【福岡伸一の知恵の学校】第5回 動的平衡ライブ|生命は分けてもわからない

[音楽] えどうも皆さんこんばんは福岡新一で ございますえ今日は台風が接近する中 わざわざお越しいただきまして誠に ありがとうございますえ今日は私のえのえ 講義というか講演になりますえ前回はです ねヨロえ先生をお迎えしてえヨロ先生が 大暴れしちゃってですねあのいろんなお話 を聞けてえまえ楽しくもありえちょっと私 はハラハラしてしまいましたがえいろんな あのえ養老武士がですね聞けて良かったな と思いますでま養老先生のお話の中でえま 1つのえ革新的なえコアとなる問題定期と 言いますか えーま彼のテーマの1つはあの人間の意識 っていうのは一体何なのかっていうこと だったと思うんですねでまあの生物学は え人間があの細胞からできていて細胞は え様々な部品からできていてその部品は 全て遺伝子に高度されているというところ まで明らかにしたわけですけれどもえ結局 意識っていうのが一体何であるかっていう ことについてはえちゃんと定義できてい ないままに え今日に至っているえ私たちは意識って いうものを持っているからえ自己同一性私 は私だと思っているしその私というものが 何かこうなるべき私になるというのがえ 自己実現の物語として人生の目的みたいに 思っているけれどもえその意識っていうの は本当は非常に不確かなものなのでえ なるべくなるなるべき自分がどこかにあ るっていう風な自分探しをするっていうの はえ本当はあのそんなに大したことなん じゃないかなっていう風なえことがヨロ 先生 の思想とというか あ体験のま通総低音にあるわけですね えそのま意識っていうのはどういうこと かっていうことはあの えちょっと前のゲストの え山口カさんのパートナーだった安倍工房 のえ物語の中なんかにもえ繰り返し問われ ていることでやっぱりその人間がもっいる 意識っていうことがえ一体何なのかって いうのはえ大きなテーマになってると思う んですでま図式的に書くとです ねちょっと養老先生の真似してこう急に 立って黒板に何か書いてまた急に立って それを消しに行くっていうちょっとよく わからない行動だったんですけども えまその私たちの脳っていうのはまあ 140億個ぐらいのニューロンっていう ものでできていてそのニューロンが神経 電位というものを持ってある種の電気的な

活動してこう点滅してるわけですよねそれ は無意識のえレベルではですねま寝ている 時っていう意識がない時はえでも完全に その活動は0になってるわけじゃなくて夢 を見ているっていうことはその資格的な 情報の何らかの実際には見ていなくても 資格的なその情報が処理されてるわけです よねあるいは音が聞こえたり えするわけですし呼吸とか心臓とか様々な その体のシステムを動かすための え中数としての脳っていうのはある一定の レベルでこう絶間なく活動してるわけです ねこれかけ [音楽] ない でまこれがあの縦軸がそのえ神経活動の え強度だとしてま横軸はえその脳の中の どの神経がどれぐらい活動してるかって いう えま座標軸だとするとまこう無意識では 様々なニューロンがそれなりにこう あのぎながらこう動いているっていうのが 無意識の状態で意識をするっていうのは どういうことかって言うと何かに注目して それを見る凝視するあるいはある音を捉え てその音に注意を向けるえーあるいは味を 感じるえ触る様々なその感覚お元に あるいはその思考をえある方向にこう集約 する注意を向けるっていうことですねそう すると脳の中では何が起こってるかって いうとおそらく ある領域の えニューロンの活動だけがこういう風に ビーンとこう高く立ち上がってるわけです ねその 代わり無意識レベルであった無意識レベル ではあるレベルにを動いていたニューロン のレベルは逆にこう下がってしまっ てその注意を向けてるところだけがこう あの立ち上がってるっていうのがえ意識の まあり方脳の中の神経活動のあり方じゃ ないかなっていう風にま考えることが できるわけですだから実 は脳の全体レベルの活動としては無意識 状態の方がそのこの積分としては大きくて 何かに意識をしているっていうのはその 意識をしている注意が向かっている対象の ところはすごく高くなってるんですけど逆 にそれが明るくなると他の部分は暗く沈ん でしまっているっていうのが意識のあり方 ですよねでこれってまどういうことかって 言うと えたくさんのこう星が あの宇宙の空に こう散らばっている中から

えー星をこうつい で北斗七星の星座を見つけるっていうその 脳のあり方とま騒動なわけですねつまり この飛石型っていうものをえ見ると星空に その星座が見えるわけですけれどもその 飛石型のを認識する注意の部分はすごく 高まっているけれどもそれを見た途端他の 星はこう暗く背景に沈んでいるわけですよ ねでこういう脳のあり方が え意識のあり方でま私たちのその文化の 長い歴史をこうずっと見てみると結局その 世界の中からある製図あのをこう切り取っ てきてそしてそれを理解するっていうこと をえずっと私たちはやってきたわけです その世界混沌の世界の中に地図を作 るっていうことをずっとやってきたわけ ですねでまこの知恵の学校を始めてから えいろんな方を呼んでお話しする中でま 読書っていうのはどういうことなのかそれ から私の単独講義の中ではですね その結局その人間の地の営みていうのがえ 地図を作ることだこの世界にえー地図を 作るマップというものが好きだマップラ バーっていうことがその地図を作るという ことだし私たちの文化的な営みでもあった し勉強することでもあったし本を読むこと でもあったわけですねだから意識の働きっ ていうのは何かって言うと端的に言うと これはマップラバーの働きた世界に地図を 作ろうと世界に地図を作りたいっていうの がマラバーのあり方でそれは意識の働き そのものなわけ です全然かけない [音楽] ぞまプラバー的なあり方がえまその意識の えあり方なわけですねですからその 昔 は世界がこう丸1級だていうことに気が つかなかったけれどもえその未知の大陸を 求めてえいろんな人が探検に行ったりえ 公開に出たりして徐々に世界の輪郭を掴ん でえ地図が完成されて全世界地図ができて 今ではあのGoogleマップみたいにね あらゆるところが え大縮できて えニューヨークとか東京みたいな都市だっ たらもうあの 道から見たえ映像だけじゃなくてそのお店 の中に入った店の中まで見えてしまうて いうぐらい改造度の高いえマップが完成し てるわけですでもあのGoogleマップ いくらGoogleマップとはいえその シベリアの上空のねある密林っていうか 森林のとろだったらそれほど改造度が高い マップはまだ完成してないわけですよねで

もそういう意味で全世界のマップを作ろ うっていうのは意識の現れだしマップ ラバー的な考え方のえ1つの方向だったと 思うんですで同じように生物学もうん昔は 細胞の中で起きていることていうのは無限 の神秘の中に生命現象あってえ何か特別な 活力が働いてるんじゃないかとかえ不思議 な力が働いているんじゃないかっていう風 に考えられていたものがですねどんどん どんどん分解されてえ世界を分けて分けて 分けていってえ先ほども言いましたように え遺伝子のレベルまで全て分けてしまって そして遺伝子に書かれている全ての行動を 読みしてしまってそこに 2万3000種類のえ遺伝子というものが 書き込まれていてそれがタパ質の部品にな た質を行動していてそのタパ質というもの が細胞の中で活動する部品としてえ生命 活動をえ動かしてるあるものはえ歯車の ようにあるものはえ糸のようにあるものは 勝車のようにあるものは酵素として反応を 司るっていう風にしてそれがミクロな部品 として組み合わさってできている メカニズムとしてま私たちのえ生命という のはできているっていう風にえマップ貸し たわけですよね地図を作ったえ実際その 染色体地図とかゲノムマップっていう風に え私たちはその遺伝子のことを呼んでいる わけなんでまさにそれはマップラバーの 行きつく先によにそのゲノム計画という ものが完成されたわけですねでま私も えま小なりとはいええ文子生物学者として ですねえ一生懸命そのえ遺伝子の地図作り にえ加わってまそんなに大それた発見は できませんでしたけれどもえいくつかの 新しい遺伝子を見つけたわけですでそれは その全ゲノム地図の中の本の1行でしか ないわけですけれどもそういう形でゲノム を全て明らかにする全全細胞地図を明らか にするっていうことがま今から10年 ぐらい前に終わったわけですねでそうし たらその地図が全部明らかになったことに よってで生命の何が分かったかって言うと 生命のことは地図が全部明らかになっても 何も分からなかったっていうことが明らか になったわけですでえじゃあ一体生命を どういう風に考えたらいいのかまほとんど の人はさらにえゲノム地図をえリファイン する形でいろんな遺伝子が何をしているか どの遺伝子とどの遺伝子がどういう風に 関係しているのかっていうある種の無限の こう関係論と言いますかえ多辺量解析 みたいな世界に入っていってえいろんな ことを あ言ってるわけですある遺伝子とこの遺伝

子が その変化すればこういう病気と関係してる んじゃないかえこのえ遺伝子上の多型性が あ多性って各個人によって遺伝子の一部が ちょっとずつあの文字が書き換わってる ことを遺伝子の多型性と言いますがそう いった個人レベルの遺伝子のほんの ちょっとの些細なえ変化というものが病気 と病気になりやすい傾向と結びついている んじゃないかっていうま壮大なこの相関 関係を調べるっていうことにえほとんどの 生命科学者はま日やあの頑張ってるわけ ですねでも相関関係っていうのはaという 現象とBという現象が関係があるかもしれ ないっていうことと言ってるだけでAと いう現象がBという現象 の原因になってるかどうかということは 言ってないわけです つまり相関関係と因果関係は違うんですね でも多くの場合は相関性があることが因果 関係があるんじゃないかっていう水論だけ で進んでしまっているわけでそういう意味 ではそのゲノムと生命現象を結びつける 科学っていうのはあ せっかくそのゲノムっていう全世界地図が できたにも関わらず え立ち王場しているっていうか大きな混乱 の中にあるっていう風に言ってもえ過言 じゃないっていう風に私は思うんですで私 はその全てのゲノム地図が明らかになった 後何を考えたかていうと生命っていうの はまマップラバーとしてえを語り尽くした つもりで全ての生命現象が個々の遺伝子と いうものであるっていうことを言い尽くし てそれによって生命を解がしたつもりだっ たのにも関わらず生命のことが何1つ 分からないっていうのはやっぱり生命と いうものをマッピングしていくマップ化し ていく途中で えー見落としてしまったもの見ないように してしまった え切り捨てられてしまっている生命現象の もっと大事な側面があるんじゃないかなっ ていう反省に立って えもう違う違う方向というかある種その 地図を作っていったっていう道のりをもう 1度たどりなしてえ違う方向に生命官の 新しいえ姿を求めようとしてまあの動的 平行ということをあ言い始めたわけですで 動的並行っていうのはえ陽先生もおしゃ ましたしえ原油さん も触れてましたけれどもま行川の流れは絶 して元の水にあらずっていうえ法常機の 冒頭にあるように絶えず露点しているもの として生命を捉えるっていうことなんです

けれども実は動的並行っていうコンセプト はえ絶え間なく私たちの体の中でえ色々な 物質が新陳代謝されて流れていくっていう ことだけではなくて実は動的並行っていう のはま私の本を読んでいただいたら分かる んですけれども例えば常に愛反することが 同時に逆方向に行われていてその2つが 危いバランスを取っているその上に 成り立っているえ現象が生命だっていう ことをえ一生懸命言ってるわけです例えば え合成と 分解合成 と分解っていうの はもうちょっとちゃんとかか [音楽] あらゆるペンがかけませ [音楽] んこれはかける な合成する働きっていうのと分解する働 きっていうのはえ本来全く逆の反応なわけ ですでも体の中では合成する反応と分解 する反応が同時に起きていてこれがある種 の平行状態になっていて細胞の中では絶え ずタパ質は次々と分解されているそれは 古くなったから分解してるんじゃない廃物 だから分解してるんじゃない参加された から分解してるんじゃなくてできた尻から どんどんどんどん分解しているんですそれ と同時にどんどんどんどん作っているその バランスが成り立っている全く逆の愛矛盾 していることが同時に起きているのが生命 現象なんですで例えばあのえ参加反応って いう反応があります参加っていうのは物を 燃すっていうことですよねで物を燃やす ことによってエネルギーを生み出す反応が 起きているのと同時 に体の中では参加の全く逆反応の還元反応 っていうのが起きてるわけです還元反応 っていうのはえ酸素をえ外すっていうこと でえーもうちょっと簡単に言うと物を 作り出してだんだん大きくしていく反応が 基本的に還元反応ですしあの工合性みたい に植物の中で2型炭素を固定して炭水化物 にしていくのも還元反応ですでも逆に植物 だって参加反応を行ってもを燃やしながら エネルギーを生み出して成長しているわけ ですそれからうん切断する反応が絶え間 なく起きていますそれと同時 に結合する反応が起きていますアメエバー がどんどん あの水の中をこう ごと進んでいけるのは絶え間なく細胞膜を え切断しながら絶え間なくあの結合して いるんでそっちの方向にえニョロニョロ にょろっと動いてくるわけですよねこう

いったあの全く逆に見えるものが同時に 起きているこのこの真中の上にえ生命現象 というのは成り立ってるそういう生命の見 方がま動的並行ということで遺伝子という ものとして生命を見るのではなくてこう いう風なえ作用というかエフェクトあの こととして生命を見直そううっていうのが 動的平行のえ1つのま手勢になっている わけなんです えそういう風に考えてみる と私たちのこのえ長いえ文化の歴史科学の 歴史あるいはま あの皆さん好きな本をえ読むあるいは本を 書くえという仕事も全てマップラバー的な 仕事なわけでしてその世界を知りたい人生 の意味を知りたいどういう風にこの私たち が成り立ってるのかあるいは生命が 成り立ってるのかを知りたいっていうのは マップラバー的な営みであると同時に現在 作ってある地をもう1度疑ってその地図に 書かれていないものがあるんじゃないか その地図を作る時に忘れてしまっている ことがあるんじゃないか言葉で書かれた もの言葉で切り取られたもの以外のものが どこかにあるんじゃないかっていう風に もう1度地図を 作り直す作業として えそのマップラバーの仕事っていうかな マップラバーの営みというのがえ あのたどりなせるんじゃないかなっていう 風にええ私は思うんですでそういうあの私 のえ私なりのですねええ営みの1つとして えま科学と芸術の間をこうもう一度行っ たり来たりしながら人間がこう歩んできた いろんな文化士をたどりなしてですね現在 私たちがあ描いている地図とはまた別のえ 地図があるんじゃないかあの見落として しまった地図があるんじゃないかっていう のを考えたいなそれはあのどうしたら できるかって言うとえもう1度地図を たどり なすこと以外にその見落としてしまった ものを取り戻すことはできないわけです それはあの自分が好きな本をもう一度 読み直してみるっていうことにも似てると 思うんですねだから皆さんも何か愛読書 っていうものがあってえそれをあの人生 この方繰り返し読んでいる人が多いかも しれませんえそれは そのある本それはま地図なわけですけれど もそれをま初めて読んだあの子供時代え 青年時代あるいは大人になってからでもま かなり前に初めて読んだ時にすごいなと 思ったその感動とえまたそれを何回か 読み直しをしていくあのプロセスでえ

読み落としていたこと気づかなかったこと あるいはその年齢にならないとえーその本 に書かれていたことがえー分からなかった だろうなという年齢に達することそれは 地図をもう1度作り直すていうことと同じ なわけですねだからそれはま映画を見て もう1度見るとか本をもう1度見てみるえ 読み直してみるあるいはある人の 旅字をたどりなしてみるえある人の人生を もう1度 えあの自分の足でえもう一度あのたどり なしてマップを作り直すていううまリマッ ピングっていうのをあのするとですねえ そこに厚みと奥行きが出てくるんじゃない かなっていう風にえ思っているんですで あのま私がえ過去え え20年ぐらい前に始めてずっとあのやっ てきた1つのリマッピングの仕事としてえ フェルメールの ええ絵をたどるという旅がありましたそれ はあの え課題図書にあげましたけれどもえ フェルメール光の王国という本にえ書いた ものでまこれはあのそもそもはえ私のえ オタ的な興味からですねえフェルメールと いう人に興味を持って彼は あ17世紀の画家ではあったわけです けれども17世紀というのは非常にこう 中性的な中世のえ宗教的な呪縛からですね 人々があ解放されてえ科学的にその世界を 見直そうというこれもある種のマッピング もう1度マップを作り直そう世界観を 作り直そうというえリマッピングのあの 時代だったわけですけれどもその中に 生まれた画家としてです ね非常に科学的なマインドを持っていた人 だなっていう風にえフェルメールを私はあ 見直したかったわけですで実際にあの顕微 鏡を作り出したえアントニーレエンフック さんという人とえデルフトという小さい町 でえ親しかったはずですしええ同じ17 世紀の同時代にはですねえ例えばフランス にはデカルトとデカルトという人が現れて ですね え星を見る えそして そのますでにそういう考え方はあの コペルニクスの時から出てきたわけです けれども実際にその動いているのは空の星 ではなくて自分自身だていうことをですね よりあの明確にえ数学的に言うようになっ たそれからこの世界というものがえそれ まではその神様が一挙に作ったものなので 普遍なものだと思われていたわけです けれども

えデカルトやあるいはガリレオたちがです ねその星を観測しているとある時急に 明るくなってくる神性のようなものを 見つけてですね世界が絶間なく変動して いるということに気がつき始めた時代 えあるいはニュートンとかライプニッツと かいった人々が現れてきたのも17世紀で え微分積分っっていう考え方を導入して ですねこの絶え間なく動く世界っという ものをなんとか記述しようと言ったそう いう時代に生まれた人としてえ フェルメールもその時代の熱というか時代 の潮流という ものに無縁ではありえなかったわけですね で彼は絵の中にえその時間を閉じ込める そこに至った時間とそこから始まる時間を えその静止している絵の中に動的な時間を え封じ込めるっていうことをあの一心に 追求した画家なんじゃないかなという風に 考えてま私は世界中をこう巡ってですね フェルメールの絵を見ながら えま科学と芸術あるいはそういった文化士 というのをたどりなしてみようっていう風 に思ってこの本を書いたわけですねで 世界中にはフェルメールというのは37枚 あってえちょっとこの地図は細かくて見え にくいんですけれどもえ散らばっている わけですま世界中と言っても えアメリカとあのヨーロッパに散らばって いるわけでえそのうち1点がですですね今 あの東京にありましてえ国立西洋美術館に え飾ってあるっていうのはお話たと思い ますけれどもえこれは日本人の えあるお金持ちの人がですねえ オークションに出てきたフェルメールの絵 をえ買って えそのフェルメール巡礼の1箇所 にえ東京が加わっているわけですそれから えこの下の方に えちょっとだけ書いてあって見えにくいん ですけれどもイザベラスチュアート ガードナー美術館というボストンにあった 美術館にえ合alleというフェルメール の えま傑作の1つが完全な延期法によって 書かれた傑作の1つがえあったんです けれども今からえ26年前の1990年に え盗難されてしまって未だにま行方不明で その1つだけは私も見ることができてい なくてですね非常にま残念に思っている わけなんですでこのまフェルメールを全部 見た後ですねえこのフェルメールをその デジタル的に再現してですねそのま彼が 書いた当時の色彩や質感を取り戻してえ彼 が書いた順番にですね

えの場所にフェルメールの全部をえ持って くるあのリクリエイトというえ プロジェクトを始めたわけなんですでこの まREクリエイトっていうのは最初はです ねそんな偽物複製画を並べて一体な何の 意味があるんですかみたいにえ批判も受け たんですけれどもえそれはま今日の言葉を え借りて言うともう一度マップを作り直す ていうことだったわけですフェルメールっ ていう人は最初からうまくかったわけじゃ なくて徐々に自分の え目的としているですねこの世界の捉え方 というのを研究しながら自分の絵を完成し ていったわけでそのフェルメールの時間軸 を取り戻して彼が書いた順番まこれは色々 議論があるわけなんですけれども大まかに 彼が書いた順番に並べてみるとその彼が 書いた絵それ自体も素晴らしいんです けれども絵と絵の間にある文脈というもの がえ浮かび上がってきてそこにこう時間軸 を取り戻すことができるわけですねつまり 新しい地図をフェルメールの地図を 書き直すことができるわけですこの地図は ま全体に世界に散らばっているえ フェルメールというもののある断面なわけ ですけれどもこれを自系列時間軸に沿って フェルメールの絵を並べてみるとそこに 新しいフェルメールの物語が立ち上がって くるわけですだからこれはその複製が でありまそのコピーであるわけですけれど も新しいその地図を作ってそれを あの学び直すううっていう意味で その地図を作り直すあるいは学び直すと いう意味で非常にあの教育的な エデュケーショナルな意味もあるわけでえ 若い人たちに是非来てもらいたい えま展覧会であったわけですでまその後 このリクリエイトという手法をですねえ 色々なものに応用しながらえま思考錯誤を してですねえ日本の勝鹿北斎 えを取り上げてみたりえムパタというあの アフリカでえ生まれてえ わずか数年であのま活動 えほんの数年間の活動した後ま若くして なくなってしまったムパタとという画家に 対して行ってみたりしたんですけれどもえ 今やっているのはですねえレンブラントと いう人なんですねでレンブラントさんは フェルメールとほぼ同時代の人でちょっと だけ先輩なわけですでフェルメールの人生 とレンブラントの人生はえ37年間重なっ ていてフェルメールの方が後輩なんですね で同じオランダの人でえ非常に高対象なん ですレンブラントはえ非常に大画面にえ ドラマティックにこう多数の人をえ

書き込んでえまここにあの出ている後ろに 出ているのは夜景っていうえま レンブラントの最も有名なものすごく 大きな絵でオランダのアムステルダムに ある国立美術館の のあの人物だったわけですでフェルメール はたった37点しかえは残っていないん ですけれどもレンブラントは え300点以上残ってるんですね でどうしてそんなにたくさんの大きな絵を かけたかっていうとえレンブラントはある 意味でそのビジネスモデルを絵という ビジネスのモデルを確率した人だったわけ ですまずえ彼にはあの絵の明確な クライアントがいたんですそれからその クライアントは有力者であったり有力な 団体であったりしてその絵っていうのは まだ彼らが活躍した17世紀1600年代 の前半というのは写真がありませんでした から人々が自分のえ業績や肖像というもの を絵でしか残すことができなかったわけ ですでレンブラントはその有力なそのえ 商業団体業者団体みたいなものを クライアントにしてその面々をこの大きな 肖像画にえ誰が誰か分かるように書き込ん でその団体やそのそれぞれの人からえお金 をもらうっていうまビジネスモデルを作っ てしかも大きな工房を作ってそこでえま 大量生産というか弟子をたくさん雇って その弟子に欠かせて最後自分がサインする みたいなえまビジネスモデルを作って えまこうなり名を遂げたわけなんですでも レンブラント自身はその急速に有名になっ て急速にお金持ちになった代わりに急激な あの没落というかえ様な不幸にまままみれ てしまってえ最後はそのま自己破産みたい な感じでえ終焉を迎えるそのその ドラマティックな人生自体がまたえ レンブラントの人気のま秘密なんですねで えまだから世の中でレンブラントの絵が 好きだっていう人がいると思いますまた そうじゃなくてフェルメールの絵が好き だっていう人がいてその2その2つの 歯というのはなかなか愛入れないものが あるとどちらかというとまレンブラントは 権力思考というかえま男性的な原理に 基づいてえ有名になった人だしえ フェルメールというのは控え目で自分の 世界を え追求した内向的な絵なわけですねで 例えばレンブラントは自画像がものすごく たくさんあるんですえでもフェルメールは 自分自身を書いた絵というのはえ一点も なくてま後ろ姿画家の後ろ姿とかえこれが フェルメールじゃないかと言われる絵も

あるんですけれども明確に自分自身を書い た人がいないんで一見これはなんか レンブラントというのはすごい自己検事欲 が強いえ人物であってフェルメールはえ シャイな人だったみたいなえ風にあの 読み取られがちなんですけれどもこの レンブラントのリクリエイト店これはま レンブラントが書いた300点以上の絵を ですね一挙にそのま彼が書いた順番にえ 並べてレンブラントの全体像をまた 取り戻そうということで自画像の部屋って いうのも作ってありましてレンブラントが 自分自身を書いた絵がま彼の若い頃から 老年期までずっとそのまま描かれてるん ですがレンブラントが自画像をそれそんな にたくさん書いた理由はえ実は非常に明解 でありましてえ別に自意識過剰だとか自己 堅持力が強かったとかそんなことじゃなく てえそれが商売になったからなんですね 自画像がものすごく高く売れた飛ぶように 売れたわけですというのはレンブラントと いうのは当時ものすごく有名になった人で え誰もがレンブラントというのがどういう 人物なのか世界中の人が知りたがったわけ ですだから今のブロマイドと同じように 自分の肖像がというものを書けばそれが また高値で売れたのでレンブラントは自画 像をま量産するようになったわけですねま 肩やフェルメールはそんなこともえなく 死んでしまってえレンブラントは生きて いるうちにえお金持ちになったし有名に なったしえ奥さんもどんどん取り替えて いったんですけれどもえフェルメールは そういう風な世俗的な意味では成功せずに えまこんなに35010年も経ってから 世界中の人にえ愛される再発見されるよう になった人なんですえですからま非常に 高大賞なんですけれどもえ1つだけ面白い ことがありまして えこれがあのボストンのイザベラえ ガードナースチュワート美術館から盗難さ れてしまった雑想という絵なんですけれど もえこの美術館のフェルメールこの合と いう絵がああった同じ部屋の向いの壁にえ 実はレンブラントのえガリラヤの海の嵐 っていうえ聖書の一説に題材を取ったえ こう荒れくる海にこうあの船が漕ぎ出して いるっていう絵があったんですでこの フェルメールの絵を取っていったまその 泥棒はえ向い側のこのレンブラントのエを 取っていったんですだからま非常にその 目利きであったわけですねでこの2つだけ で えまあな何百億円するか分かりません けれどもえもちろんそんなマーケットに出

てくるはずもなくま今闇に沈んでいるわけ ですけれども えまそれが無事であることを祈るしかない んですけれどもこんな2つの素敵な絵が この世から失われてしまうというしまって いるっていうのはま非常にえ悲しいことな わけなん ですでえま このマップを作るっていうことに関して ですねま私はあんまりレンブラントはえ 好きじゃないんですけれどま初犯の事情で ですねレンブラント店をやったわけです けれども本当は私がフェルメールの次にえ やりたいなと思っている人はですね フェルメールよりもさらにえ100年 えほど前に時代を遡って え行きますとえレオナルドダヴィンチと いう人がいますで私はそのレオナルド ダヴィンチリクリエイトをえ次の プロジェクトとしてやりたいなという風に え長い間願っていたんですけれどもえ実は この7月にですねえイタリアにちょっと 取材旅行にえ行くことができましたええ これはそのフェルメールの翼の王国 フェルメールは翼の王国っていうあの 全日空の機内市にえ連載するえという形で 世の中にま発表させていただいたんです けれどもこのレオナルドダヴィンチのを もう一度たどりなすレオナルドダヴィンチ をもう1度あのマップラバーとして彼の石 のえ地図をですね作り直すっていうこの 仕事はですね同じくまつの王国に記事とし て書くために ええ調査旅行に行かせていただいたんです けれどもえ7月にえイタリアをちょっと 回ってきたそのえご報告をですね今日は 兼ねてちょっとレオナルドダヴィンチを もう一度そのえ捉え直してみようというお 話にえ付き合っていただきたいなと思うん ですまダヴィンチはえま万能の天才って いうかえルネッサンス時代のえま あ偉大な人という風にみんな思っている わけですけれども えーそんな簡単なあえ人物ではなかった わけなんですねえレオナルドダヴィンチは ま あの様々なそのコンプレックスを抱え ながらえ常に そのなりたい自分になりたくて結局なれず に えー終わってしまったすごくこうあの変身 願望をえ抱えたある種のま天才であった わけなんですねでそのま彼のえ人生をえ たどりなすえ旅というのをしてみたんです けれどもちょっとイタリアの地図をま

イタリアこあの皆さんもよくご存知のよう にえ長靴のような形をしています でレオナルドダヴィンチという名前はです ねえビンチ村のレオナルドドっていう意味 でして えまビンチ村というところで生まれたわけ ですねでビンチ村っていうのはどの辺に あるかと言いますとえ真ん中よりも ちょっと上のえ にある小さな村なんです でビンチ村がどういうところかと言います とちょっと写真をいくつか えあこれがビンチ村に入るところの えま あの村の表示板で こうちょ給料地帯に差し掛かるま小さなえ 村なんですでえこれがちょっと高台から見 たあビンチ村の様子で非常に あの静かなえ美しい村でその周りは オリーブの畑とか武道の畑が広がっている 給料地帯でまレオナルドはここに生まれて え自然にに親しみながらあの大きくなって いったんだみたいなのがえレオナルド ダヴィンチの物語のまある種の定番の 書き出しなわけなんですけれどもえビンチ 村というのはまそういうのどかな今でも 非常にのどかなえ小村ではあるわけなん ですけれどもえ実はそのレオナルド ダヴィンチが生まれたのは1452年え 15世紀中ほど なんですけれども えもちろんその平和な村ではあるわけです けれどもその背景にですねやっぱり中世と いう時代が抱えている様々なあ矛盾とかあ 社会のえ仕組みというものがここに反映さ れているわけでしてえフィレンツェという 町がこの近くにあってそこではあのメデ チケというですね え家があそのフィレンツェを支配していた わけですけれども えそのその町で え有力になっていった人たちがやっぱり その様々な理由でお金が続かなくなったり え没落してこうどんどん農村にえ出てきて その年都市の生活からその土地を持つこと によって えまず人たを農民として働かせながら搾取 してえ生き延びようという風にした時代の え背景がありましてえレオナルド ダヴィンチもそういう流れの中でえ フィレンツェの町でですね あの成り上がるとした人がえビンチ村と いうところでたまたまま出会った ええ村のえ娘さんに産ませた私生治として レオナルドは生まれているわけなんですだ

からその出世の えまコンプレックスま市政治というのはと 当時でもやはりこう差別的に扱われていた わけでえレオナルドレオナルドダヴィンチ はその市政治として生まれたっていうこと がまずその出発店に大きなそのえ負のねえ 面を持っていたんじゃないかっていう風に 言われています え映像資料もうちょっとありましたっ けあこれがですねあのダヴィンチが生まれ た家って言われてるところでビンチ村を 訪れた人は必ずここに立ち寄ってえ ダヴィンチが生まれたこの石作りの家を見 てですねあここで彼は生まれたのかえー これはちょうど丘の給料の丘の上の方に あってすごく長めのいいところにあるん です で空には鳥がこう飛んでいてえ周りは オリーブ畑がこう広がっていてまここで彼 は鳥を見ながら空を飛びたいという風に 考えたんじゃないかなみたいにみんな思う んですけれどもえ実はこのダヴィンチが 生まれた家っていうのは本当に生まれた家 じゃないんだそうです えそのダヴィンチのお父さんが所有してい た不動産であることは間違いないんです けれどもダヴィンチが本当にここで生まれ たかどうかっていうのはえ疑問でもう ちょっとこのビンチ村の町の方で生まれた んじゃないかって言われているんですでも まあ一応このえ場所というのが今もあって 観光客のえスポットになってるわけですね で えそれからあのビンチ村にはですね レオナルド図書館というのがありまして レオナルドに関する資料がすごくたくさん え収容修造されていますでレオナルド ダヴィンチは実はものすごい完璧主義者で えあるいは まあここは微妙なところですけれどもその 1つの仕事に集中してその仕事完成すると いうことがなかなかできなかった人なん ですだからレオナルドダヴィンチはあの フェルメールは7枚の完成した油を残して いますけれどもレオナルドダヴィンチの 完成策というのは実はもっと少ないんです ね重数点ぐらいしか実際にレオナルド ダヴィンチのえ完成された作品というのは ないえ未産政策とか途中で放棄されて しまったものとか失われてしまったものと かがあるえそういったものを合わせてもえ 20点未満なんですね彼の絵画としての 現存しているものもその代わりえ数千枚に 及ぶあの守行コーテックスと呼ばれている えメモ書きというかなあの

え手書きのえ資料が残されているんですね えそこに彼がいろんな思いを書いたりえ 空想的に考えた空を飛ぶ装置とかえ ヘリコプターの原理みたいなものとか え器であるとかあるいは人間の解剖の様子 とかものすごく書いていてえそれがま レオナルドダヴィンチのえ科学者的な側面 というものを伺いしる重要な手がかりに なっていてその何千万以下の思考というの はですねいくつかにこうまとめられて 世界中にこう散らばってえいるわけですね でレオナルド図書館にはその思考の全ての えレプリカがああるのでえここに行くと ですねどの思考のどのページのえ裏表に 書いてるんで必ず1つのページのえ表面と 裏面の資料があるんですけれどもそれを 見ることがあできるんですでその え重要な思考 は世界の名だたる美術間にあるんです けれどもその一部はですねある時代のえ 世界で1番金持ちの人が持っている えものがありましてえアメリカで えレオナルドダヴィンチの思考の1つが あるんですけれどもそれは今ビルゲイツが 持っているんです えあこれはですねえレオナルドダヴィンチ が え20歳になるかならないかぐらいの非常 に初期の頃にえ書いた彼の故郷のえアルノ ビンチ村はアルノ川っていうフィレンツェ の真ん中を通ってる川の 上流に位置しているんですがそのアルノ川 の上流部分の風景を描いたスケッチでえま これがフェルあダヴィンチのえ1番初期の 作品だという風に言われていますこれは今 フィレンツェのウフィッチ美術館という ところが持っていましてえわざわざですね え美術館に頼んでえこれ定説展示されてい ないんですけれどもえ頼んで見せてもらっ たものなんですえダヴィンチのま故郷の 様子が描かれてえいます でレオナルドダヴィンチの子供時代の頃を ま忍ばせる えものというのはですね非常に限られて いるんですけれどもえ思考の中にですね ダヴィンチが自分の少年時代の思い出を 描いている1説があるんですそれは アトランティコ主教っていうもののえ 186ページの え裏面に書かれているんですけれどもえ そこにはこんな風に書いてあるんですね私 の私っていうのはレオナルドですけれども 私の年期のの思い出によれば私がゆりかご の中にいた時1話の飛が私のとろに飛んで きて尾で私の口を開かせ私の唇の内部を何

度もその尾で打ったように思われたからで あるという風に書いてあるんですでこの 記述がですねえ一体何を意味してるの かっていうのは え昔からまレオナルド研究家がですね色々 議論してきたことなんですねでもこの え飛び飛びって鳥ですよ鳥が無理やり レオナルドの少年の幼い少年の口を開かせ てそこに無理やりあの王突っ込んできて そこでその王を羽ばたかせたっていうこの イメージが何を意味しているかっていう ことについてえある非常に明 な答えを提示したのはえフロイトだったん ですねえ皆さんの中にはこの話をご存知の 方もいるかもしれませんけれどもフロイト はこのレオナルドが書いているイメージが 何を意味しているかっていうとこれは レオナルドダヴィンチのえ同性愛者として のえ思考を表しているっていう風にえ フロイトはま読み解いたわけなんですで まこれはもちろんすごく議論を呼んだわけ ですけれども えまフロイトがこの説を言ってからもう 100年ほど経っているんですが大まかに はですね えまフロイトその他にもいろんな仮説を 言っているんですが えダヴィンチがその同性愛社的な傾向を 持っていたっていうことに関してはですね 多くのえ科学者がああるいはえ歴史家が ですね同意をしていますもちろんそれに 反対している人もいますけれどもそうじゃ ないんなかったのかなっていう風に思と 考えてる人は多いんですまレオナルド ダヴィンチは一生涯え結婚をした形跡は ありませんしえ非常にこうあの微少年を あの弟子にしているんですねそれからえ 最後にまフランスで彼はあ息を引き取るん ですが最後までモナリザとあのヨハネの絵 とか主要な作品は手元に彼を置いてたん ですえそれを全部あの弟子のえメルツと いうあの美少年に え遺産相続してるんですねまそういった ことを考えるとあのレオナルドが え同性愛紗的な傾向を持っているっていう ことはそうかもしれないなという風に 思えるそれからえそのことがですねえま彼 のある種のこう変身願望みたいなものにも 繋がっていくんじゃないかなっていう風に え思いますでえっとあこれはですね あのその先ほどのえ鳥がですねえ レオナルドダヴィンチの口を無理やり開け てをその口の中に突っ込んできたっていう ことに関してえフロイトの説が出た後です ね別の精神分析家が

えーレオナルドの絵の1つを見てですね気 がついたことをえ述べたんですねこれは あの聖アナと聖母と小羊って言ってえ 真ん中にいる女性があのえマリアですで そのえ彼女がま処女解体してえ生まれた キリストがいてまキリストがえ子羊をこう に無理やりこう乗っかるとしているのをま マリアがこうちょっと止めていてその マリアを後ろからそのマリアのお母さんで あるえアンナがま優しく見守ってい るっていう絵なんですけれども えマリアがせ聖母が聖母マリアがこう まとっているあの青い布を見てください この青い布がえー実は鳥の形をしてるん です ねこれがその頭の部分で口ばしで首があっ てこういう風に羽が広がっていてその羽の 端が えキリストの口の中に入っているっていう え謎解きをした人がいるんですまその審議 はえ誰にもあの本当のところは分かりませ んがまこれと先ほどのフロイトのえ解釈と いうのがですねま非常にえ大きな議論をま 読んだわけなんですで えあそしてですねえ私はその後 フィレンツェに行きますましたで フィレンツェはそのダヴィンチ村のえすぐ そばにある大都会でしてえここのえ私と 一緒に写っているのはですねえこれ フィレンツェのえ町を背景にしているん ですがこの えこの方はですね ええルカ先生という人でえフィレンツェの え博物館のえ昆虫学者なんですねでま虫 好きていうのは世界中にこう仲間がいまし て えこのまこの先生と えまちょっと連絡を取り合ってですねえ この特別なそのタワーの上にタワーという か博物館の1番高いところにえ入れて もらってえこういうあのフィレ フィレンツェを見渡す あの綺麗なところに連れてってもらだった んですが実はですねこのえルカ先生と私は フィレンツェ村そのものではないんですが そのビンチ村に行く途中の山にえ行って ですねえちょっとあの昆虫採取をしてきた んですねえなんかあそっかごめんなさいえ これが え あのちを取ったところで えこれヨーロッパ内というえ日本の町に似 たあの素敵な長なんですけれどもえそれが こうヒラヒラえ飛んでいる場所をですねえ ルカ先生が教えてくれて

え最終っていうかまもちろんあの えこう取ってもあのもうあの私は散々その 残酷なことを子供時代からしてきましたし 研究者になってからもですねえもう数え きれないぐらい あの実験動物の命をあの奪ってきたんで もうこれ以上はあのあんまり無益なセシは しまいと思って無を取ったら写真を撮って 一応あのリリースすることにしています けれどもえその えフィレンツェの郊外でえ あの腸を取ったあの え1シーンなんですでなんでその超あの村 ダヴィンチレオナルドがえ過ごしたあのえ であろうそのフィレンツェの郊外でえ腸を 取ったかと言いますと あのレオナルドはえ空を飛びたいって ずっと考えてたわけですねで あのグライダーに似たようなものとか羽を こう羽ばたかされせる装置とかえま いろんなものを考案しているわけですえー それからその羽ばたくためにえ鳥の悲傷の 研究もたくさんしていますで鳥はあの 羽ばたくためにその胸の筋肉がものすごく 発達してるわけですあの鶏焼き鳥なんか 食べるともも肉っていうのがありますよね もああ胸肉胸肉はえ非晶のための筋肉で鳥 はものすごく強力な筋肉を持ってるわけ ですでレオナルドも人間の筋肉の走行を 色々研究してあの飛ぶに足るあの筋肉を 持ってるかどうか調べたんですけど結局鳥 ほど強力な羽ばたきのための筋肉を持って ないわけですねえだからその飛行装置って いうのはえ鳥を真似する形ではあの結局 実現できなかったんですでその空を飛びた いっていうその気持ちっていうのはえこれ はあの内田タさんのを呼びした時にお話し したま宮崎アニメの1つのあの重要な モチーフですよね主人公必ず空を飛翔する ま少女が飛翔するそれはまナウシカで あろうとえ魔女の脱便であろうと えトトロであろうと必ず空を飛ぶシという ものが出てくるでそれは一体何かっていう とま内田タの読み解きはですね宮崎早生 自身が その違う次元に飛翔する時のま自己 イメージのえ現れであるっていう風にま 書いてるわけですよねでその空を飛ぶって いうのはまある種の変身願望でもあるわけ ですでもその空を飛ぶ鳥っていうのは今 から1億5000万年前ぐらいにえ爬虫類 から進化して現れ ものが鳥だと考えられてるわけですけれど も進化学的に生命の歴史をこう長め渡して みるとですね鳥が

あの空を飛ぶよりもずっと前に鳥が空を 飛ぶ1億5000万年前よりも3億年も前 にすでに空を制していたえ生命隊がいた わけですそれは何かっていうと蝶ですよ虫 虫の方が先に空を飛べてたわけですしかも 鳥とは全く違う原理でえ空を飛ぶことに 成功してたんですね虫にはあんな強力な 筋肉はないしえ飛行するために鳥が飛ぶ 原理っていうのは飛行機が飛ぶ原理と基本 的に同じでまずはあの羽の力を使って空に 飛び上がるわけですけれども飛び上がった 後は上昇気流に乗った 後羽の形を使ってを確してるわけですそれ は飛行機のあの羽の断面と同じでえ気流の 流れを2つに分けて羽の上側を 流れる気流と下側を流れる気流の速度を 変えるようにえ非対象の流線形に羽の形が なってるわけですこれは飛行機も鳥もそう ですそうすると上を流れる気流の方が早く 流れるのでえこれはベルヌーイの定位って いう定理っていういうのですけれども気流 の流れが早いところと遅いところがあると 気流が流れる ところ早く流れるところと遅く流れる ところに気圧の差ができて早く流れる方が 気圧が低くなるわけですそうすると物体は そっちの方に持ち上げられるわけですそれ 用力と言いますけれどもえそれを使って鳥 はカしてるし飛行機はジェットエンジンに よって水深力を生み出して気流の流れを 生み出し羽の形で気流の差を生み出して上 に持ち上がる力を生み出してるわけですえ それに対してそれに反して昆虫は全く別の 方法でえ空を飛んでいるわけなんですが その蝶々がどうしてその風の中を舞い ながらちゃんと飛翔するかっていうのは腸 はもちろんまっすぐは飛べないんそんな 水深力は持っていないからでもあの羽を うまく動かしながらどんなトプが吹いてき たってあの墜落することなくヒラヒラと こう飛ぶことができるわけですねでそれ トボだろうがあのごきぶりだろうが昆虫は 全て飛ぶ飛べる羽を持ってるんですがその 飛翔の仕方っていうのは鳥とは全く違う 原理で飛んでるんですでも人間は未だに鳥 がああの昆虫がちゃんとどういう風にに 飛べるかっていうのを完全に無法すること はできなくてえ飛行機とかあのドローン みたいなものは作り出すことができてい ますけれども昆虫を無法した飛行装置と いうのは未だに作れてないんですですが そのダヴィンチおそらくその鳥を諦めた鳥 みたいに飛ぶことを諦めてそんなに筋肉は ないしそんなに悲傷するあの装も作れない けれどもその後にま彼は彼はずっとこう

自然観察を続けてきたはずなのでえどこか でですねその昆虫の悲傷っというものに ついてえ考えたあるいは研究したえで あろうし子供の頃からその虫が飛んでいる 風景に親しんでいたで あろうと私は思うんですそれがこの レオナルドダヴィンチの え地図をたどりすっていうえ私のテーマの 非常に大きな問いかけでえダヴィンチは どっかで蝶 を飛ぶ1つのモデルとして考えていたし その蝶というものが彼自身のその変身願望 の1つのモチーフになっていたんじゃない かなっていう風にもえま思うわけですねま その手がかりを色々調べてみたいなという 風に思って今回の旅に出ているわけなん ですがちょちょっと戻っていただいて えっとあこれの手前は取るんですあえ次に 行ってくださいえーこれはです ね あのダビデゾっていうあの聖書に出てくる え少年がその え意を持ってえ怪物を倒したっていう ダビデの像でしてえミケランジェロ が作った ダビデというのはあまりにも有名でこれは まフィレンツェのアカデミア美術館にある んですけれどもえもう1つですねえ ベロキスが作ったダビデの像があります この2人のダビデは全然違いますよねあの ミケランジェロのダビデはま非常にこうえ ギリシャえ彫国みたいなま素晴らしいあの 肉体日をを誇っている金星の取れたえ ダビデ像ですけれども ベロキスだったかというとえベロキスはえ レオナルドのえ師匠だった人なんですで レオナルドはビンチ村でえま生まれました けれども えレオナルドのお父さん自身は えフィレンツェの町でですね交渉人って いうあの今でいう司法諸子みたいな仕事を して えどんどんどんどん実力をつけてですねえ フィレンツェの中でこう成り上がっていっ たある種のまエリートビジネスマンだった わけなんですでも そのお父さんの政治としてで生まれた レオナルドはえー自分のようにその ビジネスマンとして育てる道をお父さん 選ばずにえ早いうちにですねその職人とし てのえ技を身につけさせるためにこの ベロキスの攻防ベロキオさん意あの石で いろんなものを作るえ人でま美術工芸もし ていたんですけれどもそういうところにえ 156歳の時にえレオナルドをまそこに

方向に出し てしまったわけなんですだからレオナルド 自身はですねえ自分は高等教育を受けてい ないだからラテン語を読んだりする所用が ないっていうことをま一生ですねあのある 種のコンプレックスとして思っていたし 私生治だったのでそのちゃんとした教育や まビジネスの道に入れずにその職人として え育ったっていうことをまある種の コンプレックスに思っていたはずなんです ねでもですねこのベロキオさんという人が ですねえー実はまレオナルドに色々悪い ことを教えてしまったんじゃないかなって いう風に私は思いますというのはこのベロ キオンが作ったダビデゾっていうのはえ レオナルドをモデルにしてえー作ったと 言われているんですえーだからまあ ベロキにとってはですねえ美少年としてえ 自分の攻防に入ってきたあレオナルドが ですね まあなんて言かな そのこれはその今具体的にこここで言うと これビデオに取ってるんであの言えないん ですけれどもま有名な芸能事務所があり ますよねえそういった感じに あの まあそのまベロキ攻防に入ってですねま 元々レオナルドはそういう傾向を持ってい たのかもしれないですけれどもえここでえ その師匠のベロキが え夢に見ているような美少年として現実に 目の前に現れてきたのがまあレオナルド ダヴィンチであったんじゃないかなという のをま物語る1つのええまあのダビデ像な わけですはいえあでこれはですね え これこれ9時までだっ けこれは全然このあの先に進まなくなって しまいますね えどうしたらいいか [音楽] なまあしょうがないですねあのえ今日 できるところまでやりましょう あのえレオナルドダヴィンチがこの ベロキスフィレンツェのベロキスであの絵 の修行しながらえま彼の芸術的な才能も そこで花開いていったわけなんですがえ ちょうど フィレンツエえレオナルドがま10代から 20代にかけてえこのフィレンツェで修行 していた頃にフィレンツェはどういう時代 を迎えていたかっていうとえメデチケと いうですねあの銀行家がえ表向きは フィレンツェは共和性って言っていろんな 人たちがその合議性でものをあの動かして

いた時代なんですがやっぱりそこは建前と 本音がありまして有力なああのメディチケ がですね主要なえ政治的な地位についてえ 町をコントロールしていたしえ莫大な利益 を得ていたわけなんですねで当然その メディチ家にえ反対する対抗する勢力も あってですねま血で血を争うすごいこう え紛争がえ繰り返されていたんですけれど もちょうどですねレオナルドダヴィンチが え27歳の時にですねえ フィレンツエツ行かれた方いますかこん中 であもう何人もいるんですねそしたらま あの思い出しながら聞いていただいたら いいんですけれどまご存知えのこととは 思いますけれどもフィレンツェにはこの花 の大聖堂っていうものすごいなあのえドオ もドームを頂いたえま中心となるその大 聖堂があるんですでその大聖堂でえ 1478年かなえに え盛大なミサがその教会の中で行われてた んですねでその1番いいところにはあの メディチ家のえ若き党首であるですね ロレンツメディチという人とその弟の ジュリアーノメデチっていう人がえ後に そのえミサを取り仕切るま一番重要な場所 にいたんですでえそこにですねメデチケと えライバル関係にあるえパツ家っていう それも銀行家なんですけれどもえメデチケ がフィレンツェの主要な政治的な支配をし ているがゆえにですねバツ家はいろんな ことでその商売を妨害されていてえメチ家 に対するこう不満というか恨みをどんどん 募らせていた え時代だったんですでその事件はですね そのミサの最中に起こりましたえーパツ家 の え武装集団がですねえロレンツメディチと そのの弟のジュリアのメディチというのに 襲いかがってこうナイフでめった差しにし てしまったんですねで弟のえジュリアーノ メディチはその場でその教会の中でですよ しかもその え攻撃する方もえ生殖者なん ですそのバッツと結んだでそのすごい撃が 起こってロレンツあジュリアのメディと いう弟の方は重数か所刺されてその場で 死んでしまいましたでもお兄さんのそっち の方があの党首だったんですけれども お兄さんのロレンツメディチの方はですね 辛くもその襲撃あの傷を追ったんです けれどもえ教会の後ろ側にあった生物室 っていう小さな部屋に逃げ込んでえーこの 道の扉を閉じてですねえなんとか南を逃れ たんですでその後ですねあのその クーデターは失敗に終わってパッツはその

視聴者とかいろんなところを乗っ取ろうと したんですけれどもえフィレンツェの市民 はメディチ家を支援してえパツ池のその空 デタあの全部あの失敗に終わってですね 今度は生き残ったロレンツメディチがです ねえ大宿世を行うわけですでパツ家のえ いろんな人たちを捉えてフィレンツェの え真ん中にあるえ広場でですね次々と処刑 をしていったわけですねであの下し人の 1人はですねその場から逃れてえずっと 遠いコンスタンチノープルというところ まで逃げたんですがメデチケのあの追求が えもう地をはい水をする勢いでどんどん 進んでいってその遠くまで逃げた人もです ねとうとう捕まってフィレンツェに 連れ戻されて公主系になったんですがそれ をレオナルドダヴィンチがその公系の様子 を えスケッチに残しているんですでこの スケッチは今はパあのフランスのバスク 地方にあるボナー美術館っていうところに 所蔵されいてえこれはもう 156年前ですけども私はたまたまその ボナ美術館に行った時にですねそこにこの えレオナルドダヴィンチがあ残したその パッツ事件の処刑のスケッチがあるという のを知ってたんでその時頼んで見せてもら 現物を見せてもらったことがあるんです けれどもこれぐらいの大きさでえこう 首吊りの様子が書いてあるわけですそして でレオナルドダヴィンチはその全てのあの 記述を鏡文字って言ってあの反転した え文字でこういう風に書いてあるんですね だからこれなんか一見裏みたいに見えるん ですけれども実はあのこっちからこっち 向けにこうあの書いてあってここに何が 書いてあるかって言うとこの え襲撃班があの処刑された後彼が何を着て いてそれが何色だったかていうのをこう あの詳しくあの書き記しているんですねで ななんでこんなスケッチを残している かっていうことも色々ま議論があるんです けれどもえ青年レオナルドはこの歴史的な 一大事件にま立ち合ってえこういう記録を え残しているわけなんですえで本当はです ねこの後にに えフィレンツェからですねレオナルド ダヴィンチがあのえミラノに えそのフィレンツェにいたんですけれどま 様々な理由からえフィレンツェを捨てて ですねえミラノに行ってえミラノでえ10 数年を過ごすんですねで有名な最後の晩餐 もあのミラノで描かれたんで私はミラノに 行ってそのえ最後の晩餐を見ながらま ダヴィンチのえ即席をたどってそのミラノ

の後ですね今度はベネチアに彼は行くん ですねえその即席をずっと辿っていったん ですがえ今日時間がですねえここぐらいで 終わってしまってちょっとだけミラーのの 様子を見て ください えっとあそうだフィレンツェであのあこ ちょっとだけこの話をさせてください フィレンツェであのフィレンツェま非常に 古い町でそういうまメディチ家の斬撃 みたいなことが行われたまあのダークなえ 歴史にえを深くこう宿した町なんです けれどもえ今はもう明るい観光都市になっ ていますでもその町の様子とかここに メディチケの屋敷があったとかここにダビ の え出入りしたベロキオの攻防があるとか えここで殺人事件があったとかそういった え場所っていうのは15世紀のそのまま 全てが残ってます通りの名前もえ館もま もちろんそれは色々回収を経て当時その ままではないですけれども町の様子はその まま歴史がその封じ込められて残っていて えその間に面白い店がたくさんあるんです ねで私はある古道具屋に行ってですねえ その中にまいろんなガラクタがえあるん ですけれどもその片隅にですねそのコイン を昔のコインを売ってるま10パ一からげ になって売られてたんですねでそれをま ちょっと見てたらえま私は子供の頃は虫お として昆虫をいっぱい集めたんですが実は その他にもいろんなありとあらゆるもの 集めてたんですあの切符とかねあの入場件 とかえ切手とかコインとか でなんか昔のことを思い出してあこんな コイン昔集めてたなと思ってこのコインを 見たんですけれどもさすがにイタリアの 古いコインのことまでは全然知りません でしたでもなんとなく勘が働いてこの コインの奥の方からですね2枚のこういう あのえ大型の銀貨を選んでえ店のおじさん にあのこれいくらですかとか聞いたらえ店 のおじさんなんかあんまりその商売系の ない人であそれは1枚10ユロって言って ま10ユロですから今ユロかなりえ安く なっていてえまあ10ユロだから 1100円ぐらいですよねそれを2枚買い まし たであの帰ってきて色々調べてみたらえ びっくり業転これはすごいあの価値がある コインだということが分かりました 1918年なんでもう100年前ですよね でもう1つの方はこれ 1890何年のゴリラですからまそその 額面の値段はあの大したことはないんです

けれどもえ10ユーロで買ったこの1枚の コインがえカタログ的にはですよあの 1000ユーロの値段がついておりました んであこれはなんかちょっといいことあり そうだなとえここで使ってしまったのかも しれないんですがまそういうことがあり ましたで えこれまミラノですよねそれからえっと これはミラノにあるあのピナコテクって いうあのまこれレオナルドの本当のえ思考 をたくさん持っていてレオナの絵も持って いるあの古い美術館なんですけれどもま この話はまたあの次の機会にさせて くださいでレオナルドのえ像がですね町の あの一番こう開けた広場にあるんです けれども え下にこの美少年彼が弟子にして可いがっ ていた美少年に囲まれてレオナルドは立っ ていますそしてえあこれメルあえっとサだ なえ美少年にえ4人のあの彼のまえ弟子に 囲まれて立っていますであのヨロ先生の時 にもちょっとお話したんですけども私も ヨロ先生もですねなんか話す時にあんまり 皆さんの方こう直視できなくてついつい こう俯き加減にえ話してしまう癖があるん ですねだなんか福岡さんいつもよく下向い て話してますねっていうですけれどもま それはですねあのある種の知的な恥ですよ そのやっぱこの何かを話すっていうことは 実は本当は恥ずかしいことなんですだって そんなに あの偉そうなこと話してるわけでもない ほんの思いつきやまあのちょっとした発見 ま童貞傾向とか色々え面倒くさいこと言っ ていますけれども実はこれはそんなに 大したことじゃないずっとずっと昔から 人間が気がついていたことをもう1度 新しい言葉でほんの少しだけ新しい表現で 言い直してるに過ぎないわけなので ついついまそそういう そのなんて言うかな知的な恥いっていう ものがありますからそんなにその面と 向かっては話せないんでこう視線が落ちて しまうわけなんですでもそれが あの知的であることのスタイルっていうか 本当に知的であることはえー自分がその ひょっとしたら間違ってるかもしれないっ ていう謙虚さを持ってるってことが本当の 知的なことであると私はずっと信じてる わけですねだからあの財務官僚みたいに 絶対自分は無病であるっていう風に考え てる人たちは東大の法学部トップで出て いるかもしれないけれども本当は知的では ないわけです知的であるとついついこう うき加になってしまうんですけれども皆

さん見てくださいこの レオナルドちゃんとこう俯いてますよねと いうことでえ今日はここで終わらせて いただきますありがとうございまし [拍手] たえっとじゃあ質問がある方は挙手でお 願いいたし ます 大丈夫でしょうかはいえそれでは一旦 こちらでお話占めさせていただくことにし ますありがとうございまし た

2016年8月22日に「福岡伸一の知恵の学校」で開催した、福岡伸一による講義、第5回 動的平衡ライブのアーカイブ映像です。

※情報は全て開催当時のものです。

(目次)────────────────────────────

00:00  人間の「意識」とは何なのか?
06:50  混沌の世界の中に地図を作る
10:43  生命は分けてもわからない  
16:25  相反する作用を同時に含むものが生命である
21:15  自分なりの地図をつくる
24:55  フェルメールとレンブランド
41:03  レオナルド・ダ・ヴィンチをたどりなおす
49:34  ダ・ヴィンチの手稿
58:56  空を飛びたい
1:08:33  ダビデの像
1:23:13  「知的」であることの条件:「謙虚」と「自己懐疑」

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◎課題図書
『芸術と科学のあいだ』/福岡伸一/木楽舎
『フェルメール 光の王国』/福岡伸一著 小林廉宜写真/翼の王国books

◎参考図書
『フィレンツェ―初期ルネサンス美術の運命』/高階秀爾/中公新書
『メディチ家』/森田義之/講談社現代新書
『イタリアの旅から―科学者による美術紀行』/多田富雄/新潮文庫

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「世界を解くキーワード、それは動的平衡」

【福岡伸一の知恵の学校】は、読書を通して新しい知識や価値観と出会う楽しさを実感できる、「本」の価値を再発見していく取り組みです。

校長は生物学者の福岡伸一。福岡校長に事前に選んでもらった課題図書を講義の中心として、これまでの読書歴から辿ってきた時間軸を見つめなおします。

「動的平衡ライブ」では、地図を通して世界を見るマップラバーと、地図がなくとも世界を見ることのできるマップヘイターという二つの軸をもとに、福岡校長が本を入り口に生命を「科学」ではなく「物語」として新たに解釈し、科学の専門知識がなくとも、小説を読み進めるように理解が深まる内容となっています。

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