造血細胞移植の現在とこれからを共有しよう

皆さんこんにちはようこそつばさ チャンネルにおいでくださいましたえこれ から倉敷から増結細胞職の今とこれからを 共有しようをお送りいたしますえ本当に 今日はあのえ大切なプログラムを組んで いただけたらなと思いますえ増結細胞移植 はあ基本をまず一緒に勉強したいと思い ますそしてえこういう世界で私たちは凍結 細胞移植のえを受ける人たちを応援でき てるんだなということがえ浮き彫りにさ れると思いますのでえ是非一緒にえご覧 くださいそして一緒に考えてください そして一緒に希望を持っていただけたらな と思いますはいえ梅田先生本日はあの共催 をしていただきありがとうございます本日 はどうぞよろしくお願いしますえ倉敷病院 の上田ですさ本当にあのこういう機会を 作っていただいてありがとうございます あの私たちと一緒にあのこういう会を持ち たいというお話をいただいてすごくま正直 なとこ嬉しかったですで実は私たちの病院 今年でちょうど100周年になるんです けれども私自身の心としてはその100 周年の記念のプログラムとしてあの企画 させていただきましたで移植という医療を 考えた場合にですねもういろんなところで されてますで私たちなりにその中でお示し できることは何かなと考えた時に例えば あの移植の コーディネートというな問題そしてですね 例えばあのアフェレシスっていう細胞を 取っていくようなことまそういうある意味 でインフラに相当するような部分について は少し私なにたちなりに頑張れてるかなと いうところもありましたのでまそういう プログラムもですね一緒にあの込めて 暮らしていただきましたこれから4時間長 丁場ですけれどもどうぞあの参加して いただきたいと思いますしまたあの YouTubeでご視聴いただいてる皆 さんどうぞいろんな形でですねご参加 いただければと思います本日はどうぞ よろしくお願いいたし [拍手] ますえそれではあの早速最初のプログラム に入りたいと思いますまず基本を 学ぼうということで同州増結官細胞植と そのドナーについてコバンクドナーも体験 の体験もめてこれあの私たちのところの あの応援した先生彼は実はドナーになった 経験もありますその経験も含めながらです お話を聞きたいと思いますどうぞよろしく お願いし ますあよろしくお願いしますえっと画面 共有させていただきますはいえっと

よろしくお願いします倉中央病院の決内閣 の西と申しますえっと本日はリモートでの 参考となり申し訳ありませんそれでは僕の 方からは同士結関西防職とそのナーについ てえご自身のマドラの体験も真面目てお話 をさせていただきたいと思い ますまずえ増結間細胞とはというところで お話をさせていただきますえっと同月関 細胞とはえっと骨の中の骨髄の中にある これですねえっと血液の細胞の大元になる 細胞で設計級や八景球決勝版へとこの細胞 からどんどん細胞成長して文化をして いろんな細胞を作っていく大元の細胞に なりますでもう1つの大きな役割としては こちらに書いてありますが自分自身と全く 同じ増結関西を不正するそういうことが できますそういったことがこの骨と血液の 製造向上の中で行われている状況になり ますでは増結関西をどこから取ってくるか ということになりますで1つは小いですね 直接骨に針をさしてりの関細胞を採取して くるやり方りの採取のやり方移植のやり方 であったりですとかこちらは後で本日の方 から詳しくもう少しお話をさせていただき ますあと満月の関細部ですねこちらは景を 増やす駐車をして八景器を通常の10倍 ぐらいに増やしてで通常は血液中に関西用 はないんですけれども漏れてきた関西胞を こういった建設の機械みたいなのを使って 関西部の成分を採取させていただくという やり方になりますこちらに関して後で看護 師の村さんの方からお話を聞いていただく ことになりますで最後最対決ですがこちら ですね赤ちゃんとお母さんのえっと繋いで いるへそのですねこの中にも細胞が たくさんありましてこれを凍結法して使う というやり方になりますでこの血縁非血煙 ですね骨まし結の非血煙血の繋がりのない 方ドさんになっていただくていうのをコ バンクを返してしておりますし最大月に 関しては最大月バンクを買って移植を行っ ておりますでそれぞれ少しあの色んな ところが違う点がありましてまず個バクの 場合は登録をして移植をするまで約34 ヶ月ぐらいかかります最大率に関しまして も凍結保存しありますので最短では数日で 大体を手に入れることができますその他 この2つであれば発が政策と言ってあの 増えてくるまでの期間のその2週間ぐらい になるんですが最大決は細胞数が少ない こともあって約3週間ぐらいかかると言わ れておりましてまそれぞれの特徴を踏まえ ながらどの意を行うかということを考える ようにしており ます続きまして日本でのえ今お話をしたホ

バンク最対決バクですね決演者間の移植の を示したものになりますえ1番初めが平成 4年ぐらいからえと移植を開始1992年 ぐらいからですね開始をしておりまして 大体ここ数年では年間で2500円ぐらい の一直を行っておりますで少しちょっと見 にくいんですがこの黒いバーですねこちら が最対決の件数になっておりまして見て いただくとま最対決の件数が近あの増えて きている状況になるかなというところに なりますあともう1つこの白抜きのブラ ですねだんだん少し増えてきてるこちらは こバンクを解した先の2番目真小月のあの 関西胞採取をさせていただいたナさんに なりますが元々は骨バンクの場合はこい からしか採取ができなかったんですけれど も近年は真小結もドナーさんでもあの採取 させていただいてもオケーということで 現在採取をさせていただくようになって おりますこちらがえ東海の同州職の奨励研 になっております東海では1993年から えっと血煙者の突職から解消しておりまし てえっと日本のえっと芸と同じようにあの の青の場ですね最対決の食があの近年は かなり多くなっている状況になります大体 年間で25例から30例ぐらいえっと1月 2年2点ペースぐらいで同収職を行って おりますで東海でもこのオレンジ色の フラフのところになりますがこれが先ほど お話をしたコバンクからの抹消結も細胞の 頂いての移植というものも2012年から 開始をしており ます続きまして増収植をする中で1番大事 になってくるのがこのHLAといった発球 のタイプになりますえっと血液型は設計球 のタイプになりまして輸血をする時には 血液型を合わせる必要があるんですけれど も同収職をする場合にはこの発器のタイプ だHLというのを合わせる必要があります ただ同収職の場合は設計級のタプの血液型 が異なっていても移植することは可能です HLに関してはA座B座C座Drの4座 合計8工ありましてそれを合わせていく 必要がありますで両親からそれぞれ半分 ずつですねあの受け継ぐことになりますの でえっと兄弟感で令が適合する確率という の1/425%になりますただし量子や 親戚では1%以下他人同士では数百また数 万人に1人の確率での適語という風に言わ れてい ますでこちらでなぜX合せ合わせなければ いけないのかという話をさせていただき ますまずドナーさんの増結関細胞を移植を して患者さんトの中に入りますとまずこの 患者さんの細胞がこの増結関差は自分じゃ

ないという判断をする免疫の働きができ ましてそれを攻撃するのが拒絶という反応 になりますで拒絶をされると正着不全と 言って発が増えてこないという状況になっ てしまうんですけれども無事その状況を 乗り越えるとえっと増結解法が増えてき まして来の細胞が増えてきまして今度は この移植した細胞ですねドナーさんの細胞 が患者さんの体を自分じゃないという反応 免疫の反応ですねていうのがこちらの gvhd移植変態縮病というものになって 患者さんの寄付であるとか腸肝臓といった 正常の組織を攻撃をする免疫な反応を 仕掛けてしまうことになりますただこれは 裏表がありまし て感覚療法や放射線治療よに消え残ってる 景色でなかった血量細胞のの血液の細胞も 免疫の働きを使ってやっつけるといういい 働きも持っておりますですのでHという 自分自分でないかの免疫の識別を回るよう なたのものなんですがこれが出ないとこい た免疫の反応が強く出てしまで強く出て しまうのはこのgvlという病気の細を やっつける反応に関してはいい面があるん ですけれども拒絶の反応を強くしてしまっ たりですとかgbsdを強くしてしまう 可能性があるのでえれを合わせていく必要 があり ます続いて移植電子期のお話をさせて いただきます移植の全書値というのは移植 の直前に行う化学療法なんですけれども こちらは化学療法線治療など強力な治療で 病気の細胞も含めかもえっと患者さんの骨 の細胞を空っぽにするような治療になり ますこちらがえっと骨患者さんの骨でベと いうはレシピエですね患者さんの細胞書い てるものになりますがこちらに自然処置を 行うと患者さんの弟子の細胞が消えますで そこに移植を行ってドナさんの細胞が入っ てくというイメージになりますで細胞を 減らすというだけではなくて先ほど強烈の お話をしたんですけれどもあの患者さんの 免疫を抑制すすることによって移植された 間細胞が拒絶されてしまわないようにと いう意味合いもありますでまた移植全書値 に関して強さによってつですね次破壊的植 というま通常の強いくるマッと言われてる 全書子の他に強さを弱めた強度減弱全処置 ミニ色リックリストと言われてますがその 2つがありますイメージ的にはこの全所置 がもあの小さくなるという感じのイメージ を持っていただけたらと思います税少値の 強さを読めることで体の負担を減らすこと ができるんでいい点としてはご高齢の方で あるとか合手症の患者さんでも施工する

ことが可能なんですが問題点としては病気 の細胞を焼きつける力も減ってしまいます ので病気の細胞が残ってしまって再発が 増えてしまったりですとかその免疫を抑え を力が吸いわってしまうことで政策全が 増加してしまう可能性もありますで他の方 のものが体に入るという点は変わりあり ませんので先ほどのgvhdとかgvlと いう免疫の反応に関して同じように出ると 考えいただいたらいいかなと思い ますまとめますと同種同結炭細胞移植とは まず全処置強力な全処置によって病気の 作用をできるだけ減らすただ減らしきれ ない消しきれないものに関して今お話をし たような免疫の反応ですねgvl効果に よって病気の細胞を完全にやっつけて しまうというのが同中増血関西防食になり ますで移植と名ついてるんですけれども 手術で体の中に戻すわけではなくてですね こちらの絵のように輸血と同じような形で この関細胞輸血敵をする天敵の形で体の中 に入れることによってきちんと関細胞が また小い定着をして血液の細胞を作って くれるという流れになっていますでこちら に戻りますが全所地と免疫反応でも完全 病気の細胞をやっつけることによって病気 の細胞え完全病気を直すということを目標 にしているんですけれどもやはりいろんな 免疫の花も含めてですね移植をすることに よって命に関わってくる可能性というもの も考えておかなければばいけませ んですので移植をするという選択はこの うまくいく確率あとは移植でいろんな合併 書の確率をま天秤にかけてですねその上で ご本人やご家族が移植をしたいのかしたく ないのか病気の状況がどういうものかと いうことを考慮して考えていく必要がある んですけれどもただやっぱりこの移植を 行うかどうかの決定とのいつも非常に 難しい問題になってるかな難しいま判断に なるかなというところになり ますはい続きまして同州植号の経過を示し ておりますこちらがいて移植をしてから3 ヶ月ぐらいまでの経過に関してをまとめた ものになって患者さんの説明用紙から場を してきておりますまず先ほどの全書置です ね横断剤放線治療をすることによって発の 数が0になりますで発球の数が制作といっ てま増えてくるまでですね大体23週 ぐらいかかりますのでこのも発球0の状態 になります白血球というのは筋とウイルス をやっつける細胞ですので0っていうのは 課状のとんでもない状況になりまして住所 の感染書が出ないかどうかというのも この間すごく注意が必要になってきますで

無事制作をしますとその先ほどお話しした ようなこGVと免疫の反応とかが出たりと かですねというところの確認も日も しっかりしていく必要があります入院期間 としては一般的にはま3ヶ月100日 ぐらい例とは言われてはいるんですが退し と割りではなくてですね退した後になって もこの慢性gvhdであるとかgvhdを 予防するために抑えるために免疫億世代を 使うことによって感染症にの長期に注意を していかないといけませんし再発しないか とかも含めてですね長期点の合併症に関し ても注意をしていかないといけないところ がありますのでそれでま退位した以後も ですね年数年あるいは10年以上にわたっ てあるいは一章をかけて行っていく治療と いうものがこの同種移植という治療になる かなという風に考えておりますでえっと 移植後の経過に大事なところのお話をさせ ていただきますまずは先ほども出てきまし たgvhdですね移植した関細胞が患さん の体をきしてしまう免疫の反応になるん ですがこれの急世紀のものについてお話を しますこちらに関しては発揮球がしかり 作れるようになった定着した後大体植23 週ぐらいから出現することが多いと言われ ておりまして症状としては皮膚の症状で あるとかオト蹴りの消化感障害でオト蹴り もきつくなるとえっと出血してしまわれる こともありますので十分注意が必要です あとは肝臓の障害ですねというもの出て くる可能性があってこちらに関しては免疫 抑制剤を使うことによって免疫の反応が 強く出すぎないようにしてはいるんです けれどもすごく強い反応が出てしまうこと もありましてそういう場合に関しては命に 関わる可能性もあるすごく大事な反応に なってきます続きまして満載期のジブです ねになるんですけれどもこちら移植室も 一般的には3ヶ月ぐらい経ってかあるいは 数年かけてですね数年経っても出てくる 可能性があるものになる免疫反応になり ます自己免疫疾患に満し症状で先ほどの急 世器の症状と同じようなものもあるんです けれども特徴的なものとしては目や口の 乾燥であるとか配負担がかかってしまって 酸素の投与が必要になったり場の肺の測を 検討しないといけないこともあったりし ますこちらも免疫を成代で治療するんです けれども免疫力成代を使うことによって 完成症が増えてしまうことにも注意して いかないといけませんし超た症状が出る ことによって得生活の質の低下が出て しまうこともありますので注意をしていく 必要があり

ます続きまして移植後のひり感染症につい てお話をさせていただきますひより感染症 というのは通常であればえ通常の免疫状態 であればあまり問題とならないような弱い 細菌や真金ウイルスになどによる感染症の ことでこちらは離職後1ヶ月1ヶ月から3 ヶ月3ヶ月以降帰っていますけれども見て いただいた通り割とあらゆるウイルス最近 新金とあの患者さん戦っていかないといけ ないというところになっており ますはいここまでは意のお話でここからは 自分の体験を交えて個職のここですね ドナーについてのお話をさせていただき たいと思いますえっとまず自分のバンクの 登録のきっかけなんですけれどもあの血液 内になってま骨バンクのナーさんのり採取 をしたりバクノナさんから患者さんに移植 を行う中で自分ばかりがその取らせて いただいていいのかなというところで自分 も提供しないといけないんじゃないかなと いう義務的なあの思いもありまして登録を させていいきましたただ登録てが10年 以上全くさがなしでしたのでもうこのまま 自分通知来ないのかなと思っていたところ にひこに通知が来ましたのであの少々驚い たかなというところのが実際のところです えっと看護師の妻はあなたが希望するなら とすぐに賛成してくれたんですけれども後 になってからやっぱり学生症が気になった かなという話をしておりましたしあの母も 大丈夫なので心配行にはしていましたが 最終的には賛成をしてくれました小学生の 子供たちはまだよく返しておらずお父さん はどこかにお泊まりするらしいくらいの 認識だったよう ですはいでこちらが骨食ドナーの全体の 流れスケジュールになりますまずえっと ドナーさんになドナーさんどこですかと いう通知がてそっから始まりましてまずは 確認検査と言ってえっとバンクの骨バクの コーディネーターさんから移植について 詳しいお話を聞いて採決したりラトの確認 をしたりもちろんあの意思の確認ですね ナーとしての意思の確認をしてそこマする と今度最終通りと言ってこちらに関しては 家族も同席をした上でまた詳しく移植に ついてのま流れであるとかま注意点ですね 合併書とかの話を聞いてで大事な点はここ でもし家族のえ反対ですね家族の賛成が得 られなければ中心になってしまうという ところになりますであの最終通りもパス すると今度は実践検診といって採決や シレズレトリ排機能検査スカの受信等でま 体の全部ドナーさんの体の全部を確認をさ せていたいいてででも問題なければ自己血

の採決といってえっと個の最初一般的に1 Lぐらい骨液を取らせていただくことに なりますので1Lが出血したことに出血し たことになってしまうんであのあらかじめ 自身の血液を2回ぐらいに分けて貯めて おいてそれを最初の時にあの中に戻すこと で貧血にならないようにという対応をさせ ていただいてますでこの確認検査から実際 採取までが34ヶ月ぐらいでこの最終通り から実際に採取するまでが12ヶ月ぐらい の期間という風な感じで考えていただい たらいいかなと思いますで最終同以降は ですねドナーさんの希望でドナーの中止 っていうのはできなくなりますもちの ドナーさんや患者さんの体調で中止になる 可能性はあるんですけれどもでこの頃から 患者さん側の移植に向けてのいろんな準備 ですね学療法も含めた準備をすることに なってきますですので最終通りからこの 祭祀までですね12ヶ月の期間なんですが あの風を引いたりとか体調不にならないよ にというところでドナさん側もえ緊張した 毎日を過ごすことになり ますそれでは今度は入院から会議までです ねについて1日ごとに確認を状況を見て いきたいと思いますまず前に入院をして いただいて当日採取を行ってで翌日翌翌日 体調採決の確認をして問題になければ第と で3角4日の入院の流れになっており ますまずはえっと最初の前になります けれども最初の前は入院をして採決をし たり会長の確認をしての夕食までは 食べれるんですけれどもそれ以降は絶食に なりますでえっと自分にとって全く人生初 の入院ということもありましてちょっと こうおこれ実際に入院した部屋の写真に なるんですけれどもあの写真をちょっと 撮ってみたりとかしてですねま人ハの入院 でちょっとま少しこうお登りさん気分で ですね病院な探検したりとかもしてたん ですけれどもやっぱり夜こう寝る頃になる とですね繰り返しこれまでノナさんにお話 をしてきたんですけれどもやっぱり全身麻 が大丈夫かなとかま最初うまくいくのか なっていうのちょっと不安感ですねあの出 てきてというところでなかなかちょっと 寝つけなかったかなということを覚えて おり ます続きまして最初当日の流れになります 最初当日は点滴をしたりしてえっと朝1番 にですねえっと手術に入って全身麻酔を かけて23時間かけて採取をしてで目が 覚めた状況になりつつでお部屋に戻って いただいてあと採決をしたりとか口の確認 をしたりといのが最初当日の流れになり

ますがも当日朝になるとますますあの緊張 が増してきてというところでまただ自分が 緊張してもどうしもないんですけれども もうこう緊張感が増てきたりですとかま 無事に終わりますようにという感じでも かなりドキドキしてたんですけれども えっと麻酔ですね術材に上がって麻酔が かかるとも次気づいたお部屋に戻ってま 全身まいですのでという状況で全身マ かかった後というのは話とか聞こえますし 話もできるんですけどこ眠くて目が開けれ ない状況があるのだなという感じのところ がありましてでまず1番思ったのがま問題 なくあの最初はできてよかったという ところもありますし何よりやっドナーさん にきちんと細胞が届けられと本当に良かっ たかなという風に感じましたで落ち着いて きますとですね朝から絶食ですんでお腹 空いたなとかていうところも少し余裕が出 てきて思えるようになってきたかなという ところがありましたでここでホ祭の話をさ せていただきます小祭は電子マをかけて 手術室で採取をします所用時間を大体23 時間です伏せの状態になって腰の辺りに骨 がグリグリするとこですね骨盤の後ろ側の ところ骨がグリグリするところが一番骨が 分厚くて表面に近いところになりますので そこにボールペのシングライの太さな針を 数10回ですね足してごを採取していき ますで骨の最取量というのは患者さんの 体重とかドナーさんの体重設計器の数値で あの取っていうのは決められてるんですが 一般的には1Lぐらいま取らせていただく ことが多いかなというところでなに たくさん取るんですけれどもコの最後住に 戻るんで大丈夫ですという風に言われて おり ますはい続きましてスケジュールに戻って えっと最初の翌日から会にかけてですが えっと前採取した晩から夕食あの食事再会 オになります翌日は最初の確認採決の確認 で隊員にも採決の確認体調の確認をして 問題なければえっと最終部のところですね 腰の最終部のところにホチキスみたいなの がくっついていくんでそれを取って無事 隊員という流れになりますでえっとまず 要すですですねの話をいつもドラさんには してるんですけどあんまり痛みとしては 強くなくて結構重だるい感じですね体も 含めて重だるい感じでま歩くのがちょっと こうしんどいかなという感じのところが あって大体ま23日ぐらいピークで1週間 ぐらいの方普段の体調に戻りましたであと まお風呂にこの日入りませんのでま早くお 風呂に入りたいなとかいうところがあって

翌日妻が来てくれたの頭先発してくれて ですねあの好きにしたかなというところが ありましたし家族も夜にあの面会に行って くれたがありましたたであとま入院して 初めて分かったんですけれどもそのいつ誰 が来るか分からないというのはこんなに 落ち着かないことなんだなというところは 改めて実感しましてあるいは自分の家に いきなりこうね別のが入ってくるような 感じなのでなかなかちょっと落ち着かない というのがニカさん思われてるんだなと いう風に思いましたしあとま繰り返しこれ までドナーさんに対して何度も説明して あの内容としては分かってるつもりだった んですけれども実際に経験するの全く違っ てですねどさんいつもこんな大変な思いさ れてるんだというところもありますしま 自分の場合はどちらかとと義務的なところ もあって登録した経緯があったんです けれどもこれをそのボランティアでドナー さんなっていただけると本当にあのドナー さんに感謝だなというところもありました あともう1つすごく大きなあの貴重な経験 になった点に関しては今回の入院生活 初めてで患者さんの体験者も初めてだった んですけれどもも全然意思の目線とですね なでその目線がこんなに違うものなんだな というところも改めて実感しましてこれ まで以上にドラ3目線ガ3目線を意識して あの診療に当たりたいなという風に感じ まし たでこれが最後のスライドになります けれどもえっとチーム医療ですねますごく 今大事にと言われてましてこの日本同結 細胞治療学会というのがま移植に関しての あの学会になるんですけれどもその中に 移植に関わる医療者として医師看護次第に これだけたくさんですね栄養師さん リハビリさん検査技士さんでもちろん コーディネーターさんソーシャルワーカー さん林士さんや司会あと事務さんまでです ねこれだけたくさんの方が集まって力を 合わせてよりより職を行いあと考さると 移植後もまだ長い療養生活治療生活が待っ ていますのでそれをいかにして余力するか ということをこれらの医療スタッフで近 合わせて考えながら意味あの診療に当たっ ておりますはい以上でえ僕の国のお話で 終わらせていただきますありがとうござい まし たえっと今の大先生のお話の中にもあった んですけどもえっと小い提供というのは あの健康人が医療を受けるっていうこと ですよねそれに大先生の感想もありました けれどもあのま大先生にお尋ねすればいい

のかもしれないですけどえ患者さんだけを 見ている上でえ感じることと健康人である 自分が経験して印象が変わったとのこと ですがえでも常にえ病院の先生としてえ ドナーさんには当たってるわけですよねだ からこれはこういう時には言ってくる だろうとかこういう時はどうなんですかっ てダスコール押すだろうとかそういう風に あの考えると思うんですけども昨日まで 健康で普通に会社にだったりする人がえ 医療を受けてるわけですからその戸惑いて 結構あのすれ違いがあると思うんですよね そこの点先生はどう思われますかそうです ねあのむしろ私たちから言いますとまこう いう言い方すると患者さんには申し訳ない んですけどもやっぱり患者さんの治療 っっていうのはある部分 リスクも伴う部分がありながらそれでも もっとよく乗りたいということで治療をさ していただいてるんですけれども特にあの ボランティアドナさんの場合には 全くあのリスクがあってはいけないという ことがあるので非常に あの気を使うと言ったら変ですけれども そういう部分であの対応が違うような気が しますあのここ今日あの開かしていただい たの予防医療スプラザっていうま検診の 場所なんですけれども献身で来られる方と 病院に来られるかことであの多分対応って いうの基本的に私たちある程度あの特に 検診でられる方についてはこれは患者さん ではなくてというようなですねそういう 対応をするように不な教育を受けたりして ますそれからここではちょっとあのにお 話したいんですけどもあの ナ害保険というのありますけれども あの小バクの場合ですと1つはもちろん ナさんに何かやってはいけないという形の スとそれからもしもドさんの何か問題が あってそれが患者さんに入ってしまうと いけないということでドナーさんから移植 することで患者さんのリスクにってはいう もすくあの強く考えてドナーセレクション ていうのが行われますけれどもあの決の ドナーの方の場合のドナー障害保険って いうのはむしろドナーさんのリスクがある かないかだけを考えてある程度もし決の 患者さんにあるドナーさんから例えば少し リスクがあってもそれでもメリットの方が 多ければど保険的にはあの通って進んでで いくというようなちょっとあの ボランティアドナーと決ドナーの間で少し ずつ差があるっていうところもあります それではあの次の演台にきたいと思います ま関西防採取の実際とドナーの

看護倉病院液動センターの村にお願いし ます村田さんですけれどもあの決動 センター輸血部門とアレ治療部門を兼ねて ますけれどもまこアフレナースとして活躍 してますその元は決定内科のナースでした でさらにその元は実は循環機内科でババの 看護師さんということでま全身管理も できる看護師さんということで私たち非常 に信頼してる方です実際にまあの祭祀の ことどういうことをしてるかというなこと とあとあの両におられた時にま看護という 面ででですねどういう形で あのドナさんの看護に渡ってこられたかと いうなお話をさしていただけると思います えこんにちは今日このような機会を与えて いただきましたことに審査いたしますえ私 はアレスナースと言ってえ魔小結関西法 採取を専門に行っている看護師ですもしか したら私があの実際に採取を行ったり私が 採取した関西を移植された方が今このの中 にいらっしゃるかもしれませ んえ今日私がお話しするのはドナーさんが 実際どのようにして真血感細胞の採取を 行い皆さんに移植されているか威の対応を 含めてお話ししていき ます増結感細胞移植を行うには大西先生の お話にもあったように白血球の方つまり ALがえ望した血煙者または骨バーク ドナーから関細胞を採取することになり ます最初にドナー確定までの流れからお 話ししていき ますまず血煙車で熱れ適合車がいなくか 検査して適合車がいない場合骨髄バクから 探し ます骨バクドナーはドナー登録時にの検査 を行い患者のHと適合した場合ドナー候補 として上がってき ますさてえドナさんはどんな人なの でしょうか1番の特徴は健常人の ボランティアドナーであるということ ですそのため治療や入院など経験がない方 が多くいらっしゃいますので私たち医療者 はドナーの安全を最優先に考えなければ いけませ んそして適正なドラーの選択が重要になり ますまずは健康上の問題がないか検査が 必要 です秘訣炎ドナーの場合確認検査で合格し たら最終同意を行い動意が得られれば土 確定となり ますその後最初の1ヶ月前ににもう少し 詳しい検査を行い最終判断を行い ます血縁ドナーはあらかじめ猛進を行い 健康上の問題がないか確認してからHLA の検査を行い

ますHLA適合後最終同意を取り受電検査 を行い [音楽] ます事前の検査で残念ながら不適格になる ことがあります不適確になるのは患者さん に影響を与える場合とドナーさん自身に 影響を与えてしまう場合 ですまずは患者に影響を与える場合と は移植された細胞が感染する可能性がある 場合などです例えば虫歯がある風を引いて いるなど炎症性の疾患がある場合 です一方ドナーに影響を与える場合と は採取の前に白血球を増やす薬を使います これをgcsf製剤と呼び ますこれは通常患者3人も使う薬ですが 患者さんに使う量より多い量が必要になり ますそのため急激に白血球が増え血液の 流れが悪くなり ます下がって血管にリスクがある場合決戦 症や血性の疾患の発症リスクが増大する ため抹消決間細胞採取土にはなりませ んそして採取をするにはたくさんの血液が 必要になり ます秘血煙ドナーの場合には両に太い血管 がなければこれも不適格となり ますその他血液を循環させのでそれにより 体に支障をきたすと判断した場合の不適格 となり ます次に重要なのが倫理的問題 です血煙非血煙ドナーに関わらず移植 コーディネーターが採種まで介入し ます血煙ドナーの場合10歳から60歳 までドナーになりますが施設判断で65歳 程度まで可能です ただし18歳未満や61歳から65歳のえ 場合 は各施設の倫理委会にかける必要があり ます自ら希望される場合もありますが年齢 に関わらず真中的処置に苦手意識や恐怖感 があっ たり周囲の期待に答えなければならないと いう重圧に駆られストレスになる可能性が あります 無事に採取が終わっても移植後gvhdの 出現や移植が不成功に終わった場合自責の 念として長期間心理的負担がかかり ますそのためドナーの精神的負担を軽減 するためにも患者とドナーの主持医は担当 のあや担当の移植コーディネーターは別の 人が担当し ます提供の意思を十分確認し委内の倫理 委員会やカンファレンスなど多食でドナー の的確性を検討し ます党員では医療メディエイターや公認 審理士など中立的な立場で介入しドナーの

心理的安全性に努めてい ます日本決園ドナーには地区の コーディネーターとえ最終施設の移植 コーディネーターがして放し ます対象は二十歳から55歳の ボランティアドナー です本人がその気があっても家族も含めた 同意が必要になり ます患者との名識がぶ移植に役に立ったと いう達成感や満足感が得られ ます医療者が1番心配していることは近年 SNSの普及によりドナー体験を発視さ れる可能性があること です患者と同じ施設では採取は行えません がいつどこで採取したなど情報を発信さ れるとトナーが特典されてしまい ます中には学生の教材に写真を撮りたいと おっしゃる方もいらっしゃいましたがこの ような理由でお断りしてい ますでは土さんは具体的にどのような不安 をているのでしょう かドナとしての役割が遂行できるか薬や 採取による健康被害はないか社会復帰は できるの か最初の時の針をどのくらいいたいのか 時間をどのくらいかかるのか最終中のえ 排泄をどのようにしたら良いかなど様々な 不安を持たれてい ますそのため私たちはこのような不安の 解決さも含めて事前にオリエンテーション を行ってい ます次に採種の準備 です基本的には4日間gcsfの非駐車を 行い採取をし ます1日で十分なえ細胞が取れなかった 場合には翌日も駐車を行い採取を行い ます非注射の場には毎回採決と駐車による 副作用がないか確認して症状や採決結果に より駐車の量を調整し ますこの間土田さんには駐車の副作用を 経営するためにも禁煙や脂肪の多い食事か ない運動は控えてもらう必要があり ます入院機会は注者の初日から入院する 場合は56日間です通院で非駐車を始める 場合は途中から入院し ます施設によっては通院できない場合も あり ます党員では秘訣園の場合は移植施設への 引き渡しのため朝から開始しますので採取 前日に 入院血煙の場合は採種当日に入院して午後 から採種を行っています 採決や全身状態に問題がなければ祭祀の 翌日に退院でき ます次にキカ中車による症状ですが特徴的

な症状は白血球が増えるので風を引いた ような症状が出ること骨が刺激されて腰痛 などの症状が出ることまた決戦のリスクが 高まるので決戦症による症状が出現する ことがあり ます軽度な場合は下熱鎮痛剤や吐き気止め で対応したり症状や採決結果によっては 投与量を減らしたり中止する場合があり ます党員での経験として人馬心や尿酸地が 上がったことで駐車を途中でやめざるを得 ないドナを経験しまし たなんとか日かけて目標細胞数はできまし たがとても緊張した事例でし たもし副作用でドナさんから採取ができ ないとなると患者さんは急遽再対決移植 などに変わることもあり ますいわい採取当日 です当日は科駐車2時間から3時間後に 採取を始め ます食事は食べていても構いません むしろ食べてもらう方が安全に採取ができ ますトイレを済ませ出頭し ます致命生年合の確認を行い心電所 モニターをつけ血圧や脈REMをえなどを 監視できる準備をし ます準備が整ったら両手の結かに針をさし ます祭祀に使う針は血液がスムーズに 引けるように点的の針のよりも太い針で長 時間の際しに抜けないようにえ長い針を 使い ますそのため事前に皮膚の表面に極所麻酔 薬を貼り ます寝得ず足の付けれから停止する場合は 注射の麻酔薬をしてから針をさし ます党員では3を血液を返す方に4が血液 を抜く方に使ってい ます針が入ったら最終を始めます最初の 手順はまず片側の血管から血液を抜き延伸 式血液成分分離装置と言われる機械で血液 を延伸分離し ます血液は重たいものから下に沈みこの ように石血球の層と結晶の層に分かれます その間の白血球と結晶板の層が私たちが 欲しい細胞 です全体の約1%程度なので1分間に 1ml定ずつしか取れません残りの結晶と 石血球は体に戻し ますこの時に血液が固まらないように工業 古材が一緒に混ざって体に帰り ますこの工業無罪の影響で血液中の カルシウムが減るのでカルシウム入りの 点滴も一緒に点滴をし ますでは採取中どのような症状が出るの でしょう かカルシウムが減った時の症状として唇や

手や足先にしれが出れやすくなり ます他にも寒気や吐き気広い場合には意識 喪失になる場合がありますその場 カルシウム入りの点滴を予防的に投与し ますがカルシウムイオンが含まれる スポーツ飲料は手軽で23分で効果が見 られる場合があるので効果的 です員ではすぐに飲めるように ポカリスエットを準備してもらってい ます次に出やすい症状として緊張や痛みに 痛み刺激による気分不良 ですそのためにも事前に極所麻酔薬を貼っ ておき ます緊張をやわらげるためにテレビや DVD文楽干渉などもでき ます空腹もキリプロアの原因となるため 祭祀中に食事や飲み物も取ることもでき ますその他に祭祀中は一旦体のすに血液が 出ることにより冷いた血液が体に戻り そのために寒気がすることがあるので靴下 を開くことをお勧めしてい ます逆に採取中白血球は増えているので それに伴う発熱や骨の痛み安全に伴う苦痛 などが出ることがあり ますまた針の挿入分の痛みや腫れがある 場合には取り直しを行い ますこのようには常に看護師や入工学技士 がついすぐに対応できるような体制を取っ てい ます次にドナーさんが一番心配されている のは最中のトイレ です両腕に針をさした場合ドナーさんから 機械についでいる街道を一旦外してトイレ に行くことも可能 ですこのことで気分転換になったりム決勝 抜け症状が柔らぐ場合があり ますただし再施設によってはできない場合 もありますもちろん党員でもヒカに回路を 外すとうまく採取ができないと判断した 場合は回路をす外さずにベッドの横で できるように準備し ます血煙トナーの場合はどうしても両腕に 血管がない場合最初から足の付け根から針 をさす場合がありますますえその場合は ベッドの上で行い ます我慢しすぎると気分が悪くなることが あるので一時的に果を入れ手に通る場合も あり [音楽] ますトイレを気にして熟事や水分も取ら ない方がいらっしゃいますがこれはかって 血液がうまく引けなかったり気分が悪く なったりして余計に時間がかかってしまう ことがあります私たちがお手伝いしますの で遠慮なく声に出せるような声かけや環境

作りを心がけてい ますでは三種にはどのくらい時間がかかる のでしょうか通常34時間程度ですが美食 する患者さんに必要な細胞に達すまで採取 し ます細胞数は患者さんの体重に比します そのためドナーさんより体が小さいと短く なりますし体が大きいと時間は長くなり ますもちろんドナさの白血球が順調に増え ていてたくさんの細胞があれば短くなり ますし白血球が少なければ長くかかったり 2日目の採取が必要になり ます最初後は両手の針を抜き圧迫し決し ますもし2日目の採取がある場合でも一旦 針は抜いてで入れ直し ます翌日採決結果や一般状態に問題が なければ隊員となり ますそして関西胞は移植施設に配送業者 または移植施設のスタッフにお渡しして 患者さんに移植され ます最終の後は破以外の血液成分も減り ます貧血になったり血が止まりにくくなっ たりする場合があるので十分給を取って もらい ます党員では両手から針をさした場合終了 4時間後にシャワーに入れますが足の つけ根からら洗車をした場合や針を抜いた 後の血の止まり具合によっては翌日履行に なり ますシャワーのタイミングは各施設で 異なりますので各施設のルールに従います 隊員後は白血球はすぐには下がらないので 1時間程度肩な運動は下げてもらい ます約4週間後に実語検診を行いますが 健常人土内へのGCS定罪の投与の長期的 安全性は確認されていないので症状によっ てはその後の経過を見る場合があり ます このように患者さんに無事に関細胞が一足 されるまでが戸田さんと私たち最初施設の 役割 です現在毎日非注射を行っていますが1回 の非注射で効果がある薬の使用の入場試験 が始まっています今後入院期間の短縮化 なども期待されるかもしれませ ん最後に真細胞移植のためにはドナーさん の協力は不可欠 です党員ではこのように様々な職種が採種 に関わりできるだけ1日で安全に採取が 終了できるように務めてい ますそのためドナー確定後に不適格になる 場合があり患者さんの移植方法が変更に なることがあり ますしかし安全な採取ができるイコール 安全で適正内職につながります患者さんや

トナーさんにはその部分を十分ご理解 いただけたらと思い ますここまで真結関西防採種の実態をお 話してきましたが皆さんの人生にもう1花 咲かせでお手伝いができるようスタッフ 1度安全な採取に務めてまいりますので 今後ともよろしくお願いいたしますご清聴 ありがとうございました 村さんどうもありがとうございました次は hctc増結細胞移植コーディネーターの ドナーとの関わりについ て鉄縁ドナーコーディネートを中心に倉 病院血液治療センター黒川裕子さん です黒川さんは実はあの移植 コーディネーターになる前 は医療ソーシャルワーカーとしてお仕事さ れてまして私たちの的内科もあの中心に 仕事されてて非常にあの信頼できる ソーシャルワーカーだったんでま私たちは 非常にあのhctcとしてあの迎えてあの 良かったし助かってる方ですがこさん どうぞよろしくお願いしますありがとう ございますえっと倉敷病院えっと駅治療 センターでhctc増結細胞色 コーディネーターをしております黒川と 申します本日はよろしくお願いいたします でえっとhctc増結細胞職 コーディネーターなんですけれどもえっと 日本増結免疫細胞療法学会というところで このように定義されています増結細胞食が 行われる過程の中でドナーの全員を生かし つつ移植医療関係者や関連批判との円滑な 調整を行うとともに患者ドナー及び それぞれの家族のを行い倫理性の担保 リスクマネジメントにも貢献する専門職と されています移植の全てのプロセスを通じ て患者さんやドナーさんそれぞれのご家族 にえっと継続的な支援を行いえっとそして 移植の円滑の実施に向けて施設内外との 横断的な調整を行う専門職と言え ますえあのドナさん提供者を必要とする 医療というところなんですけれど通常 通常の医療ではえっと患者さんやご家族と 医療スタッフというあの2極構造になり ます左側のになりますがでえっと移植流の 場合はドナーさんというものがどうしても 必要になってくるのでえっと患者さんとご 家族それから医療スタッフドナーとの3者 構造になります左の通常の医療のように あの2者構造だと2局構造だと割とその見 やすいものが3者構造になるとちょっと 複雑になってきますのでえっとここの中立 的な立場を担う食コーディネーターてもの が誕生してきまし たはいでえっとこのhctcの歴史なん

ですけれどもえっと1991年に日本骨髄 バンクが設立をされてえっと93年ぐらい から骨髄バンクのコーディネーターさんの 活動が開始されていますそして2005年 ちょっとま間が開くんですけど2005年 頃に一部の移植施設においてhctcの 活動が開始されましたでこの一部の移植 施設の中にあの倉敷長病院も入っています 今はもうあのやめられたちょっと大先輩の 方がされてたんですけれどもでえっと 2010年に日本増結細職学会にhctc 委員会というものが補足をされそこで hctcの定義ですとか育成のための教育 教育プログラムの策定がなされました 2012年にえっとえと認定あすいません その学会による認定制度っっていうものが 実施されました認定制度というのがえっと ま決められた講習を受行したりとかえっと 実務年数あとコーディネートの事例の経験 数などを満たしてえっと認定の審査を受け て決定をされるものになりますそれがこの 年には9名の方だったんですけど2023 年11年で認定のhctcは164名まで 増ええっと 認定よりちょっと上位のあの資格である 専門hctcのは3名小利認定のhctc の方も6名まで増えてきてい ますはいでちょっとドナさんのお話に戻り ますがえっと大先生のお話にもありました がえっとドナーさん骨バクドナーと決然 ドナーというものに分かれますでちょっと 右上に書いてるあの再対決については ちょっと今回はあの割愛させていただこう と思い ますバンクドナーさんは日本コバンクに 登録をしたボランティアドナーさん血縁 ドナーは患者さんの血縁の関係者ご兄弟 ですとか親子などをさしていますそして 日本骨あごめんなさい骨髄バンクドナー さんには骨髄バンクのコーディネートさん が対応し えっと病院にいるえっとコーディネーター hctcがこの骨バンクドナーそれから 決然ドナーと当然患者本人にも対応させて いただきますしそれぞれのご家族のご家族 に対しても支援の対象としてい [音楽] ますドナーになるため の条件ですえっと先ほどあの村田さんの方 からも詳しいお話だったんですけどえっと 増結感細胞の提携について明確な意思が あること基本的に健康であることご家族の 理解と同意があることHが患者との移植に できしたものであることなどが条件となり ますでドナーさんの年齢は卒バンクドナー

だと20歳以上で55歳以下そして血煙 ドナーだと各植施設ことに基準があり ますウ先生が先ほどあのお話されたの ドナー障害保険に加入が加入可能な年齢を あの考慮したりとかえ倫理委員会の審議 などを減ることもあり ますえっとHですえ破球の方になりますが 人の細胞の目印にあたるものでえっと自分 と自分でないもの事故と非事故を区別する ものになりますえ中はつになっているので 両親から片方を受け継ぎえっと強大感では 1/4の確率で一致をします上間の位置は 稀ですし非血煙所間では1/100から 1/の確率での位置と言われてますそして えっとこのHが完全に用した場合あるいは 移植可能な部分位置の場合にドナーとして 選定される可能性があり ますえっとドナさんの採種の種類と患者へ の移植ということなんですが えっと左側の方はあの大先生の体験談でも ありましたが自己決をあらかじめ取って おいて骨髄から採取した骨駅を移植する 場合には骨植右上のようにえっと抹消血管 細胞を採取してそれを植する場合にはま 小結関西防食そしてえっと再対決出産時の 体盤ですとか赤ちゃんのへそのからえっと 最後いただく場合には再対決採取をして再 対決移植という風に呼ばれ ますでドナさんあの基本的に健康な方です しあの全員の提供をしてくれる人になり ますがこの人たちあの多分何もなければ針 を刺れたりとか駐車をしたりとかそれ必要 のない人たちがえっと人たちに対してま そういう医療的な処置をします体に負担を 与える処置新種的な処置をするということ になりますのでえっとま結構複数間にわっ ての説明ですとか意思の確認を行って的 覚醒の判定を進めることが必要ですしまた あの提供後にも健康診断を確実に受ける ように調整をして健康被害の運を確認し たり強にしていますドさんの安全とを守る ことというのが最重要になってまいり ますはいでえっとコバンクドナーさんの 場合なんですけどえっと骨バンクドナー さんはえっと自発的な意思によってドナー 登録というものをされますドナーとして 登録をされでHLAの方が会う方がいた 場合に確認検査のお知らせが骨バンクの方 からいきます確認検査の場合はえっとま コーディネーターさんバンクの コーディネーターさんとかえっとあ施設の 意思の方から説明を受け音信や診察や採決 を行いますでそこでえっと次の段階に進め ば最終同意面談というものをされえっと ドナさんとご家族あと第3者の立ち会いの

もにえっとバクのコーディネーターさん 調整1との面談を行いますドナさん本人の 最終的な意思とご家族の意をここで確認を され ます意でえ最終同意が得られれば最終前の 健康診断を行ってでそこから最終で採取を された後に1ヶ月以ないぐらいに健康状態 の確認をされるというプロセスになってき ますでこのえっと全ての過程で骨バクの コーディネーターさんがフォローアップを してくれていてえっとhctcは最終側の 施設としてえドナさんが安全安心してえ 採取できるように調整をさせていただいて い ます 次にあの血煙ドラーの方に参りたいと思い ますえっと血煙ドラーの場合はコデバクの ドナさんと違って自発的にその登録をする とかっていうことではなくって患者さんが 移植が必要になるといった時に初めてドナ 候補になるということになりますで例えば このご家族がいてあの赤い丸の方が患者 さんだったとした場合にこの人のドナ候補 がこの青丸の方になりますえっとご兄弟 あるいは子供さんが候補になるんですけど まこういうきっかけがなければ多分ドナー さんの候補としては全く上がってこなかっ たことになり ますでえとご家族の場合であのま提供まで 言ってったなんですけれどもあの患者さん の回復の度合を見ることが実際にでき るっていう面とそれとま裏腹にというか えっとご家族なので患者さんのご病とか 直後の経過がよく分かりますのでえっと決 まその結果経過によって血縁ドナーさんご 自身のまちょっと苦悩とか精神的な負担も 大きくなる可能性がありますでご家族って 結構難しくてえっとこのこの家計図の方の 場合家族まこの5人が家族なのかなとかで もえっとドナ候補さんあごめ元々あのご 結婚される前とかだったらこれがご家族 だったりあるいはその弟さんは弟さんあ弟 と仮にしますけど弟さんにもご家族 があってまその あの関係性っていうのが色々ですのでま とても仲いい場合もあるかもしれないし もしかしたらちょっとそんなに仲が良く ないとかそういうな場合もあるのであのご 家族の方がちょっと答えが難しいっていう 分があるかなと思い ますえっとコナさんの場合にそのま先ほど の家族ということなんですけどまもちろん 助けたいっていう気持ちがあったりえっと 採種に対してのあのリスクへの不安ですと か例が一致したことによってま患者さんご

自身とかご家族あとま医療者などからの あの周囲の 期待があったりまそれが歯面プレッシャー になってしまったりとか あと外来に来たりとか人民をすることに よってお仕事休まなきゃいけないとか あるいはあの病院に通ってくることに対し ての交通費なんかの社会的なご負担とか 経済的な負担が発生してきたりするかと 思いますまたあの注意の目が患者さんの方 にま向けられることが多いのでそれでの 感じる孤独感とかすい感なんかもあるかな と思いますなのでえっとドラさんそれから 患者さんそれぞれのご家族も巻き込んだ 葛藤が生じるという風に言われてますので えっと決ドナさんのその特殊 声を考慮したサポートが必要になるかと 思い ますえこちらがあの決ドナーさんのま プロセスになりますけど えっとまずあの患者さんにそのお見の方の ことを聞くようま説明とドナーさんの情報 を収集するということから始まりますで そこからドナーさんに始めて連絡をさせて いただくんですけどまここであのhctc の紹介とえっとま簡単な説4とか資料の 送付を行いで中流の検査にま 進むですけど進む前にえっと説明をま 詳しい説明をして意思の確認をさせて いただくことになりますでこの結果が出た 出た時にえっとま完全な個人情報になり ますのでまずドナーさんへの報告をします で適合した場合にま今後のスケジュールの 確認をし えっとま説明に対しての理解の確認やの 説明中も行った上で健康診断をして いただくでそれでえっとそれで適合という ことになれば適格ということになれば最中 のに最中の後には健康診断を受けて いただくということになり ますでhttcが心がけていることなん ですけれどえっと家族だから提供が前提で はないということがまずあるかなと思い ます提供をあのしてください提供お願いし ますっていう風にあのしいているのでは ないということをhctcがドナーさんの あのま擁護者としての中立的な立場であ るっていうことを明確に示すようにしてい ますそしてあの決然ドラさんあのが自由に 発言できる場を作るってことも非常に重要 かなと思っていてえっと患者さんの主人 以外の意思やえとhctcが村さんの担当 をさせていただき ます すいませんでえっとこれがその左の家族の

図がちょっとあの見えると思うんですけど 例えばこのま有人家族 で左側の下のお子さん左側のお子さんが 例えば5病気になって移植が必要になった 場合にえっとドさんの候補になるのは右の お子さんにまずなるかなと思いますで えっとおさんは病気になった子供さん もちろん大事なのであの移植して欲しいっ ていう風に思っことが多くてでドナーさん であるこのもう1人の娘さんに対してのま 医療者側からの説明の時に もしドナさんあのご両人が同席をされる 場合ま同席はされてもいいかなと思うん ですけどあの本当は えっとなんというかものすごいその採決が 怖かったりとかま色々体調が悪かっても 言えてなかった場合にあの両親が同席し てるところで本当に意思が確認できるか ちゃんと自由に発言ができるかっていうと 多分そうじゃないことが多いのであの説明 は一緒に聞いていただくとして実際に意の 確認に関してはちょっと別の場でさせて いただくというようなこともしています えっと適切なタイミングで適切な情報提供 を行ったりとえっと継続的な相談の窓口に なるっていうことそ からどういう決断をされるにしろ決戦ドラ さんの選択を支持するということを重要に 思ってい ますでこでたhctcはえっと決ドナさん のま移植や採取についての理解とかその 自発的な意思を尊重しドナさんの権利を守 るっていうこと合わせてえっとま単にその Hの検査をするとかするしないとかえっと コを提供するしないっていうのは選択を 支援するってことだけでもなくってま いろんな思いを結血縁ドラーさんは持たれ ているのでその葛藤に配慮した支をする 必要があると思います血煙ドラーの立場に 立ってそのあの気持ちをま配慮してその人 にとっての裁量の選択を一緒に考えて支援 することが重要と思い ますえっと倉敷中部分の場合はhct士は 2名体制でやっていますで1人が患者担当 のhctcでもう1人がドナー担当の hctcとして完全に別れて対応して ますで患者の方患者さんとのは患者さんへ のま植チームでドナーさんの方はドナー チームということになりますしえっと ドナーさんの方にあのさっき村田さんの話 にも出てきましたが医療メディエーターと いう人に入っていただいてあのこの人は あのま病院の食品ではあるんですけれども ま完全な第3者としての位置付けという ところでえっとドナー担当のhctcも

もちろんその中立的な立場で対応してるん ですけれどえっといろんな場面でいろんな 人から確認の意思をあ意思の確認をする ようにしておりますでただあのこういう風 に分かれるんですけど結局あのまチー医療 ということで全体的なところでの対応を するっていうことにしており ますはいえっとhctcが担う増結細胞食 コーディネートということでちょっと図を 借りてきたんですけどえっと真ん中にま hctcがで指ドナーさんした患者さんと しておりますがドナーさんはそのえっとま 決然ドナーさんの場合ですけどま通常の 社会生活を送っていったところでま振って わいたようなHLAの話とか最初の話が出 てきたで帰来来ていただいてま入院して 退院してっていうところでずっと続いて いくわけででえっと患者さんもま入院やガ より入院とか通院を繰り返してえっと移植 をしてその後退位して社会生活に戻ってい くっていうことなんですがえっと一食前後 の長い経過をまあの入院とか外来とかの額 にこだわらずにですねあの捉われずに横断 的に継続的にバスすると いうことが重要かと思い ますはいまとめですえっと増結細胞職は ドナさんを必要とする医療ですでドナさん は全員の提供をする健康な人ええっと月 野良さんはえっと特殊えすいません血煙 ドナーの特殊性を配慮したサポートが必要 ですしえっとそのhctシは血煙ドナーの 意思決定心を支えるそのために自由に発言 できる場の提供したり適切な情報提供をし たり選択を支持するということをしており ますえっと患者さんてあの当然も1人だけ じゃなくって移植が必要な方が何名も いらっしゃってえっとそれがあの並行して 進んでいくのでま患者さんとドナーさん あと実際の医療現場を結んで食医全体の和 をるってことを目的としていますはい以上 ですご清聴ありがとうございまし たどうもありがとうございましたそれでは 基本を学ぼのセッションを終わりたいと 思いますはいありがとうございました すごい時代はここまで来たかという風に 思いながら聞いてりましたえ植を経験する ことになるというのでえ最初はあ17歳 から診断を受けた時からというストーリー を話してもらいたいと思いますでは五藤 さんお願いしますはいえご紹介ありがとう ございますえ五藤と申しますえっとですね 今日あのつのこのチラシプライアはマイ ストーリーっていう風にあの体書かれたて たんですけどちょっとじりますて ヒストリーに変えてお話をさせていただき

たたいと思いますでは早速スライドを進め てまいりますまずですね私の自己紹介 いたしますえ女性ですすてこと見たら 分かると思うんですけどやがてドナさんが 男性のドナさんから衣食しましたので今ま 血液の細胞おそらく男性になってるという 風にいつもこういうところで特にあの移植 のこと知らない人の前で話するとすごく 受けるっっていう内容がこれですでえ 生まれたのは大阪で生まれて高松え今日は 瀬戸大橋を通ってで朝とっても天気が良く てあの景色を眺めながら初めて茶町で 乗り換えてあのバスでここまで来てすごく 倉敷でこんなにあのあの倉敷病いでこんな にアクセスがいいんだなっていうのを ちょっとびっくりしましたあの私もこっち にって治療すれば良かったなという風に 今日今頃気づいたというえっと今日今日 ですで1回目の誕生日1977年なんで もうあの中年にしっかり中年を今やって おります2回目がえっと皆さんはご存知の 通り植を受けた日が2012年ですのでも えっと今11歳11年目になってなって ますで生まれた時はB型これ今はおそらく A型っていうのもここにいらっしゃる方は おそらく皆さん意味を理解してくださると 思うんですけどえ性格はね相変わらずB型 のままかなっていう風に思ってますえっと こんな私なんですがえ今橋本さんからもご 紹介あのお話がありました通り骨一系性 小群っていうま聞いたことないなんだこの 病気っていうような病気になりましたこれ ちょっとあの 国が情報サービスから取ってきた文章なん ですけどまコ異形性症候文と調べるとこう いうえっと説明がありましてそこに普通に してるのがMDSは単一の病気ではなく 様々な種類があり同じ病気でも進行の速度 や特徴が様々ですということでえっとこの 私ここにいるんですけどこれめちゃくちゃ 調子が悪いですもう移植直前であのま週に 1回2回ぐらい輸血してたレベルのなん ですけどとてもそういう風に見えないて いうまこんな元気な人のあのこれから ちょっとヒストリーをねお話しさせて いただければなという風に思いますまず ちょっとちっちゃくて見づらいんですけど えっとこれ私のま人生のほとんどがMDS と共に生活をしてきたのでえっとグラフに してみました上がハッピーで下が アンハッピーですえっとここですね7えと 1995年って皆さん何があった年かって 言と阪神大震災があった年ですその年に私 はすごく元気な高校2年生でした バスケットボールにえっとすごく夢中に

なっててま香川県内の強豪校でバスケを 一生懸命やってたんですけどその時にえ ある日ですねあの手の甲が晴れるという ことがありましてえよしバス休め るっていうに喜んだようなえっと喜んだん ですけど数日後に奈落の底に落とされて しまうということでえ血液内科に行って くださいと整形官の先生に言われてえ 詳しい検査をすると骨形成症興奮という 病気ですよっていう風に診断を受けました これが17歳でちょっとずっと進んで いただくと移植をしたのがここなんですね 2012年なのですごく長い17歳からま 綾世代って言われる期間ずっと東投票って か病気と一緒に生活してたっていうの私の 経験です本当に最初はバスケットボールに 夢中だった高校2年生が先生にま検査を 受けて今日からバスケはすぐやめて ください体育は見学してください入院すぐ にでもして欲しいですってこ場に高校生が 言われてえっと私自身はですね昨日とま 病院にやってきた今日何も変わってないの に突然バスケはやめろ体育は減額すぐ入院 してくださいって何言っててんのっていう 風に思ったような記憶があの今ございます はいでグラフに戻りましてその後ですね すごく調子が悪くなってきたのはここの 大学卒業して社会人になって社会人も やっと慣れたえっとそうだな7年6年7年 目ぐらいですねすごく調子が悪くなってき ましただんだん会社の階段が登れないとか えあとですねあのコピーって取る撮るって そんな重労働じゃないと思うんですけど コピーをこう取ってる間に立っとくことが しんどくてずっとこうコピーきにこんな 感じでやったりとかこの調子が悪いのは何 なんだっていうことを思い始めたのが 社会人7年6年7年目ぐらいですごく充実 当時もですねえっといろんなところに友達 と当時富士さんに登るのが目標で山登りの 練習をしたりとかスポーツクラブで汗な あの体をあの鍛えたりとかあの血液内閣に も相変わらず定期的には通ってたんです けどなんとか自分のできる範囲で体を 鍛えるようなこともしてたんですけど だんだんそれができなくなってきてはめ あの久しぶりにというか定期的に通のま3 半年に1回ぐらいかな久しぶりに病院に 行ったところ先生にすごく調子が悪いで すってこう血液なの先生に言うとすぐに あの今日は輸血して帰ってくださいって 言われてあみたいな輸血ってこの時に 初めてえ貧血でやることに気がつきました で貧血の人が輸血をするってこにもこの時 に初めてあの気づきましたであの走行し

てると熱が下がらないっていう高熱が 下がらない日が続きましておかしいなって 調べていくとあのAZ病っていう病気です よっていう風にま合併症なんですなんか よくわかんないですけどていうことにも なりましたでちょっと私のMDSは ちょっと特殊なのかよくそこのとこ私も わかんないんですけどどっちかっていうと この再生不良性貧血的なところもあったの でていうことと私が移植っていう治療し たくないって最初から絶対嫌やっていうの を先生に何回も言ってたので えっと再生不良性貧血に向けた治療を ちょっとやりましたでその後え決え当時何 年かなえっと今はまMDSの患者さんが 多く経験をするMDSのための中薬がやと できたのでピターガっていう薬を使って それもごクールほどやりましたがえっと ここも本当に残念ながら全く効果があり ませんでしたでその後ですねえっともう いし方なくいやいや患者登録と骨バンクに 患者登録をしてドナさんが見つかったのが この辺ですねでその時にえっとこれもまた すごく記念事項であった私がなぜ移植をし たくなかったかて言うと子供褒めたくなっ てしまうっていうことを先生から説明を 聞いたのでこれは絶対避けたいっていう こととやっぱりこうなんとなくあの実現 するかどうかわかんないですけどお母さん になりたいっていう気持ちはどうしても 捨てられなかったのでま自分のこうなんて 言うのかなあの生きていることの証明とし て南子の保存をしましたであのありがたい ことにごいバンクに患者登録をしてえっと 古町のドナさんは残念ながらいなかったん です けど一座不一の男性のドナさんが提供して くれるっていうことに同意してください ましてえ移植に進みまし たここですねどうしてもせは諦めたくあり ませんでした移植自体はえっと今移植して 11年目になるんですけどめちゃくちゃ しんどかったですもう本当にあの生地獄 って今どうやった言わ生地獄って言うよう にしてるんですけどすっごく辛くてうん 自分の体が自分でコントロールできないっ ていうのはあれあの時以外経験がないなと いうあの本当に辛い日々だったんですけど 今思えばまあを経験してよかったなって いうことがこの後たくさん出てきまし たはいであの私の治療をザクっとまとめる とこのAAに近いあの再生不良性決的な 治療もしてビーザMDSの治療もありまし たけどここは効果なくってその後え増結艦 最後移植をいたしました血煙者のドナー

さんドナーは残念ながらいなかったので座 1で移植をしてその前にえっと任用性の 温存これはですね私が保存した時にえっと 私の病院私が移植を受けた病院で男子保存 した人私が1番最初やったんですね10年 目で10年前でそんな状況なのでえっと 本当にままだまだこれ最近ですよね行われ よりな最近だと思うんですけどどうしても やっぱりここっていうのはみんな諦めたく ないところだと思うのであのなかなか治療 の状況などによっては保存ができない患者 さんもたくさんいるのはあの分かってるん ですけどどどうにかしてここだだけは えっとできるようにこれから医療があの どんどん進んでいくことをま患者経験者と しては望んでおりますでえ本当に ありがたいことにセカンドバースデーを 迎えることができましたえ足向けて寝れれ ないというのはこのことだと思うんです けどこれは本当にドナーさんだけでは なくって私を支えてくださったあの家族 友人も含めまして医療者の皆さんもう みんなあの感謝でしかありませんで足向け 寝れないっていうと私も多分立てないと いけないぐらい あの360度多分私のために一生懸命あの 力を貸してくださったことがいてこそ私の 治療が成立したっていうことは今本当に あのあの身にしめて日々そこを噛みしめて おりますし本当に当時はですねあの いろんな危険があったんですよね決勝版が すごく少ないのであの主人の先生に絶対車 に乗るんだと車が運転だけやめてください とか絶対走らないでとか自転車乗らないで すごい色んなことやめてくださいって言わ れてましたけどなかなかあのあのあんまり 言うこと聞かないあの不良患者だったので それもあの私今本当にそういった意味でも 明日が来る保証っていうのは全然なかった んですねそういう中でもあの今ですねこう やって移植から11年経って毎日日に朝が 来るっていうことは奇跡の積重だなって いう風に思っておりますでまさっきの任用 性も含めまして時間とかねっまもちろんお 金もそうなんですけど友人もやっぱりあの まいよくわかんないですけどやっぱりこの 移植を気に離れていった友人もいるし新た にできた友人もいて失ったことてま実は たくさんあるんですけどただそれに負け ないぐらいえっとこの治療病気を経験して 得たことがあるという風にあの今思って おりますそれでこういう経験をしたから こそ本当にあの1秒1時間1日その日を その時間を大説にするっていうことを病気 を持って経験あのこの経験をしてえっと

学んだこれが1番私にとっ私の多分人生に とって大きな収穫だろうなという風に今 思っており ますで本当におかげ様で10年経ちました で私はですね事を受けた時にえ元気になっ たら何かも私は本当に建設してくださった 方がいてマクのドナさんがいてこうやって 元気にならしてもらえたんですけど私が 何か社会に向けてお返しできることはある のかなっていう風にずっとま今もですけど ね思ってる中でままずま手っ取り早く近鉄 のボランティアで建設呼びかけたりとか コツバンクの説明になって えドナさんのねあの説明をさせていただい たりとかこれ枚の写真はあの高知県の テレビテレビ局があの私のまで来て取材を してくれたりとかあとは高校生とか大学生 の前でこういう経験を話すことでえま血病 とか血液がのこととかま献血のこととか骨 バンクドマのことを知ってもらうっていう ことをしたりとかあのすごく充実して 楽しくやらせてもらってますしえっと右は ですねあのラフティングに行った時の写真 です あの自分の体のコントロールさえできない ぐらい苦しかったあの頃から思いえっと 想像できないぐらい元気になって今本当に プライベートも仕事もとても充実した日々 が遅れておりますであのここからはですね 紹介させて欲しいのは同じような経験をし た全国の仲間がたくさんいますえっとこの 左側の写真は本当に私が1番苦しい時に 一緒にえっとブログですね当時はブログを 通じてえっと交流をしてたもうみんな同じ 状況で入院してたのでえっとせいちゃん 明日からこの薬やるんやろうてってその薬 は3日後には副作用が軽くなるから3日間 与えてねとかねこれはあの変な話先生とか 大さんが説明受けてるんですけど経験者 から聞くのが1番目にしみるし本当にあっ てるんですよねあのていうすごくあの助け てもらった存在でもありますしこのもう1 つのこっち側の写真はこれつい先月なん ですけど名古屋でですねあのフロムクリン ルームっていうえっとLINEのオープン チャトであの今結構400人ぐらいの患者 さんとか患者のご家族の方とかが参加され てて日々本当にあのいろんなことを話しし てますLINEのオープンチャットで fromクリンルっていうの是非検索して みてくださいあのいろんな情報が交換され てるしあの励またりあの支え合ったりとか あとはもういろんなあの愚痴患者さんのご 家族であるは不安なんかをそこでトロする 場となっていてあの患者経験者がお逆に

そこをフォローしたりとかえ患者さんが心 出る時にあの患者さん同士でフォローし たりとかっていうことがあのLINEの中 でまあの無期名でえどこの誰かわからない ようになってるんですけどあのすごくま ここにいるの実はそこの管理人のみんなな んですけどえっと管理人のみんなを中心に 色んなコミュニケーションを取っており ますでえっとですね今日はですねあの島根 がアクの木の方あの来てくださってるん ですけどこれはですね2017年かな島根 でえっと学会がありました時につてみんな であの学会に参加をさせていただきまして えっとき皆さんと初めてこの時にお会いし ましたそれから時が流れて2023年です けどずっとあの何かとご縁をいただきまし てえ一緒にあの歩みを進められて るっていうことはすごく貴重な存在でこれ も私が病気になったからこういうつりが できたってこと非常にあの嬉しいしあの 嬉しいことの1つですで右側の写真はです ねこのしますまかちゃんとの出会いもです ねあのとっても嬉しく同級生なんですけど あのこなの近くに同じような経験をした子 がいるっていうのはすごくありがたくて えっと一緒に遊んでもらってますで最後に なりますがこれがですね今日の私の ヒストリーのまあの2回目の誕生日の原点 のであろう場所と勝手に思ってるだけなん ですけどねえっと年に1度ですね私の ドナーさんがいるでこの辺やろなっていう ざくりとした情報は病院からもらってます のでそこに私は毎年1回行きますで何しに 行くかって言うと本当1人で行ってそこの 駅にこう降り立ってあの思いっきり深呼吸 をするそれでますれ違うすすれ違うそこの 件の人にまありがとうっていう気持ちを 持ってえ訪れるっていうことを年に1回の 私のルーティンワークにしていてえ毎年 行ってますえ今年はまだ生けてないので 近いうちに行ってこようかなという風にに 思ってますとても紅葉が綺麗な場これ去年 いった時なんですけすっごい紅葉が綺麗 でしたで今はですねえっと3ヶ月に1回 病院には通っておりますが実はその後です ね放射線の影響なのが甲状腺の調子が あんまり良くなくってえっと橋本洋兵って いう病気に診断されたことと甲状腺に今 主要ができてましてそれのま観察ちょっと ずつ大きくなってるのでいずれは手術した 方がいいとも言われてるんですけどま甲状 腺の先生がですね決議ほど甲状腺は怖く ないからってこうすごくされてくれるん ですねなのでそれを信じてえ病院には通っ ておりますが本当にあの見ていただいて

分かる通りこんなに元気になったのでえ これからもですねあのこの元気っていうの をずっと続けることで次に続く患者さんの ま励みになると思いますし私自身も やっぱり元気になった患者さんに会いた いっていう風にすごく思ってたので どんどんできる発信は続けていこうという 風に思っておりますはいでは駆け足になり ましたがえご清聴ありがとうございまし たはいお父さんありがとうございました 綺麗な紅葉今年も楽しんでください商利の 時の移植経験 から今もそういうところで話しておいます 小児が経験者であの白血量治療から30ね というタイトルでお話をさせていただき ますえま僕自身この30年間えどういう ことがあったのかそして今どういう状況な のかということを皆さんと共有させて いただきたいと思いますえ生まれもそちも 神奈川ですが名前は宮と言いますよろしく お願いしますまずあの簡単にあありがとう ございますねれた思なっ たえっとまず病歴と治療ななんですけども え平成元年7歳の時に慢性骨性発業を発症 しましたで翌年ですねえ兄がドナーになり ましてえ9歳で骨職をしています全所地で え全身放射線や大量交換剤を行っています で一食から10年間ですねま皮膚の gvhdやあと感染症などでえニ単位は 繰り返していたんですけれどもえ再発が なかったということとあとえっと10年 経ってえっと主が改良して病院から離れて しまうっていうこともありましてえ外来が 2000年の時に終了してい ますでこちらがえっと左から小学校中学校 高校の卒業時の僕の写真なんですけどもえ これがどのように成長していったかと言い ますとま3年ずつですねあの身長はこう 10cmずつ伸びているというのが分かり ますただですねあの1番右のえ高校卒業時 18歳の写真なんですけれどもえ周りの 同級生をですねえもう髭が生えたり声が ありは終わっていたりというこう男性特有 の二次成長が出ていたんですけどもえ僕 自身にそういった二次成長はえ来てなかっ たのでえ今考えるとえ成長障害がえ強く出 ていたということがわかり ますでこ症によるですねあの社会生活の 悩みというのがありましてえ筋肉もなく 外見が異常にないで体力がなくてですね すぐに疲れて体調を崩してしまうで ホルモンバランスも悪くてですねあの メンタル不調に悩まされたりしましたで まともにこう働くことができないえ生きて いくのが辛い発揮量は治ったはずなのにと

いう思いでえ10代後半からえ20代を 過ごしていましたで自分と同じようなえ 経験した人がどのように生活しているのか ということを知りたくてですねえまずあの 患者会に参加しましたで患者会でえ たくさんこうえ情報を得ることができまし てえ小児癌のセミナーがあるから行ってみ たらという情報も得ることができましたで 参加したセミナーでですねえ小児乱経験者 はえ昔の治療でですねえ10年20年30 年後に様々な講一書が出ることがあるので そういった行為書を見ることができる長期 ホールアップ外来が始まったということを 知りましたでえ病院あえっとどこの病院の にかかっていてもはい手の紹介所が見て くれるよということだったのでえ回答した 主の元を尋ねて紹介所を書いてもらいまし てえ2014年にですね長二間拠点病院で 長期フォローアップ外来にかかることが できまし たで体10隅から隅までえ検査してもらっ たところですね本当にこうたくさんのえ 行為症が見つかりましたでその中でもえ 驚いたのがえ成長ホルモンはえ半分以下で 男性ホルモンに限ってはえ一切こう出てい ないってことがえ分かりましたこれが32 歳の時です ねでその時にえ男性ホルモン治療を始め ましてで日常生活に大きな変化が現れまし たまず睡眠の質が向上しまして疲れが しっかり取れる体になりました今までは どんなに寝てももう次の日も疲れが残った ものでえなかなかこう体が重いように動か ないってことが続いていましたで社会生活 への地震もつきまして体力がついたことで あのフルタイムで働けるようにもなりまし たでホルモンバランスがすごく良くなって 今まではこう男性高年期障害のような すごいう症状っていうのにずっと悩まされ ていたんですけどもそれも改善して メンタル出張もえなくなっていきましたで 筋力の増加もありましてえホルモン治療を してからですね3ヶ月くらいで体重も 10kmくらいあっという間に増えました なんで増えたかと言いますとえ筋肉が本当 についたからでホルモンが一切なかった時 はどんなに運動してもですね筋肉がつか なかったんですけれどもホルモン治療を 始めてからえただ日常生活を送ってるだけ であすごくこうえ足にも足周りのこう筋肉 というのがすごくつきましてえ体重があ いう間に10km増え増えまし たで体あの耐久がすごい触れたんですけど もすごいこう筋肉がついたことによって こう体がこう軽く感じるようになりまして

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埋まりましたちょっと右側にちょっと写真 があるんですけれどもあの私本当に小さい とから全く変わら顔が変わらないという風 によく言われることが多くてまちょっと 小さルからもずっと笑って笑顔が多いって いうことでちょっと小さい時からこれまで の写真をちょっと全て並べてみましたどれ だけ変わっていないのかと思いましてはい でそれから父が父の転勤の影響でその後は 高知岡山へと移り住み幼稚園から高校生 までを岡山県の玉虫で過ごしまし たで小さい時から体を動かすことが大好き で幼稚園では水泳小学校中学校では剣道と 合唱団音楽が好きだったので合唱団をしで 高校生時代はバスケットボールでで共に スポーツを過ごしまし たで高校卒業後は京都の進学してテニス サークルに所属でその後うんと管理用紙を 目指してさらに専門学校に進み京都で裸を 迎えまし たで病気の始まりがその京都の専門学校に 通っている時なんですが人生で1番勉強が 楽しいっていうその時にうんとこの3つ ですね特に発熱が 続き熱が下がってはまた上がっての 繰り返しで地下鉄から地上へ上がる階段が もうしんどくて一気に上がれないで同級生 から最近顔が白いけど大丈夫と心配される ことがちょっと増えてきまし たでその後でま京都に住んでいる叔母の かかりのお医者さんを受信して発熱と強度 の貧血のためにま冬休みを利用して実家 近くの病院で輸血をけることを進められ ましたでこの時に初めて倉敷中央病院を 紹介されまし たでこの時に初めてのマルクで急性リパ性 発掘病と診断されこのまま治療しなければ 嫁1ヶ月とその時に告知されまし たでこれからはうんとAL発症から現在 までの経過を簡単にご説明させていただき ます で1998年の時に二だったんですがこの 時に救世リパ性発掘業の治療開始いたし ましたでこの頃にうんと今回の座長の上田 先生に初めてお会いすることになりました この時からま2人三脚ではいあの始まり ましたでこの後にあの私はま3人兄弟なん ですがうんと2人の兄と私全てあのhlm かがフルマッチーで会いましてでま1人の 兄はちょっと血糖値が高かったのでもう 1人の兄からの提供により骨職を1回目の ものを99年の21歳の時にしまし たでその時はあの食後のDVDもなくま 順調に過ごしていたんですがその後23関 2001年の頃に左足に激痛が走りHLA

の再発でその何ヶ月5かにうんとまた足の 痛みがありこの時にうんと再再発を起こし ましたでこの時はあの骨髄検査では異常が なかったんですが骨の政権で白血病最後は つま見つかるというちょっと特殊な再発 でし たでま2回目の再再発の時にだったのでま 11月にもう再びちょっと今回は血液には ちょっと異常がなかったのでミニ移植を するという方向になり再び兄から骨提供に よりミニ移植をしましたこれが骨職の2回 目 ですでその後うんと1度目の移植では なかったgbdがちょっと左足にちょっと 出てきましてであの高原病の一種である 強皮上っていう病気があるんですがそちら の方の病気をちょっと診断されてその時に まちょっともう関節も可動域がなくなって きたので初めて障害者手帳の身体障害者 手帳を取得することとなりまし たでその後ま順調にま足が悪いとはいえ 順調に過ごしていたんですけれどもま 2009年の31歳の時に食堂が起こし ましてま今はちょっと2次元として ちょっと結構注目されていますがその時 次元とはちょっとそんなに言われなかった んですけれどもま食堂がと診断をされ術然 科学療法と放射線治療を行いその後結果 手術6時間ぐらいの手術を受けまし た ででそこでうんとそれまでを振り返ってき て今まで1番自分が大変だった時期って何 だったかなっていう時に振り返ってみると ま当時二十歳という若い世代の綾世代で 発病しでやはり移植は治療のゴールかと 思ったんですけれどもそれは違って新たな 人生のスタートだったっていうことに ちょっと注目を当ててみましたでもちろん 移植が終わったら元気になって元通りの 生活に戻れると思い移植を決断して辛い 治療に耐えて乗り越えてきたですが移植後 も免疫抑制剤でステロイドの副作用で外出 に制限があったりまムーンフェイスや脱毛 などで引き目が気になるために自宅に 引きこもりになった時期もありまし たでその後体体が安定しまずはアルバイト から始めるもまALの再発でま2回目の植 をすることになりでその2回目の植後には マセVHDで障害を持ち歩くには松葉杖が 必要になりましたで一食前と一食後に全然 体の状況がちょっと変わってしまいまし たでそれでうんと生活で生活の悩みや面で の悩みとしてちょっとまとめてみたんです けれど も金銭面については左側の赤色のところは

やはりうんと二十歳の時からもう病気でお 金をかけてしまっているのでま両親には今 まで治療費で負担をかけているのでこれ 以上迷惑がかけられないせめて医療費だけ でも稼いで自由したいという焦りですごく いっぱいでしたで働くことに関しては やっとの体調が安定してやっと社会復帰 できる動けるようになったっていう時には もう20代後半でで今まであの学生時代は 接客のアルバイトしか知ったことなかった んですが事務経験がないのでこれから 社会人として働くためにはどういう風に 働けばいいのだろうというのとま周りの 同級生の友達はもう20代後半になると もう大体仕事がもう慣れてきてでもう スキルも上げてきていてまそういった友達 と自分をちょっと比較してしまうっていう ところで悩みを抱えていまし たでそういった自分にあの自分の体に 見合った仕事をどういう風にこれから探し ていけばいいのか誰に相談したらいいの かってすごくその時分からなかった時期が ありましたでそういった時にまちょっと植 ま食後の自分の体の状況の変化でできる 仕事が変わってきますであのま移植された 方はの中で多分いらっしゃると思うんです けど今まで体を動く製造業とかされていた 方が移植後に体力が持たなくなってこれ から仕事をするっていう時に元の製造業に 戻れないっっていうことももちろんあると 思うんですねでそういった場合あのどう いう風にあの今までしたことのない仕事を どういう風な形で探せばいいかっていうの が結構あのその患者会の中でもそういった 悩みを聞くことが結構多くあるのでそこに もちょっとフォーカスを今回開けて当てて みまし たで二十歳の時の私の考えとしてはお医者 さんは病気を治療する治療していただく方 で看護師やまPTさんリハビリの理学療法 師さんなどは治療サポートしてくださる方 で医療相談室医療ソーシャルワーカーさん がいらっしゃるところには各種手続きの 相談ま二十歳の私からしたら親が利用する ところていうイメージの認識がありまし たでこの時にこういう状況だったので自分 で仕事を探すのがどういう風に探せがいい かちょっと分からなくてま自分でそう方法 を探しながらはま自宅で中心教育などを 受行していたんですけれどもそれは就職に 繋がらなかったんですねその時は残念 ながらで最終的にま仕事につけたんです けれどもそれはま友達が転職するという きっかけでハローワークの存在をその時 初めてして地元のハローワークを訪問し

ましたでその時に障害者手帳を持っている ことを話してみるとま障害者の合同面接会 を進められて初めてその時に参加してみ ましたでその時に2者の面出を受けて業者 から内定をいいて28歳で初めて企業に 就職することができましたまうんとこの時 はハローワークさんの行動面接会だったん ですけどまその後の転職では自分で色々 情報を集めてネットで障害者求人専門の エージェントサイトを利用したりして転職 活動を行いまし たでこの時期に感じたことなんですが履歴 書を作成している時に最終学歴治療期間 から現在までの空白の3年間にちょっと 驚きやショックをちょっと受けましたで うんと働く時に履歴を作成するんですが その時にやはりあの学歴から全く歴がない 状なので面接を受ける時にこの期間に何さ れていたんでかて結構この時にすごく聞か れたんですねでそういう風に聞かれた時に うんともちろんあの病気療養中ですかって いう風に自分では答えたんですがまその時 にやはりそれ以外に自分は何をしていたん だろうっていう風に ちょっともうちょっと何かできたんじゃ ないかっていう思いがちょっとあったので この時ににちょっとショックを覚えまし たまこれはちょっと先ほどの今までの経歴 なんですけどこの2000年の時にあの 初めて1回目の職からちょっと体鳴らしで アルバイトしたんですがこの時はま足が 悪くなかったので今までしたことのあるま この時にま少しちょっと事務系のバトをし てで元々料理が好きだったので料理教室の アシスタントなどとしてやったんです けれどもま次に働けた時にはやはり ちょっと足が悪かったのでま事務系の仕事 を探して初めて就職した時はまちょっと あの私が接客に慣れていたせいかその時に 金融機関の窓口を あのうんと話をしたその面接の方がうんと データ入力を募集していたんですけどま ちょっと私と面接をした結果していただい た結にちょっと金融の期間の窓口の方が 空いてる向いてるんじゃないかっていう ことでこの時初めて金融機関の窓口をし ましたでこの時の3年間が先ほどの空白の 3年間 ですでこれまでの経験で今感じていること そしてこれからの未来へ願うこととしては ま移植後の患者さんへの修論支援の重要性 をすごく感じていますで現在では移植 コーディネーターさんの存在や長気 フォローアップて患者会ま私たちがやって いる患者会とま倉敷中央病を見ても癌相談

支援センターがありますのでそちらを利用 していただくことができますで今の患者が 3人は積極的に1人で悩まずにこのような サービスをどんどん利用して欲しいと思い ますままずは知ってもらうことからだと 思い ますでもっと患者さんに利用してもらう ためにはまもちろんこういう風に初めての 場所に自分から入っていくことは本当に誰 でも勇気がいることだと思いますでその ためにちょっと一患者としてのお願いお 願いというか願いなんですがま一食は患者 さんの治療のゴールであっても新たな自分 の体との新しいスタートです先生方にも 患者さんが少しでも次の人生へ前を向いて 進めるよう背中を押して欲しいなっていう まささやかな願いがあります 田先生ちょっと耳が痛いかもしれないです が申し訳ない ですで患者さんへの願いとしてはやはり 今後の人生は自分取材で変えられると私は 思っていますで勇気を持って行動して自ら 様々な情報を得て一歩一歩進んでなるべく 笑顔で心豊かな人生を過ごしてほしいと 思っており ますで最後のおまけなんですけどこれは 2度目の食後の移植の時の写真ですで ちょっとあの去年はちょっと新聞の取材を 受けまして左側の写真は使わせていただい たんですがまさに兄からのミニ飲食中の 写真ですで右側のところにはこの時に なんか飲んでいた薬たちがすごく愛しく 思えてしまってパシリと取ってま薬の名前 も忘れないように全て印してでクリーン ルーム使っていたクリーンルームの写真も パシリと撮ってはいでそれでまその時に 白血球を一生懸命上げてくれている天敵の ノイル人とかも写真に残しました今でも 大切に保管していますはいじゃちょっと はいちょっと時間がオーバーしてしまい ましたがこれから の願いとでまたあのもちろんあの今まで ネガティブなことももちろんなんですが ポジティブなこともありますしまもちろん あの病気で出会った方もたくさん いらっしゃいますでもちろんなんか今まで のネガティブなところもあったからこその 今の自分だと思っています皆さんもあの マイナスのこともプラスのこともどんどん あのどんどんどんどん自分に吸収していっ て今後心豊かで楽しい人生を送って いただきたいと思いますまちょっと長く なりましたがこちらでおらせていただき たいと思います皆様ご成長いただき ありがとうございまし

たえこうして表現してもらうと全く空白で はなくてじりじりと前に2三脚で進んで たってことですねはいこれからもヒントを たくさん出してくださいねありがとう ございましたではここからはえ植医療を 支えるえ重要なネットワークええ私はこの ネットワークを作るためにえ5年ほど全国 運動を展開し77通の7万77室の え署名を国会に提出したことがありますえ 多くの願いを受けてえ出発した骨バンク今 はここまで来ましたという話をしてもらい ます口さんお願いしますご紹介ありがとう ございますえ皆様あのこの度はあのお時間 いただきまして誠にありがとうございます え公益財団法人日本骨髄バンク広報障害部 の稲口ことと申しますどうぞよろしくお 願いし ます先ほど橋本理事長からもあのお話が あった通りあの多くの方に望まれて生まれ たのが骨バンクだと思っておりますえ私 入植から1年ちょっとぐらいにはなります けれどもその意義の重さですとか国内に おける役割の重要性などあの日々日々痛感 しておるところでございます本日はですね 貴重なお時間をいただきましてgmdp Now若い人たちに届けたいコバンクの ことと題しまして今のコバンクの現状と あとはそれに対するえ課題に対するえ 取り組みのご紹介をさせていただきたいと 思い ますまずは簡単ではございますがコバンク のご紹介させていただきますえ日本におけ る骨バ事業ですが2012年のえ法律の 思考に基づいてですねえ骨バンクが主体と なってえ日本赤従事者さんですとか国地方 え公共団体の皆様と一緒になってですねえ 骨バク事業が進んでいますえこの中には ですねあの患者さんのええこちら治療に 関わる医療機関さんですとかあるいは ドナーさんの採取に関わる医療機関の皆様 そしてあの各それぞれのコーディネートに 関わる皆様でさらにあのえ国民の皆様に 普及啓発をしたりあるいはドナー登録を 呼びかけるといったそういったも多くの あの様々なシーンでえあの本当にここ心 志しをあるえ関係者の方ボランティアの方 のご協力いただいて今がございますあの この場にもまたYouTubeをご覧 いただいてる方もですねすでにごご活動 いたいてる方が多いのではないかと思い ます その骨バクですがえこちらご覧のような 事業を実施え実施しております1番はええ 増結感細胞をご提供くださるドナーの募集 そしてそのための普及啓発になります

そしてまたあのマッチした患者さんえ指定 しましたドナさんへのえコーディネート 業務なんかも実施をしておるところ ですこちらえ増結関食係数の推移でござい ますえこちらあのご覧いただきますと血煙 あとは非血煙で骨番を返した移植え最秘決 で最対決バクを返した移植が大体1対1対 1となっておりますこのあの1/3の 大きなウェイトを占めているということで 非常に重積を感じており ますこちら骨髄バンクの現状でございます えこれ昨年の末の数字になりますが食小 レースは 2万7000となっておりますまた患者 登録者数ですが1734名ということで こちらあの昨年度末の数字ですが10月末 時点では1640名となっておりますまた あの昨年度を通じて新規にえ患者登録をさ れた方のの数とえ昨年度1年間の国内の 最終件数えあ出定しました移植件数の比率 ですが55.0.%となっています2人に 1人のみしかり職はできていないという この現実を非常にあのどうにかしなければ いけないという風にあの急務として我々も 感じており ます現在トナー登録者数ですがえ昨年度末 54万4334名になりますえ先月末時点 で55万飛んで561名となっております 今まだあのネットでは増加傾向にあります 新規にご登録いただく方とえお取り手なる 方がございますので今ま純増というような 状況になってい ますこちらが新規ドナー登録者数のえ実数 のグラフになります年代別のデータになり ますえこちら2020年度はコナの影響で 少し登録者数全体が落ち込んでいますえ 2018年度19年度に関しましてはあの 著名な共栄選手の方のえ病気の好評等が ありえ多くの登録者さ様大登録がござい ましたこちらご覧いただきますと大体え 2万人2万人前後の方がえ39歳以下です ね301代から20代30代の方でえ約 毎年2万人の方が新規でナー登録をして くださっているという現状は分かるかと 思い ますただこれが十分ではないというのを次 のスライドでお見せし ますこちら えこの棒グラフ全体なんですけれどもえ 2022年12月末現在での年齢別の ドナー登録者数のえ数でございますえご覧 の通り46歳から50歳ぐらいまでが 大きなピークになっていましてえ他方でえ 20代ですとか30代に関しましてはこう ぐっと減っております多少人口の人口が

ですねそもそもが少ないという話もあり ますがそれ以上に少ないという状況が ござい ますであのこうこのようにですねドナー プール自体は高齢化が進んでいましてま おそらくあ少な遅くとも34年後までには ですねこの年齢を理由にあのこの51歳と 54歳で大きく減るんですけれどもこの 年齢を理由にしてここ減っていく方がもう 2万6000円ですか2万5000人 レベルで出てくる先ほどあの年間であの約 3万人で30代以下はえ約2万人という風 なお話をさせていただきましたその1年間 の230代と同じぐらいが年齢で減って いくということがえ今後そういう時代を 迎えてくるということで我々非常にこれも また危機感をさらに覚えているところで ございますでまこの状況を何とかしなけれ ばいけないということであの30代以下の 新規ドナー登録者数を毎年3万人1.5倍 のレベルまで引き上げていかなければいか ないということでえ今様々な取り組みを 行っております こちらお示ししている1番上がスワブに よるドナー登録時のHL検査及びオン ライン登録になります血縁のHLA検査で は既にあの航空内年幕を取ってHLA検査 をするということがすでにあの通常と伺っ ておりますけれどもそれを秘決園のドナー 登録時にも導入をしようとでこれをあの2 年後にあの本格導入をしたいということで 今様々な準備を進めており ますまたあの若い方々のドナー登録という ことですので学域え大学や専門学校などで えドナーリクルートをができるようにあの 今登録の現場等ではですねあの当事者の皆 様にご協力をいただいているところです またさらにですねSNS等を通じてえ情報 発信をしていくより若者があの設定を持ち やすい方法で情報発信を進ていくという ことにえ取り組んでおり ます えドナーさんが若い方が植性式が良いと いうあのお話があるようしてえドクターの 方もあの若いドナーさんを選んでいる傾向 にありますこちらドナー登録者ごと適合 通知を受け取った方ごとそして最初された ドナーさんの年齢別のグあの割合になり ますこちらご覧いただきますとあの少ない ドナー登録者の20代からえしかし最初は はしかしえ1/4行われているというよう な状況になりますまただしこの230代の ドナー登録者数が減っているというあ 少ないという状況を何とかしなければいけ ないというところでえ若年ドナーの獲得と

いうところをえ今非常に肘を置いて進めて いるところ ですこちらあの先ほどの学域でのドナー リクルートのお話になります大学等での ドナー登録会というのはあのこれまでも らくあの実施をしているところですやはり あの2020年21年度あのなかなかこの 中であのそもそもキャンパスが空いてい ないという時期もあったりですとか なかなか難しい時代もありましたけれども なんとかあの現場の皆様のご協力あのを得 てですねあのこうした数字が積み上がって いるところです今回復傾向にありまして これからどんどんあの情報発信も含めて ですね新たなドナー新たなあの方々にドナ になっていただきたいということであの 取り組んでいっておるところ です次にドナー横断率の現状でございます 患者さんとHLAが適合してもですね最初 のあの段階で半分以上のドナーがですね あのドナーの理由で終了しているという 状況がございます2万3000系余りをが あのこれが適合の数ですねで初期あの最初 に問診表と共にですねあのご提供されます かという意思の確認をいたしますその時の 終了件数がま 1万3000今になりますでこの理由のえ ほとんどがドナー理由に初期段階ではなり ますでそのうちの62が健康以外の理由に なります健康の理由はもうどうしようも ない意思があっても健康の理由でどうしよ あの提供できないということもあるんです があの健康上以外の理由でえ提供を断念さ れる方があのコーディネートが終了になる 方がいらっしゃいますで健康以外の理由の うち1番多いのが都合つかずでございます でそしてその次には連絡トレずそもそも あの変身期限までにえ連絡が来ない届いて いない助けてという声が届いていないと いう状況にありましてこれが非常に割合が 多いということでこれらに対してあの それぞれの対策を進めていっていますまず 都合つかずになりますけれどもドナー級化 制度の導入というのを進めいますこちら 本当に長くずっと言い続けてることでは あるんですけれどもまだまだまだあの戦車 にも届いていませんま700あの7800 社程度のあの導入者数になっていますで あのこの適合ドナー休暇制度のえ導入促進 にあたってはですねあの企業の担当者さん にこうなぜ導入をしないのかという話を 聞くとですねいやうちの会社にそれを必要 としている人がいないから導入をしないと そういうようなお話がありそれが1番の 導入できないハードルになっていますそこ

で適合通知を受けたとか今適合通知は ショートメッセージでもお送りしているん ですけれどもURLでこうクリックした時 に1番最初に来るその適合通知の画面と いうのがウェブサイトであるんですけれど もそこにあの土休暇制度導入の えについてこうアナウンスをしております であのもしご自身の勤務先にど休暇制度が ない場合には私どもの担当者からあの ドナーさんのえ会社の担当者さんにご連絡 を直接申し上げますのでご一方くださいと そのようにさせていただいてあニーズが あるよというそのフェーズで導入を促すと いうことをやっておりますでちょっとまだ ですねその反応がまだまだですので私ども もドナーさんあの適合ドナーさんに対して どんどん集中をしていきたいということで あのユーザーインターフェイスの向上など 分かりやすさをこう今改良重ねている ところ です次にあの連絡取れずに関してですあの もうドナー登録のその登録の住所だったり 電話番号だったりがもう古いものになって いるので適合通知が届かないという条件に なっている方の対策になりますこういった 方にはですねあのまずあの携帯電話番号が 分かってる方に対してショートメッセージ をお送りして住所変更をお願いするという 取り組みをやっていましてでは4年では2 回発信してで対象実は9万人もいるいたん ですけれどもそのうち12.3がドナー プールに戻りましたちょっと飛ばして しまったんですが今54万人55万人の 登録者がいるうち住所が分からないという 理由だけであの適合検索に乗ってこない方 が10万人ほどいらっしゃいますそして 新たに毎年1万人ほどこの住所不明者と いうのは増えていますあの非常に重要な 問題ですので先ほどの証拠メッセージの他 あの登録時にLINEの友達登録をして いただいてそこから定期的に住所変更をお 願いするあとはバンクニュースというあの 年に2回機関誌を発行しておりますが そちらの中でもあの市名の中で大きな割合 を取って住所変更のお願いをしております またあのえショートメッセージでも届か ないよっていう方にはもうあのSNSで あの私どもの運用しているSNSであの引 図にですねあの住所変更はしましたかと いうような情報を発信していますこういう あの非常に重要な情報ですね是非あの拡散 リポストをしていただきたいものになり ますちょっとそういったお願いもあの講談 でさせていただきたいと思い ますで今SNSのお話が出ましたけれども

あの認知向上のために弱年ソ向けのSNS 発信を今強化しておりますちなみにあの このなあのまちょっとYouTubeの方 もちょっと心にあの聞いていただきたいん ですけど今xqTwitterの アカウントをお持ちの方いらっしゃいます かでお持ちの方はコバンクのアカウントを フォローしてくださっておりますでしょう かあのもしいや持ってないよとかあの フォローこれからだよっていう方是非この あのディッグブルーナさんのこのいつもの アイコンが目印ですので探してみて くださいでフォローしてくださいあのこの 発信力を強化するためにあのVリーグさん 長らくあのご寄付ですとか普及啓発でご 協力いただいているVリーグさんとの コラボをしてそのVリーグさんの男子 ファイナルというあのそのシーズン最高峰 のえゲームでえピースドナーシートという 形でシートを20席あのご提供いただいて あのそこに若い方を無料招待し骨バンクに 関する講義をした後このゲームを感染して いただくというようなイベントを実施し ましたあのVリーグさんからのあのご行為 でですねあのその年にあの賞を受賞した 選手の方々との記念撮影なんかも実習した ことがありますまたラグビーのああの プレイヤーでえ木村高弘選手のえファン 感謝イベントの中でえ木村選手がやって いるスポーツケアズという一般社団法人と のコラボをしてオレンジのシリコンバンド を作りましてえラグミのプレイヤーのフア の方に骨バンクってこういうことなんだ よってことを呼びかけていただくという あのイベントをしてくださいましたこれT シャツオレンジなのは我々から頼んでない んですあのスポーツケアズの皆様が オレンジいいよねって言ってじゃあ オレンジにしよう言ってTシャツオレンジ にしてくださいましたちょっとオレンジと いうキーワードが出てきましたね はいこれSNSでも見られますのでこう いうような発信をしてい [音楽] ます皆さん分かりますか3字 [音楽] です こんな風に水バンクのが何をしているかて いうのはもうちょっと直感的に分かり やすくするような説明もSNSで発信して い ますちょっと画面上だと短いあの見え づらいので是Twitterの方で ハイライトというところにまとめてますの で是非ご覧

くださいはいそんなあのSNSの発信のの であの今回あの日本骨パンクが行っている つげプロジェクトオレンジという取り組み についてご紹介をさせて くださいコバンクですねあの先ほどのあの あのご説明の中でもまだいぶネガティブな 話が出ました若年ロナーが足りないよとか 実はですね若者の認知度も低いんですあの 個バンク知ってますかとあの建設の現場 なんかでお声をかけられる方は多分実感が あるんじゃないでしょうかあのうんなんか 怖いなみたいなそういうようなあの名前 知ってるけどというようなあの認知度です またあの先ほどあのあのお示しした通り 連絡取れず都合をつかずということであの イエスと言ってくださるドナーさんが なかなか多くない現状そしてその結果とし て移植率が5%2人に1人というあの 大きなえ課題を抱えていますこれを変え たいということで立ち上がったのがつげ プロジェクトオレンジですドナー登録する ことやドナーが提のために会社を休んだり することこれはもっと当たり前にあと もっと応援されてもっと感謝される社会を 目指すというそういうような骨バンクの プロジェクトになっていますこうドナー さんや患者さんといった当事者の方に加え てですねその周辺にいらっしゃる家族やご 友人職場の仲間ま上司とか同僚とかですね そして患者さんに心を寄せる応援する 気持ちを持つ方は全てをこう つぐそうそれをオレンジというあの骨ワク のシンボルからでつぐそれで貸化してこう やって大きなたくさんの多くの方々が志し を持ってこう患者さんを応援している ドナーさんを応援しているということを こう世の中に発信していって社会を 変えようそういうことあの取り組みになり ますちょっと字が小さいですが読まさせて いただき ます誰かの役に立ちたいという思いの熱 また元気になりたいという願いの 光2つが出会ってオレンジ色のライフに なるそれはもう1度もらった命の色それは 見える世界が変わった人生オレンジ色は ありがとうの色そして未来につがる絆の色 だ9月16日は世界骨髄バンクドナーで オレンジ色のネットワークがつがる世界で あなたと私はきっと出会えるから思いと 願いがライフをつなぐ まさにコバンクがこの31年32年続けて きた営だと思いますあの人の気持ちが行動 を行動を呼び起こしてそれがこう救命に つながるままさにコバンクのことになり ますコバンク適合通知もオレンジです登録

のしりもチャンスもオレンジです今年から あのドナーのためのハンドブックも表紙が オレンジになりましたオレンジを骨バンク の色とししてあの広げていきたいそのよう な気持ちでプロジェクトつげプロジェクト オレンジと題してえスタートした政策に なり ます9月16日の世界骨バとナデでは キックオフミーティングを開催しまして あとあのあちらの端っこにQRコード出し ていますけれども専用ウェブサイトを解説 いたしましたコバンクホームページトップ ホームページのトップからもリンクを貼っ ておりますそしてSNSでも発信をして おります ちょっと時間の関係上割愛するんですが あのプロジェクトのムービーもありますの で是非専用サイトをアクセスしてみて くださいあのこちら血縁でご妹さんにご 提供されたあのご経験を持つマトキットの しさんというあのアーティストの方です 大事な命を繋げていきましょう繋げ た繋げよう繋がろう思いと願いがナイフを つぐつげオレンジつげプロジェクト オレンジであの最後に時間もしておる中 恐縮ですが皆様にお願いがあります是非 つなげプロジェクトオレンジの仲間になっ てくださいすでにごご体験をお話し いただくですとかあのご活動職務を通じて ご協力くださってる方多いかもしれません が是非あのこのプロジェクトを広く多くの の方にえ広げていきたいと思っています 自分は関係ないじゃないかと思う人をこう ぐいとあの一緒に仲間にしていきたいと そういう風にも思っていますで今その きっかけ1つ政策の1つとしてオレンジ 1万チャレンジということで TwitterXのフォロワーを1万人に クリスマスまでに1万人にするという 取り組みをやっていますあの何の プレゼントもありませんがこの意義の重要 性を実感してくださってもう既に100名 あの600名以上の方がですねもう フォローしてくださっています是非もし まだアカウントフォローされてない方是非 輪に加わってください是非フォロー& リポストをお願いしますあのここからXの トップに飛べますのでえYouTubeを ご覧の皆様も是非こちらからアクセスして フォローをお願いし ますご成長誠にありがとうございまし た はいみんなで先へ先へと繋がっていけたら いいですねくさんありがとうございまし たはいでは次に

えシさんにお話をいただきますえここの 病院 で職医療に寄り添ってえご活躍いただいて いますメディカル としてお話をいただきますはいではしさん よろしくお願いしますよろしくお願い いたします倉敷中央病院で移植 コーディネーターをしています清水と申し ますよろしくお願いいたし ます第1部で黒川コーディネーターから 増結移植コーディネーターのネラや関わり についてお話がありましたで第2部で移植 経験者から体験や骨バクのさんからあの今 バンクの熱い思いを伝えていただきました 私に与えられたあのタイトルなんです けれど移植医療に寄り添ってていう タイトルなんですが正直私がそこまで移植 医療により寄り添えているのかどうかって いうところがありますけれどまあの今現在 講師ともに経験を活動させていただいてる ことをお話ししたいと思い ます本日はススライドの内容で進めさせて いただき ますえhctc移植コーディネーターに なったきっかけなんです けれど大学卒業後今から30数年前に倉敷 中央病院の臨床検査家の臨床検査技師とし て就職しました生理検査を数年した後に 染色体検査に移動になりました当時の染色 体検査にえ当時の染色体で診断をしていた ま今でも上田先生今司会をしてくださっ てる上田先生があの診断院でえ常にそこ からあの常に関わってい ますで当時のあの臨床検査家の上司から あの常に言われていたことがあるんです けれど30数年前についてはあの臨床から の依頼は断らないっていうこ具体的なあの 指示がありまして色々なあの難題とかあの 希望に頑張って答えていきまし た先生ねあの他の検査家よりはね随分早い 結果を出しましたよ ね頑張りました はいで染色体検査では生ま生まれながら 染色体以上の疑いのある点先天以上や 出生前診断あと肺がんやえ脳腫瘍といった 固形腫瘍の染色体分析もありましたが1番 頼が多かったのが血液疾患の患者さんの 染色体分析でし た当時はあの骨髄採取の時には患者え検査 技師がベッドサイドまで骨液を受け取りに 行っていましたので検査の準備があの整う までしばしばあの患者さんとお話をする 時間があったんですけれどま怖いから検査 が始まるまで手を握っていたもらえる かしらと言われたこともありまし

た で染色体ってこういう風に顕微鏡で見ると こういう形に見えますあのなかなかこう 教科書やテキストで並んでいるような1番 2番ってこうつに並んで見えるわけでは なくってあのこうミが張ってるような形で 見えます でちょっとこの辺肉ですけどこの長いのが 1番とかこのちょっと曲がったのが2番と かっていうこのこれを顕微強化売で見て 顕微強化で異常を見つけるんですけれど も今ここに矢印をつけているの が あの染色体の9バのお尻が長くなって下側 のちっちゃいのが22番のお尻が短くなっ て9番にくっついたっていうあのCMLと かあの一部のALでよく見られるPHT ザっていうあの病気の期限になるような 染色体の異常ですこれはま権利鏡で見つけ ていってい ますで染色体以上を見つけることであの 患者さんに1番に迷惑にな るっていうことは見落としをすることで 検査技師としてはあ見落としをしなかった 異常が見つけられたっていうことが ちょっとあのほっとして安心する部分で あるんですけれど同時 に異常を言われる患者さんの気持ちを 考えるとちょっと複雑なそういう気持ちに なってだんだんなってちょっと気持ちが しんどくなってきまし たでは発見病や覚生リパ種など増結機使用 については遺伝子レベルで研究が進み科学 療法や運標的治療薬の開発など医学的進歩 で一部の発が治る病気になってきました それでも一部の病気で南中する患者さんが いらっしゃってその中で同州移植で延明さ れているこの移植治療というこの治療に 興味が湧いて前人の移植コーディネーター さんと一緒に仕事がしたいなと思って転職 をすることにしまし た残念ながらその一食全人の移植 コーディネーターさんが退職の後の配属で あったために一緒に仕事をするとという 希望は叶わなかったんですけれどまその 重なった時期がなかったのでノーハウが 引き続くこともできずに安中模索時期に 入りましたで血液内科の先生方と相談し ながらコーディネート業務を開始したん ですけれども患者さん1人1人の環境が 異なるために様々な心境に対応しきれない ことが多ありまし たまた院外施設の骨 院外施設の骨バクや再対決バクさらには他 の病院の先生とのやり取り

えあごめんなさいえっと患者さん あ他の施設の先生たちのやり取りがうまく いかなくてパニック状態になったことが ありますその中で その患者さん1人1人の環境に対して私が 色々こう質問されたことに対して あの味覚障害が現れたんだどうしたらいい かなとかあと幻覚が見えるんだこういう ことあるとかって言われたことをあの2人 3脚の患者さんにこうこういうことあるか なっていう風に尋ねると私はこうだったよ とかあと他の方から色々聞いた経験を話す ことによってあの安心してもらいましたで それらのあのメッセージ集を集めたものを 1冊の本冊にまとめて今も患者さんに安心 してもらなてい ますでコバンクにも同様でコバンクの コーディネーターさんや事務局の方々に 色々とあの説明の時に同席をさせて いただいたり事務局の方に色々相談させて いただいて1つ1つ業務を少しずつ慣れて いって今に至ってい ますで色々な講演会や患者会にも参加して とにかくあの自分の知らないことが たくさんあったので教えてもらうことにし ました2014年に党員の患者会のTさん から岡山増結細胞移植患者会希望の今日も 来てくださっている山部さんや骨バンク 岡山骨髄バンクを支援する会の原田さん たちと次々にご紹介をいただきましたで 希望の会で開催され た講演会を拝聴して学ぶことが多くてその あの病院館のあの書き念を超えて希望の会 にも席を置かせていただきまし たまたお会の骨バクを支援する会のお 手伝いをさせていただくこともことも 始まりました登録会で説明をさせて いただいたりえ紹介をさせていただいてい ますこちら登録会の様子 ですで2017年に島根県で開催された 増結細胞職学会の市民公開講座では 今回ご講演いただきましたつの理事の お父さん宮さんそれから今回ウブで参加を あのYouTubeで視聴していただい てると思います和田さんこの和田さんから は今でも毎月萌の会の解放を送って いただいていますその他にここ会場に来て くださってるえっと島根県立中央病院骨食 患者会の向の皆さんあとうちの2人3脚の 人たちまあの本当に多くの患者さんの 出会いがありまし たで翌年の2018年にはムなの夏 イベントに参加させていただきましたムで の会ではその移植後の患者さんが三兵さに 登山をするっていうとても過酷な挑戦を

すごく大勢の方がされていましてそういう もすごく刺激になりましたでこれは左は あの阿先生大会長の阿先生なんですけれど 右はカヌに乗ってるんですけれど元ちゃん ねカヌに乗ってあの色々と挑戦したんです よねはいそういう交流を持たせていただい ています年にはあのじゃあ今度は倉敷へ どうぞということであの倉敷のID スクエアで交流会をさせていた あのえ企画しまして翌日には美間地区を みんなでこう観光して歩きまし たまあのいろんな出会いがありましたあの その他にもまあのが子供の子供を守る会と かCMLの泉の会の皆さんとか色々な方に 繋がっていきましたでこちらはちょっと 患者さんにあの了解を得て写真を乗させて いただいているんですけれどもえ骨髄バク から真書血関細胞をええ提供いただいて え一食本ちょっとghdで南中された患者 さんになりますこちらの方はあの移植後 何十したんですけれどもえ移植の後ほぼ ほぼちょっと動きづらい環境からえ看護師 さんやえとPTさんえリハビリの方とかと トランプやえパズルをしてこうやって散歩 にができるようになるまでになってそれ から211日目でえリハビリ店員で定員 できるようになりましたで今ではご自宅に 帰られてえ時々あの私にも電話してくれる んですけれど入院してた時楽しかったよ ねって言ってあの電話をしてくださいます あのそういうまあの関わりをコデネーター としてさせていただいて ますでそして今なんです けれどあの先ほど発表してくれた黒川さん あの広報活動としてバンクのそのバンクに ご協力くださいという助けをつけて岡山 マラソンを走ってくれてますで え右側えっと左側の私の隣にいる子があの 孫なんですけれど一緒にあの先月行われた あの岡山駅でのこのバンクのチラシくりな んですけれど広報活動に参加してあの月の 世代と一緒にああのボランティアに参加し てい ますでこれはあの2017年につの会の皆 さんとえ島根でお会いしてそれから色々な ご縁があって今日に至ってこういう会をま 模様させていただけたていうことで本当に あの感謝しております皆さん本当に ありがとうございましたご清聴ありがとう ございまし たはいさんありがとうございましたさん 本当にえ深い繋がりをえ表現していただけ て本当にあの良かったなと思いながら聞い ておりましたはいえ島根での出会いがね私 はその時にあの司会をしておりましてえ市

さんの存在そしてあの他の方々との出会い もあったという次第ですはいではえ今日 の 基本公演のその先までを話していただくと いうことで え細胞治療まになるわけですけれどもえ これからへということでえ機会をみんなで 進めていきたいと思いますえ上田先生 よろしくお願いしますあよろしくお願いし ますそれではあの早速始めたいと思います 一応本日のタイトルは増結細胞感細胞移植 療法の到達点と細胞治療の今後ってすごい あの大きなタイトルなんですけども現実に は今どんなことが行われてるかっていう ことを少しお話したいと思い ます使わ ですでこれはあのさっきも出てきたんです けども血液の血球の文化っていうことで 1番元に増結管細胞というのがあります そしてですねあの一応これはある程度もう 刺激的なんでもう少し本当は違う部分が ありますけども骨釣り系の間細胞とリンパ 系の間細胞に分かれてリンパ系はまTとB そして骨系の間細胞から石血球とか あるいは白血球火球単球と言われる白血球 とかあるいは結晶版の元になる許球が出て いくそしてそのいろんな成長していきます けれどもそのいろんな段階の細胞がですね 無制限に増えていって主要になるととここ に書いてあるようなあのいろんな名前に ついた血液の主要が出てくるということに なってくるわけ ですじゃ間細胞ってどんな細胞かっていう ことですけども先ほどいろんな細胞に 枝分かれしていきますそれ文化のこれが 大事ですけれども文化っていうのは実は 成長成長の先には死があり ますですからもし間細胞が文化だけですと なくなっちゃいますですから自己複製これ がすい大事自己不正をしながらまある意味 では自己保存をして永遠の性を保障する この両方を持ったのが間細胞です皆さん 発覚病の治療で文化誘導療法っていうの どっかで控えたことがあるかもしれない どうしてそれが治療になるかっていうと 文化が進んでいって最後細胞が死んでいく から治療になるということになるわけです でその増結感細胞を支える環境これを増結 微小環境よく本では日とか書いてあります けどもこれはまゆり みたでこれは何からできてるかっていうと その環境とですね感細胞が接着する接着飲 とかその日地が作るいろんな細胞が作る サト会と言われる物質とか脂肪細胞線画 細胞骨が細胞ゆた細胞そういうものが日と

言われてますこれは実は石血球の元の石画 級が作ったコロにですけどこの元ここの中 にこれ1個の球の全細胞と言われる細胞 から採用するとこのコロニーが出てき ます次は火級単球その1個のですね火球 単球の全細胞から倍するとこれだけの細胞 が出てくるこういうものが骨の中で増えて いってるわけ です一方造的腫瘍の治療っていうのは化学 療法っていうのがありますこの科学療法の 考え方ですけれども残念ながら化学療法 腫瘍細胞だけやっつけるわけにいかない 増血細胞と腫瘍細胞が残念ながら一緒に 減っていきますただうまくお薬薬を選ぶと 主要細胞がダメージを強く受けるですから まだよよしてる間に増結細胞は元に戻って いくそうすると数の差ができますでまた 治療するとさらにその差が増えていくと いう形で治療するというのが基本的な移植 あごめんなさい科学療法の考え方っていう ことになるわけです という前置きの後にですねこの自分の間 細胞を使った自家増結管細胞移植という ことについてお話ししたいと思い ますこれ基本的な考え方なんですけれども これは後でも出てきますけれども放射線科 療法というものはですね薬剤業放射線量の 上限っていうのは実は副作用で決まってき ますで放射線薬剤による治療効果っていう のもですね実はどんな細胞でよく聞く かっていうと細胞の分裂を何回もしてる ような細胞で治療効果は強くなってきます 一方副作用というのもですねこの逆で正常 な細胞も分裂を良くする細胞っていうのが 副作用がたくさん出てくるで体の中で1番 分裂良くしてるのは増結器骨髄ですです から言い方を変えるとですね骨髄障害を 心配しなかったら普通よりも非常に強力な 治療が可能になるわけですですから あらかじめ自分の増結管細胞を凍結保存し た後に強い治療すれば比較的安全にですね あの強い治療ができるということになる これが移植の考え方ですとしますと増結 障害を起こすお薬の量とですねいろんな 臓器障害を起こすお薬の量との間に差が 大きいお薬ほど磁界には向いたお薬という ことになりますこの上の2つデスパンとか シクロホスパミンドて言われるようなお薬 は37倍とか15倍とかってだからすごい そういう資料に向いたお薬です逆に固形 腫瘍でよく使われるプラチナ星座シス プラテンとかは2.4倍なんでこれは あんまり移植には不向きなお薬ということ になるわけですということでですね時間の 増結管細胞植っていうのは早期の増結回復

はは困難だけども臓器障害は大らぐらの 大量の放射線確良法の後にですね あらかじめ保存した事故の増結管細胞を中 するですから先ほどの化学療法の全く延長 線上にある治療ということになります排 疾患としては主要性疾患があるわけです けども実はですね腫瘍以外にもこの増血管 細胞よりはもっと成長したレベルの細胞の 異常によって起きる例えばエルアドスとか ホム症候群とか言われるような病気とか 自己免疫疾患もですねそういうレベルでえ 異常な細胞が出てきた病気という理解をし ますとそういう細胞を自植でですねえ叩い た後に あの正常な感細胞を入れていくことで病状 を改善できる可能性がありますそれから 血管神性なんかの再生医療そして遺伝子 治療遺伝子治療っていうのは何か遺伝子の 損したそういう自分の関細胞に欠損した 遺伝子を遺伝子導入して自分のものを戻し てやるっていう可能性もあるわけ ですでこいには増結間細胞当あります けれども説中にも実は少しずつなられて ますでそれは抗がん台なんかを使って 白血球が減って回復する時期にですね小い から動員されてきますでその動員されて いるのをgcsfさっき出てました血を 増やすお薬を使うとこれが増えるわけじゃ ないんですけど動員がさらに加速されます でその上にですね実は最近ではプレキソ ホールモビルっていうお薬が出てまして この増結管細胞と微小環境このの結合を ちぎれるようなお薬も出てますですから 状況によってこういうお薬を使いながら ですね真処血中に流れ出した増血管細胞を 回収することで骨に変わって移植もできる これがマシ血管細胞移植ということになり ます では今度はですね同種移植自分以外の人 からの移植についてのお話をしたいと思い ますこれはあのどういうことかって言い ますと例えば白血病です と増血炭細胞を保存しようと思ったら白血 量細胞が混じっちゃう可能性があります ですから移植後にですねまた主要細胞を 放り込むということになりますので疾患に よっては理解植では賄えないということに なり ますでどういう場合にするかって言います と例えば再生不良性貧血のってよいも有徳 な増結障害による増結システムの入れ替え が必要な時それからやはり先天性代謝異常 といった遺伝子異常がある場合に遺伝子が 正常な間細胞をで一生増結をするという ような治療もありますし主要性疾患に対し

てもですね先ほどの磁界職と同じように 大量確療法をすることを目的に行ってた わけですとこがこの後述べますけれども実 は司性疾患に対してはですね移植した免疫 担当細胞による高使用効果もあるんだと いうことが分かってきました先ほどから出 てましたあの次回移植これは自分の移植 ですけども同形植っっていうのは一男性 双子そして同種植っっていうのは人と人今 実は心臓の中では豚の一種移植っていうの も一部置かれてるようですでそそうとして は骨マ決再対決が先ほどお話があったよう にあるわけですけれどもそしてHLAを 合わせないと他人からの移植の場合はでき ませんこのお話は先ほどあの出てきました ので大井先生のお話だと出てきましたので ちょっとあの時間の関係もあるので拡させ ていただきますけれども両親から4通りの 組み合わせで子供さんもらいますので同法 ですと4人に1人のラルドナーが出てくる という形になりますそして移植の流れです けれども特に同種移植についてお話しし たいですけれどもまずですね移植の全処置 これによって主導細胞をやっつけるわけ ですねそして白血球が減りますで次に移植 の少し前から免疫抑制療法を始めます そして植をして白血球が増えていくと早い 時期に定着した後ですね主に救世gvhd そしてもっと定着した後は慢性gvhdが 出るっていうのが流れになってきますで その移植後の免疫反応は2種類あります 先ほども出てきました1つは拒絶とか正着 不全実は増結関西部職の場合にはあまり これはありませんどうしてかていうと拒絶 っっていうのはですねレシピエント患者 さんの免疫細胞が ドナさんの細胞を攻撃する反応です心臓力 なんかですとドナさんの心臓を攻撃する わけですけども実はこの患者さんの免疫 細胞って全処置でやっつけてるんで拒絶と かですねあのいうことは実はあまりこの 移植では起きませんただ最対決の場合は 先ほども出ましたけども量の問題とか いろんなことがあって正着不全というのは 10から20%で起きる可能性があります でその180° 裏側つまり逆にですねドナリンパ級が レシピエントの組織を攻撃する反応まこれ をコントロールすることで同州移植が成立 するですから同州移植の歴史っていうのは 実はほとんどですねこのgvhdどうやっ て抑えるかという歴史であったわけ ですところがですね植を初めてしばらくし て統計を取ってみるとこういうことが 分かりますたこれは急性白血量の再発です

上が再発率なんですけれどもトイン一覧性 25そしてまたgvhdはTリパ球で主に 置きますのでT細胞を除いた移植っていう のもありますそうすると再発がすごく 多い逆にgvhdがしっかり出ると再発し ないということが分かってきたわけですで これは先ほどのはあのインターネッデタ ですけれどもこれ日本の半海議でも全く 同じようなデータが出てきていますという ことはですね移植したドナー細胞が免疫 担当細胞としてレシピエントの組織組織 はけるのはgvhdですけれども レシピエントから生じて白血量細胞を攻撃 するとですから究極の免疫療法ということ が分かったわこれをgvl移植編対血病 というような言い方をしますそして調べ てるうちにですねあリフォーマでもあこれ もgvl同じ言い方でいいでコでも同じ ようなことがgvmそして現在ではgvt は主要移植編対主要効果というような言い 方をするようになってるわけですでもう 一方で先ほども出てきました移植全書地と いうのがありますで骨破壊的全地が従来 行われてきましたこれはですね先ほども出 てきましたけれども実はそのたくさんの薬 でやっつけたいと共に正着を売るために ちゃんとドナ患者さんの免疫を落とすには これだけの強い治療が必要だったんですね ところが免疫抑制技術の進歩で強い伝承地 が必要でなくなりましたでこのgvt効果 を強く意識する治療ということで強い治療 でなくても主やけられるかもしれないと いうのが強度減弱全書地リックいわゆる ミニ移植ということになりますでこれの理 てて言いますのは高齢者とか臓器障害が あっても移植の対象になれる日本82歳が 1番高齢の方の意になりますけどもそう いうこともできるようになってきてるわけ ですで天所地のお薬としてですね免疫抑制 効果とこ主要効果これをですねどの程度 かっていうのでいろんな移植前処置があっ て患者さんの病気の状況と身体状況と 合わせて選択していくということを私たち はしてい ますところが最近になってちょっと世の中 変わってきましたというのは白血球の方 合わせないといけないって言ってたのが ですね血縁者の場合に半分割ってたらいい 移植ができるという時代になってきてい ますこの半分というのは親子は必ず先ほど ので半分ですし一部の従子とかですねおい って言われるような人たちも実は移植の 対象になれる可能性があるわけです今 大きく日本では2種類あります1つは少し 昔からやわれてるatgハロと言われてる

これは兵庫以来で主に小川先生とかですね 池神先生吉原先生たちがされてる移植です けれども 移植 前3から1日にですね マイナスこ強制グロブリンこれTが細部を やっつけるグロブリンをいっぱいあごめん なさい少量入れますそのことで患者さん 自身のテリパ球とその後移植されたドナー さんのティリパキをやっつけてgvhdを 半分合わない白の移植でもしてしまおうと いう移植ですこれはかなりgvhdが強く 出るんでですけれどもうまくコントロール すると抑えられますで逆に先ほどのgvt 効果が強いということで非常に患者さんが 重徳な場合とかですね治りにくそうだと いう場合にされる移植でま移植仲間の間で は勝負アプロというような言い方もされ てるようなやり方ですでもう1つは最近 非常に増えてますポストCYこれも非常に 取引な治療ですこれはですね移植後普通に ですねあの移植の全処置をした後移植して 移植後は免疫抑制をかけずに3から5日目 にですね抗がん剤であるエド産免疫欲生代 でもありますけども移植の時と同じぐらい 大量に使ってそれから免疫抑制を始めよう という治療ですどうしてこれで移植が できるのかということなんですけれども全 処置をしてです ねドナー細胞を入れますそこで免疫抑制を かけない とこのgvhdを起こすようなですねドナ さんのえ患者さんの体の光原と反応する ようなドナーリンパ球がワっと反応して 増えてきますでそこでサイクロスマドを 入れるさ最初にお話しましたようにわっと 増えてくる細胞は薬がよく効くんですねだ からそういう細胞が猫消えていくもう一方 で本当の正着に関係するような細胞って いうのはお薬の影響を受けずに生き残って いくということでですね正着は担保された 上でgvhdの細胞が死んでいくという ようなそういう治療としてですね移植後 サイクロソスまっていうのがありますただ 逆にこのgvhdが少ないので最初とかが 多いなどの問題点もありますけれども移植 後実はあんまりD起きないということで今 盛に行われてい ますでさらにですねこれは以前からある 治療ですけども移植後に再発した時どう するかということで当然再植といろんな ことがあるわけですけどもドナーリンパ級 求移植後にドナーの真血リパ級を求すると いう治療もあり ますこのdliドナーリンパ級

インフュージョンというのはですね元の ドナーの真リパを反応見ながら繰り返し 入れていくような資業で再発早期あんまり 再発しちゃうしっかりすると難しいです けども増結使用特にCMLで満席性発量で すごく良ききますそれからEウイルス関連 のリパ増食性腫瘍が免疫抑制に伴って出て くることがありますあるいは南地性 ウイルス感染症なんかで聞くこと割と聞き ますでこれCMLなんですけれどもこれは あの日本のデータも欧米のデータもですね 実に再発早期です慢性期ですとすごく効率 で引いてきますただ例えばALなんかです となかなか効かないということであの元種 によって違うんですけれども一部のもので はこういう効果が出てき ますでこれは生存曲線ですけども見て くださいCML移植5再発ってま大変な 状況なんだけどもリパ球を入れるだけで ですね早い陸でと非常にコントロールさ れるまこれは疾患にもよるわけでまこう いう治療も出てきますで最近全然話は 変わりますけどもGDに対して新しい治療 が始まってます実は欧米では随分昔からさ れてる治療なんですけども大外 フォトフレーム作り だしたリパ球にですねメトキシプラーレと お薬と市外線を照射してそういうリパ球を 活性化してそして体内に戻すというような 治療ですもこっからですね抜いてきてその 抜いてきたリンパ球にオンラインでですね お薬を入れて被害線照射して活性化して体 に戻してやるで元々はですねシリパ急性 使用とかあるいは強皮症とかそういうもの に考えられてたんですけども一方で gvhdにも聞くということが分かってい まして日本ではgvhdに保険が通って 今年からですねあの使えるようになって いる治療ですで日本の同細胞移植のデータ については先ほど あのいろんな報告で出てますのでちょっと 時間のこともありますのであのカとして いきますけれども最大係移植が今非常に 伸びてるという状況なのですねやはりあの 考えないといけない状況としてこれは急性 小性発掘量の余語なんですけれどもこの 10年の治療成績ですけれども標準リスク 群と高リスク群でですねやっぱり非常に差 があるんですねですから本来移植っていう 治療 はそういう差をなくすために始まった部分 もあるんですけもなかなか植の料でもです ねこの疾患の高リスクと標準リスクこれ 初回治療ですのであの再発して色々大変に なってという状況じゃないんだけどやはり

あのなかなかこれを打ちませていないここ がこれからの改善点ではないかと考えます 逆に骨形成症群の場合にはいろんな移植 ソースでもですねほぼ一定の成績が出て ますで先ほどの血上に比べと効リスク群と ですね標準リスク群であまり差がないと いうような成績も出てきてい ますでもう1つ特筆すべきは再生不良性品 若年者の再生不良性品決についてはですね Hがマッチーをしてれば既血縁でも血縁で もですね非常にいい成績なんですねです これはやっぱりこういう成績が担保でき るっていうことは素晴らしいことなんじゃ ないかなと考えていますということで移植 っていうのはですねティリパを用いた治療 とチリパ球免疫療法ということが言えるか と思うんですけども実は1980年代から そういう治療はありましたで私自身その アフレシスということも専門にしてたんで 自分は知てませんけどこういう治療って 非常に気になってたんですけれども1つは ラックリンパ球活性化キラーセルと言わ れるようなもので患者リンパ球をインタ ロイ2などのテライブを刺激数物質で刺激 して増殖してですね患者さんに戻すと使用 効果があるっていう治療ですこれ実は すごい強い副作用が出るのとそんなま中に 聞く人はいるんですけどもそんなに聞か ないじゃあというので腫瘍に新人してる ような腫瘍の周りにあるようなリパ器を 取ってきてですねそれを採用して入れたら もう少し効果があるんじゃないかという ような治療が行われていますだこれは なかなかあのなんて言うんでしょう一部 効果があるけど副を持よくてということで 一般化されてないと思いますで現在民間 療法でリパ級療法みたいなのを言われてる 一部はですねこういう治療があのされてる ことがありますでその一方でですね最近で は交代の治療ということが盛に行われる ようになってきましたで交代治療なんです けもこの標的源に対する交代を用いた分子 標的療法と言われる治療になってきます実 はですね増結器の腫瘍決定機の腫瘍って いうのはその腫瘍に特異的な光源っていう のが腫瘍の細胞の表面にあるんですねです からこういう交代の治療ってし やすいで昔からあるあの立さという名前を 薬着換えたことあると思うんですけどもC 20っていうB細胞の表面光源に対する 交代なんかはまそういう表面に性質に対し てくっつくことでですねあの公使効果を 発揮していきますところがそれがさらに 少し就職されてですねそうやってくっつい た後に一部の交代は細胞の中に取り込まれ

ていきます内方かって言いますそういう 性質がある交代があるんですけどその交代 にですね公剤をくっつけ そうするとその目印のある細胞だけに甲子 用剤が入っていくということができるわけ ですこれを光体薬物複合体と言いますで またですね今このナでちょっとあまり日本 でできなくなってますけれども交代に放射 線を使うレバリンていう治療ですけれども そういう治療もですねあのそうすると包帯 がくっついた細胞だけ放射線照射で やっつけちゃうことができるという治療も 始まりましたでこれは高主要の治療では ないですけれどもティリパ球を刺激します とすごいサイトカインっていうのが いっぱい出てきますでそのサイト会員って いうのは体に入る時にですね需要体受け口 から入っていくんでその受け口を蓋し ちゃうとサイトカイがいっぱい出ても あんまり症状が出てこないというのでそう いう交代もですね交代療法とともに出てき てますで先ほどの光体薬物複合体これは マイドタクっていうお薬もあの会社の スライドを取ってきちゃってるんです けれどもこのCD33っていう骨系細胞の 表面マーカーに対する交代でカケマシと いう構成物質抗がん台の公成物質を くっつけてますで細胞の表面にくっつくと ナイ インターナショナに入っていくわけです そして入っていって最終的にですね くっついてた構成物質が解けて用効果を 発揮するそういう治療になりますでもっと 最近になってですね20重特異性交代って いうものが出てきましたで交代って本のま 腕を普通持ってるわけですけどもその腕の 1本1本をですね違う種類の交代にしてる ということが今できるようになってるわけ ですこれはビリンサイトって今盛に使われ てる薬ですけれども1本はですねCD19 ってこれは主の Bリンパ級性発掘病なんかのそれに くっつくでもう一方はTリンパ級に くっつくCD 3これは合わせた交代なんですねそれを 入れちゃうとTリンパ級とBリンパ球が くっついて活性化されてTリンパ球から ですねグランザイムパーフォリンという ような物質が出てビリパを壊しちゃうこう いうような治療が現実に行われるように なってきていますでさらにそれを進めたの がですねカーティ細胞療法ということに なりますこれは遺伝子導入によって腫瘍 細胞に特異的な光源それに結合できるよう な交代をですね発言できるようにT細胞に

遺伝子を掘り込んじゃう遺伝子導入という のをして小細胞の表面にですねこの腫瘍の ビリパにくっつくような性質を入れちゃう という治療 ですでこういう形でですねあのフィリン パキの表面に入れちゃうそれをカーティ 細胞っていうわけですけどもそうして くっつけると先ほどの同じように グランザイムパーフォリンが出て穴を 分けるでこれが先ほどの二重特異性交代と 違うのはそうやってくっついて刺激を 受けるとですねティリンパて分別するん ですよねですから交代っていうのは交代が 血中から消えたら終わりなんだけど もこの治療の場合にはテリパ去が分別する のである程度長い間治療効果が持続して いくというようなことができるわけです ただしですねそうしますとティリパ活性化 しますのでサイト会員放出症候群っていう のがすごく起きることがあこれには先ほど の交代薬あの都悪手村っていうなお薬が もう現在できてますので併用することこと になりますそれからもう1つは アイキャンストップが出てきますでこう いうものをま合わせてですねこれは外国の 文献から取ってるんですけども先ほどの ラップとかティルっていうようなものが もっとちゃんとと選択的にカーティと言わ れるような細胞の治療になってこれで増結 的腫瘍がやけられるでその後ですねリンパ 球NK細胞とかマクロ単球とかそういう ものでやはりカーを作ってですねこれは実 は固形腫瘍です造形的腫瘍みたいに表面 光源がパチッと分かるようでない固形腫瘍 に対しても同じような治療が考えられてる という状況があります で今日まとめなんですけれどもあの増結 細胞のですね解析と進展と医療技術の工場 の中で増結細胞療法っていうのは着実に 進歩してますで各地細胞の機能を利用して 加工して治療に結びつけることも可能に なってきましたで対象も増結費から固形資 までだんだん広がってきてますただですね その一方で私たち自身の体の中で生まれて ですね日々命を支えような造細胞集団っと いうのはまだ解明尽くされていないような 非常に強いパワーを持ってると思いますで 医学の進歩の中で生まに出されてくる今お 話したようないろんな新しい技術とともに ですねま資源は限られてますで強制を求め られてるような世界の中で我々が自分の 体内で作り出すような増結細胞をですね そのまま用いた職っていうのでもある意味 では今流行りで言われてますsdd治療と してですね今後もやはり重要な位置を占め

続けるものと思われますですからこういう 治療とです移植っていうのはどう住み分け ていくか治療戦略が求められますそして もう一方でやはり移植っていうのはまだ あの移植した時点からですねなかなか 私たちが介入しにくい部分があるのでその ようなですね複合的な治療を統括できる ような技術の開発が必要だと考えられます 以上ですご清聴ありがとうございまし たはいえ時代はここまで来たしこれからは こうなっていくだあろうえだから一緒に 住んでいこうというお話をしていただけた と思いますえ上田先生ありがとうござい まし た はいではここからえ質疑に移っていきたい とと思いますえ頂いた質問がえワドで こちらに出ますのでそれに対してえ上田 先生やえ他のhctcの方々とかに一緒に 考えてもらいながら えま解決できるものは解決できるようにえ 考えられたらなと思い ますえ最初の質問ですねえ急性骨税性発見 病の女性の方です2022年1月に増結 細胞植を受けましたえ順調に修業は進み 今年の3月に仕事に復帰できましたでも4 月くらいから一応障害がひどくなりました 手足の次ぎも時折りありえ皮膚の炎症など も出てきましたgvhDだろうということ で免疫抑制剤を再度開始しております質問 です私のように一旦良くなったと思っても GVHDが出てくることがありますかこれ から長くgvhdで治療続けることになる のでしょうか他に私のような例はあります かとのことですお願いしますありがとう ございますあのおそらくこれですと先ほど 出てました慢性の gvhdというものが出てきてるんだと 思いますけれどもあの今お示しして いただいたような経過っていうのはあの 比較的あの出てくることは割と 多い経過だと思いますで一応あの症状が出 てきり受信されて対応されていますので あの一応きっちりですねお薬を飲みながら その反応によって続けていったりまた良く なれば減らしていったりまた減らしていく とまたちょっと出てきてもう1回増やして というような長い経過なることがあります けれどもあの次第にあのコントロール できる可能性は高いのではないかと思い ますで今もあのこの慢性ジブHDに対する お薬っていうのはあのイブルチニブとか ルキソリチニブとか出てきてます新しいお 薬が使えるようになってますしそれから 先ほどのあのecpと言われるような

新しい治療とかですねいろんな治療が出て きてますのであの長く続くかどうかって いうのをすぐある程度コントロールできる かちょっとわかんないんですけれどもあの そんなにあの批判されることはなくて むしろ あの多い経過だというような形で考えて いただいてもいいんじゃないかなですから 主人の先生と相談しながらですねやって いただいてあの例えば あの光にあたるとGVHDが起きやすいと かですねまいろんなことってあるんで少し 生活には気をつけていただかないといけ ないかもしれませんけれどもあの十分対応 していただければそれまでの経過って そんなにあの大変な状況ではなかったよう ですので対応可能なんではないかと考え ますはいえ仕事をしながらちょっと職場に 相談しながらですかねえっと 通院で様子を見 あの私よくお話してるのは あの休める時はちゃんと休めるような環境 で仕事ができるといいですねという感じで ですからこれで例えばもう仕事ストップと かいうようなお話ではなくていいと思うん ですけど体調の悪い時はちゃんとあの 休めるような環境というのが大事かなと 思いますはい えのあの講演の中にもあったと思います けれども えま長く続けていくうちにということ で希望を持って職仕事もやめ済みと今先生 も言ってくださいましたけどということ ですねそうですねあのやっぱり良くなっ たり薬をそれで減らしていくとまた出てき たりっていうのは何回か続きながら だんだんと山が小さくなって はいが多いんじゃないかと思いますうん えっと長い移植後のこれからの人生の中で はあ あのまあることだから あ周囲との相談を大切にそれと先ほどあの まどかちゃんの話の中にも出てきましたか ねえ患者会などともよくえ横の連携も取っ てま語り合い分かち合いをしながら行くと 心強くいけるんじゃないかなと思いますね あの1人でこういう状況でえという風に 思っていると不安は余すばかりだと思い ますが あ担当の先生と2人3脚のつもりでえ言っ たらどうかなという全体的なそういうあの アドバイスかなと思いましたはい ありがとうございますでは次 です骨成小君の622歳のえ女性の方です 今年の1月に

えからあの診断がついたということだと 思いますが昨年の春頃からとても体調が 悪かったのですがとても忙しくて疲れ だろうと思いそのままにしておりましたで も年末に休んでも良くならず今年に入って ようやく借に相談しましたすぐに大学病院 に紹介されご継承皇軍の診断を受けました 1月は不まま入院して治りを受けました5 月8月にも同じような治療を受けました それから外来に通って経過観察を続けて おります質問です担当の先生からできる だけ早く移植をした方が良いとアドバイス がありました私は1人子ですので土は骨番 から探すのだと思いますがgvhdが怖い ので今のところお断りしていますえやはり 職を開けた方が良いのでしょうか アドバイスをお願いして いですありがとうございますあの これまなかなか本当の情状っというのが あの分からないのであの難しいところは あるんですけれどもただ小形成症興群と いうことで3度入院して治療を受けられて いますで小形成諸行群というのは先ほど あの五藤さんのお話にもありましたけども その再生不良性貧血的なていうか増結障害 が中心まそういう病気ではあるんですけど もそれに2割から4割の人は発見病的な 変化が加わってきますでおそらく入院で何 回か治療繰り返しされてるっていうのは その発見病的な変化というのが少しある ような状況なのではないかなという気が いたしますでもしそうなのであればあの 普通の発見病っていうのは正常の増結の上 に発見病が乗っかってきますので発見病の 治療をすればまあの最前の場合には治る 可能性もあるしということがあるわけです けれどもコ形性症交群の上にそういうもの が乗っかっていると治療も非常に難しいし コントロールできても病気が治るわけでは ないという状況になりますでまた逆に発掘 病がどんどん悪くなっちゃうとなかなか 大変ということがあるのでもしまあの先生 に聞かれてですねその発見病的な変化が出 てきてるというようなこともあって移植を 早く進められているのであれば私は あの早く移植された方がいいような気がし ますつまりそのやはり骨形成症候群から そういう発見病的なものがが出てきてても 結局コントロールできないと普通の発見病 がコントロールできない状況と変わりませ んのでまだ骨形成症候群で落ち着いてる それなりに落ち着いてる間に対応策を考え られた方がいいのではないかという気がし ますただちょっと全然あの現実が違うので あればまたお話はかってくるんですけども

という感じうんあのghdが怖いのでって いうのをgvhdを詳しく知っていると いうよりもえっとSNSなどでえあのま 見聞きするとそのあまりいい話よりも ghdというのがこうちょっと増幅されて 伝わってる基本学習してないと思いますの でという気がするんですけれどもそうです ねあのさっきもお話したように今いろんな 治療が出てきてますしそれから あのそれが治療効果を出してるという部分 もあるのであのだんだんとそのgvhdが 非常にコントロールできなくてという状況 は少しずつ今減ってきてるじゃないかと 思いますのでちょっとま何を選ぶか天秤に かけるか最初のオ先生の出てましたけれど もということがあるのですがちょっとこの 状況です とあの起きるか起き強強く起きるか起き ないかわからないDHDを今おっしゃった ようにあまり怖がられすぎない方がいいん じゃないかと思いますなるほどねあた対応 しようとしてるから医療の方はあそこは あのそこだけをあの頭の中に描かずにえ 治療を受けるということで相談をしていっ たらどうかということですね診察もしその まましてもらったらどうかですねはいはい えっとこれ送られてきたあの質問なので あのえっとYouTubeで見てくださっ てると思うんですがあ今までえお聞き いただいたように医療は何とかあ最善に 最善にとえ向かうようなあの方向にえ進展 してるという風に感じていただけたと思い ますのでえ東先生とその辺を前向きに捉え てご相談なさったらいかがでしょうかはい では次 ですえこれ も送られてきた質問ですねえ18歳の女性 からです兄弟館移植であその患者さんの方 は克服したあままま元気にしておられると いうことでですねで14歳の時に兄にごい 提供をしました提供から3ヶ月で兄は退院 して通院しながらも学校に帰れるように なり留年せずに進学希望の大学の付属病院 にも合格しましたそれは良かったのですが 兄は目がどい合になって眼科への通院は 時々続けていて発も完全には戻っていませ ん私の提供した細胞のせいかなと思うと 悪いなという気がしますでも兄はドライア などの他はとても元気でマラソンにも挑戦 していて首位からも賞賛されていますそれ はすごいと思いますが私は体調が悪い時 などあの時の全身麻酔のせかななどと思っ てしまいますえ骨バンクで知らない人の ために提供するようなえ素晴らしい方々が おられるのに私のように根暗に考えるのは

おかしいでしょうかというえま本音ですよ ねえこれね相当あのもう少し少し大人に なってからり提供したやはり兄弟の人から もえあのヒロは結局患者の方なのよていう ね本音をあの聞いたことがありますがえ これもあのうまく語り合ったりアドバイス があの心に響いていくとえ克服できていく んじゃないかなと思いますのであの本中に あの同じようなことで引っかかってる人の ためにえ先生あの皆さんからアドバイスを もらって くださいはいじゃあのコーディネーターの 清水ですあの質問ありがとうございます あのよくありますし あの血縁の方の場合はあの村田さんや黒川 コーディネーターが話してくださったよう にとても患者さんの状況が見えるという ことで あの辛いこともあったりあのこういう風に 暗に考えるっていうのもおかしいこと でしょうかていうことも全然おかしくなく て普通にあることだと思いますで実際は あの私たち医療者もそれから実際にあの 綴りをいただいたお兄様も本当に命の 贈り物をいただいたということで命の 贈り物ありがとうございましたと感謝され てると思います あのとても素晴らしいことだと思いますの でまたあの明るいあの前を向いてしっかり とこう進んでいけたらなと思いますあの ドナーさんになられるということはすごく 素晴らしいことですので本当に感謝され てると思いますのではいあのおかしくない ですっていうことをお伝えいたし ますえとコーディネーターの黒川です えっとそうですねあのレクラとは全然思い ませんしあの当然の考えかなとはそういう 風に思ってしまうのは当然かなとは思うん ですけどえっとまこの方があの提供された 骨のおかげでお兄さんその今マラソンにも 挑戦できたりとかあの元気に生活まドラ ドラが出てきたのはちょっとあの見てても 辛いんだと思いますけれどあの頑張って 元気で過してるのは彼女のおかげかなと 思いますのであのなんなんというのかあの 全然お考えになることはおかしくないかな と私も思い ます たですけどあの2人があのお話されたこと に本当に鈍感しています私が経験した中で ケェドナーで1番小さかった子は10歳の 子でしたえお父さんのハプその時はハプロ 衣食だったんですけれどもあの残念ながら 亡くなられましたのでその後にその子が どのようになったのかすごく気にはなった

んですけれどもあのこれ私がまだ当時平等 にいた頃の話なのであのその子の経過は 見ることができなかったんですけれども やっぱりそういうこともありますのであの ドナーになると言った時に私たちは本当に 慎重にあのドナーさんの意思を確認して 本当に的確性があるかどうかというのを 慎重にあの検討した上でどさんになって いただいていますま特に10代未の場合は あのやっぱり周りの目が気になりますので あの僕がならなきゃ私がならなきゃって いう気持ちでなってる子供たちが本当に 多くてちょっとそこら辺は私たちも十分 あの話を聞いてあげてという風には常々で 思っており ますえっとは経験を果たしてくだた岡本 さん兄弟からの移植ですよねはいあはい そうですはいそうまあの元気もされてまし たけど改めてこうの人にどうですかそう ですねあのあの私の兄はもうあの私が gvhdを持っていることはもちろん知っ ていますしまgvhDを持ちながらも私は 結構あのアクティブに動けちゃう方なので その辺りはもう本当に兄は全然そういう 感じで思っていないのであのお兄さんの方 はあお兄お兄さんお兄さんの方が移植をさ れたんですよねうんなのでもちろんあの その妹さんの方がうんそこまであの自分の ことを責めることは全くしなくでもないと 思いますであのドナーさんとして提供した ことをむしろあのどんどんあの誇らしく 思って欲しいですうんでお兄さんは もちろんあのドライ合っていうのはあの よくある患者さんのあるあるで移植後の 患者さんでドライアのま私もちょっと ドライアがあるんですけれどもまそれは 患者さんの本当のあるあるの話なのでま そういうのはあの時の全身麻酔のせいかな とかそういうことは全くもう思わなくても 全然大丈夫だと思いますなのであの今後 あの今もう元気にドライア以外をされて いると思うのであ元気にされて活動されて いるのでまももうその辺りはもう全然関係 なくまあの今まで通り兄弟で仲良くもう 今後楽しく過していけいただけたらとても 私も嬉しいです はいあのはい前向きに全然あの誇りやすく 思ってくださいお願いしますはいえっと あのあこの人は16歳ですから小二願と 呼べるのかなでもまあ小二癌に入ってる方 ですよねえなかなかこの成長期のえ同病は 兄弟の存在というのもなかなか あ大変でえ親はは病児も見なくちゃなら ないしえ兄弟も悩まなくちゃいけないて いうことでえ

あのこえっと京都での前回の えそのフォーラムの時にはあそれ をお話をくださったヒストリーとしてえお 話しくださった下田さんにお話いただいた んですけどそれなりに家族全員であの投票 することになりますよねはいそれであの 先ほどからここで一生懸命ボランティアし てくれていたあの女性はその妹の方で お兄さんが投票した妹の方でっていうので あのやっぱりすごく気になるんだと思うん ですよねこの領域がだから思い切って あの病棟患者会あでにも参加して みるでかり合ってみるとどうかなと思うん ですけどおられますかそういう人そうです ねあの患者さんと家族の方があの参加さ れる方は実際多いですでやはりあの私は ちょっと考えるんですけれども患者さん 同士だけではなくあの家族さんの方の患者 家族の方のあのやはりあの語り合いという かそういう場も結構重要じゃないかなとは 最近は思ってい ますやはりちょっと移植に関してもまあの やはりあの移植を受けたからまあの元気に なったって方もいればやはり逆の方も いらっしゃってでやはりあのま亡くなられ た方もま一食後に亡くなられた方があって でその上であの水泳の池リカ子さんが元気 になっているのでまみんながみんな池さん のようになるんじゃないのにってやっぱり 矛盾を感じてしまうっていう風なところの 家族感の語りもあったのでやはりそうです ねあのこの女性の方ももし気になるようで あればあの患者会は患者のみをあの対処と しているわけではないのでもしあのお近く にそういう患者会をまちょっとそうですね ちょっとなかなか勇気がいることなんです けれどもま今ネットでも調べられるので もしそういう状況ができるのであればそう いう参加もちょっとお勧めはしたいかなと いい思い ますはいあのえっと患者家族の会という風 に言っているところが結構多いんですよね あの単なる患者の会よりも患者家族の会と いう風に え目売っているところがあってこの家族に はえ患者さんとその親子さんと兄弟が含ま れるわけですよねだからそういう単位だと いうことでそのえ考えたら楽になるかも ねっていうことがアドバイスだったと思い ますただあの えうちうちの例をちょっと言いますとえ あの合わなかったんですよねだからコツで ワンクを作るしかないっていうので走った わけですけどえある時あのパンフレットを 作って提供とはどういうことかっていうの

で家族のための提供ののえ冊を作るって 言った時に唯一え提供できなかった子とし てうちの娘があのインタビューされてその 時にHLが合わなかったことが自分のせい 自分はあ良くない兄弟だったっていう風に 後悔してるんですよねでただこの後悔その ものを否定してしまうとえそのもうそっ から先に進まないのであそこまで愛情持っ てくれているんだなという風に捉えてえ あの家族でえあの骨バク運動設立運動をえ 進めていくっていう風に進んでいくわけ ですえなのであの悩みがあることを否定せ ずにみんなで受け入れて考えていくていう ことじゃないかなと思いますだから どんどん口にする語り合う理解し合うって いうことがねいくといいですよねはいと いうことで上田 先生このせこの質疑はここまでなんです けどいかがでしょうか ねそうですねあの さっきまから言ってたんだけどドライアイ ていうの はほとんどの患者さんであるものなので そうですあまり あの気にせずにおられた方がいいんじゃ ないかなっていうのとあのさっき出ました けどやはりあのドナになった方が あとしんどくなれるケースって意外に多い あえそれであの心情内閣に受信して いただいたっていう方が何人かおられます のであの先ほど岡さん言ってましたけど やはりそういうところにですねすごく注意 しながらはいあのしていかないといけない なと思ってますはいはいみんな でま共感しながら住んでくってことですね はいえもう1つでは今の質問はそれで 終わりですけどよろしいですかはい次の 質問ですま小結関西採取の方が全身麻酔で の骨採取よりも大変そうに思います実際に 比べるとどうなのでしょうかこれあの えっと翼であの質をあのえ電話相談してい た時もチラチラとあったんですけれどもえ あのあるお母さんが子供にえ両方提供した ことがあるんだそうです両方だ骨最初で 提供してその後ま小結監査所だったかな その時に橋本さん絶対全身まいで寝ている 間に取ってもらった方が楽だていう風に あの本音を言ったんですねただあのそれは あの実家を聞いてあなるほどねと確かに アフェレシスみたいにずっと繋がってます からねあのその間にえトイレ行きたくなっ たりしてねみたいな話だったんですけど そういう実感といやいやそうではなくて 医学的に見てもていうあの視点があの大事 だと思いますのでその辺先生どうでしょう

かえっとですね私あのちょっとこれを見て 若干 びっくりしたんでですけれどもあの1つは まあの医学的に見てもやはり全身麻酔を かけるっていうのはすごくリスクがある ことなのとそれからもう1つは私は今実は うちの病院の祭祀全部私入ってるんです けども あのすごい荒っぽい荒っぽいというかあの 丁寧にやってるんですけどこに先ほどの あのボルテの芯みたいな針をですね何十回 もさしてていうでその後回復までの時間 っていうのはやはりだいぶあります真小結 関西胞採取の場合はもちろんgcsfを 打って一時的に痛かったりするんですけど も数時間のアフェレシスで終わるっていう ことでま普通に考えると負担は少し軽いか なと思いますであのこういうことがあり ます私あの実はコバンクで結細胞 採職が始まる頃にですね あの宮田先生の研究犯に行てま あの今もあのそういう犯いるんですけど アメリカに調査に行ったことがありまし それは実はアメリカではですねもうその 時期に秘血煙で何年間も真小結関西防採集 を年間にしてるで向こうの病院で聞いたら ですねどうして日本はそんなにドナの負担 少ない結を全然してないんだとっ向この 先生が目を悪くしてたというそういう状況 はありますですからただまあのもちろん ドナーさんご自身のいろんな考え方もある んで あのなかなか言えないんですけれども一応 ですね あの原則はドナさんの負担としてはま小結 の方が軽いと考えていただいた方がいいん じゃないかなという気がしますあの意識が あるところにあの針を刺されて差しなしと かされたりしてそれでもしかしたら2日に 渡ってということもあってというような ことが大変という風に感じる人もいるのか な と思いました はいただやはり全身麻酔を健康で病気知ら てここまで来た人にますよかけ るっていうのはとてもリスキーなんだよっ て いうことですねそうですね あのなかなか元気な人に全身待って書け るっていうのはカの先生も若干手がれる ところはあるんじゃない うんそうなんですねはいえそれでえ非血縁 で提供してくださってる方もいるしえそれ はそれで大変なことでありがとうござい ますえただま関細胞採種の方が医学的に見

たら あ良い選んだ方がいいかなということです ねそうですねま あのもう一方で移植の成績っていうな部分 もあるのでなかなかあの一概には言えない んですけども例えば私たちの施設ですと あの欠点ドナーさんでしと基本的にはドナ さん に選んでもで最近ではほとんどの人がま消 選ばれるっていう状況がありますあそうな んですねはいえ遠くの方から来た質問です が納得してもらえたかもしれません えっと村田さんからもアドバイスあります かこれに対し てはいえっとどちらを取にしても一応言た んですけどもやっぱり電子麻酔をかけ るっていうところから考えるとま小結関西 防災種の方がえどんなさんへの負担は減る とと私も思っていますですのであの確かに 34時間かかりますのであのいかにその 時間を楽しく過ごしていただくかという ことであのコーディネーターとかと一緒に あの必要に喋ったりですねあのDVDを見 てもらったりとかあのある人はライブの あの音楽をですねずっとかけたままであの 本当にライブ解除のようにうちの治療室が なったことがあるんですけどあのそのこと をしてるうちにあ今日はあっという間に 終わりましたっていう感じでまた来ますっ て言って書いていたれ方もいらっしゃった のであのそういうリラックスしたあの環境 を提供するっていうのも私たちはフレス ナスやあの一食コーディネーターの役割だ と思ってい ますはいありがとうございます え現場が楽しそうですごくあのそれはいい なと先ほども拝見しながが思いましたえ なんと言ってもあの起きているところでね 色々 あのスタッフの方とお話ししたり楽しん だりしながらできそうですからはいえま 小結関西職のことについてえ研究して もらいました はいでは次にえこれがあの質疑ということ ではなくてえあの島根からあから今日ここ に参加してくださった向のえ方が来られて ますので自己紹介とはい一言お願いします はいはいえ島野県立用病院の骨移植患者会 相性を向くの木と言いますけどえ幹事をし ております吉岡区にこいますよろしくお 願いし [音楽] ますこれはあの学会があったのえ写真です けどえっと向の木はこんだ半分 ぐらいおるかなえっと半分じゃないですね

そんなにないですえっといろんなところの こういう大会とか式典とかえ交流会とかの お手伝いをしたりしてますけどそれは おまけでえ実際は年に1回バーベキュー パーティーを1 ますで向の木の話をする前に私はえっと 平成の12年にえ骨髄船員症という病名を いただきまして骨職しまし た全く自覚症状がなく て先生が骨を採取してあったこういう病気 だからった骨意を した方がいいよという風に言わ れでまだ認定病院にもなってなかったん ですね中病院がねその時に言われじゃ バンクだバンク認定病院になってないから 待ちましょうと言ってえ島に初めてバンク を利用させていただきましたで平成12年 移植をして対応して1年ちょっとしたら そのさっきちょろっと出てきた白の眼鏡 かけた先生が幹事元患者を3人呼んできて です ね島県立地方病院で一食が100例を達成 するので同窓会をやりたいということで あのその世話をしろと言われ幹治3人で 世話しましたでその時に100例の記念動 総会の中で患者会を作りますとだから あなたたち募集しろ とだからあまぶっちゃけで言うと患者会は 我々が作ったもんじゃなくてその博の眼 かけたおじさんがあおじさんじゃない先生 が作った漢字会ですでそれで何をやり たかったかというともっとは楽しい会を するで要するにその100例の記念大会を 次の年はビールを飲む大会にするでその次 の年は屋外でバーベキューパーティーを する同窓会ですからね1回ですでそういう 会議をずっと続けております20年経ち ました平成15年からやっておりますので えこないだコロナで3年ほどやりません でしたけど今年はできました今年もやり ましたでメンバーは今え会員ま患者さん ドナーさんが会員ですけどえ180名の方 に案内を出しております参加はえ今年は 80人ぐらい大体80人から90人ぐらい 少ない時でも60人ぐらいの参加があり ますメンバーは患者ドナーそれから病院 スタッフの方が出れ ます医者だけじゃなくてさんだけではなく て薬剤師さん検査技師さんそういう方々も 参加されますそれから今では打の患者会の 方今日お話しいただいたおさ方それからあ ま色々ですけどそれからもう1つ島野県立 大学に建設サークルがあるんですけれどえ それらの方々からもご参加をいただいて おりますですからま年に一遍みんなそう

いう方々関係の人が集まってあもちろんご 家族の方も一緒に集まって8月の夏休みの 割にありますでなんでその時やるかって いうと夏休みだから子供たちが出てくる ようにまそういう活動をえずっと続けて おりまして20年経ちましたこれからも 楽しいことをやろうっていうことは元に 続けていきたいと思いますえよろしくお 願いしますありがとうございましたはい ありがとうございましたあけがありまし たら皆さん全員え呼ばれてるようなもん ですから是非え楽しい会集まりに行って ください岡さんはえ家具に乗ったとここで ねはいでこの写真のえ話は少しずれるん ですけどえあの全員が6年分若いですね今 ここにいるよりもえでそれは置いといてえ 向かって1番左にいる人え彼が小林さんで え実は今このYouTubeのええあの オンエアを東京で支えてくれているIT 技術者ですで彼はなぜここにここにいるの かって言いますとえあの建設をずっと続け ているうちに骨提供をあ登録をして小い非 決戦の骨提供を2度している人ですその 経験を話しにここにこもらっているという 次第ですはい えよかったら是非拍手 をありがとうございますはいではこれを 持ってえ全てのセッションが終わるわけ ですがえここに呼んでくださるきっかけと なった清水さんえご挨拶を一言お願いし ますえと本日のプログラムはこれで終了に なります皆様いかがでしたでしょうか [拍手] 本日はつの会と倉敷中央病院の共催の会で 増結関西後職の今とこれからを共有させて いただきましたで五藤さんの言葉を借りて あの1分1秒毎日朝が来る奇跡この奇跡に 感謝しながら閉会させていただきたいと 思います本日はありがとうございまし た はいさんありがとうございました田先生 本当にありがとうございましたあの本当に 良いあの学習の1日をいただけたと思って おりますも一言非 はい本当にありがとうございましたあの 移植を受ける可能性のある方受けた方 そして移植医療を支える人たちの話って いうのがいっぱい聞けて私もすごく勉強に なりました実はですねあの昨日外大歩いて ましたら上田先生って40前後の女の方 から声かけられましてどうしたのかなと 思ったら私2何年前にどになったんですよ て言われました橋本さんの礼儀を感じて しまいましたで実はです ね橋本さん最初に私コンタクトしたのが

2009月日の12時52分橋本さんから メールをいい てこの回で岡山であるんだけどあの話をし てもらえない谷本先生と亡くなった品川 先生からご紹介いただいたというこれその メズ自身 ですでもうその時今お話聞きますと93年 から あのこの会の全身を始められてたていう ことでもすごくあの大にしたという感じ だったんですけどそれからさらにですね 17年間走り続けておられると本当にあの 感謝しかないと思いますいう本当に1回 みんなで拍手しません かと 先生をしいただいて応ありがとうござい ますあのこれからも是非走り続けて いただきたいと思いますどうも本当に今日 ありがとうございましたはいはい ありがとうございますえこちらこそあの 感謝を持ってえあのYouTubeをご覧 の皆様にもえあのこれからも1つ1つ 一歩一歩え成し遂げたり乗り越えたりし ながら一緒に進んでいきたいと思いますえ 会場と皆さんあの拍手でエールを交換して 終わりたいと思いますえ皆さん本当に ありがとうございまし [拍手] た

座長:倉敷中央病院副院長・血液内科主任部長・血液治療センター長 上田 恭典先生
総合司会:NPO法人血情報広場・つばさ理事長 橋本明子

I 基本を学ぼう
〇同種造血幹細胞移植とそのドナーについて ~骨髄バンクドナーの体験もまじえて~
 倉敷中央病院血液内科 大西 達人先生
[2:43]

〇末梢血幹細胞採取の実際とドナーの看護
 倉敷中央病院血液治療センター 村田 真由美さん
[29:05]

〇HCTC(造血細胞移植コーディネーター)のドナーとのかかわりについて
 ~血縁ドナーコーディネートを中心に~
 倉敷中央病院血液治療センター 黒川 裕子さん
[50:32]

II 語り合おう・共に考えよう
〇My story
・17才で診断MDSを診断され、29才で「まさか」の急激な悪化。
 骨髄バンクドナーさんに救われてから、年に1度続けていることは
 後藤 千英さん
[1:10:20]

・9才で小児CMLを移植で治療。AYA時代いっぱい体調不良に悩んだものの、
 性腺ホルモン投与後“34歳で声変わり?!”今、マラソンで全国制覇中
 宮城 順さん
[1:28:07]

・20才でALLを発症しきょうだい間骨髄移植を経験。
 その後再発や移植後のGVHD、二次がんなどを経て、
 今は元気に仲間や友人との交流を楽しんでいます。いま思うこととは…
 倉敷中央病院 患者交流会二人三脚 岡本 まどかさん
[1:43:37]

〇JMDP Now
・若い人たちに届けたい!骨髄バンクのこと
 (公財)日本骨髄バンク広報渉外部 水口 詞代さん
[2:02:14]

〇As a Medical Staff
・移植医療に寄り添って
 倉敷中央病院血液治療センター 清水 雅代さん
[2:25:02]

III 造血細胞移植の現在とこれから
〇特別講演:造血幹細胞移植療法の到達点と細胞治療の今後
 倉敷中央病院血液内科 血液治療センター 上田 恭典先生
[2:38:15]

IV 質疑応答+α
 上田先生/講師の方々/参加者の皆さまで
[3:10:30]

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