「神の導き」宮城嗣定先生 2024年5月25日

はいえ皆さんハッピーサバスハッピーサバ ございますアス長おめでとうございますえ 今日もこうしてまたえ皆皆さんとともに神 様に賛美を捧げまた礼拝を捧げることが できる特権を心から感謝したいと思います えそれではえまず一言お祈りをして始め させていただきます ご在天の父なの神様こうして私たちに聖 なる安息日をお与えくださったことを心 から感謝しますこの特別な安息日 に主にある兄弟姉妹の皆さんと共に見前に 集いあなたに礼拝を捧げることができる この特権を心から感謝しますどうぞ 1人1人に精霊を使わし心の中に神様の 豊かな恵みと平安を与えてくださいます ようにイエス様の皆を通してお援いたし ますメン あンはいえ今朝のあの安日学校聖書研究 あのマーク岩橋が担当してくださったん ですけど本当に素晴らしい内容でしたえ皆 さんも皆さんからのあの発言などもですね 本当にあの素晴らしくてこれからのえ クリスチャン人生にですね本当に役に立つ んだと思いましたえ今朝はですねあの神の 導きというテーマでお話をさせていただき ます えまこれまでにも何度かあの証しをさせて いただいてますけれども私はですねえ自分 がこの世に生まれそしてこうして生きてる ということは本当に不思議でえたまりませ ん皆さんはどうでしょうかえ 私が4歳か5歳の頃ですねあの入れの中に 入って暗い中でですね布団の上にね転がっ て足を上げているとですねなんかすごくい いい感じがしてでも あの襖の向こうの方からですねあの父と母 の声が聞こえてあれなんで父と母の声が 聞こえるんだろうなんで自分はここにいる んだろうですね見えないとこに父と母がが いるで父と母からは自分は見えて ないなんでこここにいるんだろうって本当 に不思議でたまりませんでした え第2次世界大戦中にですね父はえ予連に 志願してきまし てま人間 魚雷に乗ってこう出行する直前に戦争が 終わってですねえ九州に一緒会いましたえ 母はですね米軍の漢方射撃の雨れの中です ねえ逃げ回っ てやっとのことであの助かりまし たで本当にそのことを考えるとですね私は あの自分が生きてるってことは生まれてき たってことは奇跡だなと思い ます えっと今日の この話をしてくれて頼まれた時にですねあ ちょっとあ色々大変だな今日メモリアルで ウィークエンドでちょっとあもやりたい これもやりたいあそこに行きたいっての あったんですけどでも本当にあのえ準備を しててですね祝福だなと思いました えっと宮にはこういうあの家計図というの があるんですけどこれはですね私の父があ 自分たちはどうしてここに生まれてきたの かっていうことをですね調べるためにあの いろんな関わりのある親戚の人たちから みんなこう家計図を集めてですね自分で こうまとめて作り上げたものなんですねで これは本当にあの宝物だと思うんですけど こんな感じですね色々こう先祖をこう遡っ ていくとあこんな人だったんだっていうの が分かるわけ ですでそれ見てるとですね本当に不思議な こと に父は本当はこのに生まれてこなかっ たなぜかと言うと私の祖父はですねあの 子供たちが生まれたんですけど全て女の子 だったんですねですからあの本当父は 生まれるはずじゃなかったでそこでですね あの祖父の長女つまり私の父のあの姉に なるんですけどそのその長女がですねあの あのあるその未亡人の方を祖父に紹介して 子連れの未亡人を紹介してですねあのこの 人をあの奥さんにして本当の奥さんいるん ですよであの子供作ったらどうですかって 言うんでポンポンポンと男の子たちが 生まれたっていうんですねだからあの本来 だたらもう男が生まれていればそういう こともなかったです ね私もここに生まれてくるはずはなかった で先祖を遡ってくとですねやっぱりその 男の子がいなくてあの親戚から容姿に もらってきてそしてこう子供を作ってき たっていうのがあるとですねそれ見てると あ本当に奇跡だなこういうことがなければ 本当に自分は生まれてなかったと思うわけ です多分皆さんもですねあの遡っていくと 必ずですね本当にあここういうことは本当 は起こるはずじゃなかったっていうことが あったと思うんですねまでもそういうこと がなくてですね普通にこう生まれてきたと してもあの父と母が出会わなければ自分は ここに生まれてくることはなかった私あの 5人兄弟の3番目で生まれましたけど1/ の確率ではなかったわけですね本当にもう 何兆あ何分かでその奇跡的なで自分は 生まれたていうことを考えると本当に 不思議ですで母は母でですね戦争で 生き残っ たというだけじゃなくてですね2つか3つ の頃にあの家族全員がブラジルに移住して くっていうん でで母の叔母がですね子供がいなかった 叔母があの自分に子供がいなくて本当に 寂しいみんなが行くと寂しいだからこの子 だけでも置いてってくれないかって言うん で可愛がってたはをですね容姿に迎えたい であのその母のあの父親にこの子だけでも 行ってくれないかって頼んだ時にですね 父親は困ってしまったわけですそれでどう しようかこの自分のあの姉妹も本当に木の とだなって言うんで母にどうするおばさん と一緒に残るって聞いたらしいんですねで 2歳か3歳の子がですねどうなるかか全然 分かってないですよねそれでうんおば ちゃん大好きだから残るっていうんでおば と一緒に残っ たそれで私がいるわけですねもうブラジル に行ってればそういう確率は本当になかっ たわけですでそういうことを考えてくと ですね本当に自分の人生振り返ってみると もう奇跡の連続だったんじゃないかな神様 の導きだったんだなっていうことを思わ ざる得ないわです私の両親はですね私が2 歳の時にあのアドベンチストの教会になり ましたまですから私は正確には2世では ないんですけども私が1歳9ヶ月の時に ですね弟つたが生まれましたで生まれて すぐにですね高熱が出てあの本当にあの 近所から来たお医者さんがあこの川もやっ ても熱が下がらないもう多分無理だろうと 言うんでスタジオ投げて帰ってったわけ ですねでで母はですね本当に悲に暮れて この子が死んじゃ死んじゃうどうしようと 思ってる時にあの教会にですね新しく不妊 してこられた羽田先生っていう先生があの 夫人伝導士のあの塚山住子さんと一緒に ですねやってきたわけですそれで あの母は父が その私の尾父の姉からですね アドベンチストのことを聞いて興味を持っ て聖書研究してたんですけど母 はキリスト教もやめてやめといてそんなの はもう本当に あの私は反対だっていうこと反対してたん ですねところがその私の弟がもう死にかけ ていたので 牧師さんがですね一言お祈りさせてくださ いって言った時にま断れないでね溺れる ものは笑をすがる思いであまじゃあどうぞ お祈りしてもらったんですねそれでその 羽田先生がお祈りをしたわけですでお祈り が終わってしばらくするとですね弟の熱が 下がって平熱になったっていうんですねで 母は非常に驚いたわけですそこであの父と 一緒にですね聖書研究をするようになり そしてバプテスマを受けたわけですねで え考えてみるとですね私の弟が高熱で 死にかけたていうことは本当に神様の導き 祝福だったなっていう風に思いますそうで なければ母はあのクリスチャンにはなって なかったわけです ねえ もう1つの出来事はですね私が4歳か5歳 の 頃あのえ母がですね近所に買い物に行った 時にあのすぐ近くだったので母は味噌汁を 作るためにですねあのコルに火をつけて水 を入れてお湯を沸かす帰ってきたらすぐ できるようにっていうことでそれ火をつけ たまま買い物に行ったんですねでその時に そのコロのそばにはその棚があってその上 の方に砂糖があったわけですねあの黒砂糖 があってで私の兄がですねおいしてあれ 取ってくれって言うんでいいよって言って 私はですねこう猿のようにこう登って取っ たわけですねところがパーっと落ちて しまってですねこの沸騰してた湯が私の この足にパッとこうかかったわけですで私 はもうずっと立ちすくんでですね泣くこと もできずにずっと立ちすくんでました でそこにですね母が帰ってきてびっくりし てですね私が履いてたズボンをパッとこう 脱いだわけですね私が入ってきたズボンて いうのはまあのなんかふわふわしたズボン で全お湯を吸ってですね足にペタっとこう くっついただけですねそこで母はも びっくりしたので とにかくバッと抜いたらビリビリとこう 皮膚も剥れてしまったわけですでもう泣く こともできる こうた立ちつんでたんですけどもそのうち ですねお医者さんが来てあの本当に薬軟膏 を塗ってくれたんですけどその軟膏の匂い がですね今でも忘れられないんです ねで私はですねその直前はですねあの西郷 さんと言われるぐらいの本当にプクプク 太ってですねもう元気なあの子供だったん ですけどもうそれ以来食欲もなくなって 本当にガリガリになってしまってで何か あるとですね日合を書いてしまったわけ ですね特にあの覚えてるのは教会でですね あの開会の賛ピカ66番歌いましょうて 言ったあ66番せいなるせなるせなるかな てあの歌ですねやめてほしいこの歌と思う んですけどしょうがないから立つわけです で一緒にせいなるせいなるって歌うんです けどそのうちです気分が悪くなってきて もうせが出てきてですねもううまって しまうわけですねもう本当に苦しいでそう いう経験をですね何回もしましたであの小 学校でですね社会見学で社会化見学であの 郵便局に行ったらそこでもまた気分悪く なってきてもうソファーの上に横になって ですね 死にそうになったそういう経験があります そのような自分がですね あの中学3年生の時にあの沖縄産育中学校 ができたわけですねそれまではあの佐敷 教会小中学校だったんですけどもあの沖縄 の名子のですね山奥にあの米軍の ブルトーザーの助けを得てですね平にして 建物を作ってあの全力性の中学校ができ ました でまできた時にはですねま私は中学3年生 でしたのであの先に中学3年生の男子だけ 行ってあの土方仕事をさせられたんですね あの建物は校舎のクラスが1つあるだけで あの寄宿者もまだできてなくてですねで あの地面はそのもう泥土だけですねあの サイドワークも何もないそういった中で ですね一生懸命こうクを振ってスコップを 持ってですねあの働きまし たであの働いててだんだんだんだんですね あのま元気も出てきてあの食欲も出てきて です ねで あの友達と競争して働いてましたでその時 にですね私の友人がこう言うんですねあ 自分は将来ね南米に 行くボリビアにおじさんがいるからねおじ さんが来いと言ってるから自分は大きく なったらボリビアに行くと言ったんですね そこで私はその友人と競争して仕事して ましたからあいいな南米か俺も南米に行き たいなと思うようになったんですところが 南米に行きたいって言ってもどうやって 行けばいいんだろうかもう漠然とした思い でですね全然どうしのか分かりませんでし たでそうしてるうちにあのま中産の卒業式 を迎え日本山学院高校に入学することに なったわけですねま後で聞いたらですね私 中佐の時にあんまり勉強しないでま土方 仕事ばっかりやってたのであの勉強 あまりあの試験は多分点数は良くなかった と思うんですけどもまあの国語だけはま 自信があったんですねあの勉強しなくても ま本も読むの大好きでしたからで日本最高 高校に行った時に一緒にですね労働してた 柴田先生っていうま別名ミトコンドリアっ ていう先生がですねあ宮君 はもしかしたら待機万正型かもしれない ねっていうね待機番型っていうのは今は ダメだけど将来 はなんですねでもその頃はですね私はもう ああそうか今できなくても将来は大丈夫 いいこと言ってくれるなと思って感謝して たんですけど後から振り返ると今はダメだ けどいうことだなと思うんですけどねで その山学院高校にえ進学してですねあの 卒業する前に自分は南米にきたいんだけど どうしたらいいかなって言った時にですね ちょうどパラグアイからですねある牧師が 来て 皆さんねあのベスパーだったのかな皆 さん南米パラグアイにミッショナリーとし てきてそこで日本語教えてくれませんか ってアピールしてくれたんですねそこであ これだ自分は難病にこれでいけると思った んですところがですね高校卒業しただけで はあんまりあのま社会人でもないしあの何 も免許もないしできないなっていうんであ 自分はじゃあ大学に行って国語のえ教員 免許を取ってそして行こうと思ったわけ です ねで あの私の先輩はですねもうすぐに南米に 行きました久保さん岸田さんていう方たち がですね2年間行って帰ってきたんですね でその後私の同級生があの日本閣院の短期 大学英文化を卒業してあの藤田君とかです ねえ君とかが行ったわけですで彼らが帰っ てきた時に私は4年生大学を卒業して今度 はその学生選挙師ではなくてですねもう ただのミッショナリーとして行ったわけ です ねであのアピールがあった時にです パラグアイがどんな国かっていうのはあの 分かりませんでしたですねただあ向こうは スペイン語を話すのかなというのだけは 分かってました あスペイン語はまムーチャスグラシアスと いえばありがとうという意味だなあと ウノドストレスぐらいは知ってました けれどもあの特に勉強していこうとは思わ なかったんですねなぜかと言うと パラグアイに行って自分が言葉が通じない ところでどんな風な反応を示すか楽しみ だったからですねだからパラに行ってから ま必死になって勉強したんです けどで大学はじゃあどうしようかが国語の 免許を取りたいからということで担任の ですね田原先生に相談したんですね田原 先生はま原告の先生現代国語の専門の先生 でま柔道の専門でもあったんですけどこの 先生がですねそうか宮城お前は国語の教員 免許取りたいのかよしじゃあ私が君を2 勝者学者に勝者学者に大学に推薦しようね あと言ったらですねあの自分は文芸評論家 であの有名なさ純一郎という教授を知っ てるその先生に教えをこてるその先生に話 をして君を推薦入学させあげるっていうん ですねだからそそれであそうかじゃ西者か と思ったわけですあそこはまあ国語国文学 では有名な大学ですからま安心してですね までも大学に行くためにはあの推薦であっ たとしても一応勉強しよって言んで毎朝 早く起きてラジオ講座あのみんなで聞いて ですね勉強してたわけ ですで安心してたんですけどもギリギリに なってですねその田原先生があ宮城推薦 入学ダメだったっていうんですねあと思っ てですねあれ自分はもうパラグアイに行け ないのかなと思ったんですけどどうしよう かと思った時に いや浪人生活送るのもなと思ってですね じゃまあひとまず地元沖縄に帰ってじゃ 沖縄の 大学行こうかなと思ったけね琉球大学って いうあの国立大学あるんでじゃあそこ 行こうと思ったんですけどもう申し込み 締め切り過ぎてたんですねそこで あの開したばかりの沖縄国際大学あそこ まだ受付けてくれるっていうんでじゃ父親 にあじゃああの申し込んどいてってこと 頼んだわけですで父親は申し込みに行っ たらですねそこのあの受付の人あこれだっ たら推薦入学でもできたんだけどなでも まあ締め切りすいちゃったっていうんで まあ一般受験をすることになってそこに あの入学したわけですねまそこでもま いろんな経験ができて本当に良かったん です けど1番良かったのは神様の導きだなと 思うのはです ね沖縄に戻って地元の教会に行ったという ことは自分にとって本当にあの恵みだった なと思うわけ ですもし自分がですねあの関東に残って あの神様を知らない学生たちと一緒にこう 交わってるとあ自分は教会離れてたのかな と思うわけです ねでえ沖縄に戻ってですね自分はもう小 学校中学学校高校と産育教育を受けてま 土曜日は教会に行くものや行かないといけ ないと思いながらですね教会に行ってた もう大学なった自分はもう自由だね キリスト教と言ってもアドベンチストだけ ではないいろんな教会があるからいろんな 教会も行ってみよう日曜日に行ってみよう いや教会に行かなくてま好き勝手にやって もいいかなと思ってたんですけどその時に ですね あの沖縄のあ教えの教会ですね13あった のかなその教会からですね青年たちが 集まって連合コワイヤを作るという話が あったんですね自分は日本山学院高校でも コテってやってコヤに参加してたりしてた ので歌が好きなのでよっゃまそれはいいか なと思ってこに参加したいと思って行った んですねそしたら と集まった人数は私を含めて6人だけだっ たんですねえいろんな教会から青年が 集まってたくさんメンバーが加わって コイヤを作るんじゃなかったのなんだもう がっかりだなと思ってもう帰ろうと思った んですねそしたらですねそこにいたあの5 人の自分よりも先輩のですね青年たちが話 をしてんですねであちょっとみや君 ちょっとちょっと このメンバーでガスペリーニ を流行ってたのであのギターを引いてるの を見てですね自分もいいなと思って引いて ま中間試験の最中でもあったにもかかわる 勉強あんまりしないでこうギターの練習に 開けくれてたんですけどあいいなって言う んで入ることにしましたでそのおかげで ですねえ各教会を回って歌を歌ったんです ねで自分が教会であのできることがある 自分の役割があるというんで自分を教会に 続けて出席することができるようになり ましたまですから あの推薦入学がダメだったっていうのも あの怖いやがダメだったっていうのも本当 に自分にとってま神様の導き祝福だったな と後から思うわけ ですえ中3の時にですね沖縄山中学校は 立てられたことそしてえパラグアイからの 呼びかけがあったこと水戦入試がダメだっ たことコイヤの人数が集まらなかったこと 全て神様の導きでしたそしてパラグアイに 行ってえ素晴らしい経験ができたことでえ 後に結婚するマリに会えたこと本当にえ どれもこれも神様の導きであったなと思う わけですねでえパラグアイから帰ってきて ですね私は沖縄山中学校とえ北原山中学校 で働かさせていただきまし たえ話は前後しますけど私が日本山学院 高校に入学した時にですね あの1 日あいや1Bクラスのクラス目標がですね 主にあって1つという目標でした今でも とても強烈に覚えて ます主にあって1つっていうのは え神様がですね私たちの真ん中に いらっしゃるということなんですねで私が あ住んでた男子料は同胞学僚という名前 でし た最初にですねこの同胞の方見た時にあれ この意間違いじゃないのと思ったわけです ね えなんでこれ同胞っていうのはあの同じ 国民ということで肉づきの方ですよねこれ 違うんじゃないのと思ったんですところが ですねまよくよくあの調べてみるとこの 広瀬炭層という方がですね作られた競輪総 雑影諸生に示すという監視の中からですね え同胞という言葉を取ったということが 分かりますましたこの競輪層というのは え大分県のひですかねにあった広瀬炭層と いう人が塾を開いてそこにたくさんの熟成 が集まってですね勉強し たでその熟成たちに対してですね広瀬炭層 があの自分の考えをこう述べるわけです 言うのをやめなさいね他での勉学は苦しく 辛いことが多いそういうの やめろここには1枚の綿入れの着物を貸し 仲間がいておのずと仲良くなるのだ から明け方に粗末な扉から外に出てみると 下のようにあ下が雪のように降りている君 は水を川の水を組め私は焚を拾うという そういう内容ですね えこれをですね私たちクリスチャンに 当てはめると言うのをやめなさいこの世で は辛いこと苦しいこと悲しいことがあるの あるというのをですね私たち教会ではお 互いに自分が来ている寒くても自分が来て いるこの渡入の着物を貸しあう仲間がいる ではないかつまりお互い助け合う仲間が いるではないか えこれはですね本当に私の妻が亡くなった 時あ病中ですね教会の人たちがえ本当にお 祈りをしてくださったりま食事を運んで くださったりですね本当にそういう同胞だ なっていうことを思ったわけですで再起 暁月にいずればね貧しい本当にボロボロの え塔を開けてみると外は雪のように白い雪 あ下が積もってるしかしそのの中にあって もお互いに協力してね食事を作っていこう 生活して いこう 私たち教会に当てはまりますよねえ本当に 素晴らしいことだと思い ますで私はですね北原に行っ て あの大川五夫という先生あのなんか コロンビアレコードでなんか行動を出し たっていう方なんですけどこの方はです ね北浦の人たちに そのこの え歌を教えてたんです ねでおじいちゃんおばあちゃんたちだった んですけど私あの国語を教えてて監視も 教えてたのであこれいい勉強になるなと 思って一緒に参加させていただきましたま 皆さんお分かりだと思いますけどここに ですねあのこのがありますよね 点りますけど あないないしもあるんで自分で確につけた んですけど言うことをやめよ他苦心おしと ねこの1行って2に戻る同胞ともあり小 から愛したし再暁月にいずれば死も雪の ごとし君は千里をくめ我は滝を広がるま そういう歌なんです けどであのいろんな歌があったんですけど あこの競輪争奪へ諸生に示すこれ習いたい なと思ったらですねある時その先生が今日 はこの競輪争奪へ諸生に示これを習いま すって言うんであおじいちゃんおばあ ちゃんと一緒一瞬ですねあの歌ったわけ です資金です ねあの礼拝の時間なんですけどちょっと 資金をこんな感じだっていうのですね ちょっと歌わせていただきます あの目と目が合うと笑っちゃうので目を 閉じて聞いていただけるといいんですけど ま開けたままでも大事です よ言うこと やめよう [音楽] た [音楽] 苦しと [音楽] どとも [音楽] あり おか愛しむ [音楽] 赤月にいずれ ば下雪 [音楽] のご [音楽] 君 [音楽] は千柳を くめ我は滝 [音楽] を [音楽] ヒワはいおせでし さんえ資金ですねあの流派によっては違う 歌い方もありますけれどもこの大顔先生 から習ったのはこんな感じのメロディー でし たま本当にですねあのこのえ競輪総雑影 諸生に示す同胞という言葉ですねあの クリスチャン私たちに当てはまるんじゃ ないかな本当に主にある兄弟姉妹なんじゃ ないかなと思うんですえ同胞学僚で経験し たことあるのはお りますよはい競輪影所に示すゆをやめよ大 と同とり塚から愛したつにれば雪のとし君 は千をめ我はを共はいありがとうござい ますはい えさてえ今年のですね8月 から8月9日から11日にかけてですねズ キャンプミーティングがありますね あの私は申し込みましたですねま楽しみ でしょうかですね皆さんの中で申し込まれ た方いらっしゃいますかあはいはいあの まだ大丈夫だと思うので是非行かれたら いいんじゃないかなと思いますリオにメド というところでありますねでお話をなさる のはですねあの英語部の話はディン堀の 先生が話をされるっていうことですねえ ローマリンダジャパニチャーチの主人牧師 でもあった方ですね左側ですで右側の人 たち皆さんご存知ですかご存知の方あはい 存ですねはいえこの女の子たち3人はです ねま広島山高校を卒業して今看護師として 働いてる方たちですね えなんかマメゾンというグループであの シェアハウスをしててですねこのシェア ハウスにたくさんの友達 でるですねそして一緒に神様を賛美してる ということなんですねその方たちが証をし てくださるというんで本当に楽しみなん ですあの多分金曜日の夕方にやるんですか ね あのあのだからこれ聞きそびれたらあれだ なと思ってちょっと私デイケアすいません チャーチリトリートあジャパニーズ キャンプミーティングあるんで休みますっ て言って休もうと思うんですけど業しこれ まで当たり前のようにった教会活動 の 輝の卒業生が感じたことのある悩みなので はないでしょう かそしてそれは今東京で暮らす若者たちに とっても例外ではありませんそんな若者 たちにとって彼女たちが作り出すマメゾン という空間が神様につがれる空間になって い ます今後マメゾンはどんな場所になって いくのでしょうか 存 は2年っていう約束で始めてのでこの活動 は2年で終わる予定なのでもうそこまでに やりたいこととか目標とかをいっぱい立て てるんですけどまそれに向かって自分たち は今週何しようかっていうことを変えて 話してしてるんですけどこの2年経って はい解散っていう感じになるんじゃなくて その2年でたくさん加わってくださった 友達とかなんかこの活動いいなと思って くださった人とか新しく仲いうその仲良く なるたとかがこんなコミュニティをあの人 にも感じてほしいって言ってそれぞれの 場所でこんな感じの場がわーってなって もうマゾはなくても感じる場所に行ける なっていうなんかここをどうにかしな きゃっていうのを感じないぐらい来てくれ た人たちがその場でやってくれてるはい ちょっと時間の関係であの短くしますけど 彼女たちはですね自分たちがこのマメゾン というあのシェアハウスでね友達を集めて まスモールグループをやってるわけですね でそれが終わったとしてもそこに来てる人 たちがまたそれぞれの場所でそのスモール グループを開いて神様を賛美し礼拝をして いくっていう経験ができたらいいなって ことを話しているわけですねまこれはです ね私たちのこの教会でも同じことが言える んじゃないかなと思うんですね私たちが 本当に主にあって1つとなってあの周りの 方々に伝動していくま我々がまた祝福を 受けて恵みをいいて周りに伝えていくま いろんなアデア計画がありますけれどもえ それをする前にですねやっぱ私たちは精霊 の導きが不可欠であるね精霊が導いて くださらないと私たちがどんなことをして もうまくいかないですねえそして今あの 木曜日の夜8時からミッション後の雨って いうのをですねあの香さんやえ神奈さんが リードしてくださってあの祈りの組を開い てますけれども本当に素晴らしいあの一時 ですこの後の雨っていうのはですねま イスラエルではあの春と秋にあの雨が たくさん降ってるねで夏の間はもう カラカラになってるそういう中の納富は ですね一生懸命お祈りをしながら準備をし てるっていうことなんですけどこの後の雨 は秋の雨なのか春の雨なのかどっちなん だろうかどっちでしょうねああ春が先で秋 が後だから後の雨は秋かと思ったんです けども実はです ね秋に雨が降ってそしてもうあのいろんな 作物が植えられる状態になってその間 ずっと雨が降ってそして収穫の時に春の雨 がたくさん降って収穫ができるという らしいんですねですから後の雨というのは 春の雨ということなんですで先の雨秋の雨 の時にはあの2000年前にですねえ弟子 たちが本当に精霊が精霊をいいて1日に 3000人食い改めるバプテスマを受ける というそういう身業が起きたというのが あの先の雨であったわけですねでまもなく ですね私たちは後の雨をたくさん頂いて そしてあの神様が来られるのをえ準備を するということになるというんですね えちょっと時間があれなのではっていき ます けど私たちはですね精霊を説に求めなけれ ばならない時である春の雨で2000年前 に弟子たちが受けたその精霊の雨をですね 私たち今後の雨としていただかないといけ ないです ね あの私がですね食事をしてるとすぐ隣に こう水槽があって魚が金魚がいるんです けどこうやってですね私の目があったら こっち向いて何をしてんしこの金魚 は餌を遅れて言って首を振ってんですねそ したら私あ食事してあ橋を置いて急いで餌 をこうあの金魚にあげるんですねそして 喜んでパクパクパクって食べるんですまた ですねある時 はあれおおいおいおいちょっと目があっ てるのなんであっち行くんだっていうに なってくることはですねあじゃあもう餌 やらないまお腹いっぱいなんだろうていう ことですね餌やらないわけですだから 私たちもですね本当にあの精霊ください後 の雨私たちにくださいって一生懸命あれば ですね神様私たちに精霊の雨を振りそえで くださるんだなあのただ教会に来ててあ神 様の話聞いてあよかったって言って帰る だけでは精霊の雨はあげられないという ことなんじゃないかなと思うんですねまた もう1 つこの子はですね2歳半なんですけど こんな自転車上手に乗れてんですねあの マリであの最年記録なんですけどこの子が ですね1歳の時からお兄ちゃんお姉ちゃん と自転車乗ってるの見てですね自分も自転 車乗りたいって言うんですねあまず君はね 3輪車に乗ってペダルをこぐ練習からしろ やだ自転車に乗りたいねあじゃあまあ じゃああのストライダーキックあの バランスバイクから乗れてやだ自転車て いうんですねでましょうがないからですね じゃあ自転車に棒つけてこうってコバない ようにこうやって練習していくわけですね でそのうちもう本当に一生懸命恋でいるん ですけどあもうそろそろいいかなと思った 今度はその棒の先に紐をつけて紐を持って ですねほとんど触らない状態で転ぶんだっ たらパッとこう引っ張れるようにしてそう いう風に一周してくるんですねでそのうち あ全然その引っ張らなくてもいいなと思っ たらパッとこう手を離して後ろから 追いかけていくわけですねで本人は捕まえ てると思って安心しているんですけど後ろ 見てうわっと思って転びそうになった時に パッと掴むんですねでそういうこと 繰り返してるとですね本当自分でスス 乗れるようになるわけですで私たち やっぱりですね本当に精霊の雨をください 心から本当に願った時に神様は私たちに 与えてくださるんじゃないかなと思うん ですねでさっきの金魚のですね2番目の あのビデオと同じようにあのこの子が自転 車2歳半で乗れるようなったからじゃあ2 歳の男の子たち君たちも自転車練習する かって言ったんですねそしたら 嫌だと言って逃げてえ乗ろうよこれ空君 上手乗れるようになったから君も乗れるよ いいって言って走って逃げてくわけあこれ はダメだ本当にですねやりたいやりたいっ て思う子供が伸びてくなと思うんですねで も見てたらです本当わがままだなって思う んですわがままだと思うんですけどその子 にとって本当にやりたいやりたいでそれを ですね本当に上手に導いていくっていうの がまた大事なんだなと思うわけです ねえクリスチャンが信仰によって約束の 祝福を求めるならそれは与えられます首 時代に溢れるほど与えられた精霊は前の雨 でそれは栄光をもたらしました後の雨は さらに豊かなものとなりますもし私の名を 持って呼ばれている私の民がひいて祈り私 の顔を求め悪の道を捨てて立ち返るなら私 は天から耳を傾け罪を許し彼らの大地を 癒す神の民があらゆる妨害物を取り除いて 道を綺麗にし神が衰えた教会の固くな回収 に見たを注がれることくらいサタンの 恐れることはありません え今朝の青書研究の時にですね教会は病人 の集まりだからねその人たちに目を向ける んじゃなくて神様に目を向けましょうと いうあの声がありましたですね確かに 私たちは本当に みんな病人ですねだからこそ神様の癒しが 必要なんですねでただですねその病人の ままではいけないですねやっぱ本当に精霊 を求めて癒していただいて本当に自分って いうのが打ち砕かれて人をこうめ 攻め立てるのではなくてですねお互いにえ 自分のこう上着をかうそういう仲間であり たいなと思うわけです ンえ黄色いとこ読みますね主の祝福をける ために熱心な努力が必要ですそれは神が 祝福を喜んでお与えにならないからでは なく私たちにそれを受け取る備えができて いないからです天の父は求めるものに精霊 を与えようとして待っておいでになります それは地上の両親が子供に良いものを 与えようとしているのと同じ ですそしてこの精霊をいただくためには ですね私たちは1人でお祈りするんじゃ なくて2人以上で心合わせて祈る必要が あるんですね え下のの方に黄色い字で書いてあります けどどんな願い事であれあなた方のうち 2人が地上で心を1つにして求めるなら私 の天の父はそれを叶えてくださる2人また は3人が私の名によって集まるところには 私もその中にいるのであるま1人でお祈り しても神様は聞いてくださいますけど2人 3人と集まるとですねもっとあの神様が ですねその中にいてくださるということな んですえ ちょっと時間があれなんで飛ばしますけど 私はですねあの車に乗ってる時にスパっと こうあの音楽を聞くようにしてるんです けどあのやっぱ自分はそのなんて言うん ですかね弱いのでな何かするとま神様から 目がそれてしまうのでそれないようにです ね賛美カを聞くようにしてんですねでこれ をちょっと皆さんと一緒に歌ってみたいん ですけど精霊についての歌ですね 存 [拍手] [音楽] にょはい見たま なる 清か我が 弱き魂 を主のもに導き て 隠れ しめ たかし みかよ みか よ わた [音楽] がる すがりまる [音楽] 導き 構え たしの ける手を 捧ぐ目 がは取り たまえ 未の君ならで く主を しさん みた よ かま よ 我 [音楽] あ すり まくる手 をる てにきた あ感想です [音楽] 失礼前にですねここに取られた稲田友先生 ですねおっしゃってましたね私たちは本当 に あのただ講演会するのではなくて本当に神 様につがって1人1人が霊にさされて伝動 しないといけないました ねあ 泣き我がを も 涙 なしもあら ぬえの へ と君はしも入れた は みたよ よ我がた過 [音楽] がる すらり まる ばとりて き たまえ たしあ [音楽] はいありがとうございますえ最後に アーメンていうのはです ねその通りになりますようにっていう意味 ですね私あの最近ですね中村先生と LINEでですね連絡する時に最後中村 先生がいつもお祈りしてくださんですね 宮城先生の上に豊かな宿がありますように イエス様の皆を通しておりしますアメン前 は先生はこんなお祈り仕方わかんなかった んですけど今はですね本当にいつもお祈り してくださんですあの本当にアーメンって いうのは素晴らしいです ねで私たちの私たちはですねみんなあの神 様を中心としてあの歩んでますね でだんだん私たちがですね1人1人神様に 近づいてく時に私たちのお互いの距離も 近づいてきて最後には1つとなるわけです でこれが本当にまさしくですね主にあって 1つの兄弟姉妹なのではないかなと思う わけ ですでえヨハネのよる福音者にはあなた方 が私を選んだのではない私があなた方を 選んだのであるそしてあなた方を立てた あなた方が互いに愛し合うためであるって イエス様は命令しておられるんですねお 互いに愛し合なさいこのえ私があなた方を 選んだのであるっていうのはですね沖縄三 中学の中学3年生の時にえ土方仕事を 終わってですね夜ま食事をして幽霊杯の時 にえ初代校長であったテる三国先生がこの 正育を紹介してくださったんですねえ最初 これを読んだ時にですねあれと思ったわけ ですあなた方が私を選んだのではないえ そうな の私があなた方を選んだのである神様が あなた方を選んだねそして私たちを立てて くださったそしてそれはあなた方が言って 身を結びその身がいつまでも残るためで ありあなた方が私の名によって父に求める のは何でも父が与えてくださるためである 本当に素晴らしい約束だなと思うわけです 私の思間違ってたうんあそうですかいや 要するにね私は子供たちを選んでくださ いってさ祈らないといけないああそうです ねはいまでもすでに私たち選んでくださっ てこのように生まれさせてくださったん です よ信仰はいはいえ神を愛するものは兄弟を も愛すべきであるですねえ私たちが神様を 中心として1つとなった時にですね私たち の真ん中には愛があるわけですねで本当に 神の導きにより私たちが精霊による一致1 つなれるようにお祈りしていきたいと思い ますえちょっと長くなりましたけどえこれ で終わりたいと思うんですけど最後にお 祈りをして終わりたいと思い ますご在天の父なの神様そして万物を想像 してくださったえ神様私たち1人1人を このよに生まれさせそして生かして くださってることを心から感謝します そして私たちがただ生きてるのではなく 私たちが生きてる目的を知り そしてその神様の恵みを他の人人々にも 分け与えそしてたえ死んだとしてもまた 永遠の命という与えられてる約束を信じ 感謝して日々生きてことができますように 1人1人に神様の豊かな祝福また精霊の雨 を降らしてくださいますようにイエス様の 皆を通しておいたしますあめんメン ありがとうはいありがとうございました あり

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