森繁久弥「もう一度逢いたい」

喧嘩すれば相手は 強いこちらは老人 だ負けてくれという方が 情けな友を求めてもみんな見まかってどこ へ行ったか呼んでも声が ないもう一度会いたいという方が ちゃんちゃらおかしい 2000年の空はこ投げに 開けよう誰かと叩くという歌がある が至って静か だ一切はなんとなく 暗い天気のいい日にもう一度書こう [音楽] 森茂 イやもう一度会いたい [音楽] どうも 先生ご沙汰しておりますどうもしばらく 沙汰しておりますどうもそのいつも元気 だったありがとうございます相変わらず はいねこのお庭を見て先生杉の木勝 が杉木をにまだおりますかええ素晴らしい すぎでねそうですかそんなこと先生本当 ですかほでね はいあの人はギャランティーていうかな はいはいそういうのくれないからね先生 これテレビです から杉の木に変わった杉の木で我慢して くれとなんでも好きなもんやる よもう杉の木で終わってしまうでござい ます [音楽] [拍手] ね1954年勝新太郎は市川蔵と共に大A に入社日の当たる表街道をさそうと行く 雷蔵に対しかつは脇役として裏街道を行く しかなかっ たそんな太郎にとってのターニング ポイントは からアウトローへの身であっ [音楽] た悪名シリーズを始め一兵隊座の各 シリーズで徹底的なアウトロー路線を大 ヒットさせた一テレビシリーズを突然 100本で打ち切りこれ以上続けたら一が かわいそうだというコメントを発表役に 対する愛情がにじみ出る一言であった 追わない で生な別れ [音楽] をそれはそうとね僕はあなたにいぺ聞き たいと思ったけど1番最初はどうだったの いきなり抑えつけられた のけられてないですえん にマネージャーが間に入って結婚を 申し込まれたんですあそうで割に平凡なん ですで1年間交際したんですうんでもその 時に子供ができちゃったんですなんで 押さえ先生はいつも押さえつけるんですか うん僕女性をもう20年も前かなねえ もう立ちましたからねええ20年前までは ちゃんとしてらしたあしてらしたってえ 20年前までじゃあパパよりすごいじゃ ないですかこれ本当ですようん ああなたを一生の妻にします右まさにそい なく朝沖殿書いてこれやったらまで 受け取るみたいや [音楽] こんなもしたてどこをききゃわからへんね 構え何も言わんといて [拍手] うんこう目つぶっても目開けても浮かんで くるパパの顔は笑ってる顔しかそうねいつ も本当ここにいるんですこなんかこの辺に いつ もパパがその横ちょに女がいるんじゃない かどういう こと先生どういうこと [音楽] 映画会テレビ会の枠に収まらない アウトローぶりを発揮した晩年の勝慎太郎 そんな生き方が現代の若者たちには魅力と 移り過去の作品の人気も うり映画をなく 太郎はアカデミーを更新の指導にも欲を 見せたその一生である小も勝神の1人で あるやっぱり怖かったんですよで怖いって いうかイフの怖いですけどやることはあの 変でしたね あの最初にカアカデミーに今日かさん いらっしゃいましてにみんなやっぱりこう 外で待ちまして山のホールがあった頃なん ですけど 雨が降っててジャガーとか会社がバーっと 来てねバっとみんな降りてくんですけどい ないんですよそこにかさんがたらあのマイ ウェイの歌が聞こえてきたんですけど角 から雨降ってたんですよ芋うでがあの何の ためにそれをしたんだろうと思うんです けどしたらあの一緒にいた子なんか感激 しってさすが勝さんすごいすごいわとか僕 はこれ笑った方がかさんも喜ぶんじゃない かと思うんですけどみんな割とはみたいに なっちゃってただ遊んでちゃいけないって いうんですねあの芸人はれでいろんな いたずらをするんですよあのそれはあの 勝さん一派の方みんなやってましたけど 例えば喫茶店でコーヒー飲んだだけなのに 今日は俺は小切手しかないんだ小切手しか ないこれで払ってこて小切手が100万と かの小切手でそれ喫茶店でそれで払える わけないんです けど言われたやつはもう真っになって行く んですよあの一生懸命レジと交渉してん ですけどレジはダメだって言ってんです けどねい見てろ見てろて言うんですよほで 見てるとなあこっち見ねえだろこっち見 ねえだろなお前ら本でお前こういうのを 芝居しろって言った な困ったって芝居すんだ本見ろしない だろうつってあれが本当の芝居だよとか 言ってで戻ってくるとあすいませんダメだ そうですすって言ってあどかつてお金出し てんですけどなんか自分にいるとどんどん 自分が小さく見える感じの方ですねだから いつもだから会いたいんですけど会ったら すぐ帰りたくなるみたいなのそれ嫌なん じゃなくてあの何なのか なゲねゲの話しかできない人ですかもうね お金の話になったらダメになる人ですね もう1日芸の話 はいそれてあんなに僕の芸をねはい買って くれた人もまずないないやいやもう先生 よくねよく見てんですもうあのこないだの 話面白かったなあれやってくれやってく れっとこ繋がらないじゃそんなことは いいって繋げるとか繋がるっていうことは ね俺がやることだうんねあんたあの話をし てくれればちゃんと繋がるようにする からおざあの水のねもう1歩熱いのつけ てるええ いでも今日はなんだったねあ随分桜の花が 散ってたね うんやっぱり何かな あの花も風を売らん かなんで出し抜け にそ む恨む花もあるだろう よおちば風を恨んか で おちばさあどうだか なあれこやしになるんだ よまあ中にはさ運のいいのがいて うん桜餅にくっついたりなんかすんのが [拍手] あらいつか あの関の私でようんお前さんが俺に喧嘩っ てきた時 に後で2人でこう1ぺやった時にあの歌っ てくれた歌だったろうん忘れちゃっ たあの水の中へこうラっとこうななん あボフがああうんあ2 ねさうんどうでちょっと1くあのきかして くれめ か [音楽] ボフ が人をさすような に なるまで は 泥水のみ のみ 浮き沈み あいい歌でこら本当にありがとう [音楽] こう1人でね何とも言えない顔して ね笑うんだ ね今先生が言われてるとその現場が浮かん できますどうして僕がこんな生き残ってね ええこんなことしてるのかわからないもう いや本当はねいいや僕も声つけてますけど ねはいれがねはいのせがれでしたよね長男 が今年の1月にね死んじゃってはいそれで かっちゃんもいなくなった しの兵は死ん じゃうみんな死んじゃうんですよ ね僕なんか ね中学生時代になんかはい 俳優なんかになろうという気はさらにない はあ僕はね あ履行家が好きではいまできれば和田の 履行家へ入りたいとそしたら新切からです ねうんなんとかお前入れるかうんでそらは 行ってみないかわからないけど も うんでとうと履行が諦めましたけどねえ それでいつの間にか俳優になっちゃっ たただしかし俳優になっても理化はついて まったねはあええまあ難しい話になるけど も理学的なことは非常に上手に使いました ね ええだからオーバーな芝居をする人がい ますけどね全然僕にはそれないした 都市は若くなかったわけですかそのみんな 重代とかに俳優になりますでしょうん大学 入ったら今度大学でえまあまあまワタで 有名な月見というところがあって演劇研究 をやってる月見がありましてえそこ の部長がうん最強野さんねああでお前役者 やったらうまいぜうんうまくないねいや うまいんだよお前やれなんつってね無理に やらされ てそれがだんだん講じて東方とうと東方へ 入って東方やね昭和11年ですねはあ東方 でマナ島までやらされましたねはあねえ 本当はこんな話はもうあんまりしたくない んだけども ええいかがですか ありがとうはいありがとう ございライタがあります ありありがとうございます はいありがとう優しいせ はいまあしかし2人でタバコ吸ってね話し てるとかっちゃんは思ってないだろうね 思ってあるいは思ってるかもしれない なうんあの2人怪しい と人をま楽しませるっていうかね癒す元気 にする職業ですからあの人ほどそういう格 あの適した性格を持った人はいないんじゃ ないかなという風に思いますしね僕の場合 例えばまううつの上がらなかった時代が あってねそ当時ボンチってのをね久しぶり にやって今の落ち目の津を主役のボンチに 使う演出家に敬意を表するってこう言って ね僕の不安だったかまり子が出てくれて玉 ちゃんも一緒でねボチをやったんですけど ももそのねボンチをやった 後久しぶりにどっかでパッとあったんです よ道端でそたらおおつってどうだこれから 中華料理食いに行くけど行くかてからあ じゃあお供しますつって一緒に行ってそれ こそまたね大エンターテイメントで え辛いものばっかり食う人を連れてきてて そいつに辛いもの食わしてはね喜んだりで 僕が手出そうとすと僕大食いだったからね 当時中華料理食うともう手出すとあ待って 待てつさん待ってくださいってあなたは皆 さんがお食べになってから1番後に くださいじゃないとみんなが気持ちが 落ち着いて食べられないってあんた全部 1人で食べちゃうからとかそういうことを 色々言いながら面白くおかしくやっててお 忘れて たてあのポケットからね僕の新聞の 切り抜きを出して ねなんすかつったうん新聞でなお前のと 褒めてあったんで嬉しくてな切り抜いてた んだよちょうど今ここに持ってたからさま 渡しとけよ てボチの批評が書いてあって褒めてあるん ですけど ねそれは僕に会う約束したわけでも ない偶然あったわけです [音楽] からまあ正子にあったら渡してやろうと 思ってっていつも持ってたんです ねもうそれ一発です よこの人には叶わない [音楽] とまあそう [音楽] いう人の気持ちをねつむって いうそういうことうまかった [音楽] な私は [音楽] 愛しペ な る から信じた信じたこの 道私は く だけ全て が心 決め [音楽] [音楽] たみんな神戸行きましたパパとうん先生と ええそれがあのパパのあの歌ったのが皆 さんの前で歌ったのが最後ですああそうだ ねえそうですそれから病院へ行ったうん ああはいかっちゃんこう来た以上は歌えね そうです俺はダメだダメじゃないんだ歌 もう半分声が出なかっだねうんそれでも 歌いましたね少しはいでもうそれがあの皆 さんのあの最後です前で はい僕が1番印象に残ってるの はあそこのNHのそばのオタクはい アパート来ていただいてどうしても会い たいからね 合わせろそしたらまあやっと ねまどういってくいたのか知らんけど ちょっとだけ会おう とで 行ったら7回でしたはいそこが全部借りた あってはい何かあんのかなと何にもない やった はい何にもないですねえまあ本当にね たまおちゃんてした偉い人やこれからこれ から何にもあるようになろうと思ってたら もう死んでしまったんです えしかしかっちゃんが泣くとは知らなかっ た ね泣きまし たうん最後にやった時にねああそうですか ああかっ ちゃんまたう なうんあら なああそうですかて ねあれが最後に たまたま仕事でね私いなかったんですよね その 日悲しい話だな うん しかしなんで人間が年を取っ て死ぬのかなと思っ たら あの葉っぱのフレディさんを読んでああ そうか人生ってこういうように生きてこう いうように になんか最後には柔らかい雪の上へと 落ちるんです葉っぱがねええそれで葉っぱ がそこで寝るんそれ読んで私は救われまし た人間は ねああいうハになると目が出てそれが綺麗 な葉っぱになっ て そして実はその葉っぱが色々添い綺麗な風 を送ってき たりそして秋になるとそれが こすただある日冷たいものが体に パーなんだろうと思ったら雪 でそすと友達がみんな落ちていく散って いくその話で ね私は救われました ねで もかっちゃんのことは忘れないな [音楽] あーいいやだったね [音楽] [拍手] [音楽] かさんはあえご承知のようにおしみ線と いう長歌の世界のご出身だけに日本の古典 のこう良さとかね難しさとか をもう体に叩き込まれて育っていらした方 ですから映画でえ色々なお役をやってらし てもまお舞台ももちろんのことですけれど もかさんの多分基本にあったものは日本の の古典だったと思いますねその辺はねか さんは実に頑固にあの伝統ものは伝統もで 審判ものは審判もで形っていうものをね あの大事にするで特にこの現代劇のセリフ を喋る時でものの字かけよの字よって おっしゃる何ですかのの字ってなつと つまり あのこういうことだ トンこう顔での書くんだよってそれを心で のを書くだからな お前というわけだってなことを言うと間が 良くなるんだと全部間はの字で持つんだと かね え早い時はどうするんだ早くのかきゃいい んじゃねえかってだからお前のっていや いいじゃないかとかねなかなかそれはあの それなりにああじか 刑事からこうやってなんか聞かれたこう いう喋り方してるだとかこうやって言った 方がいいだとかだからあガだって言われた 時 に そうやっぱりガか嬉しいねなんていうよう なものが自分でそこで見つけられたらそれ が芝居の演技としてああ見つけられるわけ だからタバコやめたったじゃないですか タバコさんタバタバコやめたって おっしゃってたでしょうかかさん最初に 入院なさって退院してらして記者会見 なさったんですねご自分ががだっていう ことでそのねちょうど1週間後だったん ですけれども国立劇場でえかさんの で ね私 が回らせていただいたんですけれどもそれ あの長歌の黒髪と言って ね好きな人になかなか会えなくてこう 切ない女心を歌ったものなんですけれど もやっと私の夢が叶ったというか初めてご 一緒した時がちょうどそのあの舞台になっ てしまったんですけれども本当にイゴ1へ というかその時かさんと一緒に過ごし た一時がこう皆さんにとってね大事な 思い出ていうかそう いうものを残してくださった方ですよね [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] 少ない2ヶ月間でありもしろこれが一生に 1回のえ俺との共演かもわかんない言っ たらどだね またこの芝居をもっとよくしてってもう1 回できるように奥さんとしてじゃなくて俺 の相手役としての中村玉さんと人を必要と する上さんでいてもらいたいしそう思っ てる の1996年5月最後の夫婦共演作となっ た大阪新歌舞伎座の目公園 中太はの痛みをえを それでも敵をちながら公園を続け [音楽] [拍手] た舞台の上の勝つの姿は体に異変がある ことを人も感じさせないまさに名園であっ [音楽] た おさ よこの 船 に げて [音楽] [音楽] 新婚らしきものはちゃんと2年ぐらいは とてもあの幸せな時期がありました女とし てあとはいろんな次々いろんなことがあり ましたからあの2人で あの夫婦らしい生活を送る間がなかった うんうんですからもっと後であの2人が 7080になって一緒に過ごしたいなと 思ってた夢は壊れた私はあんまり あのこう追いたちからして歌舞伎の娘だっ たから あのあんまり苦労してないんですね分から ないんですねどれが苦労なのかうんただ もうあのはっきり言ってもう勝つし太郎と して生きててもらいたいそこに何でもいい からついていこうと思ったん ですうんそれが早く死んじゃったからもう そこでついていく人が今ないということな んですけどでも 警防の話はしちゃ悪いけども沼間は良かっ たんじゃないですかはあの おあのあんまり対象を私知らないもんで他 の人とは恋愛あんまりしてないからあんま りって言ったらやったみたいだけどあの 全部男の人っていうのはパパさんみたいな 人なのかなと思ってあのの女の人に聞い たらいやそんなことないんじゃない か ねえ あの私はあの散歩を行きたかったんです私 手握ったりあのこう腕組んだりしたかった もんでシュっとやるとくすぐったいとか 言って外すんですあれは困ったもんでした うんいやいいねその話は でもね あの癌の時にあの原宿を思い出すんです けどあの病院でいっぺんガンセンターから あの1週間ぐらい帰らしてもらえたんです で原宿をあのお散歩したん ですで目立たなかったです誰もあんまり わかんなくてうんそれ1回だけ良かったな と思いますあの私はこれが最後 うんと思いたくなくてうんももう1回行き たいもう1ぺ行きたいと思いながら結局 最後でしたけど1回だけ原宿を5分ぐらい 歩きまし たうんその時はそうでしたね うんあのくぐったいと言わなかったたまお ちゃんはね はいなんて言うかな しつこくない人だからそうですかさらっと してそうねえそいでて相当燃えてる人だ からそうよくわかりますねえ焼き餅も焼く んですうんだから怖かったからあの主人 あの旅行行ってあの京都と離れてた時に夜 電話すんのが怖いんですもしも女の人が出 たらうしよとか1回出たことあるんです うんあのホテルへかけたら女の人が出 ちゃったから切ったんです 私あのびっくりして私が切っちゃったんだ うんそしてあり日に怒って電話したら マッサージの人やっ てる女の人がうんそれから夜もう怖くて 電話しなか本当にマッサージの人ですかね だ焼きもち焼き です僕もひょっとしたら殺されるとこだっ [笑い] たちあん だし [音楽] あん か俺の負け だいや俺の負けだ1目しがみついて [音楽] やら かちゃんあんたあともう1度会いたいね 会ったらなんて言うだろう ねまたいつか会えるんでしょうねそうです ね会えたいですねもういぺうんあの一緒に うん結婚してもらいたいです うん結婚して え あのえ妻としてやりきれなかったことを 今度もういぺして第の人生で2人楽しく 結婚してやっていきたいと思います結婚し てくださいともう1ぺんプロポーズして ほしいと 思いあなたには欲がないからねえパパに プロポーズされるような女でずっとこれ からも生きていきたいからもういっぺん プロポーズして くださいやりましょうやりましょうパて でしょねあいやイエさでございますはな 揺れ やろやるくらいなら僕がくね君と結婚さし た方がまだマだと思ってたぐらいだよへ 社長社長長ありがとうございますどうした 痛い よ社長はそうおっしゃるなら私にも一言 言わせてくださいねいや私はねやた私はね ずっと前からいやずっと前からねお嬢さん のこと好きだったんですよ うん 社長社長ご沙汰しておりましてどうもまあ けいちゃんはい沙来ておりますあた変わり はないねいやいやもうだいぶ変わりました けどねえ今日はね宴会部長がいないんで私 関これは驚いたいや綺麗はね今日あまり 揃ってないも あそうですか は海の玄関どに固く結んだ若松と時間中 どうご苦労 さん 兵日本大学在学中から演劇活動を行い卒業 後コメディアンとして活躍社長シリーズ 駅前シリーズで妙な演技を見せ一人気に パときましょうは当時のサラリーマンの 流行後にもなった晩年は演出家としても 数々の受賞森園の機がその代表的な演出 作品であるじゃこはつにパていきますか やる か何言ってるんだ君 [音楽] えあの馬が早く死んじっ てぐらい違うんですけどねはいえあなた 同じくでしょそうですねあいつもボコっと 死んじゃったねそうですねえなんかね ちょっと聞いたらね我は眩しい死に方だっ たらしいん ああもう生きてるのは私と穴 ぐらいあなたぐらいなうんあ こんながが取りました社長あちゃえあそれ 骨コツよコツですかコツツいやいやいえ それでですね会場と切れとの方は既に準備 が整今更これをキャンセルというわけに まりませんとごひりは22日の土曜日対案 季節を選りましたはいそり困りましたね いや困らないで思い準備バタ整っており ますからあそうそれいいでしょあいいそれ じゃあお決めしたはいあええあのメモいや 22日ね土曜日はいはいなだよ2日は困る んですよね社長ねいやいや困るないいいか とおっしゃってからじゃ頼むぶちゃあ失礼 いたしますタヤきだから困るんだけどな もう1ぺねええ社長もの取りたいていう人 がいましたよああは うんでもねあんなもの2度取ったってね 今度はうまく引きこないあれあの頃のね なんていう か気合いみたいなものがあってさーっと やっちゃうんですよねええそうであの本は 無視しましたからねある意味でははいはい 結構楽しかったですようんええ楽しかった よどうしたんだしっかり持った は何しと危ないよかいいかいいんだ な何しとるか声置けちんだお前行ってもて はいはい [音楽] ほ え小林さんはいのりちゃんとの1番話は そうですねあののりちゃんは僕あの台の 芸術家っていうのにて半年ぐらいで辞め ちゃったんですけどもそん時のびちゃんが 同級生でいってですねそれでいたらしいん で僕はもう見て顔見たこともないんです けどもねであの人は卒業したんですけどね 僕あの早くから俳優になっちゃいました からで後々彼が俳優になって学校出てから 入ってきた時にあの君はあの同級生だった んだよ君知ってるよって言うんでえ僕知っ てるのつったら君はよく弁当食ってたっ つうんですよねあの アルミニウムの弁当をですね えなんか中学と同じようにおふが作って くれたの学校の庭で食ってたんですねで その頃はみんなあの大学生って言うと ミルクホールとかそういうところに普通 行くんですよねそれを弁当て食って るってのは珍しいってうんで非常に印象に 残ってたっていう言いましたけどそれ以来 あのあなんだ同級生かって言うんでそれで 親しくなりましたですから同じです ちょうどあの年も同じ ででもきいちゃんには一目置いてましたね え口の悪いけいちゃんと言ったら有名だっ たあれなんだっけ なのり平 が主役もらっ てであなたが楽屋降っとのりちゃんの楽屋 来て ええだおけちゃんよく来てよ俺今度主役な んだあおあ良かった なでれる聞いてるしのりちゃんこんなこと 言っちゃ悪いけど本当はあんたの役も俺ね 俺がやるんだったでもあたにま譲ったから ねでねひどい話があるねあれはあれですよ あののりちゃんが相手役がだいぶよく なくなってきたって言ったんですよねうん 相手役が誰々誰々だったんだけどだんだん 相手役が悪くなっちゃったんだよって言う からいやいやそれはねみんな話は最初は みんないいこと言うんだよあんたの役も俺 は最初だったんだ言ってったもんだからや 腐っちゃってねいやあひどいことはね うん僕あの森さんがあの舞台をあなた少し やりなさいって言って僕を呼んでくださっ たことがあるで僕は舞台あまり出てないで 映画ばっかりだったですけど出た時にのり ちゃんがですね今度あの森下の舞台出るん だってねって言ってうんて言ったらあの僕 楽屋のいろんなことが何かよくわからない んだよって言ったんですよねそしたらね あの楽屋へ入った時にね兄弟を自分の兄弟 を兄弟ですね鏡あれをね僕の僕の部屋に 置いといてくれたんですよそれで僕があの 舞台稽古やなんかで芝居をしてますとね あの人どっか隅で見てるんですよそれでね 人を通じてあそこのところは手を上げた方 がいいとかあっちを見ろとか言って逃げ ちゃうんですねで僕はそれ聞いてあそうか あそこはじゃあ手を上げた方が手上げない でこうやって芝居してるっていうあるん ですねでそれをこうや れっていうそれであ友達ってありがたいな と思いましてねそれから何年か経ってね あのまた森さんの舞台に出た時にですね 今度はさっきのさんが来てましたよって誰 か言ったんですよ舞台の人で帰って帰った けどもねけいちゃん結構うまくなったって 言っといてっ て あ今回は注意しないから結構うまくなった よっつってええなんとも嬉しい話でき たじゃ行ってもらうかあ私がございですか かしこまりました必ずご期待に沿うように 将中山善吉必死の努力を持ちまして初めて の洋行でございます行っております行って おりますいや私も一緒に行きますけどあ 参りましょういやなあのね南極探検に行く んじゃないんだからねそうれ力まなくたっ ていいんだ君本港て目の腹先きたんだから 君はさですかえ先生英語でも勉強してくれ はいかしこまりましたあいやイエスさーで ござい ますあたは16香港娘 あの まあのり茶がアドリブで思いつきでやっ てるんじゃないかとこう思ってるかもしれ ないけどもそうじゃないですね ええ全部あの人 は細かくここではこうなるからこういう ことをしようとかいうことは えあ2日考えてんですね単なる感性でやっ てるんじゃないんですよねちゃんと計算し てんですよねえええそうです役者ですよね ええこうでここでこうしてみたらどうだえ いらない えいらない そ気に入らないとかやらない ね しかしあいつが おに乗っ て え焼き場行く時 は本当に悲しい思いをしました ねいい友達でした しついでいて僕のことは嫌いで ねやっぱああいう名人ですからね嫉妬深い ことは嫉妬深いうんありましたねあ 気難しいんですよ気難しい ええそうですねねえなんか面白い一般的に は面白い男っていう感じですけどあれ結構 ブーっとね膨れたり気難しいとこがあり ましたよ うん私があの競そばをどうしても持ちたい と思いました時にえ典恵先生と森茂先生が 馬主していらしたんでえ者を紹介して いただきまして私は生まれて初めても馬で ポンと勝つ賞金をいたくっていう体験をし てしまってで同じ日に森茂先生のメイキ スっていう馬が特別か何かを優勝して そんな中で勝って馬の尋を取ったことが ないのが平先生お1人だったんですです からあの先生の前ではできるだけ馬の話は しないようにしてましてで乗先生の楽屋の 向側に私楽屋入ったことがあったんですで その日はあのG3にえ私のヤモの馬が出る 予定だったんでなるべく朝から先生と目線 を合わさないように競馬の話が出ないよう にってこう120%気をつけていたんです ですからちょうど休憩時間にそのレースが スタートしたんですけど も実況を見ていないように音を小さくして のり平先生の楽屋に聞こえないようにして こうやって見ておりましたら ば2等の馬の一打ちになりまして3着以下 大きく離れてて私の馬が勝つかもう1が 勝つか首の上げ下げていうところに来たら 思わず声が出てしまってううそうしたらば 写真判定の結果首負けたんですその途端に 私 悔しいて大きな声出しちゃったんですそし たら即先生の楽屋から贅沢言うなあ先生も 音を殺してシーンとこう陰間に見てらした んだな応援しててくだすったのか馬券を もっ買ってくださってたのかとうと聞かず じまでしたけども良かったねたこ君ふやり ましょうやりましょうパっとやりましょう ね芸者呼んであるんだねそれはもうしめよ は来るだろうなもちろん呼んであります たいしかしのりちゃんのあのパーっと行き ましょうってやつねえパーっと行きましょ うってあれはなんか永久不滅みたいにね あの一般の人もねあのパって行きましょ うっての未だにやってますよあそうええ 宴会するってとみんなパって行きましょ うってあれはもううんあれはだからね サラリーマンもが残した中のそう名ゼリフ なんですね僕はパっとやりましょうって のりちゃんが作ったからねうんプスッと やりましょうってのは入らなかったねダメ [笑い] だあの人 はセリフを覚えない人 で人が書いたセリフが嫌いなんです ね実 はだから え覚えないでこうお茶碗のこういうところ へ全部そうです三浦にかかしてそしたら 山田石さんがずっとその茶をこう死しまっ ちゃったの今意地悪しましたからねうんそ したら泣くんですよ ね うんのりちゃんの得意の鳴き声はああああ なんつってね うん偉い力れましてねいっぺんねそこ座ら ないで欲しかったのにってどうしてです かってカニングしてあったってお笑いした ことあるんですけどねえまあね僕の はっきり覚えるっていうねなんてうんだょ ねあの本本を読んでてもね3万なんですよ 僕は小説読んでても他のことばっかり考え ちゃうんですうんあいつの前かここまで 読んででしよあれなんだっけなもうこっ から読み直して3回ぐらい他のこと考え ちゃどうしてもセフ覚えようとするとこう やって覚えて他のこと考えちゃうそうご 一緒した芝居はね赤さっていうの面白い景 があったんですよ私が本西で2号があって 3号があって4号があってとにかく赤里な 浜が全部おめかけ40何人持ってるの男の 人でしたかねイハという肉屋さんのが モデルだそうですけどねそれ面白くてね それがね一緒にぺ持っていきましたら あそこはねあの噂では最小同なんですね とてもおめかさんと本西さんが仲良くする 土地らしいんですよ土 がそれでねつまり赤なっていうものは笑い が来ないんですよそれであの男は会所が あるという見方でね全然味方が東京と違う んですのそれでもうねさんはやる気 なくなっちゃらしいんですよで東京でどっ と笑ったとこがちっとも反応がないそれで もうどんどんどんど早くセリフしちゃい ましてね20分かな早くなっちゃった芝居 がそれで茶番のおばさんが今度の座長さん はいいですね早く終わらしてくださる時が あってっておっしゃるからそうねって言っ てみきさんにどうして今日はあんなに早く あの走ってやりになったんですか今日はね あのちょっとテレビが見たいななったんだ よておっしゃってねそういう面白いとこ ええあコロンボですかあれを欠かさずご覧 なんですよでもうあれがもう放映される時 には芝居はもう上の空でしたよえそういう 面白い方でした ね芝居ってものはねあの芝居は楽しかった ね面白かったねっていうけどねそんなに 記憶には残らないんですねああただその 瞬間にもう報復絶倒するぐらい笑うんです けどもうんあんまり残らないそこが僕は 素晴らしいとこだと思いますねあこれが しつこくいつまでもね残ってるようじゃ やっぱり芝居はあまりいい芝居じゃなかっ たんじゃないかなと思いますがねああうん だ から乗りなんかは やっぱり天下の俳優です本当に素晴らしい と思いますねうん うんねえのり ちゃん年が開けたら ね旧が4つついてたのがゼロになって 2000年ねえ新しい年が来ますが私は まあ生きてるかどうかわかんないけども 生きてるとすれば えまのりちゃんに最後の面白い芝居をして もらいたかったね うんどうしたねのりちゃん降りてきてここ へ入って色々一緒に 喋るお なしべた白菜みたいになっちゃうんだそれ 私のこといやいやそうじゃないけどね [音楽] うん こんにちは沙汰しており ますききキリンと申します おおキリンさんです か上に参りましょうかお元気ですねではえ あま元気じゃありませんよ ですからちょっと一緒に参りましょう よいしょ え欲望と名の電車に乗っ て墓場と書いたのに乗り換えて6つ目の角 で降りるように教わってきたんです けど極楽ってとこでここだよそれ なら 文学その創に参加した杉村子文学座の中心 的存在として活躍し947公園を記録した 女の一生では芸術印象を受賞座長としての 地位を確立し た私はそういう意味で幸せだったと思い ます あの好きなことし続けてこられたってこと で今でもまだやってるってことそれから あの仲間文学だっていうものが曲がりなに もずっと仕事続けていつでも仲間がい るっていうことそれからずっとそれこそ 50年も何年も見てくださるお客様がい それに励まされて本当に休むことなく続け てこられたってことは私の妨害な幸せだっ たと思い ます生涯一女優の道を歩み最後まで現役 女優としての顔を保ち続けた杉村子森良い 女優とは金覚と色気と哀愁のある人まさに 大向こうを唸らせる大女優ぶりであっ たちょっと古い話になりますけどもね え昭和8年か9年頃にね 始めて杉村治子さんに会ったん ええそれまで全然会わなかったんですはい あの方広島から出てきてはいで芝居りに なったそれがね広島の人間もやりなああ 20代ですねえうん瀬戸内会の子供たち 小山裕二さんですそう小山裕二さんです 忘れもしませんそれをね学生時代に見に 行って ねああいい女優さんがいるなと思ったのが そああ ええその時に初めてあったんですねはあ うんうんなるほどそれからねうんあの人が とうとうおばあさんになってしまいました けどもえええずっと付き合いましたけどね あの私生活は付き合いませんでしょえ私 生活はね進撃の女優は嫌い でしょあま面白くないからね うん大ちゃんゆき子と一緒の時とちっとも 進歩してないのねおお随分手厳しいこと おっしゃるな私に青臭いとおっしゃるん ですかいやだって人間青臭くなきゃね何も できはしませんようんしなびた白菜みたい になっちゃうんだそれ私のこといやいや そうじゃないけど ねあのね杉村さんって本当に可愛らしい人 でねあの私より1つ後輩のあのエモ通 るっていうのがあの文学座でもう演出も 手掛けてなんだかとてもあの杉村さんが お気に入りだということでう森君があの はりがいいという話を聞いたんであの杉村 さんあのえエモ徹があのお気に入りなん ですかって不思議そうに聞いたんですね私 がそしたらば杉村 さんあのねみんないろんなこと言うけどね えもさんって敵よて おっしゃっその ねもう80過ぎてらし ぐらいだったかなそのね男の人をね素敵 よっ て私はねもう何人も見てますねあの杉村 さんがあの北村和夫さんなんかも あの随分思い出がありますけれども北村 さんが旅公園行ってご飯食べんのちょっと 息抜きしたいらしくてよそ私たち連れてっ てくれわわけですバヤなんかへねそして そこでもうそこではもう北村さんですから ねいやもう飲むと杉村春子はなんだって こう風におっしゃるんですけどでそうです よねてみんなでよいしょしてもうププププ 空気入れてそれでずっと帰ってくると 大広田さんがお月の人とご飯食べてそう するとあの私たちあの北村さんと一緒に わーっと帰ってくると北村さんがいますよ 杉村さんいますよって言うとそれまでこう してたのがあて思うと 杉村さんがかっちゃん遅かったわねていう ですいやどうもどう も一言でみんな男の人がひとなるんです ねそういう魅力的な杉村さんでした けどなんかここは杉さのオタなんですよね あのねあの方はおばあさんと言われるの嫌 だったんですねええおばあさんって言わ れるのはだからおばあさんて言いにくかっ たおばあさんなんか1回も言ったことない ですよ僕は杉村はる子はやっぱ可愛い人 でしたね ええだもうおはようございますすすって 言うとそあいらっしゃいおごめんなさい こんな格好でっ て散らかってるからどうぞっ言ってもうね 本当にねおしも何もしてないんだ けどおばあさんに見えないんですよそれで その女の一生も え600回以上やりましたかなでその女の 一生の思い出で言うと最後は 1989年ですか10年前ですえ戸田の 公園だったんですけどもうこれでも絶対 やらないとその時にはねもちろん僕は最 最後だと思ってましたそれなのにもう最後 の日に私こうやりたいんだけどてねすが僕 に言うんですよあその情熱をね絶やさない んですよ ね本当に涙がこぼれるくらい ねじそう いう情熱家でしたねそね私ねあの自分が あのこのいくつだとかあの自分がこうなっ たからこうなったなんてちっとも考えない ですあああの考えたってしょうがない でしょ今どういう風にあるかってことだけ でね今舞台でこれができればそれいいです うん若い役ができて恋人ができてる役でも ださがある役でもそれできればそれはそれ でいいんですそこでそれそれなんですうん うんうん他のこと考える必要ないですうん うんあの方を忍びますといつでも思うん ですけど後輩を可いがるという気持ちが とても強い方でしてねでま私は映の出です から舞台がま新しいわけですけどもま上げ 1つにしても杉村さんの細かい心遣いがね ひしとこうこっちに伝わってくるようなあ 山田さんちょっとおじが乱慣れてるわよと かそういう細かい注意までねしていただけ ますしねで なんかこうこういって失礼ですけど姉 みたいな姉さんみたいな感じでそれで私が あの 初めてよくで出ることになってですねそれ までもそう役もあったんですけど本当のふ の洋服でこうなんかラフな格好したいって 言ったらご自分のうちからね持ってきて くださいえそれであなたに会うかしらて 言ってねえあのカーデガンでしたか貸して いただいてそのまま差し上げから持ってて 長だておっしゃってねそれ今も思っており ますけどねそういう風に本当になんて言う んですか作っていうよりも芝居を大事に する方ですからあのわということねえ役者 同士のはということを非常にあの重きを おいていらっしゃるように思いまし たいやあのね うんこれはまあ伝説でてわけねえええ実際 の話がどうかそこよく分かりませんけども あの北村がねええ あの初めてお風呂へ入ってねええそれで 1人でいい気持ちになって入ってたらうん そこへガラっとが戸が開いて杉原さんが 入ってこられうんであ風の中 からと北村が辞をしたら知らん顔して 空の方向い て ちょっと はお尻洗っちょうだい お尻お尻洗って くれじかも考えたんでしょうけど もでもままだ新人ですからね彼は勇気を 出して風呂を出て 杉村さんのそばへ行っ て そしてタオルを こう石鹸を いっぱい であんた何してん のいやあのお尻 洗おちょうだいつった の うんまお城とお尻とはちょっと近いです けども後のことはよくわかりませんけど それなかなか面白い話だと思ってね私は だんだん脚色してですね私の話にしちゃっ てほぼの人にしたんだ大体有名になっ ちゃってね北村偉い目にあったと思ってね もう怒ってるだろうと思ってそれは僕じゃ じゃないんだって言ってもねもうねそれ 有名そっちの方は有名になっちゃったもん だからそれはそうじゃなくてスタッフの 裏方の人だったらしいんですねでその人は あそれに責任を感じたかどうか知らない けどそのをやめちゃったって話なんです けどねところが北村はそれを知ってて わざとお知れをさせたって違いますすって 言ってももう言うこと聞かないんですだ からね僕の方にした方が面白いというわけ でね ええ森茂さんは あの今そうですねこれだけあの長明だとで 現役だとご自分の後輩のお葬式にうんと 出ることがあの終わりだと思いますけども どんな風に考えてますか死っていうものに ついてうん死ぬってことについてええもう いつ死んでもいいと思ってますねはあえ そういうものについては怖いというもう 言いたい言いたいことは全部言ったしうん ええまあやりたいことはみんなやったんだ からうんもうこの辺で王場をしたらどうで すかってあの区の方からおいでになって おっしゃったらですねうんえ ま待ってくれなんて言わないですねどうぞ うん僕はやっぱりね非常に応募ブレなこと を何度もしたもんですからねえあそうなん ですかだから非常 に今内心じじたるものがありますけど本当 にねちょっと寝ると忘れちゃうでしょえ 結局ね私はさんでも森さんでも長いこと こうやって第1戦であのやってられると いうことはある意味で応募でなくちゃいけ ないしある意味で無邪気に欲が深いんだ なっていう風に思いましたねあのご自分は ね大丈夫ですけどそう丈夫な人ばっかり いるわけじゃないですからねていうこと何 も自慢できないんですね自分が丈ぐらい ええ元気なもんですよなんて言うくらいな もん何にも自慢的な [音楽] うん僕らは春から冬までの間本当によく 働いたしよく遊んだ ね周りには月 あい星がい た雨も 人間に小陰を作っ たり明けには鮮やかに公用してみんなの目 を楽しませたりもしたよねそれはどんなに 楽しかったこと だろうそれはどんなに幸せだったこと だろう最後なら フレディダニエルは満足そうな笑みをび ゆっくり静かにいなくなりまし たフレディは1人になりまし [音楽] たne

1999年、暮れの放映でした。森繁久弥が、亡くなった勝新太郎、三木のり平、杉村春子の思い出をゲストとともに語る番組でした。
森繁久弥含め、ゲストの方たちも亡くなっている人が多くなってしまいました。
ビデオに収録していたののをDVDに移行したので画質は落ちました。

問題あれば削除します。

11 Comments

  1. 記者会見の時に煙草をふかしてビールを飲むパフォーマンスで記者や視聴者を楽しませたけど、恐らく水どころか唾を飲み込むのでさえ苦しかったと思う。それを我慢してまで勝新太郎として貫きたかった思いに泣ける。

  2. 良い時代でした、私の親の世代の人達で懐かしくてそして大人でした。戻って来て今の私達に説教してほしいと思いました有難うございます😂

  3. 昭和の終わり頃生まれた私ですが、いいなぁ、と憧れてしまいます。勝さんも森繁さんも今こういう役者さん、人間はいませんね…。カチカチコチコチしていない粋で遊びがある。心の広い人…。

  4. 私も、この方たちにもう一度会いたいわ。画面越しだけど。
    森繁さん、俳優さんとして大好きだったなぁ。森繁さんは父のようなイメージ。よく似てたな。
    小林圭樹さん、兵隊時代も「よく食べていた」という証言。父の兵隊仲間からの証言。

  5. 森繁久彌。人生そのものがお手本!見れて良かった💕…私は〈酒呑童子〉の歌が大好き…終生忘れない.感謝の意を込めて。

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