原節子の映画「決戦の大空へ」昭和18年9月 土浦海軍航空隊を舞台に若鷲の養成を描く。 監督:渡辺邦男 脚本:八住利雄 音楽:伊藤 昇 主題歌:「若鷲の歌(予科練の歌)」 作詞:西條八十 作曲:古関裕而 1943 showa Showa Bijin Showa Era Showa Period 予科練 原節子 土浦 昭和 昭和の芸能人美人 昭和時代 決戦の大空へ 海軍 芸能人美人 若鷲の歌
@user-pv9nq6ii2m on June 29, 2020 2:45 pm 以前この素晴らしい動画が消されてしまいガッカリしましたが、再度UPしていただき感謝します。戦争中に制作された貴重な映画です!
@user-sr3sj9in7y on September 12, 2021 9:25 am 確か俳優でコメディアンのマエタケこと前田武彦さんも予科練出身だったと思います。あと連合の山岸章,元会長も。62歳の私が2~30代の頃テレビなどで活躍されていたのを鮮明に覚えています。この方たちもこういう訓練を受けていらっしゃたのかな。だからあれだけエネルギッシュなハードな活躍ができたのかなと思います。
@user-gg3ji7ep3b on April 20, 2022 4:08 pm 1:19:27では、戦前・戦中の映画で大尉を「ダイイ」と本当に濁音で発音する場面が聴けて、驚きました。戦後に作られた「潜水艦イ-57降伏せず」や「男たちの大和/YAMATO」等の映画では、よく耳にするのですが、当時(海軍が実際に存在していた時)の作品では初めてです。
@user-ms9uh5oc2h on June 21, 2022 8:45 am この時代にもフライト・シミュレーターがあったんですね。 それから思い出しましたが、旧日本海軍は飛行機の搭乗員を採用するさいに易者に人相を観させていたんですよね。「驚愕! 日本海軍が搭乗員適性試験で採用した人相見の驚異の的中率」でググるとその記事がヒットします。(URLを直接貼るとコメントの投稿ができないはずなのでURLは貼りません)
@user-sr3sj9in7y on July 26, 2022 4:34 am 私の母は、今生きていれば丁度100歳ですが、11年前に89歳で亡くなりました。その母は生前よく尊敬の念を込めてでしょう、あえて”さん”をつけずに、「あ母ちゃんは、原節子と年が同じなのよ」と申しておりました。原節子さんに親しみを感じると同時に、同じ大変な時代を生きて来たんだよ、と言いたかったのではないかなと思いますね。
@aikokualfa on September 6, 2022 9:01 pm この映画に出演していた少年達、多感な時期に敗戦を迎え、言い難い悔しさをぐっと堪えて歯を食いしばって、次はアメリカには絶対に負けないと頑張った。この人達が戦後の繁栄を築き上げたのです。あの頂点から30年、衰退し続けるこの国を思うと、つくづく人が国を作り、教育が人を作り上げるのだと思います、本当に戦前は間違いで、悪だったのでしょうか?甚だ疑問。
@katsuhiroookubo630 on April 26, 2023 7:28 am 予科練の試験は誰でも受かる…… この映画で唯一の大嘘だな。予科練は合格率5%未満、卒業できる人数は受験者数比で1%くらいだったと思う。海兵が名家の子供しか入学できないとすれば、予科練はその他一般人のきわめて能力の高い少年が入る所だったと思う。あの練習を見たら普通の人間じゃついていけない。阿見町にある予科練平和祈念館には練習生の日記か両親への手紙の一節が記録されている。(卒業生が殆ど戦死している状況を見て)娑婆の50を30で生きる、と。皆死ぬ覚悟を持って練習し巣立っていった。私は言葉もなく英霊に敬礼したのでした。
@user-zn3dq3xc4u on November 18, 2023 12:35 pm このDVDは購入しました。霞ヶ浦にも参りました。当時の予科練の訓練生の純粋で美しい心に感服するばかりです。日本の未来のために皆様ありがとうございました。
16 Comments
戦後ならぬ戦時中の映画ですか!
貴重な映像、UP有難うございます。
以前この素晴らしい動画が消されてしまいガッカリしましたが、再度UPしていただき感謝します。
戦争中に制作された貴重な映画です!
不思議な感覚だ…。
ここに映る彼らはたしかに生きてたんだよな
仁義なき戦いで知り、拝見しました。
この時代に生まれなくて良かった。
ご先祖様に感謝。
原節子以外に黒川弥太郎(白虎隊で桐野利秋)と木村功が出ている。ボチボチ六文銭がいるな。
確か俳優でコメディアンのマエタケこと前田武彦さんも予科練出身だったと思います。あと連合の山岸章,元会長も。62歳の私が2~30代の頃テレビなどで活躍されていたのを鮮明に覚えています。この方たちもこういう訓練を受けていらっしゃたのかな。だからあれだけエネルギッシュなハードな活躍ができたのかなと思います。
当時はこの映画を見て飛行機乗りに憧れ、予科練を志望した者が続出した様ですね!
1:19:27では、戦前・戦中の映画で大尉を「ダイイ」と本当に濁音で発音する場面が聴けて、驚きました。
戦後に作られた「潜水艦イ-57降伏せず」や「男たちの大和/YAMATO」等の映画では、よく耳にするのですが、当時(海軍が実際に存在していた時)の作品では初めてです。
この時代にもフライト・シミュレーターがあったんですね。
それから思い出しましたが、旧日本海軍は飛行機の搭乗員を採用するさいに易者に人相を観させていたんですよね。
「驚愕! 日本海軍が搭乗員適性試験で採用した人相見の驚異の的中率」
でググるとその記事がヒットします。
(URLを直接貼るとコメントの投稿ができないはずなのでURLは貼りません)
私の母は、今生きていれば丁度100歳ですが、11年前に89歳で亡くなりました。その母は生前よく尊敬の念を込めてでしょう、あえて”さん”をつけずに、「あ母ちゃんは、原節子と年が同じなのよ」と申しておりました。原節子さんに親しみを感じると同時に、同じ大変な時代を生きて来たんだよ、と言いたかったのではないかなと思いますね。
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この映画に出演していた少年達、多感な時期に敗戦を迎え、言い難い悔しさをぐっと堪えて歯を食いしばって、次はアメリカには絶対に負けないと頑張った。この人達が戦後の繁栄を築き上げたのです。あの頂点から30年、衰退し続けるこの国を思うと、つくづく人が国を作り、教育が人を作り上げるのだと思います、本当に戦前は間違いで、悪だったのでしょうか?甚だ疑問。
原節子さんも少しほっそりしています。食料事情でしょうか。
予科練の試験は誰でも受かる…… この映画で唯一の大嘘だな。予科練は合格率5%未満、卒業できる人数は受験者数比で1%くらいだったと思う。海兵が名家の子供しか入学できないとすれば、予科練はその他一般人のきわめて能力の高い少年が入る所だったと思う。
あの練習を見たら普通の人間じゃついていけない。阿見町にある予科練平和祈念館には練習生の日記か両親への手紙の一節が記録されている。(卒業生が殆ど戦死している状況を見て)娑婆の50を30で生きる、と。皆死ぬ覚悟を持って練習し巣立っていった。
私は言葉もなく英霊に敬礼したのでした。
茨城県阿見町チャンネルから来ました!。(^^)d
このDVDは購入しました。霞ヶ浦にも参りました。当時の予科練の訓練生の純粋で美しい心に感服するばかりです。日本の未来のために皆様ありがとうございました。