原節子の映画「決戦の大空へ」昭和18年9月
土浦海軍航空隊を舞台に若鷲の養成を描く。
監督:渡辺邦男 脚本:八住利雄 音楽:伊藤 昇
主題歌:「若鷲の歌(予科練の歌)」
作詞:西條八十 作曲:古関裕而

16 Comments

  1. 以前この素晴らしい動画が消されてしまいガッカリしましたが、再度UPしていただき感謝します。
    戦争中に制作された貴重な映画です!

  2. 確か俳優でコメディアンのマエタケこと前田武彦さんも予科練出身だったと思います。あと連合の山岸章,元会長も。62歳の私が2~30代の頃テレビなどで活躍されていたのを鮮明に覚えています。この方たちもこういう訓練を受けていらっしゃたのかな。だからあれだけエネルギッシュなハードな活躍ができたのかなと思います。

  3. 1:19:27では、戦前・戦中の映画で大尉を「ダイイ」と本当に濁音で発音する場面が聴けて、驚きました。
    戦後に作られた「潜水艦イ-57降伏せず」や「男たちの大和/YAMATO」等の映画では、よく耳にするのですが、当時(海軍が実際に存在していた時)の作品では初めてです。

  4. この時代にもフライト・シミュレーターがあったんですね。

    それから思い出しましたが、旧日本海軍は飛行機の搭乗員を採用するさいに易者に人相を観させていたんですよね。
    「驚愕! 日本海軍が搭乗員適性試験で採用した人相見の驚異の的中率」
    でググるとその記事がヒットします。
    (URLを直接貼るとコメントの投稿ができないはずなのでURLは貼りません)

  5. 私の母は、今生きていれば丁度100歳ですが、11年前に89歳で亡くなりました。その母は生前よく尊敬の念を込めてでしょう、あえて”さん”をつけずに、「あ母ちゃんは、原節子と年が同じなのよ」と申しておりました。原節子さんに親しみを感じると同時に、同じ大変な時代を生きて来たんだよ、と言いたかったのではないかなと思いますね。

  6. この映画に出演していた少年達、多感な時期に敗戦を迎え、言い難い悔しさをぐっと堪えて歯を食いしばって、次はアメリカには絶対に負けないと頑張った。この人達が戦後の繁栄を築き上げたのです。あの頂点から30年、衰退し続けるこの国を思うと、つくづく人が国を作り、教育が人を作り上げるのだと思います、本当に戦前は間違いで、悪だったのでしょうか?甚だ疑問。

  7. 予科練の試験は誰でも受かる…… この映画で唯一の大嘘だな。予科練は合格率5%未満、卒業できる人数は受験者数比で1%くらいだったと思う。海兵が名家の子供しか入学できないとすれば、予科練はその他一般人のきわめて能力の高い少年が入る所だったと思う。
    あの練習を見たら普通の人間じゃついていけない。阿見町にある予科練平和祈念館には練習生の日記か両親への手紙の一節が記録されている。(卒業生が殆ど戦死している状況を見て)娑婆の50を30で生きる、と。皆死ぬ覚悟を持って練習し巣立っていった。
    私は言葉もなく英霊に敬礼したのでした。

  8. このDVDは購入しました。霞ヶ浦にも参りました。当時の予科練の訓練生の純粋で美しい心に感服するばかりです。日本の未来のために皆様ありがとうございました。

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