1953年【小津安二郎監督】【原節子】【笠智衆】【堀切駅】【両大師橋】【銀座松屋】【寛永寺旧本坊表門】

はいえただいまですね堀切駅来ております とえ1953年小津泰次郎監督のね東京 物語のね東京ロをね巡りにやってまいり ました中吉さんとねとさん夫婦がですね 東京に住んでるえ息子をね訪れる場面が ございましてはいえ長南のね住んでた家の 近くにあった駅がこの堀切駅でございまし たねはいちょっとね中を確認したいと思い ますはいえまずはですね駅舎を捉えた こちらのアングルですねこちらがですね どうでしょう かここではないかと思うんですよ ね はいもう71年前の話なのでちょっとね だいぶ変わってると思いますか ねそうですね奥の方もちょっと比較してみ ますと まこんな感じになるんですけど ねまこの辺近い感じがしますよねはい いかがでしょう かそしてですねこちらのねホームを捉えた こちらのアングルここがですねどう でしょう ねうん何とも言えませんが えこの辺のアングルありがね近いような気 がしますけどどうでしょうかか はいはいえ71年経ってこちらのホームは まこんな感じにね今変わっておりますかね なんかあんまりね変わってない気もしない でもないんですけどね はい映画ではね駅名版がこう出てきてます よね現在の駅弁版がこちらにございますね こちらを比較してみますとどうでしょうの ね牛田って書いてありますねこれが同じ ですよねで反対側がえ金淵になりますよね というわけでですねやはりねこの映画の ロケ地は堀切り駅確定っていうことになる んですねはいこんな感じでござい ますあとはですね駅からおそらくあの こちらのね荒川の方を捉えたアングルと いうのがありましてこちらなんですよね 平山インというのがですねえ長南のねに なりますよね奥の方にですねこれ鉄道橋 見えますよねこれがねちょっと見にくい ですけどこちらに見えるんですよね 今このねアングルがど多分こちらだと思う んですよ ねあとはですねあの長男の家からえ荒川の ね土手を取ったアングルっていうのもあり ましてえこの辺からのアングルちょっと 強引に比べてみますとこんなこな感じです よねはいまこの辺がね近いのではないかと 思いますねはいいかがでしょう か同じ方向でですねとみさんとこの孫がね 2人ねえ土手で遊んでるシーンがござい ますで鉄道橋はね同じくね えっとこちら方向に見えておりますので ちょっとねこの土手の方に行ってみたいと 思います はいえ洗濯門が干してあってですね土手が 見えてる アングルこれどうなんですかねここの 辺近いんじゃないですかね はいまあ何とも言えないですかねこの辺は ねはいえそれではですねおばあちゃんとね 孫がね遊んでたこの鉄道橋が見えるこの 景色なんですがここがですね どうでしょう目の前 のこのアングルではないかと思うんですよ ねいやこのね京成本線の鉄道橋上の部分の アーチ3つあるんですけどこれが全く同じ ですかねいや結構感動ですよここは はい映画の途中にちょくちょく出てきた 煙突のカットですねここがですね千住桜木 にある え火力発電所だったらしいんですよね今ね こちらに鉄道橋がありましてこちらのね 火力発電所があったと思われるのは おそらくねこちらの方向だと思うんですよ ねですからね71年前はですねこちら方向 に見えたと思われるんですけどねはい合っ てますかねどう でしょうはいえただいまですね上野のね 官営に来ておりますがえ周吉さんと富み さんがねえ門の前に座ってたこのシーン ありますよねこちらの門がですねカジ旧 本房表門と言いましてえっとねこちらの奥 に見えるこちらなんですよねはいちょっと 見えないです けどこちらのシーンの前にですね玉が バーっと出てくるシーンがございますが そちらがねここですよねですからね映画と 同じようにねこちらの玉がえ映ってるわけ でございますよねそしてこちらの切れた先 ですよ ね2人が座ってた場所はと言いますとこの 暗になりますはいちょ全然見えないんです けどねちょっと中見てみますとま門があり まして門の手前のこの辺ですよねこの辺に ね2人が座ってたと思われるんです がこちらの石垣なんかもね全く同じなん です けどちょっと ね奥の方ちょっと回れるみたいなので ちょっと回ってみたいと思い ますはい改めましてこちらのね門の反対側 やってまいりましたいやこちら立派なもん ですねこれね はいはいえっとね重要文化剤保護のため3 問には触れないよう書いてありますけど ねはい改めましてですねちょっとね2人が 座ってた場所はと言います とどう でしょううんこんな感じになるかと思うん ですよ ねはいこちらのねこの壁の部分へいこちら 同じですよね やはりねここにね2人座ってたわけなん ですよ ね いやあ感動ですねこれ ねそしてこの後ですねこっち2人はね 立ち上がって歩き出すわけですよ ねそしてね東京のね街を眺めてるシーンが ございましたこちらの橋がですねまこの先 のすぐ近くにあるんですけど両大橋で ございますねはいそれではねそちらも確認 したいと思います ねえ先ほどね2人が座ってた門がこちらに ございましてちょうどねこちらの反対側に なりますこちらがね両大芝になります ねこちらでですね2人がねこう東京の町を 見てたっていうことになりますよね はい実際ねこの下にね線路が広がってる わけでございますがこちらのね景色はね 映画ではね出てこないんですよ ねちょっと反対側行ってみ ますはいえそれではですね2人がね見てた 景色はと言いますとおそらく ねこんな景色だと思われるんですよね いかがでしょう かえっとねこちらの部分なんかね同じかな なんて思うんですけどね に見えてたこのビルは何でしょうか ね分かる方いらっしゃいましたらコメント お願いし ますはいえ2人が見てたアングルはと言い ますとまこんな感じになるんでしょうかね はいどうでしょうか2人はここずっとね この先歩いていくわけでございましたね はいはいえただいまですね東京駅て さんとねさん夫婦がですねのり子さん案内 のもえ東京学をする部分がありましたえ そのですねバスから見えてたこの建物あり ますよねこちら右側がね旧新丸ですね そして左側が9丸になりますがこちらの ビルはと言いますとはい見事ね今変わって ますからね はい映画に見えてたこのアングルですね こちらをちょっとみます とどうでしょうか多分ねこんなありになる かと思いますねはいですからね3人の乗っ たバスはこちら方向からこう走っていっ たってことになりますねはいいかが でしょう かえ3人の乗ったバスからえ銀座のね和 ビルが見えますよねはいえこちらがですね 今ね前に見えてるこのでございますね今日 はですねえ歩行所天国でございましてえ このね映画と同じアングルがね取れます ねこんな感じになるかと思いますよ ね映画に見えてとこのね大国屋ありますよ ねこちらがね今左の方にこちら大黒屋 ございますね日本道のこの建物がこの今の 佐ビルになるんでしょうかねえその隣に ですね急挙動がありましてらくねこのビル がそうだと思いますね はいまこんな感じでござい ますえ3人がですねビルの上から東京眺め てたシーというのがございましたこちらの ねビルがですねどやね銀座の松屋ビルで ございますねで上の方をずっと登ってって 屋上に行くみたいなまそんな感じでござい ましたね はいはいえこの銀座ビルがですね今はどう なってるかと言います とこんな感じでござい ますはいどうでしょうかもちろんね新しく 立てかわってますからねこのね上の部分を 比較してみますとこんな感じになるんです けどねはいですからでこの横の部分に階段 があって上まで登ったってことになります けど はいどうでしょう かはいえ3人がね見てたねこの京のを 右の方に見えるのがねこれがね海道で ございますねはい実際ね小に松屋があり ましてこっちの上から見てたとしますと ちょうど反対方向です ねこちら方向にですね回上があるとすると まこんな感じの景色なんですけどね はい はいどうなんでしょうねこの松屋から同じ ような景色がね見えたりするんでしょうね はいちょっとわかんないですけど ねはいえというわけでですねえ東京物語の 東京ロケ地いかがでしたでしょうかまなん と言ってもね71年前のね映画ではござい ますが意外とねえ当時のまま残ってた部分 が多かったと思いますねはいいやこのね 銀座のねあの歩いてるとねドキドキします ね はいはいえ今日はねこのら辺で定したいと 思います

1953年の小津安二郎監督「東京物語」の東京のロケ地を現在と比較してみました。なんといっても71年前の映画なのでロケ地の痕跡はないのでは?と思っていたのですが、意外と当時のままの場所も多かったです。まずは東京スカイツリーラインの堀切駅です。近くの荒川に架かる京成本線の鉄道橋は当時のままで映画と同じアングルが確認できました。上野駅近くの寛永寺の門や両大師橋の当時のまま残っており感動しました。最後は銀座の景色を映画当時と確認しております。映画に出てきた銀座松屋はすっかり変わってしまってはいますが、当時の屋上からの眺めをグーグルアースで確認、比較もしております。

11 Comments

  1. 名作「東京物語」の老夫婦が見ていた東京各地を辿り、映画のシーンと現況を丹念に比較して下さり、有難うございます。
    教えられることが多々あり、大変勉強になりました。また「東京物語」を見る時、とても参考になるでしょう。「麦秋」などについても同様にご検証下さると非常に嬉しいです。

  2. 荒川の土手は71年前に比べてかさ上げしているはずなので、堀切駅のホームから京成鉄橋は昔よりも見えづらくなっているかもしれません。また、京成鉄橋は現在掛け替えの工事中なので、たどれるのは今のうちだと思います。

  3. 嫁の紀子が住むアパートのロケ地である、同潤会アパートの近くに住んでいた者です。
    小学校の同級生が住んでいて、アパートの中庭でよく遊んでいました。紀子の部屋の窓から見える建物の壁のようすが懐かしいです・・・・。

  4. 今でも昭和の香りが強く残っている堀切駅周辺。「東京で開業医をしている」という言葉から想像される豪勢な暮らしぶりと現実とのギャップを表現するのには格好のロケーションだったと思います。

  5. 面白かったです。堀切駅は大幅には変わってないですね。線路自体、位置が高くなっているので見え方が変わりますかね。寛永寺は小津さんが50mmレンズを使っていたとしても門の位置関係が変わっている気がします。尾道に行きましたが意外にあっちも全然変わってて。原節子のロケシーンは2000人とか人が集まってたらしくて、よくあんな芝居をできたなあと感心します。もう一度見てみたくなりました。

  6. 鐘ヶ淵のカネボウ化粧品の工場へ、うちの母親が新潟県から15歳で集団就職で上京しています!八広駅なら土手がすぐです。赤線地帯です。

  7. この映画が封切られたときに生まれた人がもう古希だもんね。この映画に出ていた人たちは95歳以上だろう。
    そりゃ、変わるわ。でも今の駅や街並みはなんか味気ないね。
    映画は何度か見たけど、淡々とした寂しさと怖さが伝わってくる不思議な映画だった

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