中国百科検定講座「中国の世界遺産とそれに関わる歴史」 (講師:田中義教 日中友好協会副会長「中国百科」執筆・編集担当)2024年6月29日

えそれではあの今日はですね え百貨検定のま学習会ということでえま トレのそ客貨検定委員会からもまご案内 言ってると思いますが特に あの歴史と視点の魅力に溢れた中国の世界 遺産ということで地理のまあ一分野を担当 してる世界遺産のもですねこれについてえ 今日は約え2時間 程度まお互いに勉強したいという風に思っ てますえ中国では あの世界遺産がえ56件登録されているで えそもそもこの56件っていうのは今まで もしばらくそうだったんですけど世界一位 がでその次に多いのが中国ということに なりますで特にこの歴史の長い中国におい てはえ文化遺産がかなり多く て38 件世界遺産はあのそこに書いてあります ようにえ特に中国文化遺産が多いそして 自然さもですね後で写真を見てもらいます けども非常にってみたい素晴らしい場所が たくさんありますでそれらを今日はえ見て いただくと同時にその2つを合わせ持った 複合遺産も最後にご紹介したいという風に 思いますで中国の世界遺産っていうのは この1987年えこれはあの時代的に言い ますとま文化大学名が終わってそしてその 後中国が開放に向かってでやっとこの世界 にも色々こう発信していけるそうそういう 状態になった時に えまず87年にえ皆様ごのパァの表 め高級真の思考定量などが登録されました で今日はですねこの色々この世界遺産の 名前もあちこちでちょっと え呼び名が一定してないところもあります ので中国の国家観光局のえ名前を使って え今日はお知らせしたいと思ってますこの 中国の地図へご覧になっていただくと 分かるように東の方にまだいぶ寄ってます けどもえ西の方にもま少しあますで特にえ オレンジの文化遺産それからま赤は世界 遺産って書いてあるんですこれ間違いて 自然遺産自然遺産はこの南側の方に多く 分布してますでこれらもちょっとそれぞれ 見ていきたいと思いますがやはりえ本論に 入りたいと思いますまず文化遺産ですねえ これ はやっぱり中国といえば歴代王朝え特にえ この皆さんに非常に近しいところでは歴史 的には民進時代からま入ってるんで テキストに沿ってお話したいと思ってます で民進王朝っていうのはあの新王朝ラスト エンペラーに繋がってますがこのその前の 民の時代えこの時代から 特に画面上でも見て分かるように皇帝の 両方軍っていうのがかなりこの文化遺産と して登録されています右側の上の写真は 民工領と言って南京にありますがこれも こういうあのちょっと人の写真が分かり にくいんですけど大きなま偶像みたいのも はたくさん並んでいるこの民の南京にある もの です途中になりましたけどもま民進王朝の 皇帝両部軍ということで中国ではこの民の 時代真の時代のこの 合点の墓が非常に大きな規模でまた歴史的 な建造物として色々場所的にも素晴らしい この資料等が入ってるところです特に え民の13両のうち低量はえ観光可能です けども中入れますけどもその他のところは まだ十分入れないところばかりですあと 正教産量っていうのはこれあの真の時代え 真は皆さんもご存知のよう にま旧満州満州の地から出てで両年省から この全体を中国全体をこう支配してったえ 愛心格だけのこの包丁 ですで今写真のですねこの右下の真ん中の ところにえ 正教3両少量営量となってますけどもえ この少量というのはまあ屋良のことでも ありますがえこの真ん中の写真のえ左の奥 の方に白い山みたいのが見えますがこれが あの体操ぬるハという源を起こしたえこの ええ最初のですねえ工程の墓になってます でま左の写真もちょっと後ろに白い山が 見えますけどその部分が右側はこのえ副量 と言いますけどもこれは あの少し信用の街から離れたところにあり ますがえ非常にあの生前と並んでる4つの 建物あのこれらがそれぞれ赤になっており ますでやはりえ民進王朝のえ高級という ことではえやはり世界の多くの方もご存知 のに中国の高級北京の高級ですねえこのえ 天安門広場ということで有名ですけども 高級も皆さん上から見たことはないと思い ますねこの右上の写真がえそれを空中写真 でえ撮影したものですねで左もそれと同じ ですが角度がやってますがこのように規模 の大きなこの民の朝え特に3大の英楽庭の 時代にえ南京から戦としまして北京に行っ て呼吸を作ったでこの大きな高級を設けた わけですがそれから真のラストエンペラー の時代までこの呼吸でえま資金場とも言っ てますけどもここで皇帝がえ出し生活した ところということになります右下に ちょっとあのえ人々をたくさんえ集まって 見学してますけども最近はですねかなり ちょっと警戒厳重な時にもありましてえ 地下鉄の駅もここで下ろさないようなこと も時々行われてますえなかなかあのえ参拝 する時も2つ3つ離れたところからこ見に 行くという状況なってますのででえこれが 北京の 呼吸でこの右下がですねえ呼吸っていうの は2つあって信陽の呼吸これが あの現上げ真の包丁が起こったその信用の 土地にあるうえ呼吸ですこれあのは6角形 になってますけどもちょっと八角形のはず なんですけどもえこれが信用 のえ呼吸と言われてるとま小さな建物です けどもえこれをうん今でもまだ え 満州族のえ皇帝が起こったところとしてえ 祀られており ますで北京にはあのこの皇帝にに関わる いろんな この世界遺産がありまして左が岩この岩園 は えこの大きな混迷子というのがあってその 根明子のというのは最初からこの湖があっ たんではなくここをまえ人口ですね湖を 作ってその上右側にありますまじ山という このまじ山という山を作り つまりえイーレのあじゃない本明のを掘っ てその山を作ったのはまじさんということ になりますで実はこれあの皆さんも存の生 対光がえこれをやらしたんですけどもで このためにですねえ真の国家予算が大きく 減ってしまってその後日進戦争敗北の原因 になったという風に言われてますえ新国新 で新あるいは中国では交互戦争と呼んで ますけどこは皇の55は午前5の5え交互 戦争のえ戦費を調達その部分がえかなり迫 して結局日本に負けたという風にまり ますまあの戦費に使った方がいいのかこう いう歴史に残るえ庭を作った方がいいのか これこれはまあ大いに件の別れるところで ありますがまでも平和的に使うのはね やはりこれからは考えていった方がいいん ではないかという意味で生対抗の考え方も ちりあるなと 思い天THはこれはあの民の時代に先ほど 言いました英楽庭がこれを建造させました これあの天に向かって方策を祈るそういう まえ法を祈るということでこの法廷がこの 上にあここはあの記念電ではないんです けども展覧の中には高級とかえ色々なこの 設備ありましてただここの見学はですね 非常に疲れます広いことと一切緑がないん でこうずっと歩いてもんなけい特に暑い時 はですね大変もう取り返しも大変ですので 今あのカートでこう運んでってくる特にお 年高齢者の皆さん後期高齢者の皆さんの中 には展覧見学はカートをお進したい とで一方えこれは北京の皇帝関係のまそう いう施設ですけども真の時代には元々信用 の力残って北京に来ましたから時々あのに 戻るわけですよねでその途中え小徳という まところがあっ て小徳のところでえ小徳ってはネカと呼ん でますけど温泉側行ってんですねそこに この秘書酸層というのを作りましたでこの 秘書酸層にはたくさんの建物がありまして え この右側のね大きなえこのたくさんのえ なんていう建物が赤いのと白いのがあり ますけどもここのえ外発日を飛んでますが こういったところでま色々休んだりお祈り あげたりしたで一種酸素の中に分身格と いうのは思考前書がえ整えられていてこれ は歴史的には非常に大事な文章になって ますえこういったことも え真のうん皇帝はえその後後期時点を作っ たり色々してますけども非常に神族の文化 伝統も大事にしてたっていうことがわかり ますあ先ほどの岩のこの船は石の船ですで 石の船なんでえこれ乗ったら皆さんの中に は乗ったら進みそうな人もいますがいや あなたとか特定してるわけではないんです けどもえまあの乗らない方がいいと思われ ますけどこれは実は上下もそれぞれお茶を 飲めるスペースもありますどのが乗っても 大丈夫です えねええ浮いてですはいえ浮いた話はこれ ぐらいにしてその次はあの え民進の時代より遡ってずっと前のえ今度 は歴的な建造部陰気はちょっとえ今日はえ 写真としては話しできませんが後で それぞれ調べてくださいえやはり万理の 頂上ですよね万理の頂上は北京科学省監視 省がそれぞれ世界遺産にえ指定されて ますで万理の頂上はここにもありますがえ 山を え超えそして顔顔を超えてるところに1 箇所あります超えてそしてえ北方民族から の攻撃に備えたということでそれぞれ ちょっと点は出んの かあこれやですねこういうあの所々 にこのえ兵士の休憩所少々がありますここ は宿泊施設も整っていてたくさんの兵士が えて程度ここにええ寝泊まりすることも できたという風になってますでこの今映っ てるのは えバの長上の中でも北京市のところで開放 されている礼の頂上ですまその他にも観光 に参加者それから下のところは1番今度西 の端の火館館行かれた方も法制の教職でも まともかく20回ぐらい法制の強食部は 中国旅行やってますのでえこういう火館に も行きましたほんでここにですねえ ちょっと火館の上にちょっと大きくします と天下第1間ってなねえそ まその部分つまり天下第1だとそれぞれが まこうね主張してますけどそういう生誕の ところでここから見るとこのえ砂色のこの 城壁に同じようなこ大地がそのまま繋がっ てますどこまで言ってもこの黄色い大地が 繋がってるその最後のところに火感があり ますで次 がまあなんか準不動になって申し訳ないん ですけども今度はずっと魚て真の思考定量 と平馬陽でこの平馬校はですね右側にあり ますがこれ1号校です現在4号校までえ 準備があ準備があの整備されてますが しかしその中の1つ1つはえ十分まだえ 調査仕切れていませんでその大きさが ちょっと分かりにくいと思ったんで左側に え法制支部でえた時の写真を乗っけており ますこれ分かりにくいかもしれませんが この部分がこの平馬用の1人1人の1人に 1つ1つのえ平馬 用えこれはです ね実はあの平馬陽光の中には入りませんが 特別にお金を払うと途中まで降りてえ写真 撮れますで私たちもえお金を払ってえ下に 降りていきましたで降りていくとこの平馬 陽光のこの陽光 え調子悪いあで彼らと同じレベルで写真 撮れますそれがこの左側ですでとも中国は ですねこの遺跡をそのどっかこう移して やるんじゃなくてそのまんま出とした ところにえ全部ここの周りにあかも飛行機 の中期場のようなこでかいえ体育館のよう なものを作ってそれ全部覆ってしまうわけ ですねですからこれが出てきた時のその まんまの場所 ですでこれもま正規の大発見と言われまし たけど も農民がたまたまこの土を掘ってたら井戸 を掘ってたらそこでぽっかり穴がてそこ からま出てくるは出てくるは大量に何千体 というえこの平馬用が出てきます平馬だけ ではないその他にえ非常に抵抗な馬車も出 てきますそれら含めて4号校まで今って ますがどこまで続いてくるのか分かりませ んさらにもっと言えば思考定量は全く手が ついて私は94年にえ交換研究員でシ杯行 た時にえ正犯に遊ぶんじゃかま行きまし て飛行定量でえその時にあのおかになっ てるんですよでおかになってるその上で あの子供たちあるいはあの大人たちがいて 上でお弁当を食べてんですねで私も行き ましたそしたらなんとそれは思考定量の 1番上だったんですで現在は今そこ上がっ ていからないようになっです でまいつなったらこの思考定量を発するの か分かりませんがえかなり先になると思い ます飛行定量の周りには噂では水銀の池が 流れてるよ言われてますで早く思考定量も ま研究の対象として上げられることをって ますがなかなか大変なことだと思います じゃ飛行定量から離れ て今度はチベットに行きますえチベットえ この中の何人かは え教職軍支部のね旅行で行きました下の 広場でそボタ球赤と白のえ宮殿があります がそこにも登ってきましたこの当時後期 高齢者のもう既に後期齢者のも一生懸命 夫婦で手をつなぎ汗をかいて登ってきまし たねえ顔に見のある方もいらっしゃるかも しれませんがえそのこれは下はえこのえ ゴルルを えっといやこれノルブリンカではなくて この宮殿とを巻いてるえ街並ですけどそれ を右回りで回るようになってますで右回り になってるとところを大勢大学の皆さんに も一緒にね回ってもらいましたえどっか見 た人もこれ何人かいらっしゃるかと 思でこのえポタラ球はえこの右側に見られ ますようねこのすぐ下はもう交通が激しい 道路になます以前ですねこのポタラはこの 前はえ池でしたそれがその後埋められてえ まえ人民広場ということにいろんな集会 あるところにで皇帝があ皇帝が えチベットのえま え皇帝じゃなくてえ生がダラ島がえ夏に こうえ遊びに行く人地がこのノルブリンカ 非常に綺麗なこのえ花がねいっぱい咲い てる咲いてるわけです 並べてある場所ですこのノルブリンカって いうところもなかなか綺麗な場所ですが それだけではないこにたくさんの資料が また積っており ますまえこの小球大商事というのは今回 出してないですねえ大所は所管寺とも言い ますけどもチベット族の この えま人たちが経験あかなところとしてにに えを祭ってあるとこれはただですね チベットに行くとちょっとあの大変なのは 高地だっていう高いところというところも りますけどももう1つはバターチャが あちこちでこのまあなんて言うんですかね えま皆さん飲んでらしてこの所感寺行った 時もえぐるぐるぐるぐるま階段上がってく もう狭い中をですね地でやっと到着した チベットのあの方たちは非常にも一生に 1度は行かなきゃいけないと思っていて ここに来るわけですがやっと到着してその 所感寺上がってくその時に中はもうバター チャがもうムムとしててえその中で ちょっと判決状態になる人も 出るまバターチャはあこれはバターチャ じゃないちょっと一口 日本のお茶ねさっぱりしてんですけども バター茶は役のバターをお茶にあの入れて 飲むわけでその匂いがますごいんですよね 花 ちゃまそれはそれであの彼にとっては重要 なタパゲになってますのでえこのチベット のとも行かれたらまってれば いいあバタありがとうございます じゃあちょっと休憩って言いますかね バターちゃん飲みながらはいこれ はダサからですねバスで数時間行った時に 天空の水に生つっ てまここでなんとあの役に乗ってですね ナムという湖天空の湖でこれあの私です けどあのナムの湖でえチベットの方のえま 結局観光資源としてこう使ってるわけです ねなかなかヤに乗ったっていうのは初めて ですねえ初めての体験なかなか 素晴らしくで高速道のインターですこんな ような風景もありましたえちょっとこの 共通のテーマなんて書いてありますけど 右側のこの何か背負ってますねこれが実は あのおばさんたちが現地のおばさんたちが 役のを乾かしてものを背負ってますえ これがですね彼らの肥料になあ肥料えっと 燃料になってるこれをあの干したものを 炊いてそれを燃料にしてねえでこういった 風景があちこちでみないまチベットの方 たちもこうやってあの色々生活してるその 一端に触れることをできましたまこれは ちょっと別な話ですまこれはあのそのの他 にこういったものがあると いうで次はあの宗教関連のグループという ことでま え各王族それからえそれに関わるものでし たけど今度は中国はま長い歴史中で宗教 あるいはま仏教同 えまいろんなものがありますがえこではは 特に中国といえば皇子この皇子を祭ったえ この世界遺産の文化遺産に なるで極付というこれは3等省ですけど ここはもうこの町自体がもう皇子の町と いう感じですよねでこれが全体を交付を え俯瞰したものですけどもで皇子病がこの 右側ですね でこの講師の体制電という大きな あのえまお寺みたいのがありますがえこれ もたくさんの日中公共会世代教職違反で 行きましたけどえこれ体制電記念とね買っ てます分かりますはいで参考と言われてる のは興風というあのま講師がこの務した 生活たところはこそして公病でもこの いろんなお祭りをやったところが公病です でこの右上の降臨というのは降臨と林では なくてえこれ実はあのお墓ですえ皇子の 子孫がもうずっと古くからここにられてる この降臨もですね私たち行った時は林の間 をこうカートでぐっといきましたけど延々 と続く林その中にその墓がポツンポツン とえあるわけですでこういう降臨という この先祖代々からの墓を大進してるという この3つを総称して降臨あ参考と呼ん ででこう参考回った後今度は幸局の中に こうなってますこのこれ分かりますこれ 大きくしたのが右側のこれですうんえとも あり遠方より来るまた楽しからざるやあね えこれはあの実はなぜこう書いたかという と大星大学のあえ大学の校舎の中にこ中村 鉄道町がこう書いたこうなんて言うんです かね額みたいにありましてそれをにの書か せていただきました実はこれ講師論語の第 一の学というとここのね書かれてるんです けどもその友ありの前にえ学びて時にこれ をなるまた喜ばし必ずある矢というのが あるんですがそれでこう並んでいる講師の この有名な クレスあの馬車にまでねこうやって書い てるんですよねえですから えこの局の皆さんはもう歩きながらこう やって論語を学んでると いうこういう場所 ですどこ行ってもこうで実はこの時私あの 床屋さんに入ったんですけどあの床屋さん は非常に安くて10元でやってくれました けどその店にもやっぱり書いてあるです ねやで髪切ってもらいながら学ぶっていう のもすごい経験だなと思いますけどそう いう街ですで流亭のこの対話元気というの もありましたでとこの右側のはこれ余計な ことですけどえ極付からえ災難から極付に 行く時に新幹線で見たこの写真がちょっと え非常に参考になったんで出ときました これ何だと思うかというえ質問しても 分からないと思いですが実はこれ全部 ビニールハウスですえ野菜をですね栽培し て3等初から え日本に輸出してるえ これがですねあの山東西始め野菜が中国 から日本に来てるこの雲はこの新幹線で5 分ぐらいずっと足してもこのビニール ハウスこれちょっと色が茶色くなってます けど真っ白でしたけどもそういうの3等省 と日本の関係を改めて皇子の故郷から学ん だ第ですはいえちょっとじゃあ急ぎますね え大速の黒シ根半蔵これもまあますごい 大きさでしたけども えもっとか反動したのはこれです小林寺 スーザと言いますけスーザ小林寺の歴代 高層の墓この高さ分かりませんこれだと 分かりませんけどともかく立ってもうこの 見上げるような高さ1人1人の構想がこう やって祀られれてると いうで天地の中っていうのはですね何なん だとこれはスーザンというのは五岳中国の 語学の中で中学と中学とのは真ん中のこの え山だという風に言われていてそれで天地 の中心にあるその数山そこにある小林地で その小輪地のこの町東府というんですけど もここにはですたくさんの あの学校があります何の学校かという 小林寺の学ですね時憲法を学んで そして自分もジャッキーチェーンのように なるという子供たちはですね早くもう子供 の時代から学んでんですでともなくその 学校も覗いてみましたけどもうすごいです よ曲芸みたいなのもやってるわそしてもう 空手みたいにやってるそういう少年たちが ここでたくさんこの小林寺のこの下で学ん でましたまここには出てきませんけどそれ もありましたし小林寺のお寺の中にはこの 石のですねこのまえ石段石段うん石のこう えなんて言います か歩くところありますねそこがですね へこんでんです よでこれは歴史的にみんなその小林寺で 学んだの層が練習したこの後だねあの人が このなんて言ますか人口でたんじゃなくて そうやって削ってったそういう後も見てき ましたすごいですねでここで私もあの寄付 をしてきましてえこの金のお札をもらい ましたええそれで今でもこうまだ元気に 生活してるな とはいじゃあ次あの宗教関連のやっぱり東 バクですよねこれもあのま皆さんと一緒に きましたまあのこれは正面から見そして右 があ左側から見たのはバこの上にあるのが メサ座という やまあのリモのセックもねここにあります けどえこの3大セックスのうち3つはあ2 つはこの山の中腹にあるんですけどえリモ のセックスだけはえ川沿にあり ますででまあこの余談ですけどバ光窟この 後ろのメサさがこんな風になってますえ これはねメサ山の上あのこの靴を借りてね え何人かの方も一緒に上がったと思います がこの山から山のこの上このメサのここ からこうずっと降りてくんですそこまで その不に行くまでですね実はこう楽段乗っ ていくわけですよ ねこれ法制大学の皆さんのね後ろ姿です けどえ心なしか不安そうになってますけど もで実は不安になってたの楽田の方でもう 疲れてこの時期楽田がすとあのなくなり ましたこれ暑さと過労のせいでなくなった と言われてますけどもえその一員に私たち もあの原因になったえこの時あのえ私も そうですけど労働法学んだ金子 さんで最近亡くなりましたけど労働基準法 から行ってどうなんだろういうえ感じです ね乗ってる人たちはこう楽だ楽だってこの 乗ってるんですけど本当に楽田さん大変 でしたどご明服を祈りしえそれからこれが あの月日線月線えいやあ誰誰と言ってる わけじゃないですから ねああのなくなった楽もいそうですええま それはまそういう話もあったというえっと 月河線でちょっとこう見にくいんですが これですねえこれがあの月河線月の格好を してえや これ月の形をした泉えでこれが裏の鎖さと いうことでえまこれも世界遺産の1つで 運行の屈はこれですのセクもこれもあ武春 産の36にありますけど本当よくこれだけ たくさんのですね あの掘 を昔の人たちはおったもんだと思いますで もこれうんこの屈もそうですけどもえ竜門 の掘もですね実はこれ北の事態から使まし 北の時代っていうのは実 はあの族にとっては民族なんですよねえ この異民族の人たちがこれを作ったという ことでえ非常にま中国にとってはえ多くの 民族があってその人たちがそれぞれ宗教を 大事にしたという証だかなと思いますえま ちなみに東校のバボ窟はえ合わせて このこの切Earthだけではなくえここ に貴重な文助がたくさんありましてそれが 戦後発掘されてそれ今でも大事にえ東校 のせ文助のえ研究者としてはえ常食先生 っていう方おらますこれ私の友人の友人 友達の友友達は北和明北明の友達は上食を えはいで先生の娘さんが上さて利金美術 学院の委員長をしておましえまそういう それからまもっと言えばえ一にえ長大線と いう人も2人でこれ研究したんですけど その長大線としてはえ中国の代時代から え大世大留学生としてえ学んだ人ですえ法 世代議会の方がやっておられたまこれは 運行の 屈それからシルクロード長安ペシカロの 公益ロモということでえかつてのシルク ロードの一部ですがタロの共有遺産になっ てますでこれは現代の対一度につがるま シルクロードということですけどもえ シルクロードという言葉はドイツ人がえ 治理学者定期した概念でそのシルクロード はその後えま中国ではシルロード経済健康 されて今1対一路ということで強調されえ 次の画面がねこれ出てこんないんで ちょっと待ってくさいねえ予備知識として はいえこれは大元島ですね で長音転向回路のあ回路の攻撃のもっての は中原から火星回路転向なこういう風に3 つにま分かれてますその中のえ中原の ところのも1つで正安の大岸島ですで大岸 島と合わせてこの全艦武典の指示で再を 探索した長剣がえの墓もの えこれも世界遺産になっており ますでその次にじゃあシルクロードは何 かっていうの見見ていきたいと思います はいこれが中国の一体郎構想で正安から 始まりそしてずっと中国の奥地の新教自 ブルムを通ってシルクロード経済権を通っ てまこのように なるで海のシルクロードてのまた後で出て きますがこのようになっている出発線が この正案だとですねさっきの大岸と え三条王子なんかもこっ から出発したというこの大岸との中からも たくさんの顧問所が発見されております うんまこれはちょっとこかねはいそして今 出てきた火星海老地区のレジ玉玉門官これ もですね言った方あこれはなんだか見たい のえヘーレジえヘレジというのはですね あの州というところから えモーターボートに乗って約1時間 ええこれダムえダムで要するにダム子です よ咳止めて川を咳止めてえそこに行かれる ようにしたのはヘレ今あのヘレ寺はその モーターボートでしか行かれないように なってると いうでなんと左に見て分かるように私たち が行った時はあの平レジの屈がですね工事 中であのこんな風にですねなんて言うん ですかこう併してある 封鎖してありまし たまあのただねヘレ寺のこの周辺はこんな 風に見て分かりますようにえ実にもう ものすごいああの山の中ですよねえあ ちょっとこれ分かりにく なここに平レジとかここにもレジ掘という 風になかなかここまで行かれるっていう 幸せな言いませんえこの中の何人かが言っ てる本当におめでとうございますはい で長生きします はいそれから玉門館これはもっとその奥の え最のこれは東校の先の玉門館ここにこの 玉門艦遺跡とに書いてあますねこういう この中に作られてると思い ますえその次があ今度は突然大運河に行っ てしまいましたえこれはです ねあのこのテーマとしては え要するに え貿易の道をえ1つは え陸でこう繋いだのがえシルクロですねで 一方国内ではそ大運河で結ばれていたと いうことを申し上げたいわけですねでこの 大運がもず等のもうその前からあの始まっ ておりましたけど もずの陽大の時代に このこの右下にありますようにこのA最強 そして通最強などがこう作られ たでこれらはですねえこれはずの時代です けども現現の時代に今度はあのダトっと いうま今の北京ですけどダトに2置いて そのダトの方に様々な物資を運ぼうていう ことでこの縦にずっと繋 えこの運河が対策されましたでそれは ちょっとま別にしてこの水筒の時代から その後蛍光大運が蛍光というのは4での ごとくえ軽は北京の教ですそして甲は甲州 の校でこれがずっと南から北まで繋がり ましたでこの右側見てくださいこれね 私たちももきましたけども現代でもこれは つ使われていてたくさんの生活物資が南 から北北から南にこう繋がっていますで これもですね素晴らしいこのえ現代に 生きる地だと思いましたそしてその途中に この陽州というとこがありますあこの場所 でいうとこの辺り え上海とえを結ぶ途中に幼虫というとこが ありますこれなぜ領収を取ったかというと え日本で言うと東小大臣をたで日本に仏教 を使えた元神和城のふさと大名字というの がこ要求ですこの大名字にありますのは 小性ま痩せた聖子とて後で出てきますけど え欧州の成功を小さくしたのが小聖子と言 これあの桐江のえ委員会の皆さんと一緒に え招待された時に行ったところでこの小性 古のこの中にあるこの足ですねこういうえ 非常に可愛い橋なんかもありましたでこれ がずの時代から続くえ大運河えこういう え過去の時代のですねで現代のですねこれ は北京通州の大音学これは過去の大運を また回収してこのようになこれはあの大人 先生なんかとね一緒に行きました え今回3月にですね中国から招待されて来 ました時に通州というところにまえ向こう の えあの中日中行協会の方が連れてって でこれは通州っていうのはあれなんかまた まだあまり大にすんなってよなえっと 要するにベキの副都心を今建設中ででそれ は通州 とあ大になったあ失礼しましたもう夜に なってるえ大になっ てるそういうことじゃないか通の大がって いうことですねあのものすごい今街を作っ てますその通州にこれがあのその時は行っ た行って撮った写真なんですけどね ものすごいですよこれも大音がなんですよ ね一角ですでこれがあのまあイメージ図で このようになってますここに今え副都心 って言いますかね新都心を 作っでこういう風に中国では次々と今 新しい試みを行ってるということですで次 あの町並中国町並古い町並たくさん残って ますのでそれを特集したいと思いますで まあ一番気に入ってるのはレプですね最近 は非常に続かされちゃいましたけどもえ この木造民家の街並が広がってますでこの 右側が国家観光局が撮った写真でこれは いただきましたで左側私が撮った写真でま これはあの上からあの郊外にこえ公園が あるんですけどそこの高台から取った写真 全部のこの屋根がね綺麗に並んでますで 夜景もものすごく綺麗あんですよねでこう いったこの街並がありそしてなんと言って も霊光といえばトパ文字ですこれトパ文字 でこれあの私のためにトパの えこのこれ絵描きさんじゃないですよね あのシャーマンですねシャーマンがこう 書いてくこれあのええ家族揃って健康の ようにということでこれを書いてくれたん ですけどこれトパ文字これがあの壁にあっ たトパ文字ですけどいろんなこの証券文字 が今でも残っており ますこれあの足族というえその古い都に なってんです けどこれ古場と言いながらですね中国では 珍しくあの城壁がないう ですで夜になるとですねこの えここの霊光の街並でたくさんの若者たち が このクリークと言いますか川がちょっと川 が流れその両側で歌を歌えあってで何歌 歌えあってんのかな言ったらそそるの恋の 歌なんね男性が女性に語りかけるそして 女性が男性に語りかけるそれをもう ちょっとその手が伸ばせば手を伸ばせば 届くようなも下でお互いにえ歌えあったと いうこういう光景がありましたでも今はね ちょっと続かされてしまって非常に今え 残念なところもありますえその次が気に 入ってる併用工場です平葉工場はこれあの ここは城壁がほぼ完全に残ってる街なん ですでこれがあの城壁の上を歩いてるです けど もこんな風になってますねで所々にこう いう老学がありましてねそこの上をずっと 歩けるようになでちょっとねあのなんて 言いますか強だったのはこの下の屋根が ですね全部屋根をきれに整えてればいいの に上にあのえソーラーっていうんですかの あソーナーソーラーパネルじゃなって温熱 のタネル乗っけてんですよそれがこう たくさん乗っかっててこれはなんとかして 欲しかったなと思いますけどま彼らに生活 がありますからやっっぱりあの自然を取っ てそうやってエネルギーをってとでこれ 中心のですね 南大外というところですけどこの南海外 からま市の老学を見てると思ますでこれも そうですねでこれはですね三世商人という まこの三世の商人って有名なんですけど この古い街並は昔から続くえ商人の街でえ 中国でも1番古い方に属する銀行なんかも ねそういった街並みはこ平葉工場っていう のこれも是非この中家のあ家の町廊下工場 の中では宿泊施設も今整ってますので宿泊 もすることができますこの中でえ止まって その止まったところからこ見たのずっと こういうこのえ玄関がずっと繋がってる なかなかこの 面白いまたあの興味を引く街並みでしたえ これが三聖書ですねそれとまた回ってんの かがドロですねえ街並と警官の中でも特に 福健賞アト賞が変わった街並ありますこれ は福建のドですけども あのこれがですねこの下にこの部分にあの マイクロバスが止まってるの分かります うんこの大きさがねちょっとこう大きくし てみましょうかねあだめ かこれバスが分かるでしょこれねえこれが マイクロバスですでこの件の道路は3階 建てから4階建てになってんですで中で 2300件あのの人たちが住んでるでこれ は昔からあのま え昔発砲で暮らしてた人たちが色々政権の 交代え混乱の中で南に逃れてきてそして 周りから攻撃されないようにっていうこと で周りを取り囲んで中でこのここれが中の 図ですこのようになってます中川海されて ますえでこの中で生活するんですけども えあのなんて言うますですか野獣やなんか から教われないようにそして外的からも 教われないようにということでこういうの を作ったでこの窓が上の方にありまして ここからまあ何攻撃すると使えるまた見張 にもで特に1回が大体あの家畜の飼育上に なってる そして水場も大体1回になってますで2階 3階4階とえ生活空間そして客室とかこう なった現在ではこの えその世界遺産に認定された後はここでえ あの宿泊施設も用意してますのでここで 止まることも今 かえさてこのシルクロードの話をしまし けども今度あの海のシクロですねこれに ついてちょっと触れたいとこれあの民代の アジアですけど民代のアジアのここに え福州選集っていうのが見えるかこの先週 という港からこれ福州から矢印出てますが 実は先週からもたくさんの船が出これは民 の時代天和という人がえこの楽の目を受け てえ特にこれ見てくださいアフリカまで 行ってるんですよ ねであのアラビアはもちろんアフリカまで 行ってるでこれはですね平和が6回ですか このここから先週から福州からに行きまし たけどこうやってあの世界と公役をしてた という です でこの 平和の作ま艦隊はですねものすごい大きな 船でえま あの100人から200人乗りとも言われ てる船をたくさん作ってそれ先端を引いて この世界にの公益をしてったわこれが今の 海のシルクロードの原型になってですこれ はちょっとあの学問的なあれですけど商務 印書館のまあ本を引用しましたけどこれが あのま帝はま先週がこの貿易の拠点になっ ていたということを表してるこの図です それから海の主力ロードというのがま世界 遺産のえ野に入れた一体一路ということで ま位置付けられてるということで書右側の これは先週から出てく時に公海の 安全 ま海の安寧を祈ってえ風を読んだという この図資料ですそれが描かれていますえ これが今の ねでその次はまこれ今世界遺産の今ここの 辺りを今 てるえその次は今度あの まその他ということで 色々分類できないところをこの最後は揃っ たとしますこれは正常山と都行山そして 中行点が始ますがこれあの都行園というえ 非常に古くからある紀元前3世紀からです ねこのえ生徒の先にこう作ったえ巨大な 推理施設で この部分が魚の口ばしと呼ばれてでここで 水を分留しましてそしてその先この辺りで この流れてきた砂をここでこう体積させる というそういう施設になってるそれによっ てここからあれここからですね生徒 に夏も冬もえ夏は雨水が溢れないよう そしてで冬 は冬 はえ水がばれることにないように一定の水 が生徒に流れるようにということでこの 工夫したわけですそして生徒を天府の土地 天からま改られた豊かな土地ということで その天府の土地ということでえ記憶な土地 にさてったえその後え生徒は諸の都のみ諸 というま三国の時の都になりそして強大な 力を備えに立ったとこえ世界推理文化の 祖先と言ってますがこの工夫を え活用したの が新州のあ新州じゃない公州のえ震源石と 言われて武田信玄の神源石もこの えやり方 を活用したま席とよ え紀元全3世紀にですね このこうした工夫をしたっていうのは非常 にま素晴らしい中華文明ということをまえ 改めてあの日本でも ままま学ぶ必要があるんではないかと思っ たくさんその他にもありますがそして中行 点の北京現人の移籍っていうのはこれです でこれはですねえ集高点の北京原人が 50万年前にの原子石がま1929年に 発見されまし たで頭蓋骨などが発見されたんですけど その後日中戦争中にそれは計不明になって しまえ今でもどこにあるかわからないで レプリカみたいなのは飾ってありますが でしかしここからその世界人類のえ子孫が え生まれていったと いうで今中華文明のて言いましたけどその 中華文明の素晴らしさを学ぼうということ でえ実は中国では えまあんまり強調されると私も困るんです けども え愛国主義教育半期しという えまあのねえ誤解して欲しくないんです けど中華文明は素晴らしいってのは私も 認めるんですけどもまあね中華民族にの 誇りを持とうというなところを強調すると いけないと思うんですがただそれは大外的 なもんじゃなくて大内的なつまりあの日本 でね愛国主義教育を中国で強化してるって いうとなんかまたね戦争の準備してんじゃ ないかっていう風に思われますがそんな ことはないということでちょっとこで触れ ておきたかったんですその愛国主義教育 実施要綱の中で出てる世界遺産のに指定さ れてるものに実は集高点の籍ねつまりま別 に愛国主義教育がなんかその大外的にあの まあ え他国に優れてるってことを強調しようと 言ってる ではなく中華文明が素晴らしいということ 言ってるんでまそれはそれでいいんじゃ ないのということですで呼吸発達例宗行 転席がこれは入ってますこれは皆さん 分かりますねどこ で はいそうですねはいそちら合格ですはい 39合格はいこれは北京市ですねはい そして皇子の急遽もこれはま参考という 講師の交付降臨そしてえあれ甲府降臨何 でしたっ け高級 はいそれがこれ何省 ですええそうですね1等賞ではなくて3等 省はいえ丸ですはいありがとうございまし たはい ちょっと難しいんですけど委居委居もです ねこれも外国主義教育の中のな えこれはカナねえまこれはもうええ2級の 方にありはい真の思考と平和 用はいちゃたえそうです先生書これはあの 2級合格です はいじゃ特急にで特急でいきましょう東校 バコ窟火 館あそうです書ですねいやいや素晴らしい ですね今日の皆さん本当に優秀賞です はいそれではここで今度はま皆さん合格と いうことでえそれでは自然さんはいあ自然 さ運省機首 書え ここもですねまいろんなものあります参考 平今日ちょっとお見せできないですけど 参考流もこれまえちょっと雲南所の士で えミャンマー対そしてえ中国に3つの川 流れその原answerが並走してる ところですそれから中国南方カルストこれ 雲南省責任これですね責任 このえっと人の大きさと比べてみてこんな のがもうニョキニョキニョキニョキ ともかくもうこの中あの歩いてもったら ですね迷子になりますので一応 え有歩道があってそこを回るようになっ てるこれが雲南省責任です ねであとまこういっ た世界遺産あるということですけどあそう いえばこれ 何時4時半ま大丈夫ねはいはいはいでこう いったあのもう世界遺産もありますがえ ちょっとお見できないんですけど高北新 農家はあの原人が住んでるところと言われ た高北省の中でもすごいあの え大密林のような場所です原青林の場所 ですそれから正解心もま正解賞言った人 分かりますけどこれでもあのえ自然遺産と してたくさんの え生物がの宝庫と言われてる とでその後武良原にってくとこれはえ超過 会とも呼ばれてますけどえ超過会市にある んでま昔は超過会と言われたんですけども それがあのえ現在では武良原という名前 でこれが世界産に登登録されてま林が 10万ある峰が3000ある水が800も あるという選挙になでこのなんか人の形に 見えますねなんかこう人の形に見えたり あるいはいろんなこのえ物の形に見えたり してるこの間をですねアバターというなま 何と言ったらいいんですかね人のような 宇宙人のようなはこの中をこう飛んでいく それが映画 アバターで当時アバターってよくわかん なかったんですけども今ではあの何で したっけ えっとパソコンの中で もなんかアバターを自分の代わりに アバターを出してこんなねゲームで若い人 たちの方がアバターってよくね分かる よそういうこの映画アバターで知られた その場所 です世界遺産なんですがこのこには写真 ないんですけども この1つの山の中腹 にま私たちもちょっとびっくりしたんです けど あのエレベーターを作っちゃったんよ ねで世界遺産なのに このこういうとこの 建この1つの峰の横に えエレベーターを作っちゃってそこでま あのご老人でも足の悪い人でも行って見 られるということなんでしょうけどもそれ が世界遺産にま今問題になってますけど 富士山にも三岳鉄道作るのんてちょっと あのよくわかんないんですけども世界遺産 にそういったことやっていいのかっていう のはちょっと疑問に思ったし ないで次に 競輪競輪がですね実はこの前は世界遺産に 登録されてなかったんでえテキストでも まだ競輪は入ってませんけども実はその下 にありますようにえ2014年にですね うん追加されちゃったんです追加され ちゃったっていうの追加されて世界遺産に 含まれることになりました中国南方からの 一部としてそれで競輪の写真を入れてこれ 競輪のですねこう履行の科学代ってこう いうみみのがずっと続いてくわけですまあ 最初ですねうわすごいうわあすごいって こう見るわけですがそのうち4時間も乗っ てるともう慣れてきてしまってもう最初は みんなこのデッキに出てみるんですわあ すごいわあすごいでところが2312時間 するともうみんな長い入っちゃうそうする と向こうもあのまあなんて言うんですかね もう分かってた風で今度土産物を売りにき ますもうはいご苦労様ってか土産物そして 食べ物もま持ってるねあのすぽの料理 なんてのを食べさせてすぽもですねその 履行で取れたすぽつってその場でですね バンとこのすぽを叩いて割ってそれで似て 料理して出してたんですけどあの泥抜きし てないからまあ実に泥臭いすぽでまあ本当 にこれこれでお金取るのかとまそれで元気 出ましたけどねもう本当に本当こじ すっぽんぽんじゃないかと思うぐらいにお 金を出して食べましたけどでその他に書い た絵をあの売って売りに行くんですよで ともかく4時間外に出られませんからもう ずっとついてきますんでしょうがない1つ ぐらい買わないとですねこれあの帰れな いっていうか途中でそれであの実はこの私 なんか言った当時大学生就職なんで美術 大学の学生だったっていうのはですねで実 は今私就職できずにここで絵描きをやって 生活してるんです とであの先生方ねお金持ちのようだから ぜひ買ってくださいってもう学生が就職な んで就職できないってもう私なんかね道場 しちゃいますよね大学関係それつい絵を 買ってしまいましたけどでその他にもです ね これまあのたくさんの農民なんか最初あの 船乗る前に土産物売りに来たんですよ最初 はあのTシャツを1枚103枚1000円 とそれはいいつってもうとしかく来るん ですけどそしてもう誰か買わないともう それこそ離れないやったんで誰かが 1人3枚1000円で買うと日本円が 欲しかったそのうちもだんだんだんだん5 枚1000円でいいからてあ5枚 1000円でいいって買うでそんな風にし て乗ってたのが中国あのこの厚生省の厚生 千万族自の政府ももうこれはまずいって 不評だったでそのバスがついた時から船場 まで今度は人を立ち入らせなくたんですね バスついたらすぐこうあの加工の中入り ますんで土産物より入りな入れないそれで どういう点に出たかというと今度はこれ です よ船の横に来てですねいできて何やってん だこと叩くんですよねで非常に危険な状態 なんですけどこれはそうですよそで船に 余事登ってきてこうそうってくれもうそこ までとですねもう木の毒で命がけですよ これねでしょうがないからもうまた買って あげるとねま実に ま競輪の人たちも本当にたましかったです ねまあ今そういうことをねもう日本へも 安くなっちゃいましたからそういうことも なくなってると思います はいまこれ あのえ競輪の先に作っていうとこにつくん ですけど作に言ってこのこれ収入度なん ですちょっと小さくてわかんないと思い ですけどこれ収入度すごい綺麗ですね生乳 度の中でもですねこれ船に乗っていくん ですよ これ収入度の中船超てねそういう大規模 な えまそんなこと話してと時間がなくなり ますんでさきです今度あのあ今度パンダ ですねあちっとねあこうかえ視線省に行き ます視線省ですねあのやっぱり旧最高交流 がやっぱりおすめですねでこれは豪華会と いう もこれがですねますごい綺麗な取った池で こんこのこれがこの辺に人人が韓国がえる んですけどここからま見てね回るこれ旧 最後行った方ねちゃあ時素晴らしかったね という思いだと思いますでこれがノリラの 滝っていうこれがあのその後ですね地震で 被災しちゃうんですよあの旧最後ねでその 後この滝がですね一部崩壊してしまいまし たけどこれ崩壊する前のラのです ねそれから私なんか気に入ってんのはこち あの交流です交流はこのえなんて言って ですねダムのダンダ畑のようになってダム みたな水がこれは透き通るようなこの池が 水がオーバーフローすると下にくそして下 で木やあの生物がその咳止められて今度は そこがまたダでそれがせかが流れてんです からそこで固まってどんどんしたいこう いう風になってくでこれはまあ民の時代に からあった氷 このどどこういうね物頭が立ってんです けどもこう物頭が立ってて水が流れでこの 原理はですねこれ大きくしたものが実は旧 細胞です ねこれがあの小さい段階で あの交流でこうどんどん流れてダムダムの ように流れていってどんどんしてくそして 木がその途中に それを大きくしたのがこの救済に なるでこれはだから綺麗な水がまた下へ どんどん流れてって綺麗な今度は池大きな 池にっ てくでこれもね本当に綺麗だったと思い ますでこれもですね冬に行ってみるとまた 綺麗というこれがね冬の給 サこれもね本当に綺麗なそしてこの途中に ですねこれを大きく拡大したこれがこの見 て分かりますちょ小さいかわかんないです ねこうやってあの下にですねあの腐っ腐っ た木が沈んだ木がこの上から綺麗に透明度 100%ぐらいの水に移ってるわけですが この旧最高の この冬のこれ雪がねりますこれノール イランの滝もこれも崩れる前でしたけど滝 が途中から凍ってるわけ実に綺麗な旧サあ さの字が違ってますねこれあの木という 字ここののチベット族のブラクがあった溝 ということで急 サイコえこれはねあの私たちも上の最高 行ってみましょうって言ってました本当に 良かったえまた行ってみたい場所ですま こうやってねあの中国の自然えにえと触れ ながらまた中国の人たちと触れながら色々 すとあの中国理解してく とやっぱり中国もいいなという風なまま あのえ中国嫌だ嫌だというま声が多くなっ てきますけども中国のえ歴史と自然に溢れ た えこの世界遺産に触れてくる余計あのまた 親しみはあてその周りの人たちとも なかなかこね話し合える機会なくなって ますけど是非また行ってみたいと思います でまた行ってみたいといえばパンダの生徒 ねえこれはあの写真提供は大のえ金子一 さんねありがとうございますうんもうこれ でもかこれでもかというぐらいねパンダの ね写真がなりますねこれがあのパンダ ええ正育基地なんですけどこれこのに いっぱいこういるんですよこれちょっと ボケてる写真で申し訳ないんですででも この金子さんの写真でねあの色々出てます んで是非そちらを見ていただければいこれ あのカレンダーの一部にもね採用さ れえうんこれは実はね申し訳ないです シャンシャンじゃないですねえええそれで ですね今年も えっとなんだったえ今年も え4月か5月にシンシの7歳の誕生かなと いうことで日本からえそのシャンシャンに 兄にく旅ってのあって200人以上が行っ たそうですねうんそれでシャンシャンの 誕生日をわしたえ中国の人たちも非常に 喜んでました えうんじゃたくさんの人たちが来てくれて シャンシャンがこんなにね愛されてるんだ て いうはいえその次は世界複合遺さんに入り たいと で世界複合遺産のえこれはですね最初に 対策 です ええ え愛山はですねこの四帝がえちょっとそこ の今日のレジにもちらっと書いてきました けどもあの思が風然然した場所っていう ことでえっと実は四帝は あの えずっと奥にま引っ込んでたわけですけど もうんやはりあの権力を持つと長生きを いつか死が来る長生きをしたい不労な薬は ないかっていうことでえ色々あの なん霊媒師なんかを呼んだりして色々こう そのクシの薬を探したんですけどもえ なかなか出てこない中で女腹というのが私 が方法に あのそういう薬があるというの知ってます ということで上腹をじゃ行ってきて持って きてくれということで服をえこの派遣する ことになりましたそして3000人の若い 男女とそれからえいろんな植物の種動植あ 動物を連れてその先端を引いて不老フの薬 を探しに行くわけねで持ち帰るでところが いつまでたっても帰って くるで飛行帝 はあまだ飛はそのたびにあの あ山東半島まで行って上腹がまだ来のかと 言って まあその彼を探し求めるわけですその途中 で大山によって大然をしたとま要するに神 にその天下国家の安寧を祈ってこの天に 乗ったということになってんですけどそれ がこの 大山でそのその後党の時代もも随分この まあ多くの軍人がきましてここにこう中国 ってのは岩に掘ることを結構やるんですよ ねそれでここにこういう のでその大山に登るにはですね昔の人は下 から上がんなきゃいけなかったんですけど まあ思帝は見越しに担がれてってったねで 現代の人たちはロープ上で なでまこんな風に下から上がってってで この人たちに放虫のあ法制の人たちも手 から上がったよのは格好して ますでも実はこれ上まで行って下から下に 下がって写真撮ったんです下から上がって きましたって格好してますけどねまとても 無理ですねで本当に郎さんということ はいでやはり大山っていうのはえ中国でも 1番の有名な山っていうことになってます ので最初にえ出しましたでえ次 に あれちょっとおかし あで鉱山これあの鉱山のです ね一部ですけど もこれちょっと分からないと思うんです けど もあこれで少し分かり ます分かりますこれ平石と飛んできた石と いう被石ここに人が見えますこれねこんな ところにですねよくこんな岩が置いてある 置いてあるでま飛んできた石だろうていう 風に言われてんですけどそれで開席とただ この下がですねかなり あの20mぐらいあるんですよで登る ところ当然ありますけども私はちょっと 交渉教書なんで行ったことありません鉱山 には3回行ってるんですけどもこの平席 これ遠くから見るだけでまあでもす雲海と いいそして岩といいすごいこの坊山の魅力 っていうのはあり ますまあ是非鉱山には頂上に えあのたくさんのホテルがありますので 是非また行かれたどうかなと で鉱山の誇るのはこの末 ですうんこれはあのえ減却末と言ってあの お客さんを迎える末というこの 芸客末というのは 鉱山の象徴のように最初に登り切った ところでこれが待ってるそういう客末で このこんなとこにねこれ岩にですね根っこ をあして作あのえ座ってますから相当な 年数が立ってる街だとで頂上に行くとです ねこんなこれはちょっとあのこれなんだか 分ります これ あの頂上でですねあのお土産に鍵を売っ てるんですよで私もよくちょっと鍵を なくして怒られるんですけどねでその鍵を ですね恋人と2人で行ってそれで2人で この2人に かけるそしてこうかけると一生その2人は 分かれないとで2人のえ将来を将来も続き ますようにってことで恋人同士が願って つけたこのえです はいまあねだからこんなのがいっぱい頂上 にあのぶら下がってんですよ最初なんだと 思ったけど ええまあ是非これからまだね将来があ るって人は是非2人で行ってくださいうん ここにかければ絶対私もしちなくすから 今度ここに鍵かけちゃおうかな とこれ鉱山まあのえっと大山でもそうやっ てますけどまこういう中国では え若い人たち の風習みたいに なっでこれはガビさと楽山大仏 ですこれこれ楽山大仏ですけどもあの楽山 大物大きさ分かりますよねこれでこの下に 人がこうでます ねこれ観光客はこの右下のようにあのこれ 実はここにえ3つの川が流れ合流地点に なっててその合流地点の川から眺めるよう にま船の上から眺めると1番よく眺めるで 一方 この柵ができてますけどここからも眺め られるでこのえ楽山大物の え上に登れるようになってんですねこれが これ上に登っていくとこれがその写真 ですで分かりますこれ高さ全体70m ぐらいあるんですけども えあ顔が7mえ顔が7mってことでこれが 人が空いてこの顔を横から取ったやつよね 大体大きさはね分かっていただけるかなと よくこんなのをねこの真物で作ったなと 思いますけども先ほど言いましたように3 つの川の合流地点でそしてな流れがこう あの非常に複雑なもんですねここで多くの 人たちがえ船遭難したということがあって その安全を願うためにの古代たちがここに え特え大仏を作ったわです ねということでこの階段を上がって行かれ たたちも本当心労ったえ楽山大仏そして その近くにこの複合遺産としてガビさんと 楽山大仏がえセットになってのですから そのガビさ次に出てきます えガビ山これ下から取ったところですよ これは麓ですねそして頂上に行くとこの 金長という金の頂きに上がりますで近長の この向こうここに手を振ってる人たちがい ますけど も一方この近長に行く前にこれがこれは あの頂上についてこれは多くの人で私たち がちょうど行った時はですね着いた時は下 からずっと雨でしたえ雨だったんですけど 実にガイドの金さんという人も皆さんは ちょっと今日はついてませんねと雨で近長 の頂上の えおさんを見られませんねと言われたん ですけどその後なんとこんな風に晴れてき たで突然今度はガドのちさんも手のひらを 返したに皆さんはやっぱり日頃からの行い がいいですねこんな風になで本当あの近長 のこの金の仏像がこんなに綺麗に見える ことは珍しいん です素晴らしいこの ねなんだかこう成金趣味的なんですけど もうでも本当に高々しい大仏様でした まあこう いうねここに行かれた人たちは本当良かっ たなと うんでこのガビさんはガビの字は あの美しいがってのが欲しいあの画が触覚 ってありますよね画の触覚細い角が綺麗に こうなってる その綺麗な眉のような山ま要するに美しい 女性の例えとしてガビさんてガビと呼んだ ええなんかあの蝶というと綺麗だガって いうとねなんかよくわかんないですけどま ともかく中国では美しい人の例えでガビ ガビぬて使ってるわで最後はVさです これもですねもう本当に綺麗なところで え このガビv3っていうの はこれ分かりますかこれをですねこの川 え この究極系というんですこの部分ねこのに 曲がった 警告なんですそこをあのいで下ってくん ですよでいつってもあの本当観光用ので竹 で編んでそこに椅子がこうセットしてあっ て竹の椅子にこう座ってですねあの え下に下っていくという素晴らしい眺め でしたで山もですねこの その山のこう形もね素晴らしいと思うん ですけど もこのようにV3っていうのは山 素晴らしい山ありそして素晴らしい川が あそしてこのお茶のウーロ茶の産地でもあ です ねえウロ茶高級ウーロ 茶Vさんの えで取れるお茶が有名なお茶 なえ大後方と言って大きな紅の包帯の方あ 方大砲の方大高というお茶ですそれ取れる お茶がこのv3のお茶でV3というのは実 はまあの趣旨というのは皆さん趣旨がの 趣旨それは本名主ですけど主の故郷でここ で彼はあの色々学問を身につけてそして 全国にその後主旨学を広めていったその趣 のふさでも ありでまあ以上でこのえ複合 遺さが世世界複合遺産4つなんですけども 世界複合遺産で共通してるのは山ですよね え大山鉱山そしてガビさでV産ま実は大仏 の楽山も山というのえ全部山にで共通し てる この世界遺産というあ複合遺産ということ で中国にとっても えなんて言います か風景だけでは ない文化的な点でもすごい優れてるこの山 だ とそして けで中国4大仏教の名山というと このガさん5さんなどがあるんですけども このうち世界遺産になってるのはガさんと ご さで最後に質問です が出 てるガビさんは何章にあるん でしょう さあさん綺麗なの 方私はガビだと思ってる人は ねうんそう所当たりですはい ねそうもも視線書ですねガビさと楽山大仏 は視線書え生徒からくわけですけど もはいそして中国語学という言葉きました けども東学の滞在これは何省でし たって3と書これはもさっき出ましたから もう当たり前ねはい3等書はいそして中山 と言われてる真ん中にある中山まスザの ことですけどもスザは何 しちょっとこれはなちゃそこに書いてある うんうん そうですカナ省ですねさすが百貨検定委員 中山はあ中山の数山はえカナ省 ですまということであの今の設問も含めて 中国百貨検定では え あの色々行ったところそして行きたい ところ含めてこの 自然と魅力に溢れる うんどうももうビデオが時え歴史と自然の 魅力に溢れた中国の世界遺産日本でもね あの富士山ていうと素晴らしいということ になってますでも あの中国はあ中国富士山は自然遺産では なく文化遺産なんですよね自然遺産という にはやっぱりちょっと難しいとこだって麓 にあの東口演習所なんてあってねあの自衛 隊の演習やってるようなところ自然遺産と は言い にくいそういったものはなければ自然遺産 的にもそして仏教のあ仏教宗教の点でも あの文化遺産と言えるですから複合遺産に なる余地はあっですけどもそうではなく ない とで中国の世界遺産は是非これだけ色々 ありますの でこれからまた中国行くてあったらまあの 色々ねえ中国行くと捕まるんじゃないかと かまあちょっとなんか色々言われるんじゃ ないかという人もいますが私も本西先生も 中国色々 言ったり苦情言ったりしてます大使館でも この前3月に来ても全然捕まることも なければ無事に帰ってきますで皆さんは そんな大物じゃありませんからね決して 拘束されることありません是非楽しんで いたと思いますねまそういうことで あのまだ百貨検定の申し込みされてない方 是非お申し込みくださいねで共科に入会さ れてない方はこの機会に是非ご入さ くださいいうことでえちょっとあの冬届の ところありましたけどもえこれで一応 終わりたいと思いますどうもご清聴 ありがとうございました

東京都連学習会 第1回中国百科検定講座&中国を知る教養講座
「中国の世界遺産とそれに関わる歴史」2024年6月29日

歴史と自然の魅力にあふれた中国の世界遺産を地理と歴史の背景から探求します。

(講師:田中義教 日中友好協会副会長「中国百科」執筆・編集担当)

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