星野富弘さんの人生。メディアが伝えない信仰と愛の生き方。 #78

[音楽] また聖書ラボと民会ですということで今回 のテーマは何ですか今回はツト星野と博 さんですああ星野とさんねはい最近 亡くなりましたねそうなんですよいや私も よく知ってますよ星野富さんは多分 クリスチャン界隈ではかなりの有名人そう ですねですよね多分そうじゃなくてもご 存知の方は多いと思うそうそうのこの前 2024年4月28日にですねうんえ 亡くなられてですね結構好きだったんです ようんうん今回取り上げる星野智博さんと いう方は元々体育教師をしていてその指導 中に事故でえ首から下全部動かなくなって しまったんですねうんうんでその後に進行 を持ってあとはこの口でうん詩を描いて絵 を書くっていうことをし続けてその作品が すごいうんこうね世の中に広まってその 生き方や活動がめちゃめちゃ励ましになり ますみたいなところから群馬県民栄誉賞と かですねいたいたりとかすごい活躍した方 なんですねうんクリスチャンになってで口 で筆を加えて塩書いたりしたってことかな はい一般のニュースメディアで結構ねえ彼 の亡くなったっていう不法がね報じられた んですねうんうんただ大変残念だなって ちょっと思ったのは彼が1番伝えたかった のは実はうん進行なんですよねそれ以外に あるんですか逆にそうま本当に星野さんが 伝えたかったことは信仰なんだよねうん そうだよねもうそれでしかないと僕は思っ てましたけどそうだから僕は代わりにそれ を伝えたいとそれが追悼の意味としてね 今回やりたかったのへえ根拠も出しとき たいんだけどうん本当にじゃあ深刻さえ たかったのかよとかってねきっと思う方も いるんで結構色々情報調べましたはいそし たら2017年6月3日に放送された キリスト教メディアcgnうんうん インタビューでえちゃんと顔出しで喋っ てる中でうんうんどんなエッセーでもしで も進行を中心に書いていますおお言ってる んだねちゃんと本人の口っ本人の口でああ 言ってるんでうんもうメディアが報じ なかった進行に勝負点を当ててうん今回 ツトをしたいそんな思いでやりたいと思い ますうん うんニュースのですねえ書いてあること 読むと星野富さんが2024年4月うん 18日うん午後6時32分呼吸不全のため 群馬県み市内の病院で去したうんこんな ニュースが流れました78歳ですねうん うんちなみにえ彼の葬儀うん葬儀礼拝が うん前橋キリスト協会で行われたんです けどYouTubeで全編公開されていて うんへえそうなんだ私2周しました2周し たんだ人の葬儀のYouTubeの動画を そうですはいわ2周しましたま結構それ ぐらいね本当に好きなんだねありましたね なので彼の進行とかねそういう面が メディアでは出されなくなかったので うんうんうんうん今回ね紹介したいなと 本当に思ったわけですねうんはいで今回え 紹介するのにえ元にした本があるんです けどまこの本も紹介したかったんですよ うんはいえ星野智博さんのえこの本人の本 本人の本ですね愛深きふよっていう本で 1981年にえ出版されているんですね すごい昔ですねはいうんえ彼が事故に事故 があった時から入院生活そして退院する までの約9年のえ内容がここに込められて いてその後うん星野富ひっていう人として まうんうん活躍し始めるだその前までなん だけどこれがものすごく多くの人にうん実 はうんあの反響を与えたこれを読んで クリスチャンなりましたみたいな人 たくさんいるんですねへえでも今ね衝撃 だったのは9年も入院生活送ってたって ことなそうなんですよへすごいねまその 事故の話とかねえっとどうやって進行を 持ったのかとかうんま口に筆を加えて絵を 書き始めた話とかそんなところをね今日 紹介していきたいなと思いますうん はい改めて星野智博さんっていうのは 1946年群馬県世軍あ村っていうとこに 生まれましたうんうん現在はねみ市あ長 うんうんで合併されてますねうんうんうん もう終戦後すぐに生まれた方そうですね 登山山登りとうん機械体操がめちゃくちゃ 好きだったんですねへ機械体操ってあれだ よねオリンピックとかで見る男子団体の 体操みたいなやつだよねそうそう箱絶望 長場みたいな感じでま体を動かすのが すごい好きでへえもう運動神経抜群系です ねうんなんかねでもね読むと抜群と好きで 1個ずつ積み重ねていってできるようにな うんって言ったみたいなこと書いてあった ねあへえじゃあ本当に体を動かすのが好 きっていうところがポイントだったのかな そううん機械対しがだから好きすぎてうん うん大学を体育学科を選んでる機械体操を やれる大学の学部うんうんうん群馬大学の 教育学部保険体育学科っていうのを機械 タスするために選んでへ面白い面白いよね そこまで好きなんだうんうんでま5年かけ て卒業うん1年ちょね多いかなみたいな 感じではいで中学校の体育教師になります うんうんでなんかねちょっと面白かったの 先に油断としたさみたいのはうん彼ね下 好きだったらしいんですねへえなんかね 体育年ってちょっとね対立概念みたいな 感じがしますけどね小学校の時から好きで うんへえ自分で書いたりもしてたしで好 きっていうのがよくわかんのが有名な詩人 の作品をソランジって言えた要は暗記して 暗してた例えば萩萩原咲太郎三吉達うん うん特にね三吉達の石の上っていう作品が すごい好きらしくてその入院中にも誰かの ためにそんじたりとかへえ面白いなそう そういうなんか文学的なセンスっていうか あの共有もあったんですねうんだから星野 智浩さんのえ今作品とか知ってる方にとっ たら血を描く人うんうんうん絵を描く人だ けど元々下好きだったっていうところが うんへありますねあそうなんだうんで彼は え大学を卒業してま中学の体育教師になり ます新人の2ヶ月目にうん指導中に事故で もうすぐ入院生活になるんですねへ事故 っていうのは何があったの交通事故ですか えっと指導中なのでま飛び込み前転からの 前方中帰りの模範演技をしてたんだって うんああ体操の演技中にそう模範演技から 行っちゃ着地しちゃったそうで女装をつけ て踏切り板パーンって飛んでうんなんかね 体を伸ばしてくるくる丸めてうんそのまま バーンって感じな自分の表現ではあ気づい たらなんかたみたいな着地を失敗をして うんで東部より頭からこう転落してこの 警部を強打したとへえでそのままなんか そのマットのままトラックに乗せられて 病院に運び込まれたていう感じですねへえ それも新人1年目だったんだ教院になって うわ月いやだから本当にいきなり起きた ことでそれでいきなり首からして全部動か なくなっちゃったそう病院に運ばれた段階 では一応診断死士完全麻痺で胸骨上演以下 の地格障害ありってってま要は反応がない うんうんもう冷たい熱いもわかんない みたいなそうそうそうそううんあとは呼吸 が浅くなったり発熱があったりとかうん あったんだけど持ち前の体力によりなんと か本当に死んでもおかしくなかったええ 体育学科5連いた成果ですねそれはい そんなようなことで入院生活が始まります うんうんはいこんな星のさんがこの入院 生活中に進行を持ちますまキリスト教進行 ですねあとは口にペンを加えて絵を描き 始めるっていうのがあるのでこの エピソードをちょっと紹介したいと思い ますはいね普通に考えたら体を動かすのが 大好きで体操の先生になったみたいな人が ねいきなり体動かなくなったらもう人生 絶望しそうですけどねや絶望だったらしい んですよあ最初はもう最初っていうか ずっとあずっとへえそう本に絶だったと 思う読んでてもうんうんうん明るく書いて あったりいろんな助けがあったとかま特に お母さんとの話はすごいたくさん書いて あるんだけどうんうんいや本当に生きる 希望ってどこにあるんだろうみたいなね 感じだったので絶望ですようんあでもある 時にうんえっとね入院中入院してる時に 看護女手っていう職業があるよねその安中 さんっていう方がなんと三浦彩子さんの 著書うんうん塩闘技を貸してくれたとああ 本を読むのは好きだだったらしくてはい はいこうね初見器っていうのかなこう挟ん でお母さんにめくってもらうみたいな感じ でうんあそうだよね手も動かせないからね 本も読むの大変だねはい読そう読み始めて でその塩カリ峠読み始めてすごい感動した んだっては塩カリ峠のクライマックス言う とうん列車が塩狩峠を登る時に止まらなく なっちゃって1人の鉄道員が自分の命を 投げ出してブレキの代わりになって死んで みんなを守るうん体当たりで電車止めた みたいな記者か記者止めたみたいなその 乗客を助けた生き方と愛の負に感動したん だってうんうんそうでその後にその安中さ んっていう人に三浦さんの道ありき光ある うちにっていう本も借りて読んでうんうん うんうんうんうん三浦さんの行き方が すごい感動受けたんだって要はミさんも 13年布団の中で生活を病気でしてただ へえででも前を向いて生きてる姿にうん すっごい感動したっのがまず1つきっかけ としてありましたうんうんあとね面白かっ たのはその後に聖書を読みたくなったん だってうんそういえば聖書をくれた人がい たうんうんて言ってうんそれがえっとね 大学時代の2つ上の先輩で米屋さんうん うん群馬大学の2つの先輩米屋さんって いう人がいて同じ量だったんだってうん うんですごいいい人だったんだけど うんうんでその入院した時にお見舞に来て くれてその時に色々昔話をしながらまず 一言星野さんがああ癒中華食いたいな みたいなこと言ったんだって3月ぐらいに うん うんうん3月ぐら中学いたなって行ったん だってでそれはなんかそのまま終わって米 さんは帰る時に自分の額に手を置いて祈っ ていいですかつって祈る祈ろうとするん だってろさんやだなって思ったんだって うんでも逃げられないに動けないからそう あとはもうなんか親切にしてくれたしこの 行為を無限にするにはみたいなあってでも こうねえ祈ってくれたんだって主みたい うんうん星野さんじゃない祈りしたんだて うんどうぞ米さんの声を小さくして ください面白い面白いちょっと耳はずいだ みたいなそうま他の病室ってさ患者が たくさんいるんだよねそういうの聞かれる のがすっごい恥ずかしくああなるほどね なんか宗教のことやってるわって思われ たくなかったんだそうもうそれが すっっごいあったんだてうんでまそれで 帰っていってうんすごいなって感動したの この後で1時間後に4さんまた来たんだっ て式持ってうん風呂式なからさはいはい 広げたら冷や中華持ってきたんだへえ ちゃんと持ってきたんだ冷や中華そう食べ たいなの一言を聞いてそれすっごい 嬉しかったらしくてへえでその数日後に 聖書が送られてきたでねその米屋さんとの エピソードで彼がこの本に書いてあのが うんうん全くの他人の私を自分の体のよう に思ってくれる米屋さんの背中を見送り ながら私は自分の苦しみだけのうんのため に苦しみ生きることを諦めていた自分を 恥ずかしく思ったうんうん自分の体のよう に愛してくれたっていうのもまたね人員と きますねそそうそうねえでその後にこの 安中さんっていう塩狩峠を貸してくれた人 とうんうんこの米屋さんが通ってる教会 一緒なんだって前橋キリスト教会うんうん 安中さんもキリスト教とだったんだねそう そうクリスチャンで牧師さんで舟木さん うん船小さい方の船に喜ぶて書いてうんさ んっていう牧師が訪ねてきてくれたんだっ てで聖書の話を教えてくれてすごい 嬉しかったけどやっぱりみんないるから 恥ずかしかったっていうのはずっと書いて あってうんうんうんで毎週来てくれたん だってうんうんでその何周目かの時に舟木 牧がうんここから読んでみるといいです よって言って聖書の間に髪を挟んでくれた んだってうんうんうんそこがローマの真と いうの手紙だったんだおおへえそこからお 勧めしたんだそうで1年発起してよしん もう宗教と思ってたけど読むぞみたいな 感じでうんうんこの読めるやつに挟んで 読み始めたらめちゃくちゃつまらなかった とつまらなかったんだそれで感動して信じ たって話かと思いきやそう思いきやただ 読み進めていく中でうんうん言葉に心に 残ったのがこの1節そればかりではなく 艱難さえも喜んでいますうんうんそれは 艱難が忍耐を生み出し忍耐が寝られた品性 を出しうんうん寝慣れた品性が希望を 生み出すう5章だよねローマの新と手紙の うんうんここを読んだ時に目が釘付けに なったそうですねうんだからつまんなのも 短かったけどまどれぐらいのペースで読ん でたかねちょっと分かんないんだけどうん うんそうだね自分でページめくれないから ねなかなか進むのも大変だったでしょうね うでこの聖書の言葉を読んだ時にずっと 絶望たった中に光が差し込んでくるような 気がしたとうん信じられないけど信じたい と思った うんだから苦しみだけに終わるんじゃなく てきっとこれが自分の豊かな人間性やうん なんだろう生きる希望に繋がっていくって いうのを聖書から感じとったっていうよう な感じで書いてあるのねうんうんうん本当 にだから聖書は希望となったみたいねうん はいなるほどこれがね進行のきっかけに なってうんうんで洗礼受けのはねま2年後 ぐらいに受けるんででこの間にこの口に ペンを加えるうんうん加え始めた エピソードがあるですね へええ病院ってうんあの基本個室じゃなく てあの大部屋にね何人か寝ていてねはい僕 も入院経験たくさんあるんで分かります けどたくさんあるんだはい1ヶ月入院し てるとどんどん入れ変わるんですよねうん うん周りの人がね周りの人がで星野さんの 前9年ですからね9年ねもうねなんかその その病室の長老みたいな感じになっですね そうね最終的にはねうんでまそのそういう 中でえ入院して少し経った後に中学生の 高く君高いに久しい高い低いの高いに久し って書いて高くくんていう子がいたらしい んですねうんその病室てすごい人気もだっ たんだけどえで病院が群馬から東京の方に 途中で店員しちゃったんだってで離れ離れ になっていたんだけどその高く君はその 病室ですごい楽しかったからお母さんにお 願いをして前に一緒に病室にいた人に なんか声喋ってるテープを取ってきて ほしいうんうんっていうのは1つと僕の 大好きなこの帽子になんか寄せ書きを書い てきてほしいっていうことを頼まれて お母さんが来んだよねうんうん星野さんは 高く君を喜ばせたかったんだけど寄せ書き なんてかけるはずがないって最初思ってた んだってうんうんうんうんだってね手足 動かなくて首も動かせないみたいな状態 うんうんうんうんでもだんだんなんか高く 君を喜ばせたいてねもうその数日の間で心 の変化があってうんうんうんそうだ口にに 加えて書けばいいんだて思ったらしいのよ うんだから仰向けで寝てる状態で口にペン を加えてお母さんに帽子を持ってもらって 上に自分の顔の前に置いてもらってうん 一生懸命首を動かしてうん寄せ書き描こう としてかけたのが点1個 ええ5松部のような大きさの点って書いて あったねえ へえそうだったんだそうそれでお母さんが その後ちょっと協力してうん星の富を漢字 を帽子を動かして書いてああなるほどね 帽子の方を動かしてそう動かして書いて あとその点だけあるとあれだからそこを 無理やりひらがなの王を書いておみって いううんうんうん書いたおはいでそれで 結局高く君の方にそれが届けられて礼の 電話がうんうん星野さんにかかってきて うんうんものすごい嬉しい嬉しかった喜ん だって話をしてうん星野さんはうん自分は 書いてないんだていうことが言えなかった んだってああなるほどねちょっと書いた けどうんうんでそん時からでもこんなに 喜ばれるんだったらうん口で書きたいって ものすごく強く思ったらしいね うんこれがきっかけなんだってあへえそっ かじゃあその高子君の寄せ書きの無茶ぶり がなければ発想すらなかったわけだねうん そうなんですよ へえでそこからうんお母さんと23脚で 書くんだよねうんうんうんえま本当に お母さんに手伝ってもらお母さんずっと こうやって頑うんうんうんめっちゃ大変だ ねお母さんで最初は本当に一文字書くのも すごい大変ででも4ヶ月ぐらいそれをうん うんやり続けたんだってうんそっから手紙 が描けるようになってはあでお姉さんとか うんえ友達とかうん教え語とかに手紙を 長い時に5つか1週間ぐらいかけて書いて 送ったらみなすっごい感動したとうんうん いうことでこれが星野さんの手紙を口で 加えて書 ペを加えて書くっていうことの始まりなん ですよねうん面白いなあやっぱ人ってね そこまでして人と繋がりたいとかやり取り をしたいって思うんだねうんそうですねあ えそう書くのも最初上向きで書いていたり とか横向きで書いてたりするんだけどま いろんな人の助言があってベストな体勢と かね見つけたりしたりお母さんが持ち続け たのを弟さんが固定できるものを作って くれたりとかあねそれね早く作ったらいい なて思聞たんだけどお母さんもずっと我慢 して終わるやいならトイレに行ったみたい な話お母さんすごいトイレもね我慢してた んだいやせっかく書いてるからいつまた 体調が悪化するかみたいな心配もあった からずっと2人3脚でなるほどねやってた んだろうなとえ思いますうんうん うん出版後にね星野さん結婚するんですね うんこの女性とのね出会いもこの本に書い てあるんでちょっと紹介したいんですけど はい1人の女性が一袋のみかを持ってです ね病室を訪れますたまたまお母さんが 出かけてた時にはいうんで自己紹介をして くれました私は前橋キリスト教会に通って いる渡辺と申しますうんうん舟木牧師から いつもお話を聞いていますと挨拶をして みかんをアンしてくれたって話書いてあの ねえいきなり来たんだその人そうみたい へえま教会として本当にこうサポート しようとしたのかなと思ってでこの渡辺 さんは毎週うん最初来てたんだってうんで もお母さんが看病というか介護する姿を見 ながら自分何かできないかって言って うんうん週1回やったのが週2回になり週 3回になりみたいな感じで本当に献身的に うんうんサポートをしてたらしいのねこの 中にはねプロポーズの本はな話はないんだ けどもう1冊ねその後に出てる本に プロポーズの話あんだよねええそうなんだ そう限りなく優しい花々っていう著書に 書いてあっであの病棟とかで渡辺さんに車 椅子をその後ね押してもらったりするよう な関係になったうん押されてる時に星野 さんがうん渡辺さん結婚しようかうんって 言うんだってええ星野さんから言うんだね で渡辺さんってねまいわゆる進行者だなっ と思うのはうんうん私も考えていたんだ けど今はまだはっきりと返事はでもその ことを神様に祈ってるわ2人で祈り ましょううんおなんかねクリスチャンぽい 答ですねクぽいよねええみたいな感じで このえっとね退院するのが190080年 に退院をして81年の1月にこれが出版さ れてその年に結婚もするだよねだから結婚 の話が乗ってないんだねなるほどどうなる か人生わからないからだと思うんだけど そうそうこんなね素敵な出会いもありまし たうんうんうんでこの渡辺さんはえあとね 洗礼式の時にねえ立ち合ってくれてくね はい1974年うん12月22日にですね えまあの教会行けないから府長さんがね 洗礼のためにね部屋をわざわざ用うんて くれてへえ牧師とあと教会員が結構来て くれてそこで洗礼式を行うんだよねうん うんうんなんかねいろんな牧が来てくれた 安中さんが来てくれたなんとかっていう 新学生も来てくれたって書いてあるんだ けど大さんの話ちょっと長めに書いてあっ て彼女は2年も前から通い詰めて食べ物や 身の回りの細かいことに気を配ってくれて 私と母を自分の手足を使って助けてくれた 私の前で聖書の話はあまりしなかったが 彼女のうんにいつも深い祈りが込められて いるのを感じたうんなんかちょっと長いの よやっぱね思いこもってますねうんそう はいまた手足のねようになったっていうの がね思いを感じますねそうですねうんでま 適例という形でえ3滴かけられて洗礼をね 牧師から授かったていうのが書かれてます ねうんうん水を頭にこうちょんちょんて つつけるような形の洗礼のスタイルですね はいでま牧師がお祈りをねえしてくれたと でその後に星野さんの言葉うんが本に残さ れていてうんいや本当にこれ信仰の告白だ なって思う文章があったのでうんこれ伝え たいんですようん134ページにあります 皆さん愛深きふより9番のですねあの真相 デザインの方も出てますけどもそっち見て ないんでわかこれ番んだ9番1番最初の やつですねうん私は聖書の本の一部しか それもほのうつしか分かってはいなかった がキリストの私のとへ来なさいという言葉 に素直にについていきたいと思った私の今 の苦しみは洗礼を受けたからといって 少なくなるものではないと思うけれど人を 羨んだり許せなかったりそういう見にくい 自分を忍耐強く許してくれる神の前にひき たかった許されても許されても聖書の言う 罪を犯し続けるかもしれない苦しいと言っ てわめき散らす日もあるかもしれないでも 父よ彼らをお許しください彼らは何をして いるのか自分では分からないのですと十字 の上から行った清らかな人に従って生きて みようと思ったうこんな信仰をね告白して くれるんですよねうんうん私結構感動し ましたうんはいとにかくついてきたい イエス様にっていう思いをここで告白して くれたんですよすごいね知識はないけれど ももただついきたいていう思いそれこそが 信仰ですよねやはりあそうですね うんでまその後ですねえ彼本当にこう やっぱり絶望の中で生きているその未来が どうなっちゃうんだろうとも医療的には できることが何もないっていうのが途中 から分かってきてうんうんうんずっと入院 し続けるのか出なきゃいけないのかとか ありながらうんうんあたお母さんにねもう 生まれてこなければよかったとかねうん めちゃくちゃ当たりまくったりとかそう いうのも結構書いてあってうんうん院 病院をて家にる自分で決めてる感じなんで ねま要はお母さんの負担を減らしたいとか うんうんま生活をね変えていこうっていう ことをね決心するんだよねでその前に障害 者の方が同じように口で絵を描いた展示を ね見る機会があのね新勝者センターって 言うんだけどそこの長さんが久保田さんっ ていう人でうんその人に星野さんが紹介さ れる時に星野さんも素敵なくんですよって 紹介されちゃうのねうんいやいやいやいや みたいな感じなんだけどうんうんうんえ その久保田さんに久保田署長に星野さんも 個人点開きませんかて言われるねおうん うんまその新勝者センターのま廊下みたい なところで展示を並べるんだけどうんうん うん最初断ったんだけど久保田署長に ちょっと乗せられる感じでやるんだよね うんプシュされてうんうんでそん時にええ それまで絵を結構書いてたんだってで自分 で筆を加えて色もつけてうんうんうんでえ 久保田所長のアイディアでこの絵を書いて きた時にどんなことを思っていたのかとか 説明を2産業文字で書くのはどうですかっ て言われてそれで絵に死がつくっていう パタが生まれたらしいんでああそれ後から ついてきたんだそうそうそうへえで展示会 がいよいよ開かれます5年書きためた作品 が60枚ぐらいあったそれを全部並べて うんうんでなんかメディアとかもたくさん 来たらしいんだよねこれまだ入院中なんだ けどうんうんですごいのが展示会ってうん 絵を買い取れるんだよねああはいはい基本 的にお客さんがねこの絵言いわと思ったら 変えるんだよねその場でそうそう星野さん は自分ね欲しい人中いないと思ってたから その社長に聞かれたんだってもし絵欲しい 人いたらどうしますかたらあいないと思う んでもうなんでもいいすよみたいな感じで 答えてたんだってうんうんなんとうん全部 売れたへえ60作品あそうなんだそこには 美大とかも来てたんだってああそうなんだ へで涙が出るほど感動しました へえ本当に人とを打ってうんでその後にえ 本当に退院をして家に帰るところでこの話 は一応終わるんだよねこれ9年間の入院 生活うんうんだからよく世の中に知られ てる星野富裕さんっていう方がうん誕生し たのはこの入院生活なんだなと進行者で ありうんうんえ口に筆を加え書く死と絵を 書くっていう星野智さんの原点がここに あってうんうんうんでそれ以後ね活躍はえ 知ってる人には知ってると思うんですけど えこの81年に自分を紹介するためにこの 本を書いたらしいんですねうんうんうんで こっからめちゃくちゃ忙しくなったらしい ねであとは1982年に群馬県高崎して花 の滋賀店っていうのを開催その後全国あと 海外でもうん展示が開催されうんうんあと はね1991年に星野富美術官が会館して ますねあはいはい僕去年行きましたあれ どこに群馬県にあるんですか群馬県の緑市 っていうとこになってうん地元にねはい車 がないと絶対に行けないとこにあります ああそうなんだ山の中山のそうだね山の なんか本当にそうずっと車で行ったとこに あるへえはいでまその経歴とかはね星野 智広滋州ネットっていうホームページが 公式であってそこに略歴とかあるのでその 辺参考にしてもらえたらいいかなと思い ますけどうん概要欄にウブサイト貼っとき ますねはいまこんな感じのねえ障害でした ねうだからこの時期星野智博という進行者 が生まれうんその生き方作品がですね多く の人を励まし続けたなとうん思っており ますねうん僕ね一番好きなのは生き方が人 を励ますうんっていうとこなんでねうん うんうんねなんでね星のとさんのが めちゃくちゃ好きかって言ったらうん僕ね うつ病になって騎年とかもなってうんうん あもう生きてたい思ねうんあったんだけど うん元気になって活動した時にある1人の 人が僕に連絡をくれてうん私も死にたいと ずっと思っていましたけどトミが元気に 生きてる姿を見て私も行きたいと思いまし たって言ってくれたのようんそん時にあ 生き方って励ましになるんだって思って そん時も思い出したのう へえそうなんだ一生懸命行きよって思った のは実はその人との出会いがあってあ星 さんうんがあってうんうんしかも信仰が ものすごい励ましになってるその僕の人生 にも星野さんの人生にもっていうので紹介 したかったんですよねええへえこんな感じ でございますやっぱりね人に残るのは 生き様なんだね生き様だと思いますその 背中が語るんだよねうん何を言うかじゃ なくてどう生きるかっていう本当にそれが 人の心を打つんだなっていうのを今回感じ ましたうんはいで手足が動かなくなっても その口口先でねある意味口先だけで いろんな表現ができてうんその人その絵が 死が多くの人の心を打ってうんはい死に たいと思ってる人に行きたいと思う力を くれるそうそんなパワーがね多分本人は そこまで最初は意図してなかったと思う けども勝手にこう広まっていくんだねそう だねそうだねうん いやあなんかねもう天に変えられてうんね 復活の体を得たのであればま爆天をしてる んじゃないかみたいなことをねそのそうだ ね復活の体いるんだよねそうがすごい希望 だねそうなんですようん素晴らしいですね そうそんな感じですねうんはいいやいや 本当に僕もね今聞きながら涙が出そうに なりましたありがとうございました ありがとうございましたはい面白かったよ えためになったよという方はチャンネル 登録高評価そして感想のコメントをお願い しますえ概要欄に星のとさん関連の本とか え美術館のURLを書いておきますので 是非皆さん参考にしてくださいそれでは また次回お会いしましょうありがとう ございましたありがとうございました まったり聖書ラボはまったりざっくり 楽しく聖書の雑学やエピソードを語る番組 です聖書についての考え方や解釈には様々 な立場がありますご了承ください [音楽]

口に筆をくわえて絵画や詩の創作活動を続けていた星野富弘さん。2024年4月28日に78歳で亡くなりました。そんな星野富弘さんは、イエス・キリストを信じるクリスチャンでした。メディアが伝えない、彼の信仰と愛の生き方を紹介します。

【目次】
00:00 星野富弘さんの人生を語る
02:24 愛、深き淵より。
04:20 冷やし中華に 胸打たれ 聖書読む
14:34 無邪気な無茶振りが奇跡を起こす
18:49 妻に出会い 神とも出会う
23:35 生きる希望を与える生き様

【参考文献・サイトなど】
▼愛、深き淵より。(新装版/学研プラス)
https://amzn.to/3yEjiot

▼かぎりなくやさしい花々(偕成社)
https://amzn.asia/d/1tWLonu

▼星野富弘詩画集ネット
https://tomihiro.shop-pro.jp/

▼CGN FOCUSインタビュー
https://youtu.be/mZ4obGtdGe4?si=ykdJUX95HPz5Difj

▼聖書(口語訳聖書 1955年版)
https://amzn.to/3Va1Xu7

▼聖書(聖書協会共同訳)
https://amzn.to/3GoUylz

▼聖書(新改訳2017)
https://amzn.to/3Wu7so1
※動画内の聖書の言葉は、特に断りがない限り「聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会」から、著作権法第32条に基づき引用しています。

【まったり聖書ラボとは?】
聖書の雑学やおもしろエピソードを、まったり、ざっくり、楽しく語る番組です。聖書の解釈や考え方にはさまざまな立場があります。ご了承のうえお楽しみください。
番組の聖書の引用は特に断りがない限り「聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会」から、著作権法第32条に基づき引用しています。人名などはパーソナリティの「慣れ」に合わせて「揺れ」があります。ゆるしてね。

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会いに行くキリスト教会牧仕。年間500人以上に会う活動のため、日本全国を飛び回っている。東北大学理学部卒のガチ理系で2児の父。24時間働ける系男子。著書に「人の話は、ただ聞けばいい」(自由国民社)
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会いに行くキリスト教会 ➔ https://ainiiku-church.com/

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聖書大好きマン。小6の時に聖書と週刊少年ジャンプの沼に同時にハマる。TBSテレビ政治部記者/news23ディレクターを経て、現在はクラウドチャーチ牧仕のかたわら長野県東御市で地域おこしの仕事に没頭中。早稲田大学国際教養学部卒のド文系。2児の父。
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21 Comments

  1. 星野富弘さんを 話題にして下さってありがとうございます
    昔 エホバの研究生だった時 そこに入り込まなくてすんだのは 星野富弘さんの存在そのものです
    不思議な感動 不思議な喜びが ものみの塔の人たちには(もちろん親切で純粋でいい方たちだけど)感じられなかった ということなのでしょう
    守られたことに感謝です

  2. 凄い励まされる内容の動画でした。
    星野富弘さんの教会での葬儀を動画で私も拝見しました。
    ともみんさんの話しから、星野さんの作品がどのようなエピソードから生まれたのか、詳しく知りんました。
    お母様との歩み、病院でのクリスチャンの方との出会い、結婚の導き等々、感動しました!
    そして、何より全てを働かせて益と変えてくださる神様の愛の深さを知り、御言葉の偉大さ主を褒め称えます。
    ともみんさんも鬱の試練を乗り越えたんですよね。感慨深いです。
    たくまさんと、ともみんさんコンビで、人物伝の動画、楽しみです😊

  3. 星野さんを取り上げて下さってありがとうございます。ともみんさんによって、星野さんが一番伝えたかった「信仰」がクローズアップされて本当に嬉しいです。

    若い頃キリスト教書店に勤めておりましたが、「贈り物」といえば星野さんの書籍やカレンダーだったのを思い出しました。

  4. はい、
    星野富弘氏のご著書は、できる限り、読ませて頂いています。
    わたくしも、闘病が長かったので。
    長い入院中、星野氏の御本、描かれた絵等などによって、伝導させて頂いて、感謝です。
    ともみん氏が紹介されたご著書は、側に在りますよ!

  5. 涙が出てしまいました。
    ボクのPodcastでこの『愛深き淵より』を中学時代に読んだこと、今回の入院前、“死にたい”と嫁さんに弱音を吐く前に手に取った本が「塩狩峠」だったことに触れました。
    でも偶然たまたま手に取ったんじゃなくて、この時に読んだことが潜在的に心に残っていたのかもしれないって思いました。
    取り上げてくれた ともみん、たくまさん、気付かせてくれてありがとう🥹
    そして星野さん、ありがとうございます🙏

  6. 星野さんが召された時のニュースにはどの局も一言もクリスチャンであったを紹介されませんでしたね、意図的なものを感じる次第です。

  7. 私は、ラジオの近畿放送伝道協会にハガキを送ったら運良く、星野富弘さんの画集が当ったて大切に持っています。

    星野富弘さんと言う方は、中学、高校の時に抜群の運動神経だっだので、希望通り群馬大学教育学部体育学科に入学して、希望通りに体育の教員になって、部活動で女子機械体操部を担当することになって、女子生徒にいいところを見せようと、ほんの少しの緊張が回転のタイミングを誤って頚椎を折ってしまったのが、くしくも1970年の大阪万博の年だっだ。そのから数年後にその時の部活動の女子生徒が何人か訪ねて来てくれたそうです。本当だっだたら、体育教師として定年まで勤めて孫に囲まれいる人生だっだはずだったのに、よく自殺しないで54年間も独自の星野富弘アートを見出して、彼の足跡が多く人に感動を与えたことは図り知れないないと思います。カトリック協会の「心の灯火」やプロテスタントのラジオ放送の「世の光」とテレビ放送の「ライフ・ライン」でも何回か取り上げられたのが凄く印象に残っています。
    最後に見事な生涯だったと思います。天国で安らかに永遠の命を持てって暮らして下さいと言いたいです。心よりご冥福をご冥福をお祈り申し上げます。

  8. ともみんさん、本当に心に響くお話をありがとうございます。涙が出て来ました。星野さんは今天国で思う存分バック転や跳び箱を楽しんでおられることでしょう。

  9. 毎回楽しみに視聴してます。つたえたいことば星野富弘さんがこの中に書かれているこれから生きる中、高校生にあてた詩と絵があります。東日本大震災後に聖書同盟さんから出てる小冊子、わずかですがもっていて色々な人に渡して聖書の言葉を届けてます。

  10. 星野富弘さんのこの世のつらい人生を、ともみんさんが紹介してくれて、心(霊)に響きました。
    天国で、神の御元に行けるといいですね。 ハレルヤ!

  11. 星野さんの入信の話しは始めて聞きました。聖書のキリストの「わたしのところへ来なさい」ということばに、ついて行きたいと思ったのですね。とても、素直な信仰ですね。それまでにも、三浦綾子さんの本なども読まれて、感動したのですね。私も三浦さんの本で教会に行きたいと思ったことがきっかけです。やはり塩狩峠の主人公の自己を犠牲にして人を助けるその生き方は、感動を与えます。良きお話を感謝致します。

  12. 感動しました。雪の重みで竹が折れる時に、周りの竹に積もる雪を払ってあげながら折れる様子を描いた富弘さんの誌画に涙が出るほど胸を打たれたことを思い出しました。富弘さんの作品から神様の存在と信仰を感じてはいましたが、これを機に御本も読んでみたいと思います。

  13. 40年ほど前に兵庫県の大学で星野さんの「花の詩画展」を開催しました。開催前に東村に星野さんを訪ねお会いしてきました。2週間開催して大学生、近隣の中高生、住民の方々、約1万人が来場されました。

  14. ともみんさん。感動的なお話に感謝です。わたしも昔々に1年ほど入院しているとき、『塩狩峠』『道ありき』読んだことを思い出しました。
    人を喜ばしたいと口筆で書いた人とのつながりが生きる希望を見出す。信仰と愛の生き方の紹介、感謝です!

  15. 8:50 本当のクリスチャンはあまり信仰を表に出さず普通に生きているんだと感じました。私もなにもなかったように神様を信じて行けますように助けて下さいアーメン

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