伊達晴宗、死す【独眼竜政宗】

1987年 大河ドラマ 独眼竜政宗

9 Comments

  1. 金子信雄さんの晴宗、退場も早く出番も多くなかったものの、伊達家の隠居としてなかなかの貫禄は印象深かった。長年対立してきた晴宗と輝宗父子だが、この場面で互いにいがみ合った事を詫び、孫の藤次郎には親と仲良く、そして孝養を尽くすように言い残す…自らは父・稙宗とも諍いを起こして後には息子とも不仲になってしまった晴宗ならではの言葉の重みを感じた。この場面は総集編では出てこないものの、伊達家3代が集う、このドラマの隠れた名場面だと思う。

  2. 稙宗、晴宗、そして自身の関係を見てきたからこそ、輝宗は早期に政宗に家督を譲る決意が出来たのかもね。

  3. 伊達輝宗公は書物によっては「戦国時代には向かないお人好し武将」と揶揄されるが、中央(京都)の情報に精通し、祖父稙宗が築いた地元東北を上手く調整し、また家臣からの信頼も厚い智将だったとされます。

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