば そりはあれかもしれんけど ねすでに運転免許を変動しているはた さん買い物は家族や友人の送り迎えが頼み の綱ですがそれでも自宅にとまることを 選びまし たあ自信なしたらあんたみんな打ち合いて しもたがいね今避難場もあるし活住宅も あるができたですけどもえと私そんなとが すかがです私すごい悪いはとにかく自分の 牛で降りてが ですなら出て一緒に鬼見せてください 生まれ育ち80年以上を過ごしてきた 我が家自分のうでそれ死にたいですねうが なければそれあれですけど自分のうあり ますから自分のうで死にたいと思います えまだまだ死なれんと思いますけど ねあなた来るかと はたさんの趣味は 民用公民館などで住民に披露したことも ありましたが腰の痛みが強く現在はけてい ませ んお元気に見えても何があるかわからない しはたさんのように足が弱いと転んだり そういう時に助けてもらえる人ってのが そばにいればいいと思うんですけどうん なんかSOSも出しにくいだろうし [音楽] 奥のでこれから先どう高齢者を守る か仮設住宅という整えられた環境 とそれでも自宅に残りたい住民の希望の間 で支援者は複雑な思いを抱えてい ます和島なんか仮説にいらしてもなくなっ た方とかいらしたんで仮説がいいっていう わけでもないとは思うんです点在したうち ばっかりなので近くても気づかないかも しれない けれどもう皆さん周りの人にお願いする しかないか な懸念される災害関連士ですが田中先生に 伺います仲が見えにくい仮説住宅と そもそも見守りが難しい喉の住宅これ プライバシーと高齢者の命を守るにはどう すれば両立できますかはいあの プライバシーはもちろん大事です ですけれどやはり今回の災害であの在宅に せよ仮設住宅に入っている方にせよ不安を つらせてる方があの大勢いらっしゃると 思いますで1人になりたい時は1人でいい んですただ話したい時は誰かと繋がりたい 時にそういったチャンネルやそういった 機会というのをあのなくしてはいけない あの孤立師があ孤独士がですねあの5月の 中旬にも出ましたあの孤立させ るっていうことをですねあのやはりで行か なきゃいけないそして今後その孤独士で あるとか災害関連士といったものをですね 一件も出してはいけないあのそういう つもりでですねあのしっかりと見守りを 続けていくっていうことが僕は大事だなと いう風に思ってます自信を生き延びた命 ですから時さんやっぱりこれから救える命 もたくさんあるってことは私たちも止めて おかないといけないですよねそうですね やっぱりでもここまで来るとやっぱり話 すっていうことも大事になってきているの かなっていう気はしますはいこの時間は あたスペシャルの半島自身から半年をお 送りします今日は俳優の時貴子さんと地域 防災が専門北陸学院大学教授の田中純一 さんにスタジオにお越しいただいています 改めてよろしくお願いしますよお願い いたしますさて番組の第1部では時さんと のの皆さんの再開がたくさん見られました ここからはですね時さんが10年前に 出会った鈴やきのお話ですご覧ください まこことか新築じゃないですかうんまだ 新しいうん怖かってた な震災後私の大好きな奥のの景色は大きく 変わっていまし たまだこのまんまなんですね全然 頑張ってくれてるありがとうござい ます廃業家継続家のの伝統工芸は今キロに 立たされてい ます1番好きなのは自然湯っていうところ ですね1でもうその時ので跡的に できる様というか柄だったりとかその美し さすごく立派なお料理を乗せなくても すごいうまく見える のそれが本当に 魅力助かってますって いう10年ほど前に出会ってから私を魅了 して止まないすき 光沢を出すためすきの段階で塗っておく 油薬を使わず高温で焼き締めことで深みの ある美しい国会食に仕上がる鈴焼きは45 年ほど前に復活した伝統工芸品 ですしかし今回の地震で死の内外にある 20のカが全て 壊去年カの再手伝った涼しの工房も被害を 受けまし [音楽] たちょうどこのねレが今ここに落ちてる けどこれをこういうモルタルを全部こう やって私たちが剥がしていってで新たに 積めるようにこうここに積んでたんだけど それ もバラバラになってるなもう1回やんない とな いっぱいある からあこういう三角のとかも あるうわ わ やんここにい たかいここ から鈴やき作家篠原孝志さん私に焼きの 魅力を教えてくれた人です今では顔を 訪れる旅に会う大の仲良し ですどうもどうも毎度毎度毎度やね毎度 毎度一番合ってる鈴の方ですからね私の もう親戚みたいな感じでこれここに私たち が積んだやつがもうこんなになっちゃっ てるんですねうんそうきれこれもね綺麗に っんだけど去年あのモルタルも剥がして このレンガが綺麗な状態になってるから うんうんうんもう次は積み始めれるんです よねすぐにこれいやこれ中のやつ掃除し なきゃいけないもう1回中見るの 怖い震災後初めて足を踏み入れた 工房もう崩れたそのままだから全く手ずで 焼くとああこれ ねなるほど ここにこうアーチがあっアーチになって ましたね そうかこんな風になっちゃうん だすきの応援団長として釜の再建に携わり 去年11月には完成目前だった薪釜は原型 をとめていませんでし た1度も火を入れることなく再び崩れ落ち た かこれまたもう1回全部太郎剥がしてはい やりますようんま今度はね焼けてないから 楽だと思う剥がすのはねうん私たちもう 慣れてますんでベテランはいベテラン どんどんうまくなってますやれ ます元日の地震では去年無事だった篠原 さんのギャラリー兼自宅も中規模犯会の 被害を受けまし た今はおよそ150km離れた避難先の市 からすに通う生活を続けてい ますこれからはどうされていくんですか これからは僕はね最初の予定ではせめて 連休までには仮説入れるだろうなと思って てそういう頭の中で計算しててで夏までに 瓦礫を片付けてであの夏ぐらいから積み 始めようかなと去年みたいにね思ってたん だけど結局飲み込みで全く入れないし今ん ところうんやっぱり入と難しいですま通い じゃ難しいよ ねこの前からね帰ってくるとあの僕 ギャラリーの丸テーブルに必ず座るように してるのあの窓際のねはいうんうんでそこ からその泥川の方を見るとうん昔は向こう からこう歩いてくる人が見えたんだねはい この人とま今日は出会えるのかっていう そういうワクワク席だったのうんやっぱり あそこで僕は何人の人と出会ってきたん だろうっ て思うとうん いい場所だったなってうん出会いの テーブルでしたね そうでもねそれぞれの皆さんがそういう 思い出をうんねそれぞれの家に抱え てらっしゃるからうんそれを やっぱり買いたいっていうのは結構本当に 心が痛いますねうんだから皆さんなかなか 踏ん切れないだねうんうんですよね [音楽] うんのがた一方それでも原さんは歩みを 進めていまし [音楽] たすごい見た目もうんうんしっかりしてる ここの部分がダンボールこれダンボールね でここは木材屋根の針もダンボール [音楽] ああ工房横に先月完成した神性の仮説 工房のの復興を支援してくれている 建築家さんから焼きのために力になりたい とオファーがあり立てられたそう です全然雨とか減っちゃらなそうそうそう 一応ねあの塗料が乗ってあってあだから 大丈夫なん だ完成したばかりの仮説工房を前に原さん はに未来を描き始めていまし たみで再するみんなで使ってワ使ってうん うんでそれからはあとはま少しなんか天理 したりあここで法作業したりねどんな空間 になるかここでまたどんな人と出会えるか 本当ですねうん 一歩踏み出しましたね 震災から 半年私たちはのたにができるの かこっちもなんかどうしていいか分から なくて結構うんれで行くに行けないいって いう人もたくさんいると思うんですよね みんな元気でしょ鈴の人 って本当に元気なんですよねなんかすずは これからだなと思ってええ新しいものを 作り出せたと思うとうんとってもワクワク するそれを助けてくれるのがやっぱり僕は 都会の人だったり鈴を大好きな人たちが うんうんうん一緒に新しく作ってこうよっ ていうそういう気持ちにこっちをさせて もらえるくかねうんかっこよく言うと夢と 希望を持ってきてほしい うそしたらこっちの人はもっともっと 前向きになれるうそこに新たな夢と希望を 思って私たちはまた鈴遊びにきたいと思い [音楽] ます時さんは鈴焼きの応援団長も務めて いらっしゃいますけど今回の再会をとして どんなことを感じましたか新たにこう一歩 を踏み出したさんのお言葉を伺っていて あのやっぱり話を聞くっていうことが今の この被災者の方々にとってそれで被災者を 見守る私たちにとって大事なことだなって 今何を求めてるかっていうのもお話を伺わ ないと分からないしそのことをこう私たち が伝えていくそしてそれを実現していくっ ていうこともやっぱりこう話し合いながら 一歩一歩みんなで進んでいくていううんの が今必要なことなのかなって思いました なるほどここまでたくさんの方にお会いし てきましたがまだまだ時さんはお会いお 会いしたいそして思いを伝えたい人がいる んですねはいまだまだおりますはい涼の 飯田高校に通う竹原神奈さんとサバえり子 さんですはい2人とは去年の9月奥野と 国際芸術祭の最果ての朗読劇で共演した中 なんですはいでは ちょっと り おいすに 降る実はですね今お2人と中継が 中継繋がっているですサプライズですえ かなさんえりこ さん嘘 さんお久しぶりですえこれ本当に中継です かVじゃなくて生ですよえじゃあこれ同じ ことやってみ てできるかなおえ何やったる何やったる すごい本当にそうなんだちゃんと生中継 ですすごいやだありがとうそうこないだ私 があのつに行ったにはお2人は修学旅行の マサ中だったんですよだからね会えなかっ たんだけど楽しかったんでしょ修学旅行 楽したです最高だったみたいねもうそれが 何よりも嬉しくて修学旅行行けたんだと 思ってねやんちゃしてき た いなんか色々あったっぽいんですよねもう それも青春ですよねの中ですよね時さんに 負けないぐらいのが大好きなお2人ですが 時さんにお勧めしたいスポットがあるそう ですね神奈さんどこでしょう かはいえっと私のおすすめスポットは 五ヶ浜という海水浴場ですといつも波の音 や綺麗な景色に癒されていますええここが まずねおすすめスポットということで そして中継先のえり子さんノのために叶え たい夢があるんですよね はいあはいえ私は私の故郷の涼しが大好き なんですけどこのままだったら鈴は人口が 減てと死として存続できなくなってしまう ので大学を卒業し たら何か人口を増やすためにできることを 見つけて仕事にできたらいいなって思って います さあもっとねお話ししたいところではある んですけれども時間ということで本当にか さんえりこさんありがとうございました またゆっくりねすで会おねありがとう ございまし た続いてはノの伝統の祭りについてです 今年は七尾の白祭や各地の春祭りなどが 中心に追い込まれてしまいましたの人たの のりとて そんな思いで今年や津波の被害を受け ながらも祭りの催に踏み切った町から中継 です [音楽] [音楽] をれているのは 町の皆さんですさんこの迷を聞くと祭の 気持ち高まってきません [音楽] かすいやり 盛ってき すごさ聞こえてますよそうですよねはい 夏祭り夏のね訪れを感じますよね さて島区では今週末開かれる暴れ祭りに 向けて昨日切り子が立てられましたまだ 祭りまでがあるので今は骨組だけの状態な んですが当日はッと呼ばれる文字が入った 明部分が入るほなども取り付けられる予定 [音楽] です祭りといえ夏祭りの先と [音楽] して金曜日と土曜日に開かれています参加 する切り子は40本以上との地区で最も 多く郵送な祭りとして全国に知られてい ます今週の金曜日には松の周りを切り子が 乱舞する松乱舞が行われ翌日土曜日には2 台の暴れが車道や川の中で暴れ回り [拍手] ますこのように質の街中では兵が倒れて しまったりとまだまだ被害が残っいんです さあそして奥の竹の鳥ご覧 ください本来ならばこの場所に岩の鳥が ある予定だった岩の鳥があったんですが 地震の影響で倒壊してしまったため今は この竹の鳥で応急設置しているんです ねここからは能町牛天方島区の本蔵俊春 町内委員長にお話伺っていきますあよしポ さんよろしくお願いします 今年祭りを開催できることになりました今 のお気持ち聞かせてくださいはいそうです ね祭りはもう1年1度の楽しみですからね これができては嬉しいですよ皆さんのね この嬉しさも等しですよねはいそして今年 は地震の影響もありましてこの牛の街でも 大きな被害があったそうですが祭りへの 影響いかがですかああそうですねあの地震 でねこう道路がもうジダ被害受けて見越し 力がだから通れるかどうかわからなかった んですよだけど現はもう8割から9割ほど 仮復旧しましたのでまなんとかいけるん じゃないかと思ってますそれからまキコも ま30兆内以上ま出るとい格好になって ますのでまいいんじゃないかなと思います けどね少しずつ復旧もし始めてま被害が ありますけど開催に至るということなん ですねはいそうですねそして今年は祭りを 見る方々のためにあるものが設置された そうですねあそうですねあの金曜日あの末 の乱舞が行われるんですよここの岩坂広場 にそういうのはできたんですけどねこれ 岩坂広場の昔のあの前の役場のあ後地なん ですよはいほんで今回あの観覧席でこの 屋根が設置されてそういうのはできたっ ちゅうんですけどねはいはいほで今年は もう臨時駐車場がないもんですからもう 地域だけの祭りになると思うんですよねだ からまお客さんていうか観光はちょっとね 無理かもしれませんねまそういうとこです ね でもまあね皆さんあのこの暴れ祭りを見て 少しでも笑顔にそしてね元気になって ほしいですよねそうです ねどうですか祭り頑張りたいですか はい可愛く答えてくれましたありがとう ござい ます自信を受けても前を向き続けるのとの 長室から中継でお伝えしまし たあたスペシャルの半島地震から半年ここ からはノトの経済再生について考えますノ を代表する漁業そして地域を支えてきた 観光業2つの産業を取材しまし た石川県の和島港上空です完璧に亀裂が 入っています大きく亀裂が入ってい ます地震前までは県内最大の水上げを誇っ てきた 和島の地震で低が2mほど流しおよそ 200席の漁船が創業できなくなりまし [音楽] た推進を確保するため国は2月から海底の 土砂を取り除く設工事を 開始校内に設けられた仮の桟橋に船を移動 する作業も行われ徐々に復旧に向けた動き が進められています まだまだですねいいナの時にやっぱうちに おるっていうのがまず上りです ね先月27日金沢港の一角に和島の漁師 たちの姿がありまし た二次避難を続ける中で全国の漁師仲間 から提供された網を衣類などの素材に再生 するため網を裁断するアルバイトを行って います 先の見えない暮らしに漁師たちは不安を 抱えてい ます施設も壊れとるし施設も良くしな港 だけ良くなってもにれしあこと復さしてい 本当に島おらなる よ和島を代表する量の1つ 町磯組合では130人ほどいる天のうち 13が二次避難を余儀なくされまし [音楽] た早く潜りたいす早く港も画になっ て先月14日両の再開に向けて二次避難し ていた天も含めおよそ100人が海の状態 と夏場に旬を迎えるずの生育状況を調べ ました いつも来月の初めぐらいやしちょっとね あの短かったねモはやっぱり例年より少し 長かったですね全体的に海がやっぱ浅く なってました ね雨量の主力となる倉島や七島周辺での サザエやアビ量は保管が難しく見送られ ましたが今月から沿岸でのず料をスタート しようと ママたちは海岸の清掃活動など着々と準備 を進めていますまあ今できることから何か しようかなと思って一刻も早く皆さん多分 海に潜りたいと思思ってると思い ます港では今月から内側の設工事が始まる 予定で魚を保存するために必要な施設の 修復が待たれますがの 和島の水産を取り戻す一歩となりそう です前の地面はここです わこっちが下がったんでしょう ね馬島市大野町にある根温泉海遊 の広大な日本海を望む高台にそびえ立つ 旅館は日の地震で周辺の盤が1m沈み建物 が傾いてい [音楽] ます和島市は復旧が困難な一部地域を除き 断水が解消したとしていますが宿では未だ に水を使うことができませ んその理由 はそこまでねあったんですから1mほし てるでしょう 館内に生じた段差でトイレや客室などほぼ 全ての水道感が引き裂かれ修理をするにも 床下のコンクリートや土を1から 掘り起こす必要があると言います旅館の方 はですねまちょっとまだ2年ぐらいは かかるんじゃないかなとまだ全然どうやっ て直そうかっていうのは針が決まらない もんです からになくなで退職する人 もぎおよそ40人いた従業員はわずか 1/4ほど に雇用調整とかあるいは質業保険の 休業手当てというんですかそれでしいで もらってます2次避難にもういて行かれ ましてね若い人はそこのそこでもう就職し てましてよね 根温泉の従業員中津ま さんこれまで客室のベッドメイキングや 清掃宿泊客の送迎などを担当していまし たもう街中全部がそういう状態でいやこの 先どうなるんだろうかちょっと不安には なりましたけど ね中津さんは今年5月から旧にあたる作業 員が泊まり が空港に整備した仮説宿泊所で週に3日 スタッフとして働き始めました和島の復旧 復興にね少しでもあの手助けして いただければ私らとしてもここね勤めて あの仕事するやりがいというか本当に 頑張ろうって気持ちになりますの でしかし宿泊所での収入では生活費を賄い きれず 中津さんにとっては旅館から支払われる 休業手当てが頼りですがその期限も8月末 に迫ってい ます長金とか休業保証の延長をねお願い 業界としてお願いしてるんですがまだ回答 がないですけれど も和島市内に44ある旅館や民宿のうち 少なくとも5件は建物がするとして 廃業支援者を受け入れるため早期の営業 再開にこぎつけた宿もある一方で20件の 施設は今も再会の見通しが立っていませ ん再建に向けて建物の解体を決断した予感 もあり ますようやくようやくスタートラインが 遠くの方に見えそうなところまで来たなっ ていうのがうんです ね1959年創業の和島温泉 野地震で館内の天井が剥がれ落ちるなどの 被害に見舞われましたが理彩証明のための 一時調査では公費解体の対象とならない 一部損害と認定されまし た納得がいかなかった谷口さんは市に最 調査を依頼4ヶ月待ち続けた末 先月ようやく行われた最調査で判定が中 規模反回に引き上げられましたコヒ解体が できるのでようやく う再建への一歩が進むことができそうか なって感じ でただ地震で旅館の裏山が崩れ安全が確認 されないことにはこの場所での再建は 難しいと言い ますできたらこの場所でとは思ってるん ですけどゆっくり過ごしていただける場所 なのかっていうところをまずね見極めて からやらない と市内中心部でビジネスホテルの経営にも 携わる谷口 さん全回となったこのホテルも4月から体 の工事を待っている状況 ですのえてきた観光 業しかし谷口さんは和島の旅館への関心が 集まらないことにはさを感じてい ます和倉温泉っていうの復興があの喉の 観光の1丁目1番地代みたいな形になると あ忘れられてるのかなと気持ちが 落ち込むそんなね弱気になることも多々 あるので 手厚くゆっくり 優しく手を差し伸べていただければなと いう風に感じて ますノの代表的な一次産業も大きく傷つけ られました田中先生に伺いたいんですが 漁師が喉からいなくなるかもしれないと いう声もありましたこの漁業だったり ホテル業この辺りどうお考えですかそう ですねあの海底竜が一しかった和島の方々 にあのこの間お会いしてきましたあの海が 遠くなってしまってもう量がダメだ海は だめだえ最初はあの嘆いてたんですええ ですけれど海の話をするとですね止まら ないんです改めて海との関わりを諦めて ないで海と一緒に生きてい るっていうことをですね強く感じてますで あの命と暮らし両方を守っていかなきゃ いけないと思うんですねでまだまだ命の あのリスクえ危険というのはですねさられ たわけではありませんですけど同時にです ねこの暮らしというところもあのしっかり 立て直していかなきゃいけないでその時に あのなりわいとして漁業として海と関わっ てる人もいますがあの日常生活の中で海と え強い深い関係があるっていうことを今回 多くの方々が再認識されてると思うんです ここをどんな風にですねあの捉えていくの かあの支えていくのかあのこれからのえノ の1つの鍵になってるのかなという風に思 ますなるほどここまで成再生についてお 伝えしていきまし たでは今日のニュースを1つお伝えします 岸田総理が今日被災地に入り野創造的復興 タスクフォースの発足式に出席しました また野への旅行費用を補助する復興応援割 について補助率を7割とする方針を明らか にしまし た被災の復旧復興をさらに通しするため 政府は今長横断的な150人規模の支援 拠点の創造的復興タスクフォースを真島市 の県奥の総合事務所に発足させましたござ ました野復興が我が国の故郷のこの希望の 光になることこれを目指すとこ被災自治体 のニーズに沿ったえ創造的復興街づくりま 全力でえ支援をしてまいります この後岸田総理は七の和倉温泉を訪れ旅館 周辺の五眼を視察し復旧状況を確認しまし たまた岸田総理はの地域への旅行費用を 補助する復興応援割について補助率を7割 とする方針も明らかにし復興次第で直に 開始できるよう具体化を進めると述べまし た 地域を対象とした補助率7割の手厚い復興 応援割えこれを復興次第え直に開始できる よう具体化を進めていきたいと思い ますこれまで政府は被害の大きいの地方に ついて復興状況を見極めより手厚い支援策 を検討するとしていまし た今日で半島地から半年です後になります が今回番組を通して大好きなノトを訪れて 改めてどんなこと感じましたかはいノトは 本当に不思議な場所で行けば行くほど 大好きな人だったりとか大好きな場所だっ たりとか大好きなあのことが増えていくん ですけれどもそれもノの魅力の1つなのか なって思いますだからノを離れた方もノに 戻ってきた方も一緒にこれからみんなで 私たちは夢と希望を持っていくつもりなの でのでまた皆さんとお会いできたらななと 思います一言被災地の皆さんにエロを送る としたらいかがですかいやもう本当にのに は美しい自然があるので私はその喉が 大好きですこれからも応援していますこれ からもみんなで頑張っていきましょう今日 は俳優の時高子さんと北陸学院大学教授の 田中純一さんにお越しいただきました お二方ここまでありがとうございました ありがとうございましたありがとうござい ましたあったスペシャルの半島自身から 半年と題してMのスタジオからお伝えして いきましたでは今日はで失礼します

※7月1日時点の情報です。
#石川 #能登半島地震 #地震 #石川 #北陸 #北陸放送 #MRO北陸放送 #japanearthquake #earthquake #ishikawa

29 Comments

  1. 日本が能登は見捨てる地域と判断しただけ、金沢だったら力入れ、山陰、東北日本海側は見捨てる、岸田じゃ日本は不幸だ、俺は国籍変えたい😢

  2. 常盤貴子さんの本音の笑顔、本心の涙が伝わります。自分も珠洲は息子のスポ少で毎年通ってた地なので感慨深いです。

  3. 岸田首相は七尾市に視察に来たと、自慢げに言うけど、珠洲市や輪島市を視察しないで本当の実態はわからない。公費解体の実務は現地の人に聞かなくてはわからない。

  4. 国に見捨てられた…そんなふうに思ってる地元の方もいるかもしれませんね…国の対応が遅すぎます。備えができていない、非常事態でもルールに縛られて動けない…。日本は地震や大雨の災害と向き合ってかなければなりません、起きてからでは遅すぎます。東京も心配です🍊

  5. 本業仕事で長期に1回、災害ボランティアで日帰り5回現地に入りました。倒壊建物の撤去が本当に進んでないなあというのが何回も感じました。人の戻りが遅いと活気がない街になってしまいます。

  6. 31:34 イワシのこどもたち
    綺麗やなぁ。

    地震で隆起したら海はこんなことになってしまうのか、、、
    穏やかな海に朗らかな人たち、画面越しでも素敵な地域だと伝わります。

    いつか能登に必ず行きたいし自分が出来る支援を続けていきたい。

  7. 31:34 イワシのこどもたち
    綺麗やなぁ。

    地震で隆起したら海はこんなことになってしまうのか、、、
    穏やかな海に朗らかな人たち、画面越しでも素敵な地域だと伝わります。

    いつか能登に必ず行きたいし自分が出来る支援を続けていきたい。

  8. 討論会で岡真樹子さんが、あんなに被災地に興味ない総理を今まで見たことない、知事もと言ってました。一方で岸田はウクライナの復興を約束する署名はすぐにしてました。わざととしか思えない。

  9. 万博に金やれるくらいなら能登で万博すればいい。インフラ整備できるし解体工事も進む。あんなゴミ島でやるよりよっぽど良い

  10. 阪神の震災の時には西宮に居なかったとは言え学齢期に西宮に居住経験のある常盤さんは地震に対する思いはいろいろあるだろうな。更に能登との縁もあれば余計に気にかかるだろうな。

  11. トレーラーハウス、キャンピングカーを動員して宿泊を確保後、市長自ら全国の解体業者に依頼の電話を朝から晩までかける。
    私が市長ならやります。

  12. 「能登は優しや土までも」これは、本当は「能登は優しや、人殺し」だったそうだ。
    厳しい気候とそこで生を受けた人たちの情の深さを言い表した表現だが、体裁がよくないので昭和期にそう言い改められたらしい。

  13. 隆起と災害で復興したとしても観光客を呼べるか?

    隆起により港が使えず漁業ができない状態をどうするか?

    いろいろ考えるべき事が多くある。

  14. れいわ新選組関係の動画で、
    「復興しても割に合わない。金の無駄。空気を読んで外に出ろ」と云う意味合いのアンチコメントがよく書き込まれていました。
    アンチさんには、愛国を自称する人が多いのですが、
    愛国ではなく愛民を心がけて欲しいものです。

  15. 常盤貴子さんがこうしてるのに,岸田含めて自民は外国に金ばら撒いて。外国より,自国,石川能登の復興が先やろ。

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