【映画『ディア・ファミリー』のモデル】町工場から生まれた命のカテーテル 不可能への挑戦と家族愛

あと10年20まで生きられんだ [音楽] と私の命はもう大丈夫だ から人工心臓だ6月14日公開の話題の 映画デア [音楽] ファミリー10年を宣告された娘を救う ため心臓の開発にんだの 物語お父さんは何事も絶対に諦めない人 です大泉よさんが演じるのは娘を救うため に奮闘する小さな町場の経営 者どういうことだどの研究期間でも人工 心臓は時間がかかりすぎるだからお父さん が作ってやる願人のモとなたしおさん10 年も研究すればひょっととしたら吉見の ために素晴らしい人口心臓ができるかも しれませんよとそんなの僕もやってみ ようっていうのです ね愛する娘の命を救うために始めた人工 心臓の 研究しかし父から引き継いだ莫大な借が その行手に 立ち超えのは絶対にやり遂げる不屈の 精神そして生まれた世界中で17万人を 救った命の家庭 テル井会長さんのようなお考えを持ってる 方と一緒に仕事できるっていうのは我々に とっては非常にラキであっ てそして 物作りの未来 はやっぱり日本ではあれだけ素晴らしい 技術持って見えるわけですからそれをよに 生かせばですね世界的なものができる と1人でも多くの命を救い たいその思いが医療の世界に変革を もたらす町場から生まれた命の家へ出る不 可能への挑戦と家族愛 ここは全国有数の家庭テル治療を行う医療 の 現場カテーテルとは血管などに挿入する 医療で使う管状の 機器その中でも先端のバルーンを膨らませ たり縮ませたりして心臓の動きを助ける ものがiabpテル だこれがあって助かったっていう人たちは たくさんいると思いますねそんなiabp バルーンカテーテルを国内で初めて作った 企業が愛知県春日市にある売り上げ高 62億円従業員数およそ300人の東海 メディカル プロダクツ会長を務めているのが創業者の 筒井 信筒井は日走行省を始め栄誉ある国内外の 数々の賞を受賞している人物 だそのルーツはオの片隅に今も残ってい た東海公文 科学まっすぐなっちゃう [音楽] 1964年筒井は大学卒業後父親が創業し たこの樹脂校会社に入社し たストローだとかナトだとか天気引っ張る 紐だとかうんま細いもの太いもの色々です けど ね細長いプラスチックの製品を取り扱った 街場だっ た入から2年 父親から多額の借金があることを告げ られるその借金を何年かかるかしらんって 思って終ったんですよね単純にまは72年 と5ヶ月かかるって借金だったです ね20代にして多額の借金を背負うことに なった筒井だ が一発逆転を狙った新たな事業を模索して い たその時はね とにかく普通の例えば4000万の売上を 一生懸命頑張って4400にしようって いう意識よりもま簡単に言うと1億ぐらい の仕事がないとこんな大きな借金は返し てけん とそんな時地人からアフリカ人女性向けに 紙を止めるビニール紐を作ったら ものすごく売れるとアドバイスを受け た1960年代アフリカでは女性の間で紙 を立てるヘアスタイルが流行っていたそれ が全員が使うんだからものすごく売れる よっっていうのがですね僕は中身のことは どうでもいいですけどものすごく売れ るっていう話はものすごく魅力的なんです ね僕から見る と完成した髪を止めるビニール紐は筒の 地震作汗をかいてもほけ ない しかしの借金を抱えた筒を勝者は相手にし てくれなかっ たこれものすごいの出てきたでアフリカ 行って売ってきてくれんか言ったらうん 行かない行かないって言うでしょう行か ないかて僕はメーカーなんで物は作るけど 勝者みたいな商売したことないしねうん 第一英語は前提話せへんのでねこう色々 考えてみるとやっぱりなんとかやれば ひょっとしたら35年になるかもしれんし やらなんだら72年と5ヶ月かかっちゃっ て私が100になるまで帰らんわけですよ ね借金が意を消して1人アフリカへ向かっ た筒井現地で待っていたのは彼らはね自分 が出したものを食べたり飲んだりしてくれ んとそれは仲間じゃないんですわ仕事の話 は絶対しないですねそうなる と1971年をるビニールを売るために筒 が単身向かったのは内線が集結したばかり の ナイジェリアフード病が怖くてもてなされ た食事や飲料水になかなか口をつけなかっ た [音楽] 筒そのせいか現地の貿易省と相談を 進めようとするも全く取り合ってもらえ なかっ た彼らはねはい自分が出したものを食べ たり飲んだりしてくれんとそれは仲間じゃ ないんです しかし1つの出来事がこの時代を動かし た2週間目にねあのおばあさんが亡くなっ てで彼に俺も葬式出るってそう言ったら 本当に出てくれるか言って初めて白にこと 笑って ね葬儀に列したことがきっかけで滞在3 週間目にしてようやく相談が始まっ た市場にものすごい高い帽子かぶったうん そこに1人しかいない女性がいるんですよ でこういうもん持ってきたんだけどどう どうてこれもすごいんだけど言って話一生 懸命したんですよこれものすごいいいわっ て言い出してねどんだけ注文するとか言っ てまあた桁外れに1年分とか2年分の注文 をそこでしてくれるあっち行ってもそう いう日でやってくれて56年分の注文 あちこちでもらってね 東海公文科学のビニール紐の神は西 アフリカで大 ヒットその 結果7年目で全部借金返しありまして ね70年かかるうんの1/0にしたですわ だからやろうとするその気持ちが大事なん ですね迷った末に決断したアフリカへの 売り込み絶対にやり 強い気持ちで筒は乗り越えたその精神は 高校時代インター杯で団体優勝を成し遂げ た柔道部で叩き込まれたという体力的な 基礎と何かにぶつかっても絶対乗り換える だけの精神的なものを鍛えていただいてた んであの柔道はもものすごい良かったと 思いますでなせばなるんですよなんとかだ から目標は10倍ぐらい高いとろに それは大体できてくるんです よビニール紐の大ヒットによって経営は ようやく起動に乗っ たしかし筒井には一刻も早く借金を返済し なければならないもう1つの理由があっ たアフリカに向かう3年前1968年に 生まれた女のさん がの を患っていたの だ生まれた時に産婦の先生が僕だけ呼んで ちょっと心臓に雑音がありますよと聴診器 もらってでこう当ててやってみたらねあの 普通はドクドクドクこういうあですかその 間にざーっていう音が入るんですよね ドクドクドク ざードクドクドクざーっていうのねあれ何 の音かなたら多分どっかに穴開いてじゃ ないですかねて話 で心臓から聞こえる雑音当時まだ小さな 吉見さんでは手術ができるかどうかも 分からなかったとにかく借金を早く消そう とでそれによって娘の手術費を貯めよう と1977年筒井と妻の洋子さんは9に 成長したさんを連れ精密検査を行うため 病院へ向かっ たこの日のために借金を関西して手術費用 2500万円も用意できた検査の結果 は悪い心臓で10年ほど生きてますからで 結局その手はまその当時できんていうこと とそれから開高血圧なんか起こしてるん ですねもうす にさんの体はをていすでに手術はでき なかっ たうちの病院もどうしようもありません 日本中どこへ行っても無理 でしょう日本だけでなく海外の名義からも 現在の医学では手術は不可能だと言われ たなすすがなかった [音楽] ここで妻の洋子さんからこんな話を 持ちかけられ た全く手術はできんていうことで吉見 ちゃんのために一戦も金使えなかったじゃ ない とだったらそのお金をそういう病気になっ ても直すようなことを研究しとるそういう 施設にあのお金を給付したはどこですかっ てこう言われたんです よそこで さんと寄付をする施を探していたところ 大学病院の教授から思いがけない提案 が人工心臓の研究して10年も研究すれば ひょっとしたら吉見のために素晴らしい 人口心臓ができるかもしれませんよとそん なら僕もやってみようっていうのはですね で娘のためにやれる なら人心臓か何もしないとやってみる年 あなたはどちらを選ぶだからお父さんが 作って やる娘を娘の命を救うためにここから筒井 の人工心臓の研究が始まっ た全部向こうっちゃってうち筒井が当時 作った人工心臓を見せてくれた実際には こっち側とこっち側と両方分れてですね うんでこれこのこれが新選部の方が 柔らかくできてますけどこの便が1個ね 2300万するんです よ1981年人工心像を研究するため東海 メディカルプロダクツを 設立一体いくらしたんですかこれ運万 だ手術費用のために貯めておいた 2500万円を投じて様々な機材を 取り揃え たとにかく集めてきた金をみ全部使っとる わけです ね国など公的機関からも助成金を受け 8億円という金額を費やしてい たあとは臨床試験を行う だけしかしここで大きな壁が立ち はかる動物実験100とやるのに 100億円以上かかる人間の験人証やるの に2000億円以上かかるそのはとても僕 の力じゃもうでき と さらにたえ奇跡的に明日人工心臓ができた としても他の臓器が弱っているのでもはや 感知は不可能 です不 可能人工心臓ができて もよしみは [音楽] 人工心臓を諦めるしかなかった筒しかし営 者として の開発に家事を切っ たiabpバルーンカテーテルの事故が 日本で頻発してる らしいなぜそんなことが起きるのか東大の 先生にも聞いてみたんだ が分からないって いう誰にも分からないん だ誰もデータを取ってないから だこの資料と格闘したよ もういい からよみの近くにいてあげ ておそらく こういうことじゃないかと思うんだ日本で 使われてるバルーンカテーテルは全て海外 からの輸入品で日本人の体の大きさに合っ てないんだだったら患者のサイズに合わせ たバルンを作れば ええそうそれが バルーンてるだがこれは心臓の動きを補助 するもので見さんの命は救え ないそれが分かっていながらの決断だった 国内で作られた前例はまだない周囲からは できるわけがないと冷たい目で見られてい ただが筒井には自信があったヘリウムを 送り込んでバルーンを膨らましたり縮ま たりする機能がこの中に全部入ってなきゃ いかんのですがだけどこれを作るのはね 東海公文の技術が全くこの事実なんですよ だからその家庭テルはうちの東海公文市の 技術でやれるし人工心臓でibpの袋を 作ることをもうずっと同じようなことやっ てきてますから形は違うけど ね東海公文科学の樹脂加工技術と人心臓を 作るための研究そして を兼ね備えた筒には絶対にできるという 自信があっ た1989年国産初のiabpバルーン カテーテルが完成し たただ筒井には心残り がもうibpがこれはけるっていう風に はっきりした時にこれをにさ言っとかない かんと いiabpバルーン家庭テルではよみを 救うことができ ない私の命はもう大丈夫だ から今でも筒の頭から離れないよみさんの 言葉と はもうibpがこれはけるっていう風に はっきりした時にこれをよにさき言っとか ないかんとものすごい言いにくい話だと いうことでで時あの子は病院におる時だっ たと思ったですがねあの吉見 とは横におったかな僕1人だったような気 がするんだけどよみにねよみちゃんよみ ちゃんの手術費を貯めて人工心臓の研究し てきたんだけどあれはとてもお父さんの力 ではもうできないんだとお金もすごくいる し長期間時間がかかるしそんなことでやれ ないんであのABPっていう簡易的に心臓 を補助する器具に切り替えたよてそれ一生 懸命やっとるっていう話をしたらまなんと なく病院にはおってもううとは知っとった みたいですけどねでその時にいやあのごめ んて言わなくていいっていうことで お父さんとお母さんは私の病気のために すっごく医学の勉強してで色々人口心臓に も挑戦してくれてものすごい努力したじゃ ないとで吉見はそれだけでもものすごい 嬉しい とで私はもう私のことはもういいとやる ことさえやってくれたんででお父さんと お母さんは義見の誇りだよって言ってくれ たまこの話すると ねあの時の話 はまちょっと恥ずかしい僕滅多にそんなな 出すんじゃないけど久しぶりに何十年リカ にこんな話するもんです から 1991年iabpバルーン家庭テルの 完成から2 年義見さんは23歳の若座でこの世を去っ たあの子がいなかったらこんなことはし ないでしょうねもねやっぱりその目標を 与えてくれたってことですよ ねよみさんが与えてくれた目標それが1人 でも多くの命を救い [音楽] たいその思いから採3を度ししてでも患者 のサイズに合わせたたくさんの種類の iabpバルーン家庭テルを作ってきた 世界中で17万人を救った命の家庭テル だよみばっかりじゃなくてね自分の子供 さんの方が再3がワンからやらないって 言われた時ほど悲しい話はないんじゃない かと思うんですやっぱりそれは会社の利益 を流用してでもなんとしてもその方のもの を作ってあげるっていうのがですね我々の 医療をやるものの僕は責務だと思ってるん ですよ 東京都府中市にある坂原記念病院多くの 若い医師たちがその技術を学ぶために 訪れる循環料に特化した専門病院だれ急今 もう家庭テルの種類がたくさんありますの でボの中にいるお子さんからも診断をして いって緊急での修正直後の方を家庭テル やったりとか治療することも方はしてます ので の現場あのに物作り企業の役割も大きく なって いるま意思を中心にした医療スタッフだけ ではやはり成り立たなくて良き材料良き 加工があって最終的なこう我々が求める 家庭テルの治療器具っていうのはできて くるのでそういったその技術を持ってる方 の力があって初めて医療が進歩していっ てるんじゃないかなと思います に入していり企業と医療関係者がう展示会 メディカル ッセそこに筒の姿があっ たの金は医療機器の開発改良に新たな一歩 を踏み出す企業の後押しをできればとの 思いから私がさせていきました [音楽] 筒井医療産業へ新たに参入する企業を応援 して いる少しでも立ち上がりの時の資金をです ね提供させていただければあの私が苦い 思いしたことなんかもですねあのいくらか でもわずかでもお役に立てればということ で最後に筒が 思い描くからのとりつい 聞てみた日本では素晴らしい技術持って 見えるわけですそれを医療に生かせばです ね世界的なものができるとあの有料の プラットフォームのようなものが日本に できるとするとこれ愛知が一番進んでるん じゃないかと思いますけどねお父さんが 絶対直して やる愛する娘を救うため始まった人工心臓 の 開発全くゼからの挑戦だっお父さんは何事 も絶対に諦めない人 です娘のために不屈の精神で道を 切り開く1人でも多くの命を救い たいよみさんの思いを胸に今日も1つの命 と向き合って [音楽] いくY

国産初のIABPバルーンカテーテルを生み出した東海メディカルプロダクツ筒井宣政会長の歩みを紹介するドキュメンタリー。カテーテルとは血管などに挿入する医療用の細い管のこと。「あと10年、二十歳まで生きられない」。そう宣告された娘の命を救いたい一心で、知識ゼロの町工場の社長が人工心臓の開発に挑んだ。父から引き継いだ莫大な借金、心臓病を患う愛娘、知識ゼロから取り組んだ人工心臓、そして生まれた「命のカテーテル」。そこには決してあきらめない家族の愛の物語があった。

0:00 OP
2:31 IABPバルーンカテーテルとは?
3:10 筒井宣政さんが「カテーテル」を作るまでの思い、半生を語る
4:55 借金返済のため単身アフリカへ
9:45 娘のために人工心臓の開発へ挑戦
15:28 バルーンカテーテルの開発へ
21:28 現場の医師からの声
22:24 筒井さんが思い描く将来の医療とものづくりについて

■番組HP:https://tv-aichi.co.jp/dearfamily/

#ディアファミリー
#カテーテル
#筒井宣政

13 Comments

  1. 今日、見てきました。もう予告だけで号泣でした。私の母は21年前に心臓疾患で倒れて緊急手術をしました。バルーンカテーテルがなければそのままなくなっていたでしょう。当時私のお腹にいた二人目の孫の顔を見ることもなく。この人のお陰で孫の成長を見せることが出来たのかと思うと泣きっぱなしの2時間でした。より一層の医学の向上とたくさんの命が救われることを願います

  2. 凄く感動しました。私にも50年前に亡くなった心臓病の弟がいます。親になった今、あの頃の父の姿を思い出しながら映画見ていました。

  3. 歌を聞いてから映画を見に行きました。ミセスの歌にある「次は何処へ行こうか」というフレーズが映画とリンクしていてとても心に残りました。
    今思い出しても泣けます。😭

  4. 今日、見てきました。父も昔カテーテルで助かり
    少し前に主人が心筋梗塞でカテーテル手術
    助けていただきありがとうございました。感謝です。

  5. 僕もこのカテーテルで助かってる一人です 酒も少なく喫煙は一切していませんが それでも血管に詰まりが起きています バロンのお世話にもなっています 最近は腕の血管からも治療ができ 日帰りの手術も、しかし 僕は 血管の正常化が 水道管の様な詰まり気味のものを清掃する洗剤が血管にもできるのではないかと願っている一人です、詰まる原因の一番大きな物体は脂肪と石灰分と 塩分です、これらの基本構造を崩す 薬品が人体にはごく少数の悪影響であればと願っています。

  6. 自分の祖父も二年前にカテーテル手術をして命を救ってもらいました。心の底から感謝しています。

  7. 映画観ました
    日本人の身体にあったカテーテルを作った、本当に素晴らしい事です
    筒井さんに感謝です
    ありがとうございます

Leave A Reply